最近のいずみ

Last Update:2010/10/31

パートタイムアスリートいずみ 10年目が終わろうとしています 


■2010年10月31日(日曜日)


なんとか泡をさわりました
 台風が日本から遠ざかり、久しぶりに朝から太陽の日が差し、気持ちの良い朝だったので、長男と、近所の海岸までサイクリングに出かけた。海岸は、まだ台風の影響が残っているためか、波が強く、水は濁っていた。長男は、押し寄せる波が泡立っているのが気になったようで、「泡をさわりたい」と言いだし、押し寄せる波が岸へ近づいてくるたびに、手を出して泡をさわろうとしていたが、なかなかうまくいかなかった。波をさわりたいと思って、波に意識がある時には、なかなか波は近くまで来てくれず、波のことを忘れて、話をしていると、急に大きな波が来て、靴まで海水に浸かることになったりする。自然は、人間の思い通りには行かないということがよくわかった。

■2010年10月30日(土曜日)
 本州に台風が接近し、雨と風が強くなってきた。長男の運動会は延期となり、10月10日から今日に延期となった横須賀市民体育大会も中止となり、外出はできず家でのんびりと過ごすこととなった。
 最近の雨で、庭の土が水を含み、雑草を抜くにはちょうど適した条件だったので、風雨の中、庭いじりをした。1ヶ月ほど、庭をいじっていないうちに、雑草が大量に生えてしまい、雑草のたくましさを感じた。

■2010年10月29日(金曜日)
 鍼灸の効果で、左下腿の張りはかなり緩和し、ジョッグを再開してみたが、10分も経たないうちにアキレス腱の内側に痛みを感じ、15分走って引き返し、1時間くらい走るつもりが30分しか走れなかった。かわさきフェスティバル以降全くスピードを出して走っていなかったので、最後に300mを走ってみたが、スピードを上げるとアキレス腱の外側に痛みを感じた。まだ、様子見が続きそうだ。

■2010年10月28日(木曜日)
 行政刷新会議の事業仕分けが始まり、スーパー堤防事業が「廃止」と判定された。完成までに400年もかかる事業ということは、今から400年前のことを考えると、関ヶ原の戦い直後に工事が始まり、400年後の今になってできあがるというくらい年月を経るということになる。400年先は、全く想像のできない世界になっているはずで、今すぐに必要とされる事業にお金を回した方が良いように思えた。大洪水の予想される確率は200年に1度と考えると、多くの人は一生に一度も遭遇しないくらいの確率にも思え、明日にもその洪水が起きるかもしれないとなれば、もっと短期的に対処できる方法を考えた方が良いのではないかとも思った。

■2010年10月27日(水曜日)


ペリー上陸の海岸
 次男は、おたふくの症状はなくなったが、相変わらず発熱が続いている。土曜日に受診した小児科が休みだったため、別の小児科に受診したところ、喉の奥にウミがあるなど溶連菌に感染している疑いがあるとのことだった。感染しているかどうか検査を受けたところ、陽性反応の色が薄くついたらしく、陽性かもしれないとのことだった。とても中途半端な診断となってしまったが、おたふくの症状に対して処方された薬の影響で、色が薄くなった可能性があり、おたふくについても、溶連菌についても、本当にかかってしまったのか、はっきりとは言えないと言われた。診断はともかく、症状が改善し、次男が元気になってくれることを願う。

■2010年10月26日(火曜日)
 知り合いから、ミャンマーに中距離のコーチとして1年間行く気はないかという電話がかかってきて驚いた。日本陸連のホームページに公募が出ていたので、その公募に応募して欲しいということだったのだが、期間が今年の12月からで、仕事の予定は急には変えられず、家族も反対するだろうから、難しいと思うと回答した。
 ミャンマーといえば、軍事政権がアウンサンスーチーさんを自宅軟禁しているという印象しかなかった。どんな国なのだろうかと思って調べてみると、爆発騒ぎもいくらかあるようで、外務省のホームページでは、「十分注意してください。」と書いてあった。11月7日に総選挙が行われる予定になっており、選挙が近づくにつれ、治安の悪化も懸念されているとのことで、日本と比べれば、明らかに危険な国だという印象を持った。10月21日に何の前触れもなく国旗のデザインが変更されるなど、結構気まぐれな政府なのかもしれない。命を落とす危険がなくはない国に行くには、相当な覚悟が必要だろう。

■2010年10月25日(月曜日)
 昨日、レースの合間に、痛みのあるアキレス腱につながる筋肉を、マッサージしながらさわっていたところ、局部的に凝りがいくつもあることがわかり、自分で緩和させるのが難しいと思ったため、鍼灸の治療院へ行って診てもらった。
 自分で筋肉をさわってもなかなか痛みはわかりづらいが、人にさわってもらうと、わずかな力でも痛みが発生する。下腿部のどこをさわっても痛みがあるほどで、間違いなく下腿部の筋肉の張りがアキレス腱を引っ張り痛みを起こしていることが理解できた。
 針とお灸を施してもらい、最後は、置き針もして、治療が終わった。自分の感覚にはそれほど変化はないが、治療によって、筋肉の張りは緩和されたようだ。回復のきっかけができれば、あとは体が自然に回復に動き出すはず。2,3日は慎重に様子を見ていこうと思う。

■2010年10月24日(日曜日)


招待1500m





招待800m第1組(川元くん)





招待800m第2組(横田くん)
 かわさき陸上競技フェスティバルのミドルディスタンスデュアスロンに出場した。アキレス腱痛は、緩和し、ウォーミングアップの時に、痛みを感じることなく走れ、久しぶりに気持ちよくジョギングができた。
 800mは、スタートで周りの選手について行けず、一番後ろになってしまったが、200m通過が27秒7ということで、ちょうど良いペースだった。1周目のホームストレートで5,6番手に上がり、400m通過が56秒6。上位の選手との差は少しずつ開いていき、順位を上げることはできなかったが、全日本実業団の時よりは余力があり、失速することなく残り1周も59秒を切るくらいで走り切れた。着順は5着でタイムは1分55秒59だった。昨日森くんが言っていたように、自分も全力で走ることができず、レースが終わってみるとあまり疲れていなかった。800mが終わった時点で総合順位は9位となった。
 1500mは3分50秒台の選手が多く、普通について行けば4分が切れる可能性が高く、アキレス腱には不安があったが、疲労もなかったので走ることにした。しかし、レースは先頭の1,2周目が66秒くらいかかり、かなりのスローペースだったため、残り700mからスピードが上がり、急激なスピード変化に対応できず、集団からこぼれてしまった。残り1周で3分01秒だったため、4分切りは絶望的になり、気持ちが切れそうになってしまった。しかし順位をこれ以上落としたくないという気持ちが働き、残り1周で3名ほど抜き、800mでは出せなかったラストスパートまで出すことができ、6着でフィニッシュできた。タイムは4分04秒62だった。1,2周目がもう少し速ければ、4分が切れたのではないかと思う。横須賀市民体育大会と比べれば、しっかりと走りきることができ、11月の記録会でもう一度4分切りに挑戦してみようと思った。
 この大会では招待レースとして、男女の800mと1500mのレースが行われた。800mの1組目では川元くん(北佐久農高)が1分48秒46の高校新記録を樹立し、2組目でも、横田くん(富士通)が1分46秒44という好記録を出した。600mが1分18秒台では通過していて、間違いなく日本記録が出ると思ったが、残り200mを一人で走りきるのは大変だったようだ。本人も700mまでは思い通りに走れていたが、最後の直線で動きが崩れてしまったと話していた。
 久しぶりに、大勢の中距離関係者と話ができ、好記録のレースを見ることができ、とてもすばらしい大会だった。

■2010年10月23日(土曜日)
 日体大長距離競技会へ行った。800mと1500mにエントリーしていたが、アキレス腱痛のため棄権し、学生たちを応援した。体育学校同期の森くんと800mを一緒に走る約束をしていて、同じ申請タイムで申し込んだはずだったが、自分が10組で彼は13組となってしまったこともあり、無理をして走ることもないというのも棄権する理由の一つだった。この記録会にお互い家族を連れてくる約束もしていたが、今朝になって、次男がおたふくかぜを発症し、長男だけを連れて会場へ行くことになってしまった。子供たちは、年に1回も会っていないので、すぐにはなじまないのではないかと思っていたが、会っていない期間など全く関係なく、何の違和感もなく仲良く遊んでいた。
 自分の組みのレースは、トップが1分55秒台で、それほど内容の良いレースには見えず、出場しなくて良かったと思った。第13組は、トップが岡本くん(ミズノ)で、1分51秒65だった。彼は、日本選手権のB標準を狙っていたとのことで、わずかのところで突破ができず、関西からわざわざ高い旅費を払っての参加だったので、とても残念そうだった。同期の森くんは、終始集団の中盤でレースを展開し、1分54秒17の5着でフィニッシュした。本人は、全力で走ることができなかったと話していたが、フィニッシュまでほぼイーブンペースで走っていて、さすがだなぁと思った。このタイムは、36歳の年齢別日本記録になる。来年は、この記録を一つの目標にして走りたい。

■2010年10月22日(金曜日)
 昨日、我が家の電力メーターの隣に東京電力の売電メーターが設置された。今日は、東京電力の最終チェックが行われ、太陽光発電の発電所として運用が始められるようになった。東京電力の最終チェックが夕方に行われ、天気は、完全に曇っていたので、初日の発電量はゼロだった。我が家の発電所名は「ひだまり太陽電池発電所」。明日は晴れるようなので、明日からは発電が始まるはず。明日が来るのが楽しみだ。

■2010年10月21日(木曜日)
 長男は、何事にもゆっくりで、こちらが急かせても全く動こうとしない。登校のため友達と待ち合わせをしているのに、約束の時間になってもゆっくり食事をしてあわてない。時間が間に合わないので、着替えを用意したり、歯ブラシを用意して、本人の目の前に置いてあるのに、本人はそれが見えず、服を探したリ、歯ブラシを取りに行ったりする。「どこを見てるの?」「急ぐ気はあるの?」「友達なくすよ」など、こちらは声を発するたびに、半分怒りが込められてしまう。毎日同じことを繰り返し、こちらは腹を立てるばかりで、悪循環が続いている。次男は、長男を見ているためか、行動は素早く、行動が遅くて起こられることは滅多にない。子供の行動は、自分たち親が今までの日常生活で作り上げてきたことなので、誰にも文句を言うことができない。何が悪かったのか毎日考え込んでしまい、妻と共に日々ストレスを抱え込んでいる。長男も同じように抱え込んでいるのだと思う。

■2010年10月20日(水曜日)
 3日前から、昨年骨折した舟状骨付近が痛む。雨が近づいたり雨が多いと古傷が痛むという友人の母がいたが、最近は雨が多いので、気圧が下がることで痛むのだろうか。手首の動きが悪いと、肩甲骨周りの動きが悪くなる感覚がある。脚の動きにまで影響するという人もいるくらいなので、ひょっとしたら、この痛みと左側のアキレス腱痛にも関連があるのかもしれない。アキレス腱の痛みも歩行時からある。先週走った反動か、今週は、痛みが強く全く走れない。週末はレースを入れているが、出場するかどうか、微妙なところだ。

■2010年10月19日(火曜日)
 一軒家に住むようになって、子供が家の中で跳び回ったり、夜に洗濯機で洗濯しても、近所に迷惑をかけるような音を出さすにすむようになった。ご近所さんのことを気にして生活しなくても良いというところが、一軒家の良いところだと最近しみじみと実感している。我が家は普通の木造住宅なので、完全に密閉された部屋ではなく、なんとなく風が通っている感じなので、最近の気温の低下によって、床暖もエアコンも設置していないので、家の中は結構寒い。そろそろ寒さ対策を考えなければと思う。

■2010年10月18日(月曜日)
 中国では、反日デモが頻発し、日本企業に関連する店が襲撃され、商品を強奪された店もあった。学生が中心のデモらしいが、彼らは、大学で何を学んでいるのか?歴史を忘れないことは重要なことだが、反日教育でわざわざ憎しみを増すようなことをする必要があるのだろうか?憎しみが憎しみを生むことは、歴史を見れば明らかで、同じことが繰り返されるだけのような気がする。日本では、それほど過激な反応がなく、反応がないことに対して、腹を立てるということもあるのかもしれない。小泉政権時代に起こったデモの時も破壊された店があったが、復旧の費用については、何の補償もなかったと聞く。経済成長の見込める国なので、企業も撤退できないのかもしれないが、そこで働いている従業者はかわいそうに思う。

■2010年10月17日(日曜日)


ベイブレードで遊んでます
 官舎にいたころの子供たちの友達が、我が家に遊びに来た。最初は、走り回って騒がしかったが、昼食後は、遊びの内容が全く変わり、トレーシングペイパーでポケットモンスターの絵を写すことに没頭し始めたため、話し声も聞こえないほど静かになった。好きなことに集中する子供たちの姿は、なかなかすばらしい。
 自分は、久しぶりに何の用事もなく、ゆっくりと2日分の新聞を読み、途中で、眠くなってうたた寝をするなど、家でゆっくりと過ごすことができ休日を楽しめた。もう少しこういう日が増えたらいいなぁと思う。

■2010年10月16日(土曜日)


5km地点





昭和記念公園
 箱根駅伝予選会が、昭和記念公園周辺で行われた。立川駐屯地をスタートし、立川市街を通り昭和記念公園を1周し、フィニッシュするコースで、昨年よりも市街地部分が増え、平坦な距離が伸びたため、昨年以上に高速レースが予想された。
 今年は、参加標準記録が16分30秒となり、昨年よりも30秒速くなったため、この記録を突破することが大変で、参加校も昨年は47校だったところ今年は36校となった。我が校も、この参加標準記録に苦しめられ、最終的に11名のエントリーで出場することになった。2日前まで入院していた学生もいたため、実質10名での戦いとなった。20kmを走った10名の合計タイムで順位が決まるため、この10名の完走がどうしても必要だった。
 夏合宿の時点では、30km走を完走した学生が例年よりも多く、戦力としては、一昨年と昨年にはかなわないが、意外と記録は出るのではないかと思っていた。しかし、合宿後は、3年に1回行われる学内の大イベントの影響もあり、その後の練習が思うようにできず、結果としては11人全員が完走してくれたものの、合計タイムは昨年より30分以上多くかかってしまった。トップの選手が昨年の平均タイムと同じくらいで、4年生全員が、昨年よりも大きくタイムを落としたことが大きく影響した。彼らは、3年間走った中で最も苦しかったと話していて、満足できる走りができなかったようだ。練習時間には、他校よりも限りがあるので仕方のないことなのだが、走行距離が少なかったことが大きな原因だと感じた。4年生を中心になぜこうなったかを考え、明日以降の後輩たちの練習に役立てて欲しい。

■2010年10月15日(金曜日)
 職場の定期検診の結果、心電図に不整脈があるとのことで、再検査を受けることになり医務室で受診した。心電図の不整脈は、以前の検診の際にも経験していて、あまり問題はないことがわかっているので、わざわざお金を払って受診をする必要はないのではと思いながら再検査を行った。
 再検査でも、脈拍は低く、不整脈が見られた。医師からは、正常なリズムで脈が打たれている中での不整脈なので問題なく、おそらく運動を始めたときにリセットされて正常な脈となるのだろうと言われ、問題なしとの診断を受けた。競技を続けている限り、不整脈のために受診することがこれからも続く可能性が高い。その度にかかった医療費を3割負担し、税金も使われることになる。とてももったいないと思う。

■2010年10月14日(木曜日)
 800mの変化走を3本走った。体が重く、ピッチも遅く、1本目はアキレス腱の痛みも気になり、2分11秒台だった。2本目はからは、アキレス腱の痛みが気にならなくなり、2分05秒台までタイムは上げられたが、相変わらず体は重く感じた。3本目は疲労でタイムは上がらず、2分06秒台で終了した。終わった後は頭痛がひどく動けなかった。しばらくして動き始めたが、頭痛は改善せず、吐き気もあり、何度もうずくまりながら歩いた。この感覚が、酸欠というものだったのだろうか?久しぶりにこの苦しい感覚を思い出した。タイムはイマイチだったが、自分自身を追い込むことはできたのだと思う。

■2010年10月13日(水曜日)
 家に帰ってきて玄関を開けたときに、靴箱に大きなクモが突然目に入った。職場のトイレでたまに見かけるクモなのだが、映画「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺のような姿のクモだなぁと思っていた。まさか、自宅に出るなんて想像もしていなかったのだが、突然目にして鳥肌が立った。妻も驚き、「早く何とかして!!」という感じだったので、長男の帽子で捕まえたのだが、帽子の中を見てみると、クモの姿はなく、どこかへ消えてしまい忍者のようなクモだと思った。
 その後、夕食前に和室の壁に現れたので、捕まえるべく追ったところ、非常に脚が速く、なかなか捕まえることはできなかった。最終的に捕まえて、外に逃がそうとしたところ、ちょっとしたすき間からまた逃げられてしまい、クモがさらに忍者に見えてきた。
 次に目撃したのは、夕食が終わった後だった。同じように追っていくと、台所へ逃げ、そこで捕獲できた。残念なことに、捕獲した際に足がが1本とれてしまった。とにかくそれを民家から離れたところへ持って行き逃がした。逃がしたはずだったが、入れ物から出した瞬間に、すでに姿がなかった。
 インターネットでこのクモを調べたところ、アシダカグモという名前らしく、網を張らない徘徊性のクモとしては日本最大で、ゴキブリやハエなどを食べ、人間が何もしなければ全く攻撃はしないとのことだった。最近ゴキブリを見なくなったのだが、ひょっとしたらこのクモが食べてくれていたのかもしれない。我が家にとっては、見方だったのかもしれず、捕まえずに放っておけば良かったのではないかと思ったりもし、足を1本取ってしまい申し訳ない気持ちもあり、とても複雑な気分だった。

■2010年10月12日(火曜日)
 長男が、テレビが好きになってしまい、毎日、アニメを楽しみにしている。何曜日に何が放映されるかを、しっかり把握していて、習い事や食事のためにそれらが見られないと泣き崩れることもある。あまりにもテレビに固執するので、最近は、見られない場合には、ビデオ録画をするようにしている。
 最近のアニメは、キャラクターグッズの販売とうまく絡めているため、CM中も、アニメのキャラクターが出てきたりする。子供たちは、それらのCMを見ると、当然そのグッズが欲しくなり、親にねだることになる。グッズの販売を目的にアニメの放映をしているのではないかと思うほどで、アニメ自体が、販売する大人のためのアニメではないかと思えてきたりする。
 アニメを子供と一緒に見ることもあるが、内容が何もなかったり、ストーリーが複雑すぎて理解できないものが多く、何が楽しいのかわからないことが多い。ドラえもんであれば、昔とは、声は変わってしまったが、結構楽しめる。昔は、単純でわかりやすいアニメが多かったのかもしれない。

■2010年10月11日(月曜日)


ターゲットバードゴルフ
 よこすかスポーツフェスタが市内の体育施設や学校で開催され、それぞれの場所で異なるイベントが行われていたので、子供たちを連れて近所の体育館と小学校へ行った。
 体育館では、竹とんぼ作りが体験でき、長男は、竹とんぼのバランスをとるために、ヤスリで竹を削る体験をした。火であぶって竹とんぼの形を整えるところは、担当の方がやってくれ、小さいながらも良く飛ぶ竹とんぼができた。竹とんぼの隣では、ベーゴマ体験ができた。長男と一緒に体験してみたが、ベーゴマにひもを巻くことがうまくできず、回すところまでは到達できなかった。長男は、担当の方にひもを巻いてもらい、うまく回していた。次男は、ベーゴマがうまく回った瞬間に、コマを捕りあげるので、コマ同士がぶつかり合う姿を見ることができなかった。
 小学校では、ターゲットバードゴルフを体験した。ゴムでできたゴルフボールにバドミントンの羽根がついたようなものを、アイアンで振り抜き、ゴルフをするというようなもので、長男には、アイアンが長すぎで、なかなかうまく振り抜けず、もどかしそうだったが、終わった後は、「楽しかったからまたやりたい」と言っていた。
 夜は、近所の温水プールへ行った。スポーツフェスタの関係で、使用料金が無料ということで、とても得した気分になった。児童用のプールには人がいなかったため、長男と2人で貸し切りとなり、汗が出るほど鬼ごっこをして遊んだ。1日近所の体育施設等を回ってみて、改めて運動するには恵まれた生活環境にあることを実感した。

■2010年10月10日(日曜日)


馬堀海岸と防大
 横須賀市民体育大会2日目。昨日よりも雨は小降りになり、無風に近い状態だったので、コンディションはとても良く、今日は気持ちよく走れると楽しみにしながら競技場へ行ってみたところ、大会は延期で、競技場には役員の人たちしかいなかった。競技者ではない一般の人たちが参加する日だったため、雨を考慮して延期にしたのかもしれない。公認の陸上競技大会では、間違いなく開催される天候で、延期した日時が、長男の運動会と重なったため出場できなくなり、かなり落胆した。 

■2010年10月9日(土曜日)
 横須賀市民体育大会一般男子1500mに出場した。大雨の予報だったが、小雨程度で走ることができ、比較的走りやすい天候だった。
 今シーズンは4分を切っていないので、4分を切りたいという気持ちが強く、予選で力尽きても良いので、予選からタイムを狙って走ることにした。1周目は61秒で通過できたが、直後に久里浜中学の荒井先生に抜かれ、そのまま失速し、少しずつ差を広げられながら2着でフィニッシュした。タイムは4分19秒09だった。中学生が予選で4分14秒台の大会新記録を出していて、中学生よりも遅かったことにショックを受けた。走り終わってみると、全く疲れておらず、決勝も走ることにした。
 決勝は、スタート直後に横須賀陸協の石垣くんが先頭に立ち、その後ろに自分がついた。1周目を63秒で通過し、そのまま行けば4分切りができるペースだったが、そのまま継続することは難しいと思いながら走っていた。2周目から少しずつついて行けなくなり、800m通過時には1秒離され、2分11秒くらいで通過した。その後は、石垣くんも自分も少しずつペースダウンしながらフィニッシュした。タイムは、4分10秒32で、先頭からは3秒ほど離された。この2ヶ月半、ほとんど練習をしていないため、走れなくて当たり前なのだが、どれだけ走れなくなったかが実感できた。明日は、800m。明日もベストを尽くして走りたい。

■2010年10月8日(金曜日)
 昨日処方された薬を使用したところ、ゆみは変化なかったが、皮膚の状態はかなり改善した。ゴジラのような皮膚が、トカゲの皮膚くらいにはなったという感じなのだが、とにかく改善したことがうれしい。さらに腰痛も緩和してきた。
 体調が良くなってきたので、久しぶりに1kmの坂ダッシュをした。練習を継続していないので、疲労が少ないためか、意外と良く動き、自分が走っているという感覚が久しぶりに戻ってきた。最後に300mのウインドスプリントも入れてみたが、久しぶりに感覚とタイムが一致した。また、アキレス腱の痛みも感じることなく走れた。明日から横須賀市民体育大会。10月後半のレースへ向け、レース感覚を戻したい。

■2010年10月7日(木曜日)
 昨日のかぶれは、範囲が広がり、首の4分の3の範囲に広がり、さらに、額、目の周り鼻の先にまで広がってきた。昨日もらった薬はきちんと飲み、塗っているのだが、回復するどころか広がってきているため、今日は、別の皮膚科へ受診した。ここでも、なにか植物にさわった覚えがないかと聞かれ、庭いじりをした際に、多少草木を触ったことがあったとは答えた。あまりにも水疱がひどかったようで、帯状疱疹を疑ったようで、痛みはないかどうかを聞かれたが、痛みよりもかゆみの方が強いと答えたところ、かぶれだろうという結論になり、昨日とは別の薬を処方された。もうこれ以上広がらないことを願うばかりだ。

■2010年10月6日(水曜日)
 腰痛は、回復せず、立っていても、座っていても痛みがあり、とても困っている。しかし、授業の際に動いてみると、意外と腰痛は気にならない。しかしスキップやバウンディングの動作をすると、アキレス腱に強い痛みを感じ、この状態で走るのは危険な気がしてきた。
 今朝、起きたときから、首がただれているのに気がついた。何かにさわってかぶれてしまったのか、原因に全く心当たりがない。時間が経つにつれて範囲が広がってくるので、皮膚科に受診したところ、虫さされか植物でかぶれたのではないかということで、薬を処方してもらった。これ以上かぶれが広がらず、治ってくれれば、と思う。 

■2010年10月5日(火曜日)


ソーラーパネル設置中
 我が家の太陽光発電機器の取り付け工事が行われ、屋根にソーラーパネルが設置された。5時間ほどの作業で、発電ができることが確認されたが、作業が終わったのは15時半くらいで、日が落ち始め少し曇っていたため、あまり大きな発電量はなかった。東京電力の売電メーターの工事が終わるまでは、発電はしないようにとの注意があったので、今日からすぐに発電を始めることはできなかったが、発電所としての設備はこれでほぼ整った。我が家に設置する発電所の名前は、「ひだまり太陽電池発電所」で申請中。発電と売電が開始されるのがとても待ち遠しい。

■2010年10月4日(月曜日)
 腰痛は回復せず、さらに痛みを増してきている。腰痛の方が強いため、アキレス腱の痛みは緩和した感じがある。
 少しずつでも走っておかなければ、今後のレースへの出場ができないので、スパイクを履いて1000mと600mを走った。1000mは3分を切るつもりでスタートし、ほぼ一定ペースで走り切り、2分56秒台で走ることができた。しかし、走り終わった後のダメージは大きく、少しの間仰向けになったまま動けなかった。
 600mは1分30秒を目標に走ったが、200mごとに、29秒、31秒、32秒と少しずつタイムは落ち、1分32秒台でフィニッシュした。走った2本のタイムから、全日本実業団の時に出した800mのタイムは妥当なタイムだったことを改めて納得した。
 立っていても、座っていても痛みのある腰痛が、走っている間は、全く感じることがなく、練習ができてよかった。 

■2010年10月3日(日曜日)
 国勢調査の提出が近づき、あわてて書類を記入した。法律により報告義務があるとのことなので拒否はできないが、個人情報を売る時代にあって、年金情報についてもずさんな管理しかできていなかった国に、これだけの情報を無償で提供するなんて・・・と思いながらの記入だった。5年前は、受け取りに来る調査員の意識の低さに驚かされたが(2005年10月4日)、今回の提出方法は、調査員に提出するか、郵送で提出するかということで、郵送では、緑色の目立つ封筒なので、盗まれやすいのではないかと思って、調査員が受け取りに来るのを待つことにした。国民一人一人の情報が集まって、国の勢いがわかるから国勢調査なのか?昨今の国内外状況を見る限りは、国の勢いなどないような気がしてならない。

■2010年10月2日(土曜日)


三浦海岸
 昨日の朝、起きたときから急に左の腰に痛みを感じ、普通に生活をするのがきつい。さらに左のアキレス腱の痛みが強くなり、歩くときにも気になりはじめた。左とは対照的に右のアキレス腱は、さわれば少し痛みはあるが、ほぼ回復した。
 脚の長さの違いも影響があるのではないかと思い、カイロプラクティックへ行った。脚の長さは1cm程度の違いがあった。アキレス腱については、少し固くなっているかもしれないが、両脚の腓腹筋の疲労がひどく、太いスジがあって、押されたときの痛みはひどかった。アキレス腱のリハビリで、カーフレイズを継続していた結果だと考えられ、過剰な運動だったことがわかった。リハビリは、ほどほどに。

■2010年10月1日(金曜日)


29匹の幼虫たち
 飼っていたカブトムシが死んでしまった後、カブトムシの入っていた虫かごは、放置したままだった。その間に、幼虫が卵からかえり、土を食べて大きくなっていた。虫かごの中の土は、成虫のカブトムシを飼うためのものだったためそれほど多くなかった。その結果、土はほとんど残っておらず、すべてが糞となり、幼虫たちは、糞の上に転がっているという状態だった。このままだと食べるものがなく死んでしまうので、土を入れ替えた。
 ほとんど糞になってしまった土を虫かごから出して、幼虫を1匹ずつ捕って数を数えてみると、なんと29匹もいた。大きく育っている幼虫もいれば、その10分の1程度の大きさしかない幼虫もいて、土の少ない中での激しい生存競争が行われていたことがわかった。通常我が家の虫かかごの中では多くても5〜6匹程度しか飼えない広さなのに、29匹もいたのだから当然の結果だと思う。
 我が家でカブトムシを飼い始めて今回は2回目の羽化となった。昨年は12匹の幼虫が羽化したが、今年はそれ以上の数になってしまった。虫かごの余裕を考えると、誰かにあげるか、庭にでも逃がさなければならない。



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