『本格ミステリ』はお好きですか?



ミステリと名のつく作品なら古今東西、片っ端から読んで過ごした青春時代。
とはいえ、お小遣いと自宅本棚の容量には限りがありますので、専ら図書館の品揃えに左右された部分はありますが(笑)

バラバラに示された手懸りを一枚の絵に繋ぎ合わる能力が必要不可欠の探偵業。頭脳労働者ともいえる人間が多いのは当たり前―――ということで、ヴァンスクイーンブラウン神父ポアロガンズピーター卿HMソーンダイク博士フェル博士ニッキイ・ウェルト教授等等、いずれも抜群の観察眼と鋭い洞察力を持った人達に、唸らされる日々の連続でした。
そしてもう一方では職業として犯罪に関わる人々の奮闘に、何度、心を躍らせたことでしょう。警察関係者なら、フレンチ警部メグレ警視モース主任警部十津川警部、弁護士となれば、ペリー・メイスンジョン・J・マローンもいる。多くの個性的な私立探偵が棲息するハードボイルド界ではスペイドマーロウ沢崎が私の中の御三家。とはいえ、酔いどれ探偵ミロも捨てがたい。
けだし、"探偵"とは男性の専門職にあらず―――ミス・マープルコーデリア・グレイVI・ウォーショースキー等女性陣を忘れるなかれ。決して男達にひけを取らない推理の冴えが素晴らしい。時に女性ならではの視点で事件を検分し、その真相に辿り着いたりもします。
更に、意外な人物を探偵役へ据えたケースも―――噺家の円紫師匠や、聾唖にして元舞台俳優のレーン、俗に言う『便利屋』の大蔵は、充分変り種といえましょう。
もちろん、金田一(じっちゃんの方)巨勢明智各氏に代表される、日本人の優秀なる頭脳も魅力的。書き出すと、本当にきりがありません(苦笑)
何しろ、初恋はシャーロック・ホームズ。諮問探偵として偉大すぎる彼の魅力は私を吸引して止まず、今だ関連文献を集め続けています。病膏肓に入るとはこのことですね。
アーサー・コナン・ドイル卿の書いた聖典(キャノン)だけでは飽き足らず、有名無名の贋作ホームズ本を文字通り"読み漁っている"という状態ですが、それらをひもとく瞬間は、私にとって何にも変えがたい至福のひとときなのです。

ところで、数もそれなりにこなしてくると、自分好みのミステリがどんなものかということも、だんだん判ってきます。世の中にこれだけ溢れている謎解き小説をジャンル分けするのは本来無意味なことだと思いますし、また非常に困難なのですが、敢えて強引にラベルを貼るとして―――私の好みは、所謂"本格"といわれるミステリに集中するようです。
最初にミステリ小説の世界へと誘(いざな)ってくれたのはホームズ作品ですが、年齢が上がるにつれて、推理小説というよりは"職業探偵の活躍する冒険小説"なんだなあ・・・と思うようになってきました。読み終わった時に「ああ、そうだったのか!」と驚かされはするものの、其処にあるのは純粋な謎解きとはやや異なった、わくわくドキドキする冒険から来る高揚感なんですね。
俗に社会派といわれるミステリ小説は、事件そのものよりもその背景にある人間関係や犯行の動機に重きが置かれています。それゆえに、猟奇趣味や血なまぐさい娯楽話としてしか認識されていなかったこのジャンルに多くの人達を引き込む大役を果たしましたが、"謎"そのものを解いてゆく過程を愉しむとなると、やはり"本格"という言葉が冠されるミステリということになるでしょう。

さて、日本の推理小説界に於いて『新・本格派』という呼称が用いられるようになりました。

何をもってその作品を"本格"派と定義付けるかという問題は個人の主観にかなり左右されると思いますので、ここではそれについて言及しませんが、まず、手に取ったのが、島田荘司先生の創作された"探偵"御手洗 潔(みたらいきよし)シリーズでした。それから、島田先生が解説を書いているということで、講談社ノベルズから出ている『新・本格派』といわれる幾つかの作品を読み始めました。
更に、東京創元社の単行本へ手を出し、そこで有栖川有栖先生の作品に出会ったのです。

何よりも、作家名がショックでした。
本名の筈はないだろうと思いましたが、"有栖川"という表記にドキッとしましたね。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』が大好きで、異なった版を何種類か所有している人間にとっては、"アリス"という語感が醸す魅力に、なかなか抗えないものがあるのです。
当時、私が住んでいた市には、市立図書館が二箇所ありました。通学途中で立ち寄れる西図書館と自宅から自転車で行ける東図書館と―――両方を行き来しつつ『月光ゲーム』、『孤島パズル』、『マジック・ミラー』、『双頭の悪魔』、『46番目の密室』と順番に借りて読み進みました。『ダリの繭』が上梓される少し前のことだったと記憶しています。 ※『マジック・ミラー』は単独作品、『46番目の密室』及び『ダリの繭』は、有栖川先生のもう一つのシリーズである火村助教授と作家アリスの事件簿です。
読んで「いいな」と思った作品は手許に置くべく購入するのが常とはいえ、単行本三冊は当時の私にとってかなり辛いお値段でした。基本的には財布と本棚のスペース(笑)に優しい文庫派なので、学生編の三作品の文庫化を待ってからやっと手に入れたのです。

五冊の長編を読み終えた時点で、私が一番心惹かれたのは、『月光ゲーム−Yの悲劇'88−』でした。
この著作がまさに、自分にとっての有栖川作品初体験だったということもあるのですが、ストーリーの一部を彩る"月"についての文章や少しほろ苦い恋愛模様など、物語に添えられたモチーフがとても好きなのです。
そしてここで、江神二郎という"探偵"に出会い、彼に魅せられた私はその虜(笑)となりました。
古今東西"名探偵"といえば、凡人の理解を超えた頭脳労働を以って事件を解決に導くタイプが多く、突出した能力が認められる反面、人間としては奇矯に振舞ったりエキセントリックだったり。総じて一癖や二癖では済まない個性派となるようですね。そのせいか、一足先に真相へ辿りついた彼らの多くが、その推理について来られない助手役や周囲の人々に対して、ついつい「ワトソン君、そんなことも解らないのかい?」と高飛車な態度を取りがちなのに、江神さんにはそれがない。
もの静かで、穏やかで、優しい目をした賢い人。そんな江神さんの謎解きは、いつだって悲しみに満ちている。普段使いの関西弁がまた、その口調にある種の柔らかさを感じさせます。
犯人を"断罪"する為の告発ではなく、起こった悲劇がまだ続いてゆくかもしれない連鎖を断ち切り悲劇の再生産を食い止めるために、真実を追い求め、模索する江神さん。事件の現場に残された物言わぬ遺留品が発する"言葉"に耳を澄ませ、それらに触れ悩みながらも、確かな足取りで真相へと近づいていくのです。
彼と後輩達が活躍する物語は、決して派手なものではありません。
このシリーズの長編は何れもクローズド・サークルものとなっていますが、其処に突飛なロジックや奇抜なトリックの存在はないのです。あくまでも本格ミステリらしく、謎の解明は誰もが納得できる論理によって展開されてゆき、全てを読了した時にその全貌は明らかになる―――
結末へ読み至る前に『読者への挑戦状』を挿入し、いったんストップをかける方式は、エラリー・クイーンの『オランダ靴の謎』(クイーンの著作の中で最初に読んだのがこの作品でした)で初めて出会った時と同じく、いつでも気持ちを高鳴らせてくれます。
作者が全てのデータを提示し終えたというのに未だその答えが判らず混乱の極みに達している自分の頭の情けなさと、この先へ進めば全てが明らかにされるという誘惑に挟まれ、暫しの間悩んだりもしますが、結局、指は本能に従いページを捲ってしまう。以前は一応其処で思い止まり、時間軸や人物チャートを書くなどして、一所懸命その解答を考えたものでした。尤も、社会人になって時間的な制約がついて回るようになった今日では、作中に作者からの『挑戦状』を目にしてもあまり悩んだりせず、そのまま結末まで読んでしまっていますが・・・
探偵役が明かす事件の真相、つまり、『読者への挑戦状』に対する『解答』部分で読み手を唸らせる為には、一つもしくは複数の仕掛けを要します。トリックそのものが予想もつかない酔狂なものだったり、意外な人物が犯人だったという大どんでん返しが待ち受けていたり。
けれども、江神さん達の事件簿に於いて、全てが詳らかになった時に感じるのは、「あっ!」という驚愕よりも「そうか、そういうことだったのか・・・」と唸らせられる、考え抜かれた構成の見事さです。大袈裟な小道具は何一つ無く、殺人の方法もいたって当り前。そして超人的な探偵が天啓の如き閃きによって解決するのではなく、やや観察力や洞察力に長けている人間が、じっくりと手懸りを検証し考えながら真実に到達するだけのこと。江神二郎という"探偵"がごく普通の人物なので、仰々しい大見得は似合わないのですね。それゆえ、却ってストーリーと論理との対比、そしてそれを構成する力が要求されるのです。
トリックも含めて論理だけが一人歩きしたり、ストーリーのみが怒涛のように渦巻いては、いいミステリ作品に仕上がろう筈もありません。それらが程よいバランスで上手に絡み合ってこそ、『本格ミステリ』としての醍醐味が出てくると思います。
あくまでも現実に近い設定を用い説得力のある論理でのみ構成される有栖川作品が、時として本格ミステリが陥る"不自然"さに対し、果敢に挑戦しているのではないかと感じるのは、私だけでしょうか? 数学のように整然とした論理構成を為すのは、一つ一つの小さな石の積み重ねともいえる実直さ。本格ミステリ好きなら一度は嵌るクイーン作品の洗礼を受けてきた故の拘りと趣向を垣間見るような気がします。

学生編の短編は全部で七作品。数としてみたなら、そろそろいいのでは・・・とも思うのですが、まだ一冊にまとめられる予定はないようで。
『老紳士は何故・・・・・・?』を収めていたアンソロジー集を図書館で借りたのが運のつき。あまりに面白かったので他には無いかと探したところ、『二十世紀的誘拐』と『開かずの間の怪』があることを知り、たまたま入った本屋でそれぞれを収めたノベルスを見つけ、とりあえず立ち読み(爆)しました。『望月周平の密かな旅』、再録された『焼けた線路の上の死体』は図書館で―――結局、後日全て購入しましたが。
『ハードロック・ラバーズ・オンリー』は発売当時に立ち読みするつもりでいたら、もたもたしているうちに次月号が出てしまいました。暫く読めませんでしたが、こちらも図書館でコピー。そして、つい最近発表された『瑠璃荘事件』はシッカリ掲載誌を入手しました。

シリーズも短編となると、様相は一変します。元々、長編と短編では、ストーリーの構成から違ってくるので当然といえば当然なのですが、とにかく読んでいて楽しい!!
日常の、本当にささやかな謎と、それをちゃんと解いてくれる江神さん。とはいえ、安楽椅子探偵という訳ではなく、きちんと現場検証したりもするのですが、それもごく軽いノリでそうしていることが殆ど。そして、ところどころにEMC(英都大学推理小説研究会)の面々が繰り広げる莫迦莫迦しい掛け合いが盛り込まれていて、もう、報復絶倒、すっかりギャグになっている作品も。事実、某短編を電車の中で読んでいて思わず吹き出しそうになり、必死にこらえた経験が私にはあります。
ミステリマニアといえども普通の大学生活を送っているのですから、提示される"謎"自体は、然程もの珍しくも大したものでもありません。その分、モチ、信長、アリス、そして紅一点のマリア各々のキャラクターとしての魅力が満載です。こんな先輩がいたら、こんな同級生と一緒に過ごせたら―――学生編の各短編を読む度に、彼等が羨ましくてたまらなくなります。自分もEMCの一員になりたい〜!!!と、何度思ったことでしょう。
短編では、謎解きの面白さよりもEMCメンバーの他愛無いやり取りが秀逸です。部員全員が江神さんに一目置いているのは当然なのですが、モチ&信長の対照的な性格や嗜好がより強調されていたり、意外と張り合うモチとアリスのやり取りが見られたり。
"ミステリが好き"という繋がりで集った五人の間柄が、とてもいいんです。友人であり兄弟(笑)であり、時として少しライバル意識が覗くこともあるけれど、やっぱりかけがえのない仲間。口ではなんだかんだと言っていても、個人を認め尊重しているゆえの居心地の良さというものが感じられます。そしてそれは、江神さんに限らず、モチや信長やマリアというキャラ、そして記述者であるアリスの語り口が非常に魅力的だからなのですね。つくづく、五人揃ってこそのEMCだと思わずにはいられません。

有栖川先生の構想では「(江神二郎たちの)シリーズは長編をもう二本書いて、五部作にする予定である」ということでした。残る長編ニ作で江神さん達の登場が終わってしまうのかと思うと、とても悲しいのですが、四作目のクローズド・サークルものを早く読みたいと願う今日この頃です。

※ 文中に於ける『本格ミステリ』という用語について
本来『本格ミステリ』と『本格推理』とは異なるものだと、私は考えています。
有栖川作品学生編の長編は寧ろ『本格推理』だと思うのですが、『本格ミステリ』と『本格推理』の境界線について細かく論じるのが目的ではないので、敢えて『本格ミステリ』という呼称へ統一しました。
ここでの表記がそういうニュアンスを踏まえたものであることを汲み取ってくださるとありがたいです。