約束




誕生日やクリスマスはともかく、ここ二〜三年、バレンタイン・デイというのもに対しての構え方が俺の中でガラリと変わった。恋人のある身なら意識して当然の日なのだが、相手が同性となると少なからず勝手が違ってきたりする。
男同士でチョコレートをやり取りするというのも気が進まないし、第一、付き合い出してからその日にデート自体が出来ていない。揃って警察官という職業である俺達の場合、休みが重なることは滅多にないし、平日もまず定時に上がれない。なんとか時間を遣り繰りしてもひと月に一度会えるかどうかというところだ。
同じ東京に住んでいるにも拘わらず、これじゃ遠距離恋愛カップルと変わらない。せいぜい、翌日が休みであるとか、夜勤明けで一日家にいるとか、そういう機会に相手の部屋を訪ねて、少ない時間ながらも逢瀬を重ねるのがやっとである。だから、今年の214日はたまたま俺の勤務が泊り明けで、夜逢う約束をしてあっただけに過ぎない。
昨夜は幸い大事に至るような通報もなく、至極平和な一夜だった。眠い目を擦り欠伸を噛み殺しているところへ、刑事課の面々が出勤してくる。
おはようございます、という朝の挨拶と同時に雪乃さんから包みを手渡された。
「いつも、青島さんには助けてもらってますから」
きょとんとしている俺を前にして、雪乃さんがにっこりする。あ、そっか、バレンタイン・デイね・・・そりゃ、義理でも貰えないよりは嬉しい。
「ありがと、雪乃さん」
素直にお礼を言った。すると、雪乃さんは周囲に目を配りながら小さな声で「青島さん、それ早く隠してください」と付け足した。
「真下さんに見つかるとタイヘンなんで」
はいはい、判りました。俺はリボン掛けされた綺麗な箱をそそくさと鞄の奥深く仕舞い込んだ。そっか、真下のヤローがここ数日いつも以上に雪乃さんの回りをウロチョロしてた理由はこれだな。まあ、そうしたくなる気持ちは解らないでもないけどね。
「で、真下にはあげないの?」
「そんなことないですよ。すみれさんと共同出資で買ってきてあるんです。お三時にでも皆さんに配ろうかと思って」
モロ、義理チョコってやつだ。気の毒になぁ、真下君。
「ちゃんとあげるのは、青島さんと和久さんだけですから」
そっか、警察に於けるお父さんとお兄さんへってワケね。うん、それでいいんだけど。それ以上の気持ちは受け取れないし。
「じゃ、俺、帰るわ。皆さんによろしく言っといて」
「はい―――お疲れ様でした」
雪乃さんの声に送られて刑事課の部屋を出た。階段を下りたところで出勤してきた和久さんや魚住さんとすれ違い、「おはようございます」やら「ご苦労さん」といった定型通りの挨拶を交わす。
玄関を抜けて少し視線を上向ける。真っ青な大空が目に沁みた。ここ数日の好天気は室内にて陽射しを受け止めている分には暖かく心地よい。だが一歩外に出れば、突き刺すような冷気に鳥肌が立つ。海が近い上に沢山の更地が存在する湾岸署管内ならではといえるだろう。
ああ、早く帰って布団に包まりたい。今一度、天空を仰いでから、俺は出勤してくる人の流れに逆らって歩き始めた。

室井さんが俺の部屋にやって来たのは21時過ぎだった。日頃の勤務状況からしたら、結構早い方である。日付が変わらないうちに来てもらえれば御の字だよなと思っていたので、寧ろ拍子抜けしたくらいだ。
食事は済ませてきていると言われて、冷蔵庫から酒類を取り出そうとし―――ふと、棚の隅にあるものへ目が行った。いずれ酒は飲むつもりだけど、まあ、すぐにそうする必要もないかと思い直し、それを手に取った。
とりあえずガス台にお湯をかけ、リビングへ戻る。付き合い出して二年の歳月が俺達の間に確立した習慣へ則って、コートと上着を部屋奥のハンガーへ掛けおえた室井さんが丁度、腰を下ろしたところだった。
お疲れ様でした、と声をかけた途端、微笑した室井さんの目許に疲労の色が滲む。逢えない時間が多いせいか、そんな様子ばかりに目聡くなる自分が少し嫌になる。
ちゃんと食事してんですか? 睡眠は?―――言いたいのは山々だが、それを口に出したところで、このひとは少し困ったような顔をするだけだろう。君に心配かけて済まない、などと言われたら俺は黙るしかない。こっちが気を揉んでいるような風情を見せたりすることが却ってこのひとの負担になる。それが判っているからこそ、極力そーいうコトは言わないようにしてんだけどね。
台所でシューと音がした。お湯が沸いたらしい。
今では室井さん専用となったマグカップを取り出し、スプーンで計った粉末を入れた。コポコポと音を立てて、熱湯を注ぐ。辺り一帯に仄かな甘い香りが漂う。
「はい―――熱いから、気をつけてくださいね」
一口啜った室井さんは、その大きな目をほんの少し見開いて、俺の方を見返してきた。
「ココア・・・か?」
「一応、パッケージにはホットチョコレートって書いてあったんスけどね。室井さん、疲れてるだろうから、少し甘いもの摂った方がいっかな・・・と思って」
マグカップを両手で抱え込むようにしていた室井さんが、クスリと笑った。
「そういえば、今日はバレンタインだな」
そっか、これもチョコレートの一種ということになるのか。うーん、何て言っていいのか判らない。俺が黙って頭を掻いていると、室井さんの声がした。
「その・・・相手が男からでも、欲しいものなのか?」
え?
驚いて顔を上げた途端、じっとカップの中身を凝視している室井さんが目に飛び込んできた。
あちゃー、真面目に考えてんのかな。そりゃ、室井さんから貰えるなら、チョコレートと言わずどんなものでも凄く嬉しいんですけど。
「んー・・・まあ、欲しいっていえば欲しいですよ? 今日って本来なら恋する人へ告白する意をこめてチョコレートを贈る日なワケでしょ? 付き合ってても貰えないとショックだったりするし」
あ、しまった―――こりゃ、失言だ。却って固まらせちゃったか。う゛〜、そんなつもりで言ったんじゃないんだけどなあ。
慌てて言葉を重ねる。
「でも、バレンタインって、基本は『女性から男性へ』なんじゃないですか? ま、俺はここ暫く、義理チョコしか貰ってないですけどね」
「義理でも、君は沢山貰いそうだな」
やっと言葉が返ってきて、澱んだ空気が少し動く。ああ、良かった。
「そんなことないですよ。朝、雪乃さんから貰っただけかな・・・今日、日勤だったら、課員全員に配られる義理チョコパックが追加されたと思いますけど」
「義理チョコパック? なんだそれは」
「刑事課は男所帯ですからね。女性同士でお金出し合ってお徳用袋入りチョコとか買ってきて、小分けにパックし直すんですよ。で、それを皆に配るんです」
俺の説明を聞いて、室井さんが一々納得したように頷く。警察庁ともなれば、そんなものにお目にかかったこともないのかもしれない。義理チョコといってもそれなりのものが配られてそうだ。
「出入りの保険外交員が置いていくようなヤツ、ってことか?」
なんだ、知ってんじゃないですか。そうそう、それですと言ってから、俺は立ち上がって冷蔵庫に入れてあった箱を取り出した。戻って、それをテーブルの上に置く。
雪乃さんのくれたチョコレートである。
「ここの、美味しいみたいですよ。どうぞ」
「って、これ・・・柏木君からのものじゃないのか?」
「そうですけど、俺は雪乃さんのお兄さんですから」
一緒に入っていたカードを見せた。しっかり、"警察でのお兄さんへ"と書いてある。
「雪乃さんから個別に貰えるのは『お父さん』の和久さんと『兄貴』の俺だけなんです。ある意味で特別なチョコには違いないですから、味わって食べてください」
室井さんが手前の小さな一欠片を口に入れた。きちんと咀嚼し終わってから、真面目な顔で「美味しい」と返してきた。俺も一個、口に入れる。さすが有名なチョコレートメーカーのだけあって、甘さもしつこくなく食べ易い。
二つ目を頬張りながら、室井さん自身へ話題を振る。
「ソッチこそ、沢山貰ったんじゃないですか?」
「まあ、義理の数そのものもがそれなりにあるからな。それでも、管理官だった頃に比べると少なくなった。正直なところ、ホッとしている」
やはり現場と関わっていた時代の方が受け取らされた量も多くなろう。なにしろ各所轄ですら担当管理官へチョコレートを贈ったりするんだから。そうなると、もはや盆暮れに一升瓶を付け届けるのと同義だ。湾岸署の場合、更にレインボー最中や七色ういろうをつけるので(やめといた方がいいと思うのだが、署長や副署長や課長がそうすると言ってきかないのだからしょうがない)大層迷惑がられているというのは、真下が入手してきた笑えない情報である。
「そういえば、湾岸署刑事課から捜査一課に届いたチョコレートだが、新城宛の封書も一緒に梱包されていてな。親展扱いになっていたんで本人が直々に開いたらしいんだが・・・一枚紙に赤文字で大きく『義理』と書いてあったそうだ」
・・・すみれさんだ。一昨日、赤いマジック貸してくれって言ってきたっけか。
「前任者である俺の教育が悪い、と文句を言われた」
科白こそ苦言のようにも聞こえるが、室井さんの瞳は別段怒っていない。しかし一応、詫びておいた方がいいような気がして
「す、すいません・・・」
と頭を下げる。視線を戻した瞬間、室井さんと目が合った。
「恩田君か?」
こみ上げてくる可笑しさを懸命に抑えて、頷いた。笑いたいのを我慢しているのが伝わったらしく、先に室井さんが吹き出す。つられて俺も笑い出した。
全く、こんなくだらないことでよくも笑えるモンだとは思うけれど、封筒を開けた時の新城さんの表情を想像したら止まらなくなってしまった。二人して、テーブルにつっぷしそうな勢いで笑い続ける。
多くの恋人達が甘い時を過ごしているこの夜に、なんと色気のないことか。しかしこれが案外俺達らしいのかな、とも思う。結局、バレンタイン・デイだのチョコレートだのはどうでもいいということだ。たとえ短い逢瀬であっても、こんな風に二人でいられることが互いにとって幸せであり、また心温まる一時(ひととき)なのだから。

帰る間際に、室井さんがポツリと呟いた。
「来年は・・・ちゃんと用意してくる」
何のことをさしているのか理解するまでに数秒かかったけれど、その気持ちがとても嬉しくて。
照れ隠しにぷいと向けた背中をそっと後から抱きしめたら、鉄拳が飛んできた。

(2001/2/12)


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ひええええ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい〜〜〜
もう、雪乃さんを除く(←何故・笑)キャラ全員に謝ります!!!!!
ウチの『踊る〜』メンバーにこういうことやらせちゃいけない、ってのがよく判りました。反省してます、二度としません。
しかしこの二人のバレンタイン、来年はどうなるんだろ…