風は未来に吹く




○月×日、午前1135分。
管内のマンションで殺人事件が発生した。被害者は証券マンで後頭部を何か鈍器のようなもので殴られて死亡。部屋が荒らされていないことや、飲みかけのコーヒーカップ2客が残されたていたことから、顔見知りの犯行と断定、久しぶりに我らが警視庁湾岸署―――通称、空き地署に特別捜査本部が設置されることとなった。

あ〜、やだやだ。
まだ週の初めだってのに、本店が乗り込んで来るのかぁ・・・ユーウツ。
とは言っても、今年に入って初めての特捜だから、ま、管内の犯罪者も随分大人しくしてたと思うよ。うん。
また、あの管理官が来るんだろうなぁ。新城さん―――俺の苦手な人。
別にあの人のコトが嫌いな訳じゃない。俺としては、苦手な人でもなるべく長所を見つけて接しようと思ってるんだけど、あちらが剣もほろろに扱ってくれるんだから、どうしようもない。
もう、最初っから目の敵にされた。
そりゃあ、前任者の室井さんには反発したし、迷惑もいっぱいかけましたよ。だけど、俺だって好きこのんで命令違反してる訳じゃない。勿論、室井さんには滅茶苦茶怒られたけど、今だって間違ったことをしたとは思ってないし。確かに警察機構ってモンからはみ出してるって自覚あるけど、大体、初対面だった相手にあそこまで言われたかない。そもそも俺の存在が組織捜査の邪魔になるって、どーいう意味よ?―――マトモな命令してくれりゃ、こっちだってちゃんと従いますヨ。
それに―――室井さんの悪口言うなよな。後ですみれさんや真下から聞いたんだから。室井さんのこと、『田舎のサル』・・・だって? じゃ、アンタは『都会のサル』なのかよっ?!
あーあ、今回も裏付け捜査、やらされんのかな。せめて、連絡係か道案内だといいんだけど。

「青島君、ちょっとちょっと」
呼ばれて顔を上げると課長の隣には新城さんの姿があって、俺は思わず(げっ!)となった。確か、まだ被疑者、逮捕されてないよな。てことは、裏付け捜査はお呼びじゃない筈だけど・・・何か、メンドくさい仕事言いつけようと思ってんのかな。やだなぁ、なんで、俺、呼ぶかね。
「青島君、何やってんの、ホラこっち来て!」
席を立とうとしない俺に、課長の顔が青筋を立てて迫ってくる。はいはい、今行きますってば。
「あのー、何か、用スか?」
「今日の君のお仕事ね、新城管理官を芝浦海岸病院までお送りして」
「は?」
「だから、運転手。管理官のご指名なんだから、失礼の無いようにね」
「あ・・・はい」
そりゃあ、運転手なら恩の字だけど。でも、ここからあの病院まで結構あるんだよね。車ん中の空気が淀みそう。タバコ、吸わしてもらえないだろうな。
「何をしている。早く車を出せ」
わ、早速、きた。はい、ただ今っ! 仰せの通りにいたしますッ。
刑事部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。すれ違い様に真下が「先輩、ご愁傷様」と言ったのが耳に入る。そう思うんなら、この役、変わってくれよお (T_T)
記録的な速さで正面玄関に辿り着き、車の後部座席のドアを開けて待つ。新城さんが乗り込んだのを確認すると素早く運転席に飛び込み、シートベルトを締めた。すげー緊張するなぁ。室井さんを初めて乗せた時も緊張したけど、ここまでヒドかなかったよ。今日は思いっきり安全運転で行きましょ。
幸い、道路は混んでない。ま、このへんが渋滞することってまず無いけどね。このまま順調に行けば25分位で目的地に着く筈。バックミラーで後部座席を窺い見ると、新城さんは書類に目を通し始めた。うん、いい傾向。俺も、運転だけに神経集中させてもらいます。
そんな俺の殊勝な心掛けは、50メートル前方のブレーキランプにあっさりとぺしゃんこにされてしまった。
渋滞。それも、レインボーブリッジのド真ん中。よりによって何でこんなトコで。
芝浦海岸病院に行くにはここを渡らなければならない。お台場方面から抜ける場合、夕方はいつも渋滞覚悟だけど、日中は滅多に混まない。今日に限って、一体、どうしちゃったんだろ?
のろのろとブレーキをかけたのが伝わったのだろう、新城さんが書類から目を上げる。
「どうした?」
「渋滞です」
「渋滞? この時間にか?」
俺に訊かないでくださいよ。見りゃ、判んでしょ?
よぉーく目を凝らすと、前方に赤いランプが明滅しているのが見えた。あちゃー、事故だ。一応ここ、二車線あるけど、抜けるのに暫く時間かかりそうだな、こりゃ。
俺は、後部座席へ振り向いて聞いた。
「新城さん、芝浦海岸病院へは何の用で行くんスか? 時間、大丈夫・・・」
「お前が知る必要は無い」
これだもん。最後まで言わせずに一刀両断、ってカンジ。俺、やっぱ、トコトン嫌われてるって訳ね。そんなに嫌いなら、運転手に指名すんなよな、もう。
車内の空気が気まずさを通り越して、不快感に変化しつつある。俺は、さっきから遅々として進まない渋滞の列をぼんやりと見つめた。目の前の車が少しだけ前進したかと思うと、即座にハザードランプを灯した。苛々しているに違いない管理官の視線を少しでも避ける為、俺もちびちびと車間距離を詰めた。
こういう時は時間の経つのが異常に鈍く感じられる。濁った酸素が殊更に時計の針の進み具合を遅らせているような、この気詰まりな空間に耐え兼ねて、俺は遠慮がちに切り出した。
「あの〜、新城さん・・・タバコ、吸っていいっすか?」
「―――窓くらい、開けろ」
もちろん、開けますよ。ジョーシキでしょ―――って、吸っていい訳? てっきり駄目だって言われるとばかり思っていたので、俺はビックリして後ろを振り仰いでしまった。
「何だ、吸わないのか?」
「え、いえッ・・・ありがたく吸わせていただきます」
慌ててパワーウィンドウを下ろし、マッチを擦って一服した。深く吸い込んで、ゆっくりと味わう。ああ、タバコってこんなに美味いモンだったっけ? 呆けている俺の顔を新城さんがミラー越しに覗き込んだ。
「最近、室井さんとは会っているのか?」
この人、なんで俺と見ると室井さんのこと持ち出すかね? 毎回毎回。
「会ってるか・・・って、最近、室井さんも忙しいみたいですから。一緒に酒飲んだの、もう一月くらい前じゃないっすかね」
実は4日前にも逢ってるんだけど―――ホントの事を言ったところで、新城さんの機嫌が良くなるとはとても思えないのでテキトーに答えておく。
「そうか」
新城さんは思いっきり不機嫌そうな声でそれだけ言うと、また書類に目を戻した。
俺はい二本目のタバコに火を付けた。車の列がゆっくりと動き出す。ちょっと進んでは止まり、また進んでは止まることの繰り返しが続いた。時間をかけて紫煙をくゆらした後、吸い殻を灰皿に押し付けて丁寧に揉消すと、ウィンドウを上げた。外界からの雑音が遮断され、車内には時折紙をめくる音だけが響いている。
ゆうに15分は経過しただろうか。漸く、事故処理現場の脇を通過して、やっと橋の上から開放された。後は法定速度ギリギリまでスピードを上げ、一路、目的地へ向かうだけである。
少しでも遅れた時間を取り戻そうと、俺はいつも通る道ではなく、側道に進入した。こっちを使ったほうが、信号も車も少ない。第一、海岸線の倉庫街なので歩行者にも神経を尖らせなくてすむ。
何気なくバックミラーを見ると、目が合ってしまった。新城さんは視線を逸らそうとしない。ミラー越しに睨まれているような気がして、俺はいいかげんイヤになってきた。
ちょっと、渋滞は俺の所為じゃ、ないっすよ。タバコだって、ちゃんと断ってから吸ったでしょ?
この時もう俺は、車内のこの重苦しい雰囲気に耐えられる自信を無くしつつあった。これ以上あんな顔で挑まれてたら、運転にも俺の精神衛生上にもよろしくない。
怒られる原因に全く心当たりが無い身としては、それを質す権利くらいあると思う。
「新城さん―――僕、今日、新城さんになんか失礼なことしました?」
前を向いたまま、思い切って話しかけた。バックミラーの中の人物は、黙ったまま、まだ人のことを睨みつけている。なんなんだよ、まったく。質問されたら答えるのが、最低限の礼儀ってモンでしょうが?
俺は、もう一度、話かけた。
「それとも―――どっか、具合でも悪いんですか?」
「別に、何も無い」
よかった。とりあえず答えが返ってきた。
「あ、そうスか。そんならいいんですけど。さっきから、ずっと怖い顔してるから。なんか、睨まれてるような気がしちゃって・・・」
「別に、睨んでいる訳じゃない。普段からこういう顔だ」
よく言うよ。どう見たって喧嘩売ってるとしか思えない表情してんじゃないか。言いたいことがあるんならさっさと言えばいいだろ。今更、俺相手に遠慮も何もあったもんじゃないくせして。
「あの〜、新城さん、何か言いたいこと、あるんじゃないスか?」
しかし、本当に言われたらどうしよう。この人、人の心を串刺しにするような言葉をサラリと言ってのけるからなぁ。あの毒舌に対して今だに免疫ができない俺って、やっぱ、未熟者なんかね?
俺の言葉に新城さんの瞳が一瞬躊躇ったようだった。すぐにさっきからの怖い表情に戻ったけど。
「そうだな・・・確認したいことがある」
「はい?」
抑揚の無い声が、車内の空気を冷たく事務的に切裂く。この人を特徴づけるいつもの喋り方の中に僅かな動揺が感じられて、ちょっとヘンな気がする。
「お前と―――室井さんとの関係だ」
「―――関係?」
俺の脳味噌が一瞬にして覚醒した。何だ、今の質問?
「ただの友達では、ないだろう?」
「??」
「答えられないような仲、なのか?」
新城さんの意図するところをよく理解しないまま話を続けるのは危険だと、俺の本能が警告する。ひとまず、すっトボけることにした。
「あの、新城さん―――俺、言われてることが、よく解んないんスけど・・・」
しかし、次の言葉を聞いた途端、俺の中で警報が鳴りはじめ、意識は警戒態勢に突入した。
「とぼけるな。お前達のことは公安に調べられている」
知ってますよ、そんなこと。大分前に、一倉さんにも言われたし。やっぱり、この人も室井さんの失脚を望んでいる一人、ということか。
しらばっくれて、聞き返した。
「どういうことです? 俺達、ただの友達ですよ。時々、飲みにいったり、捜査の話をしたりする程度の」
「そんな言い草が通用すると思うか?」
新城さんの目が怒りで大きく見開かれたようだ。
「でも、ホントですから」
俺は営業マン時代に培った技を駆使することにする。
「―――他に言いようがないっすよ」
少し口を尖らせ、いかにも心外だ、と言わんばかりの表情をしてみせた。
新城さんは一歩も退かず、なおもたたみかけてきた。
「青島。お前自身はどうなんだ? 室井さんのことをどう思っている?」
「どうって―――そりゃあ、俺達、同志ですから。ま、室井さんは忙しい人ですし、どんどん偉くなってっちゃうから、たまに一緒に飲みに行くときはチョット緊張しますけどね。俺とじゃ立場も違うし、仕事の話しててもケンカになることだってありますよ。別にそれだけの関係・・・」
「私は、そんなことを訊いているんじゃないっ!」
バックミラーの中で新城さんの顔が歪んだ。さっきまでの、何かに対して怒っているような表情は跡形も無い。苦痛に耐えているような、切なげな―――今まで見たこともない新城さんの顔に、すっかり面食らった俺は思わず振り返っていた。
「新城さん?! あの、一体・・・」
今度は新城さんが慌てて、怒鳴り返してきた。
「おいっ! 前を向いて、運転しろっ!」
んなこと言ったって、そんな顔されたら、落ち着いて運転なんかしてられませんって。
「ヤです―――話ってのは、ちゃんと人の目を見てするもんですよ」
斜めに首を捩ったまま俺が言いがかりをつけると、諦めたように、新城さんが言い捨てた。
「―――解った、それなら何処かに止まれ。お前の運転は荒いからな、事故を起こされてはかなわん」
「どういう意味ですか? ちゃんと安全運転してるじゃないですか」
「今日はな。普段はこんなに大人しくないことくらい、室井さんから聞いて知っている」
チョット、室井さん。あんた、新城さんに何話してんだよ、もう。
「ヒドいなー、室井さんの運転手をやらされた時だって、安全運転っすよ。警察背負って立つキャリアに怪我させたらコトですから」
俺は軽口を叩いて、前方の交差点から大分手前のところで車を寄せた。ここなら暫くの間、後続車両の邪魔にはならないだろう。
サイドブレーキをかけて、ハンドルに両手を凭せ掛けたまま訝しげな顔をつくる。モチロン新城さんが俺の表情をミラー越しに盗み見ているのを知っててのこと。相手の本心を探り当てるまで、何種類もの仮面を被り分けられなきゃ、二年連続売上げトップの営業マンは勤まんないからね。とにかく絶対、コッチの顔色を読ませる訳にはいかない。
一体、何を言われているのか解らない、というような困惑しきった声で、
「だから―――さっきから言ってるじゃないスか。室井さんと俺とは、お友達ですって。それとも、なんか別の言い方、あります?」
と逆襲に出た。
新城さんが言葉に詰まっているのが、判る。
顔面蒼白のまま黙ってしまったこの人が何を思っているのか、なんとなく見当がついてきた。俺達を挟んで、車内を流れる時間だけが凍り付く。やがて、たまりかねた新城さんが口を開いた。
「公安が何処まで情報を掴んでいるか、私にも解らん。いや、私の思い違いなのか・・・だが、お前と室井さんは、その・・・」
「あのぉ」
言いにくそうに、それでも無理矢理声を絞り出そうとしている、新城さんの科白をさらう。彼の戸惑いがはっきり伝わってきてしまって、なんだか気の毒になった俺は、答え易いようにダメ押ししてあげる―――ただし声には、不思議そうな色を滲ませて。
「その、公安でも新城さんでもどっちでもいいっすけど、一体、俺達二人をどういう風に見てんですかね?」
「―――私は・・・見当違いなことを言おうとしているのかもしれんが・・・」
新城さんの掠れた声が耳に覆い被さってきた。この人が俺に対して、こんなに遠慮がちに言葉を選んでいるのなんて、恐らく初めてのことだろう。さぞかし屈辱を感じているんじゃ、ないだろうか。
「・・・室井さんとお前は、恋人同士ではないのか」
予想していた通りの科白だったが、たっぷりワンテンポ待って後部座席へと振り返り、ポカンとした表情で返事した。
「―――はあ?」
「だから―――お前達は、そういう付合いをしているのではないのか?」
焦れたような声で詰め寄られる。
「あのー、何で? そりゃ、俺と室井さんは仕事以外でも一緒にいる時、ありますけど・・・どうして、そーいうコトになるんスか?」
毒気を抜かれたように聞こえるように言葉を選んだけれども、新城さんの目は俺の言う事なんかこれっぽっちも信じる気は無いと言いたげである。まあ、自分でも白々しいナとは思うが、ここで俺達の関係を認める訳にはいかない。この人が何か切り札を持っているのなら、何としてでもそれを暴いて対策を練らなくては。
「室井さんは、いずれ上に立つ人材だ。そういう人の周辺を公安が嗅ぎまわるのは、今に始まったことじゃない」
俺は黙って、新城さんの次の科白を待った。
「だが、もう一つ理由がある。室井さんの掲げる『理想』は、上層部の一部にはよく思われていない」
「・・・知ってます」
「加えて、お前だ―――青島、お前と室井さんが『理想』を共鳴しあっていることは、今や周知の事実だ。そして、時々プライヴェートで顔を会わせていることもな」
「だけど、そんなの・・・」
ここで、ちょっと反論するフリをした。案の定、冷たく遮られる。
「いいから、聞け―――私は、公安のものの見方を言っている」
「はあ・・・」
俺より新城さんの方がそっちの事情に詳しいのは間違いないだろうから、ありがたく聞かせていただく。少なくとも今の新城さんからは、俺達を陥れようとする思惑は感じられない。
「最初は、室井さんがお前に誑かされたのだろうという見解だったらしい。過去に室井さんが常軌を逸した捜査をして咎められた事件には必ずお前が絡んでいたし、室井さんは上部の秘蔵っ子だったからな。だが、あの人はお前を刑事として復帰させ、副総監誘拐事件では本庁の捜査員を差し置いて確保を命じた。公安では、今や室井さん自らの考えでそれらを行った、と見ている」
そりゃ、そうでしょ。誑かされたなんて人聞きの悪い。元々、室井さんの中にあったものが、俺と会ってはっきりしたカタチになっただけのコトなんだから。
「まあ、室井さんがもっと上に行けば、自ら公安に対して圧力をかけることも可能だろうが、今の地位ではそれは難しいからな―――通過儀礼だと思って耐えるしかないだろう。いかんせん、お前達二人の周辺は徹底的に洗われている。仕事に関することはもちろん、交友関係などプライヴェートに関することも、だ。だが、しょせん公務員である公安に出来るのはせいぜいそんなところだ」
新城さんは、そこでいったん言葉を切った。俺は真正面から新城さんを見据えて、目で続きを促す。
「室井さんの足元を掬おうとしている連中は、どんな小さなことでも、失脚の足がかりになるものなら決して見逃さん。何が何でもスキャンダルが欲しい。さすがに白を黒とは言えんだろうが、灰色を黒にすることぐらい難なくやってのける連中に、お前達二人の周辺を嗅ぎ回らせている」
俺は背筋が寒くなった。確かに、今の俺達の関係が知れたら、間違いなくスキャンダルになる。俺はともかく、室井さんの将来は確実に閉ざされてしまう。
「公安よりも、やっかいな連中に見張られてるって訳、ですか・・・」
新城さんはこめかみに軽く手を当てて、何かを振り払おうとするかのように軽く頭を振った。
「公安だけだって、充分、面倒なんだぞ」
「解ってますよ―――でも、室井さんと俺の『理想』って、そんなに、ヤバいもんなんスか?」
いくら俺達の関係を否定したところで、もうこの人の本心は絶対に信じちゃくれないだろうけど、トコトンしらを切り通すつもりの俺は、極めてノーマルな食い下がり方をした。
「お前は、官僚の貪欲さと私欲にまみれた地位への執着度の凄まじさを知らないだろう。この私だって頭では理解していても、実際に目の当たりにすると怖気がするくらいだからな。ましてや生真面目な室井さんがあの世界に我慢できる筈がない」
『生真面目』というのが誉め言葉かどうかは別として、この人が室井さんに対して敵意を感じさせない発言をするのを聞いたのは初めてのような気がする。俺は、まじまじと新城さんの顔を見つめてしまった。
「お前達の『理想』が実現したら、現在の地位から確実に追い落とされる輩がかなりいる、ということだ。そういう無能な連中ほど己の保身には必死になる」
新城さんは大きく溜息を吐いて、話を続けた。
「警察というところは、この国のどの役所よりも階級差が激しく、組織的にも旧態然としている。だが、時代の波には逆らえん。室井さんの『理想』は遅かれ早かれこの組織にも必要とされ、浸透し、現在の機構を根底から覆すだろう。だが、その勢いをくい止めようとする連中の抵抗は、決して侮れん。いよいよ追いつめられれば、今の生活を失いたくなさに人ひとり潰すことなど、何とも思ってなかったりするものだ―――しかも、どんな手を使ってでもな」
確かに、政治家や閣僚を始めとする組織改革や改正法案が一向に進められないことを考えると、大いに肯けることではある。偉くなり、金と権力を手にしてもなお、崇高な理想を持ち続けそれを実行に移せる人は一体どれくらいいるのだろう。
「室井さんがもう少し上へ行って力をつければ、奴等とて、そう簡単に手を出せなくなる。だが、今なら―――今ならまだ、間に合う。まだ潰せる。奴等にとって、今がワンチャンスなんだ」
新城さんの顔が、今にも泣き出さんばかりに歪んだ。
「お前の所為だぞ! お前が、室井さんに関わったりしなければ・・・」
「ちょっ、ちょっと・・・なんで、俺の所為なんスか?!」
急に噛み付かれて、俺は慌てた。新城さんは両の拳を真っ白になるほど握り締めて、突き刺すような視線をこっちに向ける。
「・・・室井さんの『理想』は、私だって知っていたんだ。あの人がどんなにそのことを真面目に考えていたか、どれだけ真摯な気持を胸に秘めていたか―――お前と関わらなければ、室井さんは不必要にマークされることなど、無かった・・・『理想』を危険視されることも、無かったんだ!」
それは・・・そう言われちゃうと、そうなんだけど―――
でも、室井さんは俺に言ってくれた。自分が考えていたことがただの夢のような『理想』ではなく、絶対に必要な『理想』であることが、俺達所轄と仕事してみて解った―――って。所轄の刑事の現実を知ろうとしないで、『理想』だけ持って上に行っても意味は無い。俺達と接したことで、室井さんはそのことに気がつき、より具体的なカタチの『理想』を手にしたんだ。そして、それを公言した故に現在の苦境がある。
正直な話、今でも俺は、室井さんの足許を危うくしてしまった自分を情けなく思うことが、ある。
だけど、室井さんと関わったことは、俺の運命だったんだと思う。
歩き出してしまった俺達の、明日の夢が果てしなく続くものであることは、『理想』という名の約束を交わした時から解っていた。
様々な出来事を共有し沢山の時間を経て、俺達が互いの手をとりあったのはつい最近のことだけど。
決して、一時の感情じゃない。気の迷いなんかじゃない。
あの人が俺を必要としてくれる―――それだけで、俺の心は泣きたいほどに震えるのと同時に、暖かい気持ちで満たされる。
室井さんの存在自体が自分に力を与えてくれることに、今更ながら驚いているくらいだ。
黙っていても、風は未来に向かって吹いていく。だけど、流されるわけにはいかない。
夢を―――俺達の『理想』を実現する為に、一つ一つ足跡をしっかり刻んで前に進んで行かなきゃいけない。
後ろ暗い連中に嗅ぎまわられているこの現実も、しっかりと受け止めて対処しなければ。
奴等から、俺が室井さんを守ろう。
上に向かう室井さんの周りには、普通にしてたって、イヤなコトや面倒なコトが山ほどあるに違いない。
せめて、室井さんが怪しげな連中や公安といった余計なことに煩わされることの無いように、そいつらに対しては俺が考え、行動しよう。
今は俺のものでいてくれる室井さんが、少しでも安らげるように―――俺に出来る限りのことを室井さんの為に、しよう。
ま、所轄で喘いでいる俺にやれることといったら、それくらいしかないっていうのがホントのところなんだけど。
黙ったまま俺を睨みつけていた新城さんが、悔しそうな声で追い討ちをかけた。
「貴様が、あの人の足を引っ張るような真似をしなければ―――室井さんは今みたいな危険な道を歩まずに、もっと楽に上へ行けたんだ! 解っているんだろうな?!」
唐突に、気づいた。
新城さん―――きっと、この人も。
どうしようもないくらい、室井さんが好きなんだ。
俺とおんなじで、切ない想いを抱えて、室井さんの身を案じているんだ。
仇敵に等しい扱いの俺を前にしている今でも、室井さんのこととなると、自分を抑えられないのだろう。この人が他人に対してこんなに一所懸命になることがあるだなんて、俺は思いもよらなかった。
でも室井さん、新城さんの気持ちに全然気がついてない・・・よなぁ―――多分。
なんか、まいっちゃうよ―――こんな。
やるせなくなって、新城さんから目を逸らす。
フロントガラスの向こうを眇めつつ、俺はきっとそうに違いないと決め付けていたことを口にしてみた。
「新城さん・・・俺、新城さんは、室井さんのことキライなんだとばっかり、思ってました・・・」
「私は!」
新城さんの声に少しばかり、いつもの怒気がこもる。
「―――あの人が、心配なだけだ」
それって、充分、愛の告白っすよ。
俺は、イグニッションキーを廻して、エンジンをかけた。
「すいません、すっかり遅くなっちゃいましたね・・・行きましょっか」
ゆっくりと車をスタートさせ、走行車線へと滑り込む。
既に、芝浦海岸病院まではあと1キロメートルを切っていた。

病院の正面玄関手前で車を止めると、新城さんは書類を持ってサッサと降りてしまった―――帰りはタクシーで本庁に帰るから待たなくていい、と言い置いて。
渋滞と無駄話で大分時間をロスしたのでイヤミの一つも覚悟してたんだけど、俺は実のところホッとしていた。新城さんの気持ちに気付いてしまった以上、この後も行動を共にしてたら、自分が平静を装っていられる自信が無かったのだ。
こんなにも室井さんのことを想ってる人が、俺の他にもいたという事実に、複雑な心境にならざるをえなかった。
あの人も、俺とはまた違った視点で、室井さんのことをずっと見ていたんだろう。
恐らく、俺よりも、はるかに長い間。
ねぇ、新城さん。俺達、ライバル同士ってやつ、だったんスかね。
それとも―――『室井慎次』という人間に惚れ込んだお仲間、なのかな。
俺とアナタじゃ、立場も出来ることも全く違うけど、室井さんに注ぐ気持ちだけは多分、共通なんですね。
苦手だとばかり思っていた新城さんの顔が、俺に向かって薄く笑いかけてきた。
俺は車をUターンさせて、元来た道を戻りだす。海岸線を走っていると、倉庫街の一角にポツンと突っ立った公衆電話が目に入った。
無性に、室井さんの声が聞きたくなった。
勤務中だけど、チョットくらい、いいよね。
ウィンカーを出して車を路肩に寄せてエンジンを止めた。ボックスのドアを身体で押さえ、緑色の受話器に手を伸ばすと、潮風が俺のまわりで踊っているような気がした。

(1999/3/22)


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青島くん一人称です。元々は初夏SP番外編放映直後に書いた話。新城さんがもっと強気でタイトルも「宣戦布告」(!)だったんですが・・・「月だけが見ていた」の新城さんがイイというメールを何通か頂いたので、オリジナルの新城さんの性格を改造(爆)したら、こうなりました。
もっと激しい『室井さん争奪戦』のハズだったんですが・・・なんか新城さん、語りすぎ―――イメージ壊れた方、ごめんなさい。苦情は遠慮無くお送りください。
おかげで、続編の「今、ここにある優しい手」にもしわよせが・・・もう、めちゃめちゃ甘くなってます(苦笑)
タイトル(某アニメのエンディング♪詩の方とは無関係)にピンと来た方、もしもいらしたらメールください!! ちなみに私はウルフウッド受けです
(^_^;