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第1章  幸せな日々と君

#2

  小津深雪は森下裕嗣に見送られて、困惑しながら教室に入った。
 
何故こうも困惑しているのか? 今朝もいつも通りの時間に起きていつも通りの時間に家を出ていつも通り電車に乗った。そこまではよかったのだ。
  だが電車の中で裕嗣に出会ってしまった。それが原因だ。小津と裕嗣の視線が交差した途端何故か彼から目が離せなくなった。初対面のはずなのに、奇妙な懐かしさ─────それはデジャヴとは違っていた──────が急に込み上げてきて、体が動かなくなって、 それでも何とか声を絞りだした勝間、裕嗣が泣き崩れたのだ。その後、一度電車を降りた彼に付き添っていた。
 「………」
  小津はクラスメートヘの挨拶も程々にして自分の席に着くと、つい十数分前の出来事を思い返してみた。
 ────── 好きなんだと思う。小津さんの事──────
 「!!」
  思わず赤面してしまう。
 ──────1−6森下裕嗣………
  あの後、小津は何も言えなかった。裕嗣も口を開かなかった。ただ黙ったまま、小津の隣りを離れなかった。そして最後に2-3の教室の前で「それじゃまた放課後」と告げて 裕嗣は去っていった。
  「(一方的だったな………)」
  朝早くからこんな事件が勃発したため、小津の頭は少なからず混乱していた。それが彼女に時間を忘れさせた。
  「………ねえ小津ちゃん、1限目生物室だよ」
  「えっ、あ、そっか」
  友人の小町通子に声を掛けられて小津は慌てて立ち上がった。気が付くと教室に残っているのは小津と小町だけになっていた。
  「行こ」
  小津が準備出来たのを確認して小町は小津を促した。授業開始まであと3分しかない。
  「やば、ちょっと急がないと」
  「うん………」
  頷きながらも小津の頭の中はまだ今朝の事で混乱したままだった。
  「(何で森下君は私の事知ってたんだろう………)」
  ホームで裕嗣は確かに自分の事を知っていると言った。しかし小津自身には裕嗣が自分を知るようになるようなきっかけは思い当たらなかった。
 ──────だが、彼女の中に妙な感覚があった。ずっと前から彼のことを知っていたような………そんな感覚が微かにだが小津の中にあるのだ。
  あの時の会話からすると、裕嗣にも同じような感覚があるようだ。ならば単なるデジャ ヴではないだろう。しかしそれなら何なのだ……?
 ─────生物室には何とか始業時間までに到着する事ができた。だがまだ小津の思考は整理し切れていなかった。
  「………そういえぱさあ、さっきここに来る途中に小津ちゃんの事じろじろ見てた奴がいたよ」
  「え? ……いたの、そんな人」
  「やっぱり気が付いてなかったんだ……何か小津ちやん、今日「心ここにあらず」って感じだもん。なんかあったの?」
  「うん……まあ、ちょっと、ね」
  始業のチャイムが鳴って、生物教諭が現れたが小津と小町は生物室では席が隣同士なので小町は気にせず更に続けた。
  「ちょっとって何?今朝なんかあったの?」
  「う……うん……」
  「よかったら聞かせてくれない? 多分私でも相談相手くらいにはなれると思うよ」
  「う一ん……実はね……」
  正直なところ話すぺきか否か迷ったのだが、この際……という気持ちが小津の中に強くあった。言ってしまえぱ楽になれるかもしれないと。
  小津は今朝の出来事を簡単に説明した。1番の問題である裕嗣に対する奇妙な感覚は言葉では簡単には説明できなかったが、そうするしかなかった。
  「森下裕嗣……あ、私知ってる。確かLORELEYとかってバンドのドラムじゃなかったかな。1年でしょ?」
  「うん」
  「結構有名よ。顔もなかなかだし背も高いしドラム上手いし……それで向こうが一方的に好きだって言ってきたんでしょ? ……小津ちゃんもてるんだ」
  「そんな事ないよ……」
  告白された事はある……しかしもてているというわけではない。
  「なぁんだ……結構羨ましいなあ……」
  「私は困ってるの」
  「なんでよ。こんなチャンス減多にないわよ?」
  「でも今まで会った事もなかった人にいきなり好きだとか言われても……」
  「……小津ちゃんって結構古風だよね点…」
  「そう?」
  小町はわざとらしく深い溜め息をついて小津を見つめた。
  小津は美しい黒髪が腰の上まであって、肌は絹のようにきめ細かく、白い。碓かに、何となく大和撫子のような雰囲気があると言えぱあるかもしれない。
  「……それで、間題は小津ちゃんがずっと前から森下君の事を知っていたような気がすること……」
  小津は黙って頷いた。
  「……どこかで会った事があったんじゃない?それですっかり忘れてたんだよ」
  「そんな……でも……」
  「向こうは小津ちやんのこと知ってたんでしょ?だったらやっぱりそうだよ」
  ……確かに、そう考えれば裕嗣の言葉はつじつまが合う。
  しかし、小津自身は分かっていた。この感覚はそんなに生易しいものではないと。
  やはりそう簡単には楽にはなれそうになかった。

 

 

  「私ちょっと購買に行ってくる。先に食べてて」
  「え?一緒に行くよ」
  「ううん、いいの」
  昼休み、小津は小町と別れて購買に向かった。この頃になるとだいぶ気持ちは落ち着いてきていた。1人で購買に行こうと思ったのも単なる気まぐれに過ぎない。
  ……ただ気まぐれで行くには昼休み開始直後の購買は混雑し過ぎであった。そうであろうという事は小津にも分かっていた筈なのだが、やはりまだ後遺症が残っているのかもし れない。
  「(……自動販売機にしよ)」
  小津は毎日弁当持参で学校に来ているので別にパンなどは必要ない。ただウーロン茶でも買おうかと思ってここまできたのだ。しかしそれならば自動販売機で用は済むではないか。…これもまた後遺症、であろうか。

 

  この時間帯にしては珍しく、自動販売機コーナーには先客が1人しかいなかった。不思議ではあったが待ち時間がないのでかえって好都合であった。
  「んー、と……」
  ウーロン茶にも色々種類がある。どの種類にするか迷っていると、小津は不意に強烈な視線を感じた。
  ハッと顔を上げるとたった1人の先客である男が、ごまかそうともせず、真っ直ぐ小津を見つめている。
  裕嗣ではない。裕嗣よりも目が鋭く、シャツ越しでも鍛え上げられた肉体が分かる。
  小津もその男を見たまま止まってしまった。いや、止まってしまったのではない。男の目から視線を外せないのだ。
  ただ、やはり裕嗣とは全く違う感触だった。
  「……あんた、『小津深雪』?」
  「え……は、はい……」
  「ふうん、やっぱりそうか」
  男は1人で納得したように硬貨を自動販売機に投入して、ポタンを何故か拳で押した。
  ウーロン茶だった。
  「……森下裕嗣って知ってる?」
  男はウーロン茶の缶を取り出しながら聞いた。
  「はぁ……まあ、一応……」
  「どう思う?」
  「え……そんな事、言われても……」
  見知らぬ男に一方的に問い詰められてしどろもどろになる小津の目を再び男が覗き込んだ。さっきよりも遥かに近い距離で。
  「え……あの……」
  男の目は小津の目を─────小津そのものを見据えていた。─────少なくとも小津本人にはそう感じられた。更にしどろもどろ、である。
  「……あいつと同じだ」
  「え?」
  「あんたもあいつも、見かけは普通の人間だ。だけどその中にあるものは……はっきり言って只者じやない。一体どれだけのものが潜んでるのか、見当も付かん」
 「???」
  男が理解不能な事を言い始めた。自分の中にあるもの……???
  「そうか……それで惹かれるのかも知れないな」
  男はまた1人で勝手に納得してクククと笑った。もはや小津は置いてけぼりである。
  「……あんたら、楽しみだな」
  ひとしきり笑い終えると手にしたウーロン茶の缶を小津の掌に乗せて、
  「やるよ」
  男はさっさと去っていってしまった。あとには状況が理解できぬままの小津が取り残された。渡されたウーロン茶は一番嫌いな銘柄だった。

 

 

  「やっ小津さん」
  「わっ」
  小津が校門を出ようとしたとき、何の前触れもなく校門の陰から森下裕嗣が現れた。これまた至上の笑顔で。
  「な、なんでここにいるのよ?」
  「? だって一緒に帰ろうって言ったじゃん。今朝。さぁ、一緒に帰ろうっ」
  ……そういえばそうだった。今日は朝の不思議な感覚やら昼休みの男やらで思考が占拠されていて授業にも集中出来なかった。それで、裕嗣の言葉も記憶の片隅に追いやられてしまっていたのだ。
  自分でもどうしてここまで考え込んでいるのか分からなかった。確かに不思議な出来事ではあった。しかし1日中振り回されるほどの事件ではなかった筈だ。どうしてこうも引きずっているのか……。

 

  2人は駅に向かって歩き始めた。そこから同じ電車に乗って、同じ駅で降りるのだ。
  道中、今朝とは打って変わって裕嗣は絶えず喋り続けた。屈託のない笑顔を絶やす事なく、たとえ小津の相槌が無いに等しくとも。……実は裕嗣のあまりの元気のよさに小津は気圧されてしまっていて何も言えなかったというのが本当のところなのだが……。
  「今日は小津さんのことばっか考えてたよ」
  実は私も……とは口が裂けても言えなかった。
  「何かさあ……小津さんとあった時の懐かしい感じ……あれがなんなのか早く突き止めなきゃいけないような気がしてさ……」
  「!!」
  そう、そうなのだ。裕嗣の言う通り、自分の中にある感覚の実態を一刻も早く突き止めなければならないという強迫観念にも似たものが存在するのだ。そうでなければいくらなんでも1日を棒に振ったりはしない。
  「んー、やっぱり、俺と小津さんがであったのは運命なんだね」
  「……あのね、OKしたのは今日一緒に帰ることだけなんだからね。勘違いしないでよ」
  「またまたぁ。恥ずかしがることないじゃん。俺達、運命で結ばれてるんだからさ」
  「ヘ、変な事言わないでよ!」
  「照れ屋さん」
  くすっと笑う裕嗣に対して全身をわなわなと震わせる小津。そんな2人を包む空気は、まるで彼等を愛でているかのように柔らかかった。

 

 

to be continued……
PRESENTED BY 禍因


続く


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2000.07.12