EDENes
第2章 刻まれた宿命
#1
「あれ?どこ行くんだ?」
弁当を早々に平らげ、席を立った裕嗣に冬夜が声を掛けた。
「保健室」
答える裕嗣の顔はあからさまに心が躍っていた。
「保健室ぅ?なんでまた……あぁ、そうか」
今日は水曜日か……。冬夜はそれだけで事情を察する事が出来た。水曜日は裕嗣にとっ て特別な曜日なのである。
目的は勿論、小津深雪その人以外にはない。そうでなければ健康体そのものの裕嗣にと って保健室など苦手な数学の授業中以外では全く縁がない部屋と言っていいだろう。
もう今週で裕嗣が保健室に押しかけるのは3度目になる。冬夜が先々週保健室の前を通った時、中から小津の怒った声が聞こえてきて、隠れて苦笑していた。何となく2人のバランスが分かったような気がした。
「……そう言えぱ前の、前の週くらいに小津さんとやらに会ったよ」
「へえ」
「あの人もお前とおんなじ……どこか特殊な感じがするな」
「そうか?普通の人だけどなぁ」
「見かけはな。でも多分、中身は全然普通じゃないな。お前もだけど」
「……それはいい意味なの?悪い意味なの?」
「わかんねーな……」
はぐらかしているわけではない。得体の知れないものを裕嗣と小津から感じ取っただけで、それは結局得体が知れないのである。それ故に気になる事でもあったが調べようと思ってどうにかなるものでもない。
「まっ、いいや。じゃ俺は保健室行ってくるから」
「おう」
裕嗣は足取りも軽く、保健室に向かった。
「……元気だな……」
それが羨ましいとも思う。しかし敢えて裕嗣のような人間になろうとは思わない。裕嗣は裕嗣で、自分は自分で、自分が嫌っているものを好きになってまで裕嗣になりすます必要はない筈だからだ。そして自分には裕嗣にないものを持っていることを認められる。な
らば自分を貫き通す事は可能だ。
……窓からは心地好い風が吹き込んできている。
冬夜も席を立ち、歩き出した。向かった先は─────屋上。
本来は立ち入り禁止となっているのだが、屋上に通じるドアには鍵もかかっていないし、端の方に立たない限り周囲からは見えないので冬夜はよくここに来る。ここは騒がしい校内で静かに落ち着ける数少ない場所だからだ。ちなみにこの屋上からは生徒が4人飛び下りており、一般生徒だけでなく教師さえも気味悪がってほとんど近寄らない。が、冬夜にとっては絶好のスポットといえた。
風見鶏はカラカラと乾いた音を絶えず立てながら南西の方向に向かっていた。冬夜も風を正面に捕らえて立った。
冬夜は足を軽く開いて、ボクサーのオーソドックススタイルに似た構えを取る。ただボクサーと違うのは、両腕がダラリと下げられている事だ。本当はこの時右手には刀があるはずなのだが、無いものは仕方無い。
冬夜はリズムよくステップを始めた。屋上の中央部を滑らかに、素早く動き回る。
「ふッ!」
冬夜の右足が空間を瞬時に切り裂く。右上段回し蹴り。続いて左中段後ろ蹴りが何もない空間に放たれる。
「はッ、ふッ、はぁッ!」
その後も冬夜の両足から目にも止まらぬ速さの蹴りが放たれた。実際にスローモーショ ンでなければ確認出来ないような蹴りも何発かあったはずだ。空間は蹴りが放たれる度ゴウ、と音を立てた。
最後に冬夜は右上段前蹴りを出し、足が伸びた状態で止まった。まるで静止画像のように徴動だにしないのは冬夜の高いバランス感覚を物語っていると言えよう。
「……まあ、だいぶよくなってきたか」
一度伸ばした右足を曲げ、地面に足を付けないままもう一度上段右前蹴りを出して構えを解いた。
冬夜が体得している武術はテコンドー。足技では世界最強とも言われる韓国の武術である。体得したのは半年ほど前だ。しかし以前にも述べたように冬夜は実戦剣術の使い手である。それにも拘らず体術を学んだのは、あくまで実戦的な強さを追及した結果である。
そう、彼が使うのは剣道では無く、実戦剣術なのだ。実戦ではたとえ剣を落としたとしても相手は待ってくれない。そのような時のために、体術は会得しておく必要があった。
数ある体術の中で冬夜がテコンドーを選んだのは、足技の多様さ、この一点からだった。
何度も言うように、冬夜は実戦剣術の使い手である。立った状態からの攻撃で斬撃を超える破壊力を持つものは存在しない。つまり、冬夜にとって足技は斬撃と斬撃の間を埋める術に過ぎず、蹴りに破壊力は求めていないのだ。それゆえに空手や、ムエタイなど一発の破壊力を重視した蹴りを持つ体術よりも柔軟な体から繰り出される様々な蹴りを売りにしているテコンドーのほうが彼の理想にかなっていたのである。
勿詮、テコンドーをマスターするためにはまず柔軟な体が必要なのだが、冬夜にはあらかじめそれが備わっていた。それに加えて驚くべき格闘センスを備えているため、僅か1年足らずでどんな間合いからでも顔面を狙った蹴りが出せるようになっていた。
現在は斬撃と足技の融合を模索している段階だ。ただ今はあらかじめ刀に代わるものを用意していなかったため足技だけのトレーニングだが……。
「暑いな……」
いくら高校生離れした強さと、目的を持っていても人間である。7月の炎天下で運動をすれぱ体中から汗が吹き出すに決まっている。冬夜はYシャツの前をはだけで腰を下ろした。
ここには何も障害物はないから、風通しは最高だ。ただ同時に日除けになるものがないことにもなるのだが……。
「ここにいたか!的場冬夜!」
荒々しく音を立てて階段と繋がるドアが開いた。
屋上に出てきたのは1人の女子だった。面手には竹刀が1本ずつ。ショートカットで目元がはっきりしている、間違いなく可愛い女子の部類に入るのだが今の表情に愛矯は全く無かった。目は吊り上がり、眉間には皺が寄り、全身がわなわなと怒りで震えていた。
「……何か用か」
冬夜はぶっきらぼうに尋ねた。尋ねた、と言うよりも「うざったいから失せろ」という意味が込められていて、間違いなく突如現れた女子を突き放していた。
「えーえ、大有りよ!」
女子が冬夜につかつかと、いや、ずかずかと歩み寄った。それを見ても冬夜は立ち上がろうとしない。嫌悪の表情が浮かぶ。
「大体ね、あんた態度がでかすぎんのよ! 実戦剣術だかなんだか知らないけど何様のつもり?」
「……喧しい。用が有るならさっさと言って消えろ。俺に文句を言いたいだけなら今すぐ消えろ。目障りだ」
「(ムカッ!)」
女子の怒りのヴォルテージが更に上昇する。だが冬夜の苛立ちのヴォルテージも負けじと上昇する。冬夜はこういう、声が大きい女が特に嫌いだった。
「……あんた昨日、剣道部の女子泣かしたでしょ。しかも男子部に喧嘩売ったらしいじゃない」
「………」
そういえばそんな事もあったか……。
確か昨日の放課後偶然剣道場の前を通りがかって、暫くぼんやりと眺めていると剣道部の女子が冬夜に話しかけてきた。その剣道部員が今目の前にいる女子と同様、声が大きく喧しい女だったので、「お前みたいなたるんだ体じゃ真剣は持てないな」とか「こんなブヨブヨの体でよく試合が出来るな」とか「脂肪が大量に付いてるから防具はいらないだろう」とか言っているうちに相手が泣き出したのだ。その騒ぎを聞きつけて男子部員が出てきて口論になったので、剣道の実戦性の低さを指摘してやったら竹刀を握らされたのである。勿詮、勝ったが。
「剣道部にもね、プライドってもんがあるの。それにあの子、昨日部活途中でやめて今日学校来てないんだからね!」
竹刀が目前に突き出される。
「取りなさいよ。私があんたに少しは反省させてやるから」
「………」
この女も、女子特有の仲良しこよしちゃんか……。
完全に冬夜が1番嫌いなタイプだった。そしてこの女を一刻も早く退けるにはさっさと勝負を終わらせることが最良と考えられた。
「……お前、名前は」
「小町。剣道部女子部長」
冬夜は竹刀を取って立ち上がった。それとほぼ同時に小町がもう1本の竹刀を構えて数歩後退した。剣道部らしく、正眼の構えだ。竹刀の先が全く揺れず、小町がなかなかの実力者であろう事を予感させた。
一方、冬夜は先ほどの構え─────足は肩幅程度に開き、両手は下げ、相手に対して体を45度ほど傾け、状態を相手に向ける。一見隙だらけのように見えるが、迂闊に接近すれば左足が飛んでくる。更にこの構えは特に右方向に対して間合いが広くなる。冬夜がいくつか持っている構えの中の1つである。
「覚悟はいいわね……行くよ!」
「………」
冬夜に言わせれば相手に確認をとる必要などないのだが、言う前に小町が飛び込んでくる。冬夜は振り下ろされた竹刀を受けずに紙一重で躱した。それと同時に無防備な左足を竹刀で叩く。パンと快音が屋上に響き、小町の体がぐらついた。
「つぅっ……うっ!」
間断なく降り下ろされた冬夜の竹刀を間一髪で受け止める。
「! なかなか……」
剣道に足への攻撃はない。喧嘩の経験もないだろうから足に攻撃を受けたのは初めてのはずだ。当然足など鍛えていないから竹刀の一撃を受けれぱ激痛が走る。その上初めて受けた攻撃に対して必要以上の警戒心を抱いてしまう。普通ならその直後の頭部への打ち下ろしは防御が間に合わないものだ。しかし小町はそれをやってみせた。冬夜は感嘆したのである。
だが小町自身は楽ではなかった。打たれた左足は真っ赤に腫れ上がり、今日1日はまともに動いてくれないだろう。もう踏み込んでの一撃は出来ない。
出来ないのなら ─────
「やあ一っ!」
小町が冬夜の竹刀を弾き返し、右足と腰から上だけを前に出して胴を狙った。しかし冬夜はまたも紙一重で躱す。そして今度は小町の左胴へ向けて右腕が閃いた!
「!!」
それを見抜き、小町はとっさに振り抜きかけた竹刀を戻し、胴を塞いだ。それが出来たのは小町がかなりの実力者である事の証拠。並大低の実力では出来ない反応だった。
……しかし、それでも、冬夜はその上を行っていた。
小町は自分の側頭部に竹刀が叩き付けられた事を覚えているだろうか─────。
小町と冬夜の決闘は1分足らずで終わった。 冬夜の竹刀は、確かに始動は胴の軌道を描いていた。しかし小町の瞬時の防御によって阻まれる寸前に軌道を変え、側頭部へ向かっていったのである。剣道には側頭部への攻撃も存在しない。純粋な剣道部員である小町は冬夜の右腕を動かせてしまった時点で気絶するしかなかったのかもしれない。
冬夜は倒れた小町を見下ろした。側頭部に攻撃を半ばカウンター気味に受けたのだから暫くは起き上がれないだろう。一刻も早くこの女には消えてもらいたかったがそういうわけにもいかないようだ。
冬夜の一撃を受けて崩れ落ちた小町の着衣は乱れ、水色の下着も見えていたが冬夜はまるで意に介さなかった。時折小町の顔を竹刀でつつき、目を覚まさせようとするだけだ。
しかし声を掛けたり、体を揺すったりはせず、ただ竹刀の先でつつくだけ。なぜなら、名前を呼ぶ事も、体に触れる事も、この全く気に食わない女相手にはどうしてもしたくなかったのだ。
ただ、剣道の実力はそれなりに認めていた。しかしそれもあくまで剣道というカテゴリーの中での評価であり、剣術家としては全くの素人と言えた。その証拠に、冬夜はたった2度しか竹刀を振っていない。
パチパチパチ
慌てて背後を振り向くと、階段へのドアの前にスーツ姿の男が立っていて、こちらに向かって拍手していた。冬夜はその男の出現に全く気付いていなかった。
「拝見させてもらったよ。さすがだね……桐嶋冬夜君」
「! ………」
「いや……今は的場冬夜君だったかな?」
「(……こいつ……)」
to be continued……
PRESENTED BY 禍因
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