EDENes

第2章  刻まれた宿命

#2

 男はゆっくりと冬夜に近付いてきた。
 「例え女でも容赦はしない。さすがだね」
 「誰だ、あんた。俺は桐嶋なんて知らないぜ」
 「とぼけたって無駄だよ。10年も追ってきたんだからね」
 冬夜は竹刀を握り直した。この男は、ただ者ではない……。
 白いYシャツに黒のス一ツ、黒のネクタイ。縁無しの眼鏡をかけた誠実で、温厚そうな30過ぎの男……のように見える。だが冬夜は、この男に潜む危険性に気付いていた。恐ら く懐中には何か凶器が隠れているはずだ。
 「WWMって知ってるかい?」
  「ああ……Wonderful World Makers……大層な名前のくせに実態は只のテロ集団、だろ?」
  冬夜は警戒心を緩める事なく答えた。
  「世間ではそう言われてはいるがね……我々WWMはこの世界の統一を最大の目的としているんだよ」
  「世界の統一?そんな事、不可能に決まってるじゃないか。何百億といる人間を一律化するなんて……」
  「そんなに多くの人間を統一する必要はないんだよ。我々は付いてこれない人間は排除するから……後に残るのは優良な人種だけ。自然に人口も減って人口問題も解決出来て一石二鳥。……人間嫌いの君ならこの気持ち、分かるんじゃない?」
  男は冬夜から3メートル程離れた所で止まった。3メートルというのは竹刀がぎりぎり届かない距離である。逆に言えば男はいざとなればそこから攻撃出来るという事である。 と言う事はよほど突撃に自信があるか、もしくは飛ぴ道具をもっているか……。冬夜はそんな事ばかり考えていた。
  男に殺意は感じられなかった。汗一つかかずに涼しい顔で冬夜の目をじっと見つめている。それが一層冬夜に緊張感を持たせた。
  「……今日はね、君に力を貸してほしくて来たんだ」
  「……?」
 
「君も言ったとおり、今の我々は一介のテロ組織にすぎない。しかしそれは力が足りないからだ。全てを凌駕し得るだけの絶対的な力があれば世界を統一し、人類を管理していく事も可能になる」
  「……恐怖政治でもする気か?」
  「それが一番手っ取り早い。そして神さえも恐れるほどの力があれば大勢は覆ることはない───── 」
  焼けた風が2人の間を吹き抜ける。
  冬夜には流れ落ちる汗が酷く煩わしく思えた。竹刀を握る手も汗ばみ、はだけたYシャツは肌に張り付き、何よりも全身を流れ落ちる水滴が集中力を散漫にさせるように思われた。この男相手に一瞬の油断は死を招きかねない……。
  「───── 君にはあるだろう? 『神威(かむい)』……」
  「『神威』? なんだそりゃ。知らねーよ」
  「とぼけるのもいい加減にしないか。僕は会話がスムーズに進まないのが嫌いなんだ」
  冬夜はぐっと黙るしかなかった。
  「10年前、君が『神威』を得たとき……僕はあの場にいたんだよ。君は覚えていないかもしれないが……」
  「……覚えてるもなにも、知らないものはどうにも……」
  瞬間、男の眼光が変わる。明らかに先程までとは異質な光……温厚そうな営業マンあたりを装っていた時とは比べ物にならないほどの殺気─────。
  これが本物だ。これが、ためらい無く人を殺せる本物の戦士の目だ─────。
  「……君のお母様にはお世話になった。いや……今でもお世話になっているよ。何しろあのとき君が抑え込めなかった『神威』を今でも抑えていらっしゃるのだからね」
  「!!」

  「さすがにお母様の事では黙っていられないか。素直だね」
  竹刀の柄が折れるのではないかというほど右手に力が入った。怒り……よりは焦燥だろうか。集中力も鈍った。
  「我々も不完全な『神威』などには興味はない。しかし君がお母様の元へ下れぱ或いは 『神威』は完全となるかもしれん」
  「……母さんは、お前らの所にいるということか?」
  「さて、ね……ただ、何処にいるかははっきりしているよ」
  「協力してくれるのなら連れていってあげよう」
  男は上着の内ポケットから手の平大の何かを取り出した。 黒光りする金属─────拳銃。
  やはり冬夜の読みは外れていなかった。竹刀の届かない所から銃口を向けられては冬夜といえどもたじろぐしかない。いや、届いたとしてもこの男から銃を奪う事などできるだろうか……?
  「う、うぅん……」
  空気の張り詰めた崖上に間の抜けた声が漏れた。声の主は、……冬夜の足元に転がっていた小町。
  だがそれと気付くとほぼ同時にプシュ、と情けない音がして、小町の頭で何かが弾けた。
───── 男の拳銃が火を吹いたのだと気付くのには少し時間がかかった。
  「……!!」
  「君、この子の事嫌いだっただろ?だから代わりに排除してあげたよ」
  「そりゃまた……ありがたいことだね……」
  拳銃の先端に取り付けられた太い筒はどうやら消音器らしい。ここは屋上だし、たった、今小町が死んだ事など誰が気付いているだろうか。もしかしたら小町自身気付いていないのかもしれない。……そして冬夜も同じ。殺されても誰にも気付かれず、男は何も言わずにこの学校を去っていくのだろう。
  つまり、小町が殺されたのは脅しだ。目の前にいる男は間違いなく人を殺せるのだと、そこに迷いなどないのだと、再確認させて ─────
 
「さあ、どうする? 一緒に行くかい?」
  男はそう言ったが冷たい銃口は選択肢など与えていなかった。一緒に行かないのなら怪我をする─────そう言っているのだ。いや、怪我だけで済むだろうか……。
  しかし男のあくまで連行にこだわる姿勢のために冬夜は決断を下す事ができた。
  「………」
  冬夜は一歩後退した。冷や汗交じりの汗が一瞬スッと引いて、また吹き出した。
  命懸けの戦闘、つまり実戦は冬夜にとってこれが初めてなのだ。実戦剣術を更に高める良い機会ではあったが相手が飛び道具では分が悪すぎる。癪ではあったがここは逃げるしか無かった。
  「逃げるか……?」
  「……逃げようって、そう簡単にはいかないだろ……?」
  階段に通じるドアは男の肩の向こうに見える。それ以外に出口はない。ここから生徒が飛び下りているにも拘らず屋上の縁には金網も張られていない。だが当然、そこから飛び下りれば命はない。
  しかし、そこに活路がある事に冬夜は気付いていた。冬夜はゆっくり後退していった。幸い、先程の小町との試合で縁に寄っていた。
  「……逃げるんだな」
  男も冬夜が何をしようというのか、大体分かっていた。彼にも経験があるのだ。案外最も危険な場所にこそ活路があるものだと知っているのだ。
  「悪いようにはしない。最高の待遇を約束する」
  覆遼る(あとずさる)冬夜を一定の間合いで追いつつ男は言った。冬夜のリアクションは無い。
  冬夜の踵が遂に縁に到達する。あと一歩後退すればそこは何もない、ある意味では自由な世界だ。冬夜の口元にようやく笑みが生まれる。……その笑みは乾いてはいたが。
  「……俺は人類の統一なんかに興味はない。俺がやりたいのはもっと強くなることだけだ」
  「…一残念だよ」
  銃口が火を吹いた。

 

 

 

  右腕に激痛が走った。思わず顔を歪めたが構わずに冬夜は後ろに跳んだ。その際に竹刀が手から離れてしまった。武器がなくなってしまうのは痛かったが諦めるしか無かった。
  「!!」
  男はすぐに縁に駆け寄って冬夜が飛び下りたあとを見下ろした。─────冬夜は校舎の窓枠に左手一本でしがみついていた。その様子はまさにかろうじて、という形容がぴったりだ。
  だがやはり冬夜にも算段はあったのだと理解出来る。彼はこの位置に窓枠があることに気付いていたのだ。ただ、窓が開いていなければ掴まることのできるスペースは3センチも無い。それでも飛び下りるほど冬夜はWWMに荷担したくないのか……。
  右手が使えず、左手だけで全体重を地上10メートル以上の位置にある壁に押しとどめている冬夜を更に上から撃ち抜く事はまったくもって簡単な事であった。しかしそれではわざわざここまで来た意味がない。どれだけの重傷を負わせようと、生きた状態で冬夜を連れて帰還しなければならないのだ。任務に失敗すればどれだけの懲罰が待っていることか……。
  右腕を撃ったのも冬夜の実力を十分認めた上での事だ。15という年を考えると十分過ぎるほどの気迫を見せていた。まだ実戦経験は浅いものの、飛び下りるために体の一部を捨てる度胸はなかなかのものだ。 そう、冬夜は右腕を捨てたのだ。捕獲されずに屋上から脱出するために、男が自分を殺さないことに気付いて、体の何処かを撃たれるのを承知で屋上から飛び下りたのだ。男もそれが分かっていたから撃ったのだ。
  「……まあ、これくらいやってもらわないとな。……お?」
  何と冬夜が窓枠を掴んだ手を離したではないか。これにはさすがに男も多少は慌てたが、冬夜は無事に1階下の窓枠にしがみついた。どうやら窓から校舎内に侵入するのは無理だったようだ。このまま1階ずつ飛び下りてはしがみついて地面まで到達するつもりらしい。
  ……何とも大胆な思い付きだ。ましてやそれを左手一本でやろうというのだ。まともな神経の持ち主ではできない。
  男もそれを見てさすがに苦笑するしかなかった。
  「……やるじやん」
  銃を上着の内ポケットに戻して踵を返す。
  「おもしろくなってきたぜ」
  一方、命からがら地上まで辿り着いた冬夜。同時に多数の生徒に目撃され、注目の的となってしまっている。当然彼等は屋上での出来事など知る由もない。知る必要もない次元だ。
  「くそ……まずいな……」
  左手で傷口を押さえているが右腕からは血がとめどなく流れ出ている。既にかなりの量の出血があり、貧血気味になってきて体に力が入らなくなってきている。しかも都合が悪いことに弾丸が腕を貫通せず、体内に残ってしまっているのだ。早く治療しなければならない。そしてそれと同時に何処から来るかも分からないあの男への警戒も続けなければならない。
  「(取り敢えず学校を出た方が良さそうだな……)」
  足はふらついたが取り敢えず冬夜は校門を目指した。幸いここからなら校門はさほど遠くない。足を路み出す度、地面に血痕が生まれるのが気になったがどうにもならなかった。
  「……!」
  校門が視界に入ってきて冬夜はすぐに歩みを止めた。そしてすぐに校舎の影に身を隠した。
  校門の外には黒塗りの車が1台止まっていた。それが何者の物なのかは察しがつく。こうなると他の出入り口、いや、学校の敷地の周辺をすべて固められているかもしれない。先程の男は拳銃だけだったが車内にいるWWMのメンバーは一体どれだけの武装をしているか分からない。ただ1つ、ほぼ全員が飛び道具を装備しているであろうという事だけは分かったが。
  「……そこまで俺を逃がしたくないのかよ」
  冬夜は舌打ちをして来た道を戻っていった。

to be continued……

PRESENTED BY 禍因

 


続く


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2000.08.07