Fatal Thread
〜桜の下〜
(1)
作者様
冴樹 京翠 さん
掲載日
2000.08.19

 

桜の木を見あげている、少女の姿。
「何をしているんだ?」
彼女がここにいることを否定している訳ではない。
別の目的を覆い隠す偽装でも無い。
不意に背後から聞こえた言葉は純粋で、自然で、そしてとても正しい、という表現がなぜかしっくり来る質問だった。
「…樹を見てます」
「なぜだ?」
「この樹、好きだから」
…すぐに返答が帰ってこない。もう少しで、失望するところだった。
彼女の外見に惹き寄せられ、本質を理解できずに去っていった人がいない訳ではなかった。
「桜、綺麗だな」
「…え?」
意外だった。この樹を綺麗、と言う人間がいることが驚きだった。
やせ細り、空洞が出来、葉は枯れかけ、花もろくにつかないこの樹。
「どんなに辛くても、懸命に生きようと…花を咲かせようとしている」
「あの…あなた、は?」
「俺は、違う」
質問の意図をすり替えられたようだったが、敢えて言及はしなかった。
「生まれてきた意味が判らないんだ」
「あなたは、誰?」
振り返った時には、もういなかった。
その少年の顔を見なかったことを、後悔した。

 

…哀しい記憶の中の、小さな石のような思い出。
帰り際に拾って、机の中に仕舞っておいたちいさな石ころ。

 

入道雲が遠く見える、いい天気の日だった。
旧校舎の渡り廊下を抜け、打ち放しのコンクリートを渡って、一人の女生徒が歩いてくる。
きっちりとボタンを留めたブラウスにリボンタイを結び、長くさらりとした髪を大正時代の女学生のように束ねた彼女は、非常階段の下にあるボロっちい物置の扉を開けた。
正確に言うと、そこは物置ではない。
「ふぅ…」
彼女が軽く溜め息をついて座る事の出来る錆び付いたパイプ椅子が数脚置かれ、頬杖をつく事の出来る薄汚いフォールディングテーブルがあり、そして、"キケン!立ち入り禁止""入る時にはノックしよう"と書いた紙がベタベタ内側に張られたドアには、流麗な毛筆で桧の板に記された"世界征服部"という表札がこれも内側にかけてある。
彼女が軽く周囲を見回すと、唐突にドアが開いた。
「わぁ!」
「…何やってらっしゃるのかしら?」
ドアの向こうに、生徒会執行部の腕章を付けた生徒を従えた、人を見下したような表情の女生徒が立っていた。
「えっと、とりあえずごみを捨ててこようと思いまして…」
「会長自らごみを捨てに?ご立派ですこと。私どもの生徒会執行部ではそんなこと考えられませんわ…それにしても何ですの?この部屋のニオイは、倉科さん」
「一応部長なんですけども、私は」
倉科、と呼ばれた彼女は、穏やかな口調ながら、しっかりとした言葉を返す。
「部長?あなたはこの"世界征服同好会"を正式な部だとおっしゃるの?」
「え、違うんですか、五十神さん」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないで頂きたいわ。生徒会長と呼んで下さらない?」
五十神生徒会長はあごの角度を十五°程上げ、下目使いで冴子を見下ろした。 倉科の方が身長がやや低い。他人を威圧する、正体不明の波動が五十神の視線から滴り落ちる。
「部員の定数割れ、部費使途不明額の増大、他部署からの物品横領…同好会に格下げされた理由は十分ありましてよ」
「…で、今日は何の御用でいらしたんですか?」
「そうそう、例のものを」
五十神が目配せすると、後ろに立っていた執行部員が書類封筒を手渡した。
「本日の午後四時より、会議室で生徒代表者会を行いますの。本来、同好会長に過ぎないあなたに参加資格はないのですが、特別に参加を要請いたします。御出席頂けるでしょうか」
「…え、はい。判りました。いいですよ」
「では確かに。ごきげんよう」
そう言って五十神は資料の入った書類封筒を手渡すと、スカートを翻して立ち去った。

私立花丸学園高校。レベル的に言うと上か中くらいの、ごく普通にある私立高校…だった。
三年前、当時一年生だった女生徒が指名手配犯の逃走を幇助し、かくまったという事件が起きたりしたけれども。
その後女生徒は指名手配犯と共に逃亡するが、彼女らと協力者の手により大企業、官僚機構、暴力団等を巻き込む大規模な陰謀、警察の強引な捜査、そして冤罪の事実を解明する事となった。
ちなみにその彼女は初代世界征服部部長、吉野恵である。当時は寛容で、理解ある理事長の下、世界征服部を始めとする独創的な部活動が林立し、当時を知る者はその時代を黄金期であったという。しかし、古き良き時代は、急激に終わりを告げる。
理事長五十神敏明が持病の高血圧に動脈硬化を併発し、一命は取り留めたものの理事長を退任、後任である息子の五十神竹太郎現理事長は、前理事長と路線を変更した。吉野が関わった事件を口実に、学園のイメージダウンを防ぐ目的で生徒に対する統制を強化した。
反動は、すぐに起きた。当時一年生ながら生徒会保安委員長に当たらせた実の娘恵美が、その手腕を生徒の統制ではなく煽動に向けたのだ。
そもそも竹太郎はそれほど気の強い人柄ではなく、全てを計画したのは恵美であり、父親の理事長を傀儡にしている、と言う説もある。
「生徒の手に、学校を取り戻そう」
革命は、静かに起こり始めた。座り込み、理事長派教師の授業のボイコット、抗議デモ、朝礼その他式礼の生徒によるゲリラ運営。
それらの行動を教師が黙認する形で、進行していった。
革命の後には、必ず保守反動と恐怖政治が生まれる。清教徒革命然り、フランス革命然り、ロシア革命然り。スローガンの元に集まった生徒たちによって恵美は生徒会長に就任し、理事長に学園への不干渉を確約させ自ら理事長代理におさまった恵美は、すばやく行動を開始した。
管理能力に優れる生徒達を集め、恵美に忠誠を誓う生徒会特別執行部を編成、各部活の内情を徹底的に調べ上げ…でっち上げや捏造も辞さなかった。少しでも不具合があろうものならよくて部費減額、悪けりゃ廃部。
数多くの部活が廃部に追い込まれ、又は同好会に格下げされた。その一方で少数の優秀な(試合や大会で名声を稼げる)部活に部費を分配し、競争力を高める事も忘れなかった。
また"反動的"で"協調性に欠ける"反生徒会勢力の生徒や教師を旧校舎に隔離し、分断を計った。それに対し、恵を中心とする一部生徒は生徒会に対し抵抗を試みるが、五十神財閥の財力をバックグラウンドとした生徒会執行部に為す術も無かった。
模範的ともいえる程の統制だった。
そんな状況だった。去年三月、倉科がたった一人きりの部長を引き継いだのは。
「あたしが世界征服部を作ったのは…そうね、一生懸命、楽しい事を考えて、みんなで頑張る…昔見たテレビの悪役達が、そんな風に見えたから。本当は世界征服なんかどうでもよくって、でもって結局みんなでワイワイやってるの。そーするといつも正義の味方が現われて、ぶち壊しにしちゃうんだけどね」
当時既に特別執行部の嫌がらせにより、部員は倉科一人となり、そして部長である恵も、もう卒業を迎えていた。
「いい?冴子…敢えて、社会を外側から見てみるの。自分を信じて、自分の正義を。例え悪役にされても、正義の味方が立ちはだかっても、貫き通して」
…そして、恵は学校を去り、倉科冴子がその後を引き継いだ。
現在花丸高校には昨年完成した新校舎と、以前からある半木造の旧校舎がある。旧校舎は割と生徒会の厳しい管理から独立を保っているが、新校舎の生徒達…この一年で表面的には部活動のレベルも上がり、偏差値も上昇し、全てがうまく行っているように見えていた。
厳しい情報統制が、学校の名声を維持し、引き換えに目に見えない何かを荒ませていた。

「本日の治安状況を報告」
世界征服同好会のある旧校舎から生徒会本部に戻る途中、五十神は後ろから付いてくる執行部員に言った。歩く速度は変わっていない。
「窃盗一、喧嘩二、校門への落書一。なお新校舎一階男子トイレに喫煙の痕跡あり」
「落書の内容は?」
眼鏡をかけた執行部員は、クリップボードを見ながら答えた。
「"現生徒会は総辞職せよ""自由を再び"…水性塗料によるものです」
「一階ね…一年生男子全員に喫煙検査。それと可及的速やかに落書の犯人を挙げなさい」
「はっ」
そう言うと執行部員は一礼し、五十神の後ろを離れた。一人になった五十神は、ふと
「馬鹿どもが…退きなさい」
運悪くご機嫌斜めの五十神の進路に居合わせた生徒が、突き飛ばされて書類を撒き散らす。
そのまま五十神は新校舎四階にある生徒会本部まで一直線に突き進んだ。
木製のドアを開けると、かなりの面積を持つフロアに各生徒会直属委員会の部署が設けられ、数十人の生徒が忙しくそれぞれの任務をこなしていた。
そのままフロアを抜け、一番奥の[生徒会長室]と書かれたパーティションルームのドアを開けて自分の席に腰を落ち着ける。
人間がいる感覚すら消し去るほど良く整頓された生徒会長室は、落ちついた調度類でまとめられていた。もともと理事長室として使われていた部屋だが、理事長である竹太郎は現在五十神コンツェルンの他の事業に忙しく、学校にはいない為生徒会長室として使っている。
「失礼します」
軽快なノックに続いて、一人の男子生徒が入ってきた。執行部事務局員の生徒だ。
「本日の資料をお持ちしました」
「そこに置いといて」
彼は資料の入った書類封筒を机上に置くと、失礼しました、と一礼して部屋を出ていった。
男子生徒がいなくなると、五十神は引き出しからクリップで留められた書類を取り出した。どうやら履歴書のようだ。
「彼が頼み、か…」
校内の治安状況は日を追って悪化している。密告者を多数組織し、共産全体主義型体制を敷いて対応してはいるものの、そんな状況に耐えられず突発的犯罪行為に出る者の何と多い事か…情報統制の為外部イメージが崩れていないのがせめてもの救いだ。
再び、ノックの音が聞こえた。入ってきたのはさっきの執行部員だ。
「失礼します。落書事件の犯人を検挙しました…あと、本日の喧嘩及び窃盗犯人の調査書です…密告者として使える可能性が高いと言う報告がなされています」
「徴募なさい」
執行部員は無言で一礼し、部屋を出た。



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