緋色の龍
序章
* *
柔らかな君を抱きしめて
「ずっと守るから――」
そう言ったら、君は笑った。
「だってあなたの足…」
「足が不自由だって、気持ちは変わらない」
「そうね。あなたはあなただもの」
二年前の事故で動けなくなったこの足だから、たぶん君には迷惑をかけるかもしれないけれど、僕のこの気持ちは変わらないよ。
君を守る。
あたしもあなたを守るわ。
「一緒に暮らそう」
「ええ、サリク」
「愛してる――」
君を幸せにできるかわからないけれど、僕が幸せになる自信はあるんだ
初めてのキスは甘くて切なくて。
この幸せが永遠に続くと思っていたんだ。
たとえ世界が壊れても。
* *
「だめよ、サリク。来ちゃダメ−!」
影に飲み込まれていく彼女を、僕は見守っているしかできなかった。
そのときほど、この足を恨んだことはなかった。
「ロージア!」
後少しで届く指先が、空を切る。
カラン――。
彼女の指輪だけが、そこに残った。
結婚式の夜だった。
* *
彼女がさらわれた原因を知っていた。
北の塔に連れていかれたんだ。
僕たちの住む村は、十年に一回、北の塔の主に生け贄を捧げている。 誰が選ばれるのかはわからない。 ある日、突然影に飲み込まれるのだそうだ。
そして、今年がちょうどその年だった。
僕は、彼女を忘れることができなかった。
刀鍛冶の僕は、全ての思いを一振りの剣に捧げた。ロージアの指で輝くはずの指輪を、鍔にはめ込む。
北の塔の主を倒す、破魔の剣。
一生に一度だけ、鍛冶が創ることのできるその剣を。
僕はもう助けに行くことはできない。この足では、満足に動けないから。
だから、せめて僕の思いを受け取ってくれる人に、この剣を捧げたい。そして、いつの日にか北の塔を壊してほしい。たとえ、それで世界が失われても。
もう二度と、僕のような人間を出したくないから。
* *
破魔の剣『椿』が噂になったのは、それから五十年あまりが過ぎた頃。
名工・サリクの名前はそこには無いけれど。
* *
「だからねお客さん、これはホントにヤバイ代物ですって」
店の主は、何回も同じことを繰り返す。けれど、その言葉は客の耳を素通りしていくだけのようだ。人の話などはなから耳に入っていなかったような口振りで、若い客は手にいていた剣から顔を上げた。
「いいから売ってくれよ、コイツ」
「手にした剣士は次々と命を落とすっていわく付きの…」
「いいから、おやじ」
客である青年の静かな声に、主は思わず口を閉じた。
「噂は知ってるよ、ちゃんと。でもこれが欲しい。金だったらいくらでもやる」
「お金……ですかぁ?」
青年の姿を、じろりと観察した。
旅姿に怪しいところはない。いや、けっこう上等な服を着ているし、胸についた紋章は確か都の名門の。いいや、それでもおかしいじゃないか。あそこは何十年も前に滅びたはず。それに、緋色の瞳の人間なんているわけないじゃないか。
「おやじ」
主が黙ってしまったので、青年は腰にぶら下げていた袋をドンと置いた。何やら重そうだ。
「金百枚でどうだ?」
「ひゃ、百枚?」
「これくらいの価値があってもおかしくはないだろう?」
驚くのも無理はない。
この時代、金二十枚でゆとりのある一軒家が持てる。名刀とはいえ、妖刀とも異名を誇る剣を、そんなに高く買う必要があるのだろうか。
でもまあ。
チラリと袋をのぞき込む。金色に光るコイン。
手に入れたときは質流れのただ同然の品物。金貨に化けるのなら、手放したって構わない。いいや、禍を呼ぶ剣なら、とっとと処分してしまおう。
「え、ええ。そうですとも、そうですとも。わかりました、お譲りしましょう。しかし、何があっても当方は責任をとりませんから、そのおつもりで。よろしいですか?」
「かまわないよ」
じゃあ、もらっていく。
青年は何も無かったかのように店を後にした。
それから二時間くらい経った後のこと。
「ねえ、『椿』ちょうだい」
髪を振り乱した少女がやってきた。
「は?」
「だから『つ・ば・き』だってば。前の持ち主にちゃんと訊いたんだから。ここにあるんでしょ?」
たぶん美人なのに、その顔は泥で汚れているため、あんまり美少女的なキレイには見えない。格好も、男物を着ている。ちゃんと清潔な身なりをすればいいのだろうけれど、それでも美少年の印象の方が強いかもしれない。
まっすぐに切りそろえられた前髪の下の、意志の強そうな眉が眉間による。
「なにぼさーってしてるのよ、おじさん」
「あ、はい、あの、その。実は、先程、ええ、ほんとについさっきなんですけど、売れてしまったんで」
「バカ言わないでよ。あんな妖刀、誰が好き好んで買うっていうの?」
「しかし、中にはそういったお客様もいらっしゃいますから、はい」
「いくらで買ったの? そいつ」
「百枚です」
「何で?」
「あの、金で」
「金で百枚? どーゆー奴よ、まったく。きっとどっかのボンボンに違いないわ。許せない。あたしが何年もかかって捜し出した『椿』なのに」
呆気にとられている主の胸倉をわしっと掴み、これまた珍しい黒髪をバサリと払って凄んだ。
「どんな奴だったの? 買い手」
「…あの、旅の御方で、紋章は確かザーク家の。身なりも立派でした。特徴は、緋色の瞳です」
「ザーク家? そんなのとっくに滅びてるわよっ。おじさん、狐とか狸にだまされたんじゃないの?」
「は? あの、いえ、その」
「まあいいわ。売れちゃったものは仕方ない。で、どっちに行ったの? ソイツ」
「き、北の方に」
店の主は、後に、この話を自慢の種とする。
けれどそれは、ずっとずっと先のこと。
今はただ、去って行く後ろ姿を呆然と見つめているだけ。
何が起こるのか、わからないままに。
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