緋色の龍
第四章 旅立ち (1)
* *
しっかりとしたシエラの声。
「おまえの負けだ、シャン」
『椿』をシャンの瞳に向けている。少しでも動けば、魔王の首は吹き飛ぶだろう。かろうじて会話ができる、ぎりぎりの緊張だった。
「…残念だけど、そのようだね」
その中で、シャンは笑った。
成長した我が子を見守るような優しい瞳に、一瞬なる。あたしは相手が魔王であることを忘れた。
この感情は何?
「こんなに成長しているとは思わなかったよ。認めよう、きみの勝ちだ」
その言葉に、『椿』が反応した。
歓喜に奮える刀身。シエラの手を離れ、空中に浮かんだ。
「シャン、言葉を」
素早く変わりの剣を魔王の首筋に当てる。彼が魔導剣士になったときから一緒にいる、マジックソード。魔術を使わなくても、切れ味は抜群だ。
「約束しただろう? 北の魔王・シャン=マージル。その名前に誓った約束を、違えたら殺す」
「物騒なことはやめておいて、シエラ。わかった、宣言するよ。 “僕の負けだ。約束通り、彼女は返そう”」
宣誓に従い、水晶が二人のもとにやってくる。
そして、静かに水晶だけが消えた。あたしの知らない少女が冷たい床に横たわる。
おんなのあたしから見ても、愛らしい寝顔。柔らかくうねる栗色の髪が、黒髪サラサラのあたしには、ちょっぴりうらやましい。
そこであたしの夢は途切れた。
その後のことを、あたしは知らない。
* *
「でもシエラ、どうするつもりだい?」
シャンがゆっくりと立ち上がった。
「たとえ彼女が目覚めたとしても、サリクはもういない。二人はすれ違うだけだよ」
「二人の望むままに行動するだけだよ、俺は」
シエラの視線に気づいたのか、『椿』がボウと光を放った。それは次第に大きくなり、少女も包み込む。
「シエラ、いい加減にこの剣を除けてくれないか? さっきから苦しいんだ」
「ああ、悪かったな」
あっさりとシエラは剣を離す。シャンはそのまま、そばにあった椅子に腰掛けた。冷たい瞳が、光を見つめている。
「シャン、俺の別名知ってる?」
「『黄昏の魔導剣士』?」
「あたり」
「それが何か?」
「だーかーらー、ちょっとばかり力を使うってこと」
光にむかって手を翳した。
「サリク、ロージア、俺の声、聞こえるだろ?」
光がスウッと消えたと思うと、そこには二人が立っていた。でも、身体は透き通っている。つま先のほうが、ぼんやりしていた。
「魂…」
シャンがおもしろそうに笑った。
《シエラ…》
青年がゆっくりと口を開いた。緋色の髪は、今は元に戻っている。魔力を身に付けた姿とは変わっている。彼はもう、『椿』ではない。
サリクだ。
「どうする? 二人とも」
しっかりと繋がれた手と手。
青年と少女は軽く微笑んだ。
《逝くよ、二人で》
「いいのか?」
《決めていたんだ。もしロージアと再会しても、生き返ることは絶対にないってわかっていたから》
《これが、望みですから。剣士さま》
鈴のようなロージアの声。
《僕達、もう一度やり直そうと思って。今度こそ生まれ変わって幸せになるよ》
「そうか。お前が望むんだったら、あの時に戻すんだけど」
結婚式の夜に。
二人が離れ離れになった、あの夜に。
《無理だろ? シエラ。歴史が変わってしまう。古の時間魔法は正しく使え》
「わかってる。じゃあな、サリク、ロージア」
《ありがとうシエラ。僕の我がままにつきあってもらって》
「気にするなよ。俺も楽しかったから」
《ありがとうございます。あなたに神のご加護がありますよう》
にっこりと彼女は微笑んだ。
《もう逝くよ。あの娘とは何も話せなかったけどお礼を言っておいてくれないか?》
「ああ、そうするよ」
《ありがとうシエラ。きみの幸せを願っているよ》
繋いだ手を、天に翳す。
再び光が二人を包む。
* *
そのまま、二人は昇天した。
幸せそうに微笑んで。
* *
−ロージア、会いたかった
−あたしもよ、サリク。冷たい水晶の中で、ずっとあなたのことを想ってた。
−僕はずっと後悔していたんだ。僕の足がちゃんとしていたら、きっと助けられたって。
−足のことは関係ないわ。人間はまだまだ魔族には勝てないもの。それより、昔のこと は忘れましょう。こうして出会えたことが大切だから。
ゆっくりと唇が重なり合う。
サリクの腕が、強くロージアを抱きしめた。
−痛いわ、サリク。
−ごめん。でも、こうしていないとまたきみが僕から離れていくような気がして…。
−バカね。あたしはここにいるわ。あなたの花嫁として。
−ロージア、愛してる。
−フフ、あたしも。もう離れないから。
ずっとずっと、一緒にいようね。
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