緋色の龍
第四章 旅立ち (2)
* *
カラン、と乾いた音がした。
宿主を失った『椿』が、地に落ちている。その刃にはひびが入っていた。
「シャン、これで賭は終わりだな」
くるりとシエラが振り返った。
「きみは本当に強運の持ち主だ。ザークの滅亡から逃れたばかりか、僕との賭にも勝ってしまうなんてね」
「なあシャン、俺のお願い、きいてもらえる?」
勝ったご褒美に。
ちょっとだけでも。
「ロージアを返すことだけじゃないのか?」
「ああ。ここに溜めてある魂、全部返してほしい」
「なんだって?」
さすがにこれには魔王も驚きを隠せない。食べ物は幾らでもあるが、中でも人間の魂は寿命を延ばしてくれる。特に、若い女性のは最上級品。
「それくらいしたって死なないんだろ? だったらいいじゃん。生き返らせるわけじゃねーし、俺にとってなんの利益もないんだぜ?」
「なんでシエラがそんなこと言うのか分からないけど、そうだね、せっかくのお願いなんだ。望むままにしてあげよう。僕の腕を吹き飛ばすほどの力を身に付けた褒美に」
彼が手をかざせば、数え切れないくらいの水晶の塊が消えていく。中に閉じ込められていた女性たちは、黄色い粒になって空へと昇っていく。
塔に開けられた無数の窓から出ていく様は、外から見れば美しくも異様な光景であっただろう。
「シャン、これで全て終わりにしよう。俺はもうお前のやることに口は出さない。そのかわり、俺に関わるのもやめろ」
「わかったよ、シエラ。寂しいけれどそうしたほうが僕のためだね。次に会ったら、きっときみは僕を殺せるくらいに成長しているよ。僕はまだ死にたくないし、きみだって世界を壊したくはないんだろ?」
「まあ」
「じゃあ、色は元に戻したほうがいい? きみと最初に出会ったときに送った緋色の髪と瞳」
それはサリクと出会うずっと前のこと。シエラは覚えていないのだけれど、生まれたときに出会っているらしい。おかしな運命だ、と笑ってしまう。
「このままでいい。けっこう気に入ってるんだ。こいつのおかげで『黄昏の魔導剣士』って名前が付いたんだし」
「ふうん。でもシエラ。きみとサリクは一つになったはずだよ? どうしてきみはそのままでいられるんだ?」
ああ、そのこと。
ちょっとした魔法だよ。
「一つになったって言っても、それほど融合したわけじゃねーから切り放すのは簡単。元々、記憶を手に入れたようなもんだし、あいつに預けていた俺の力と交換しただけだよ」
シエラであることには変わりがない。それにサリクのことも、きっと忘れることはないだろう。自分のパートナーであったのだから。
「しかし残念だよ。もう二度とシエラと会えないなんて」
「だから、そうしたんだろ? じゃあな」
何事もなかったように、すたすたと歩きだす。シャンはひきとめることはしなかった。引き留めてしまえば、今度こそ命が危ないとわかっていたからだ。
「僕はしばらく冬眠するよ。もう二度と、きみが生きている間は出会うことはないはずだ。喜んでくれるかい?」
答えはなかった。
一瞬振り向いて、そしてニヤリと笑っただけだ。
シエラの気配が完全に塔から消えた後、シャンは深い溜め息を吐いた。
「−まったく、僕もどうかしている。人間ごときに手玉にとられるなんて」
それでも悪い気はしない。
それはなぜだろう。
* *
「−ふう」
塔からやや離れたところに湖がある。
北でもその水温は泳げるほどに暖かい。
血と汗でどろどろになった服を脱ぎ捨てる途中、コロリと玉が転がり落ちる。
「あ、忘れてた」
チュッと口づけ。目覚めの。
きっと怒ってるだろうな、と思いながら。
「おはよ、チェリア」
ポンとかわいい弾ける音がして、チェリアが現れる。
「−シエラ?」
「はあい」
そこで初めて、自分が彼の腕の中にいることに気づく。しかも、シエラ、上半身は何も身に付けていない。
「ちょ、ちょっと下ろしてよ。いつまで抱えてるのよ」
顔を赤くしてじたばた騒ぐ少女を下ろし、何か言う前に目の前に『椿』を突きつける。
「なに?」
「コイツ、『供養』してやって」
ひびの入った空っぽの剣に、わずかに残る歴代の所有者の思念。シャンの力によって引きつけられた者の、名剣に対する異様な思い。これらが妖刀『椿』を生み出した。
「わかったわ」
そっと受け取って、地に置く。
清めた水と土でその思念を洗い流す。呪文を唱え、浄化する。かなり手強い思念ではあったが、そこはチェリアの腕の見せ所。本来の才能と、十年のキャリアがものをいう。
きっとサリクも喜んでくれるはずだ。もしチェリアがいなければ自分がやるはずだったが、なれないことはしないほうがよかっただろう。
完璧を目指すならば、専門家に任せたほうがいい。
「『椿』、フツウの剣になっちゃったけど、いいの?」
「仕方ないだろ?」
「そうね」
ちょっとふてくされた声で言ってみる。
「ねえ、宿主、どうしちゃったの? 戦ってるとこだけ『桜』の力を借りて視てたけど」
「幸せそうに逝ったよ。ああそうだ、サリクが言ってたんだ。きみにお礼を言ってほしいって。知ってる?」
「そこは知らない。閉じ込められてたときにサリクって人のことを知ったから事情はわかってる。よかった、幸せなら。けど、これ、使えないよもう」
「チェリアは欲しい?」
「もういい。だめ、あたしには持てない。あたしが持つには、シエラとのつきあいのほうが長い剣よ、それ。じゃまできない。それに、あたしにはもういるから」
ちゃんと。『桜』がいてくれる。たぶん今なら大丈夫。
「じゃあ俺が預かる」
「どうするの?」
「パートナーとして俺が育ててみようと思って」
「できるの?」
「さあね」
残りの人生を全部かけてやってみたいこと。
『椿』を、最高の剣に磨き上げる。
「その前に修理出さなきゃ。ひび入ってるし。その前に俺を清めてくる」
湖に飛び込んで魚と戯れる。
子供みたいな光景を見ていたら、チェリアは怒る気にもなれなかった。自分だけ疎外された気分になっていたのだが、それは仕方がなかったのだ。
チェリアを守るためと。
あの恋人たちを守るため。
シエラのとった行動は正しい。
(足手まといになった申し訳ないもの)
たぶん、自分もそうしていたはず。
シャンがアイツだったら。
チェリアはたぶん、一番最初にシエラをどうにかしていた。これだけは、自分のことだから。
(ねえ『桜』、あたしたち、今なら勝てるよね? 仇、討てるよね?)
信じれば、可能性は無限大に広がるのだから。
『椿』じゃなくてもいい。
この世界で最高と呼ばれる剣じゃなくてもいい。
あたしにとって『桜』が一番だから。
ほかの誰にも認められなくてもいい。あたしだけは信じる。あたしたちは、出会うべくして生まれてきたのだと。あたしたちが最強のパートナーだと。
わからせてくれたのはシエラ。憧れていた剣の持ち主。
(いつか見返してやるから)
彼を超えるような剣士になってみせる。
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