緋色の龍
〜外伝・黄昏の世界〜
(2)
作者様
日向 梨緒 さん
掲載日
2000.08.30

 2、 守り神

 翌朝も、ウィルは街に出た。
 若者が集う中心街を抜け(それまでに五人にナンパされた)ると、ちょっとした森に入っていく。
 森の中の拓けた場所に、一軒の家があった。
「ナターシャ」
 そこの主に声をかける。
「ああ、ウィル。おはよ」
 出てきた主は、シルヴィアによく似ていた。
 金色の巻毛が今日もまぶしい。妹の倍以上愛嬌のある美女である。
「今日もよろしく」
「相変わらず飽きないわねえ、ウィルは。神竜様の方が飽きれてるでしょ」
「さあ、どうだろ」
「あなたくらいよ、家の守護神と友達になるだなんて。本当に変わってるわね。それよりも、誰にもばれていない?」
「シルヴィアは気づいてるみたいだけど、誰にもしゃべってないよ。その他はたぶん知らない。ってゆーか、興味ないっぽいし」
「なるほどね。それより、行くんならこれ持っていって。朝ごはん」
 パンとチーズと紅茶の入った籠が、フワリと宙に浮いていた。
「魔術ってこうやって使うもん?」
「気にしないでよ、ウィル。ほら、早く。シルヴィアのことは、わたしが何とかしておくから」
「はいはい」
 十六で『魔導師』となったナターシャは、今は森で暮らしている。この森には先祖代々の廟があり、彼女はそこの守人でもある。
 『魔導師』は『魔術師』とはちょっと違う。『古の時間魔法』を操ることのできる者だけが、『魔導師』を名乗ることができる。つまり、名門一家にのみ与えられた称号と言ってもいいだろう。
 魔術師とはいっても、魔術以外にも各方面に才能があった方がより良い。ちなみに、ナターシャの得手は飛び道具であったりする。
「おはよ、神竜」
 廟には先祖を祀ってあるだけではない。一族の守り神であり、その本体を紋章に施されている竜が住んでいる。
 竜の紋章は、一族しか身に付けるつけることはできない。よそ者が使うと発火するのだとか。そうやって命を落とした輩が何人もいるという。今となっては、誰もそんなことをしたがらない。
『ウィラウス、お前も物好きだな』
 神竜は、守人の前でだけ人の姿になる。
 そのはずだが、ウィルにもその姿を見せている。
 この格好のほうが都合がいい、という理由で。
「神竜もそうでしょ? 迷惑そうにしてるけど、俺のこと追い出したりしないもん」
『お前のような人間は初めてだ。つくづく変わっている』
「それ、誉め言葉?」
『そのつもりだが?』
 神竜は男だか女だかわからない。中性的な美貌で隠された素顔もわからない。わかっているのは、怒らせたら恐いことだ。特に、朝のご飯が遅れると機嫌が悪い。
「ま、いいけど」
 廟の前に座り込んで、ナターシャからの朝ごはんを、神竜と一緒に食べた。
「それよりさ、この前のことだけど。あれ、本気?」
『冗談を口にすると思うか? 私はそれほど暇ではない』
「そうだけど、でも正直言って自信なくて。だって、修業始めてからまだ一年しか経ってない。力の制御も不十分。それなのに、なんで?」
『お前を気に入ったからだ。全てにおいて風変わりなウィラウスのことだ、きっとおもしろいことになるだろうと』
「娯楽の一環にするなってば、もう。そんな不真面目でいいわけ?」
『私はいつでも本気だ』
 顔は笑っていても、目はマジだった。
 水色の髪が、肩を撫でる。
 水を形にしたような色。
「神竜の髪も変わってるよな。この色」
『私は人間ではないからな。髪の色くらい自由になる』
 真面目に言ってから、今度はぽつりとつぶやいた。
『気になるのか?』
 ウィルは返事をしなかった。神竜が勝手に話を進める。
『魔族の色ごときで人間が変わるものではない。確かに運命は多少左右されるかもしれないが、才能は別だ。ウィラウスは上手にその才能を開花させただけのことだ』
「けどさ、生まれてきてから十四年とちょっと、ずっと言われ続けるこっちの身にもなってみろよ。今じゃいちいち反応するのも面倒くさいけど」
 ずいぶんとひどいことまでされた覚えがある。
 そのたびにウィルは泣いていた。
 そして強くなった。
 苛めた奴らを叩き潰すために、昼夜を問わず鍛練に励んだ。手の皮が捲れるほど素振りをした。マメが潰れるほど剣を握り締めた。
 そのおかげでもうすぐ免許皆伝。
 その後は師範にでもなるのだろう。
 祖父が兄の廃嫡を企んでいることは知っていた。
 しかし、ウィルはそれを本気にはしなかった。そして、もし当主という座が回ってきたとしても、断るつもりでいた。
『器を私は認めるのだよ。お前のことだ。あと半年もすればナターシャに追いつくだけの力は持っている』
「けど」
 戸惑ってしまう。
 果たして自分は器の大きい人間だろうか。
 家に居続けることが億劫で、逃げ出すきっかけを作るために魔術の修業にまで手を出したと言うのに。
『私はお前に託したいのだよ、ウィラウス』
「俺に? 一家の−いや、国の大事を俺に任せるようなもんだけど、それって。危険すぎない?」
 魔術を志す者にとっての最終点。
 『魔導師』の称号を得るための鍵。
 だが、ウィルにとっては通過点に過ぎない。彼を待つものは、そして彼の望むものはその先にある。世界の魔族を束ねる四人の王。その中の北の魔王に、ウィルは会いに行こうとしている。
『これから先、魔族との関わりが多くなる。魔王と会うのならば、なおさらだ。力のない人間なら、見ただけで消される。ヤツと対等になるのであれば、それなりの力が必要となる。むろん、私はそのきっかけを与えるだけに過ぎない。お前のあり方で力は大きくも小さくもなる』
「神竜は…」
 後悔をしないのだろうか。
 国家を守る立場の家に生まれた、魔の子供を気に入ってしまったことを。
『後悔など、どうして?』
 認めた存在であるならば、それが人間だろうと魔族だろうと関係ないと言った。
「ありがと。俺のこと本当に認めてくれるのは神竜とナターシャくらいだよ。ここにくると気が休まる。あんなピリピリした家はもう十分だ」
『愛しい人がいるのではなかったのか?』
「ああ、シルヴィアのこと? 好きだけどさあ、兄貴の彼女。ま、関係ないけどね」
『だったらあきらめて守人になるか? ナターシャと共に』
「まさか。神竜の大事な守人、一人で十分でしょ。おじゃま虫は要らないって顔してる」
『おもしろいな』
 クスリと神竜が笑った。
「……わかったよ。一族の守り神の誘いを断るなんて罰当たりなこと、俺にはできませんよ」
『よく言う。その守り神と気軽に話をするのは誰だ?』
 二人同時に顔を見つめ、笑いあった。
 出会ってすぐに打ち解けた。
 こんなことは自分にしかできないと、ウィルは思っていた。

             *            *

 神竜は変わり者だと思う。
 人間じゃないから−そう、本当は人間のことなどこれっぽっちも考えなくてもいい存在なのだ。それなのに彼は、わざわざある一族の守り神の立場に納まった。
 彼らの守護をし、力を与える代わりに、神竜は相応の捧げ物を要求した。それは自分を祀る廟であり、守人であり、守人が持っていく「ごはん」であったりする。
 こんな神など、変わり者だ。
 その点では自分も同じ。
 自分は他人とは違うのだと知ったときは、本当に自分を見失っていた。周りは−特に ウィルをライバル視する輩にとっては、ウィルは恐れるべき存在ではあった。
 こんな外見に生まれてしまったことは自分のせいではなかったから、悔しさの捌け口がない。まだ自分の侵した罪であるならば、どれほど気が紛れたことだろう。
『あなたは何も悪くないわ』
 母親は、そう言って息を引き取った。
 魔王に愛されてしまったことを、彼女は少しも後悔はしていないようだった。夫との間の子供が魔王に気に入られても、取り乱すことはなかった。
『ごめんね』
 そればかりを繰り返していた。
 悪いのは誰?
 いや、悪者は…………いるのか?

             *            *

『次の満月の夜、家を抜けてくるがいい。準備はナターシャにさせておく』
「わかった」
 これから自分が背負うものは、決して楽なものではないことくらいわかっている。『魔導師』は魔術師として名誉あるものではあったが、反面、重責だった。
『深く考えることはない、ウィラウス』
「神竜…」
 呪ワレテイルと、何度言われたことだろう。
 人とは違う外見のせいで、どれほど傷ついてきたのだろうか。
 気にしないそぶりではいたが、苦しかった。
 窮屈な生活。
 逃れられない血の呪縛。
 この身に流れる古の理。
 全てを受け継いでいる一族。
 その一族の中に生を受けた、魔の子供。
 俺は許される存在なのか?
 疑問だけが押し寄せてくる。
 そんなとき、ナターシャが鍵を手渡してくれた。
 神竜が導いてくれた。
 生まれ持った力を有効に利用すること。
 それが自由への第一歩。

             *            *

 人型をとっていた彼の姿が、突然消え失せた。
「光の中の闇よ、闇の中の光よ、我が声を聞け。古の王よ、世界の理よ、我が力を認めたまえ」
 ウィルの声が、森に響く。
 真暗な空。
 稲光に写し出される、神竜の姿。
 ウィルの知っている彼の神と同じ色の鱗。
 透き通るその一枚を、神竜は宙に放った。
『魔王の力を持つ子供よ。そなたの力を、ここに認めよう。世界の鍵を解け、闇を支配せよ、光を操り、そなたの全てを我に捧げよ。古より伝わる時の流れの一部を、そなたに預けよう』
 神竜の言葉と同時に落ちてきた鱗。
 ウィルの真上でそれは光の螺旋に変わる。
 彼を包み、力を増幅させる。
 すべてが終わるまで、それほど時間はかからなかった。
「おつかれ様、ウィル」
 ナターシャが冷たい飲物を差し出してくれるまで、ウィルは野原に立ち尽くしていた。
「どう? 感想は」
「すっげえ。自分が自分じゃないみたい。今までの俺の力とは全然違う」
 自分とは違う何かが入り込んできた感じ。
 内側からあふれ出す力が大き過ぎる。
 これが古からの力。
「そうね。あ、でもまだまだ不安定だから。それをちゃんと固定できて一人前だからね。それまでは油断した駄目よ。すぐに力は消えていくから」
「わかってる。ナターシャ、色々とありがと」
「お礼はいらないわ。神竜さまの言葉に従っただけだもの。それよりあなたの成人式のことなんだけど……」
 ちょっと気になったとこあったんだけど。



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