星蒼矢さんの作品です。
まさに現代の学校、家庭を風刺した作品です。
そして、物語は発展していきます。


 月明かりの青春 (1)

 白い毛並み、つぶらな瞳、愛らしい尻尾。

 “僕が僕であること…”
 こざっぱりとした部屋で寝転がっていた昌明はその姿勢を取ってから母親が入ってくるま での間、ずっとそのことを考えていた。
「ああ、母さん」
  昌明は反射的に体を起こすと薄暗い中にぼんやりと浮かんだ母親の影に目を向けた。
「昌明。勉強なさい」
「ああ、わかってるよ」
  昌明は口で返事をすると体で机に向かって見せた。しかし、彼の頭は未だに答えの出ない考えにとり憑かれたままであった。
 勉強しなければならないことはわかっていた。中学校まで常にクラスのトップに立って いた昌明が高校に入学して、順位が二十番以上も落ち込んだ事は彼にとって相当のショッ クであった。
「頑張りなさい。今度は一桁よ」
  母親は素直でいい子の息子を叱咤激励し、自分の良妻賢母を満足に思うと部屋を後にした。
“僕が僕であること”
 だが、昌明の問題は一向に解決に向かおうとはしていなかったのであった。

 彼がそいつを見つけたのは、学校の帰り道だった。ふと、聞こえてきた小さな声に誘わ れて、公園の木の下でそいつを見つけたのだ。 それが、そいつと彼の出会いだった。


 昌明は窓際一番前の自分の席に辿り着くと、背負ってきた荷物を投げ下ろした。衣更えが終わり教室は白一色に染まっている。時折の風がその色をかき混ぜていった。
「一時間目は英語か」
この学校に入学して、一ヶ月。昌明もだいぶ学校には慣れてきた。しかし、進学校であるが故の塾じみた雰囲気の中で、昌明は一人でいることの方が多かったのである。
「おはよ。ねぇ、英語の予習ノート見せてく れない?」
そう声をかけてきた優梨子はそんな昌明の数少ない話し相手の一人だった。
「僕のでよかったらどうぞ」
昌明は投げ出した鞄からノートを取り出して快くそれを彼女に手渡した。
「ちょっと借りるね」
昌明は彼女の最後の言葉を聞き流すと、太陽の光が降り注いでいる中庭に目を向けていた。

 彼は初めて出会ったそいつに思いを巡らせ た。
「そうだ。ウィルって名前はどうかな?」
彼は段ボール箱に入っているウィルを抱き上げて頬に摺り寄せた。彼の真っ白な毛並みが泥で汚れているのがわかる。捨て犬であることは一目で判断できた。
「ちょっと、まってろよ」
彼は、ウィルに言い残して、その場を一時あとにした。

 一時限目の英語は昌明にとって難しい内容 ではなかった。
「今朝、ありがとね」
「困ったときはお互い様さ」
昌明は優梨子に話し掛けられそう答えた。それと同時に、どうしてこんな簡単な予習がやって来られないのか不思議にも思ったのだ。
「眠そうだけど、夕べは何やってたの?」
「部活だよ。演劇部なんだ」
「なるほどね」
昌明はそれ以上尋ねるのを止めた。彼の疑問は全て解決したわけではないものの、彼女は勉強よりも部活を重視しているのだと理解したのである。
“なら、部活やっていない僕の方が成績は良くなければ”
彼の中で、それだけははっきりとしていた。

 彼はプラスティック製の皿にミルクを注ぐ とウィルの鼻先へと押しやった。そして、ウィルがそれを飲んでいるのをしゃがみこんで 眺めていた。

 部活もない友達も少ない昌明にとって学校が勉強するためだけの場所であったのは仕方のないことであった。
「冗談じゃないよ」
昼休みを迎えた昌明は中学校時代からの知人と言うべき瀬川淳と話をしていた。
「だいたい、先週の火曜日が実力で、来週が期末ってのはひどいぜ」
昌明は表面には呆れた顔を作って見せた。
「ああ、勉強やってないしな」
「やらなくても取れるお前はいいな」
淳は勉強していないという昌明に疑いの目を向けた。
「僕は、部活入ってないから」
淳は昌明のそんな答えはほとんど聞いてはい なかった。

 ウィルのつぶらな瞳に彼の情けない顔が写っていた。その純真無垢な瞳が深く、自分を吸い込んでいくような気さえしていた。

 昌明の通っている学校は老朽化と金欠に縛られていた。それは、校舎の外から見るとあまりに、悲しすぎるほどであった。
「僕が僕であること」
午後四時というただでさえ人の少ない時間に その日、彼はさらに人通りの少ない道を選んで下校していた。頭の中で旋回している言葉について考えなければならないのだ。だが、 昌明には答えを出す自信がなかった。それは、今まで当たったどんな問題集にも載っていなかった。
「くそ、今大事なのはテスト勉強だっていう のに…」
昌明は、いかに自分がこの問題に時間を取られているか思い知らされる思いだったのだ。

「ウィル。お前を家で飼えるといいんだけど」
そういう彼をウィルはミルクから目を放して見つめた。そして、再び何事もなかったようにミルクの皿に顔を突っ込んだのだった。

 駐車場の車で父親の帰宅を知った昌明ははずむような足取りで扉を開けた。彼は父親が好きだった。
「おかえり」
昌明が予想していた通り父親は台所で包丁を握っていた。やせていて背が高く癖のない丸めがねをかけている父親は、一見すると小説家や教師に見もみえてしまう。昌明はそんな父が役所に勤めていることぐらいしか知らなかったのは、父親は昌明に仕事のことをほとんど話さなかったからであった。
「これ、釣ってきたの?」
父親の釣りの腕は逸品だった。
「いや。うん、もう一度行っておきたいなぁ」
昌明は瞬間、父親がどこか遠くを眺めているような気がした。
「学校は楽しいか?」
昌明が詮索する前に父親は話題を変えた。その内容に昌明は即答できなかった。
「喧嘩なんかはないか?」
昌明は小さくうなずいた。
「うん。これからいろんな衝突があるだろうが、自分の正義を貫くことを忘れないでくれ」
昌明は父親との言葉のキャッチボールを楽しんだ。そこに二人だけの空間が流れていることをかみ締めながら。
「ただいま」
機嫌のいい母親の声が家に響いた。昌明は、父親がいるときは母親も機嫌がいいことを知っていた。みんな、父親のことが好きだったのだ。

 彼の予想した通りに、母親の反対でウィル を飼ってやることはできなかった。
「ごめんな」
彼は、ウィルに謝るとウィルをここで世話してやることを密かに誓ったのであった。



ご意見、ご感想は「Free Board」へどーぞ!

2000.06.06


Topページへ