Twilight Dimension(1)
〜プロローグ〜
塵、ガス、そして、光。広大な宇宙に散らばる無数の星。人々を魅了し、美しく、夢を与える銀河。それらは、冷酷なまでに確実に時を重ねて行く。
その片隅の、小さな星の、小さな島国の、小さな街の、小さな家の、小さな部屋…。その一瞬のとき…。
少女が泣いていた。声を押し殺して…。
その部屋は雑然としていておよそ彼女にはにつかわしくはない。テーブルには、新旧をとわず様々な辞典や書物がならべられている。その本の間に真新しいコンピュータが画面を見せていた。
彼女はその本が積まれたテーブルの前にペタンとおしりをついてた。その手には古びた赤い表紙の手帳がに握られている。
手垢でよごれ、壊れかけた手帳…。
「お、お母さん…」
嗚咽に交じった彼女の声を聞いた者はいない。
「ワタシ、ワタシ、どうしよう…。ワタシはどうしたらいいの?ねぇ、お母さん…」
涙をぬぐおうともしない彼女の目の前で、無機質なコンピュータはさっきまでと何も変わらず、無言で「Twilight Dimension」と記している…。
少女は知っていたのだ。やがて、宇宙の一瞬が動き始めることを。
そして、その文章の結末に彼女が書き込むべきことを…。
〜決断〜
僕は桑折良子には二度と会えないと覚悟を決めた。けれど、僕は彼女との約束は破るつもりは毛頭ない…。例え、何十年かかろうとも。
夕日。街という野原の向こうのささやかなビルに引っかかるように揺れている夕日。そんな夕日に教室が真っ赤に照らし出されて、なんだか幻想的な雰囲気だ。
「はぁ…」
僕は窓際の誰かの机で頬杖をついていた。思わずため息がでる。前に、ため息の数だけ幸せが逃げる、ってそんなことを同じクラスの志緒が言っていた…。なんてことを無造作に思い出したりする。
その幻想的な雰囲気にももう、飽きた。この「長い」三十分間、ずっとそればっかりを見てたんだからしかたがない。
その日、ちょうど部活は休みだった。
「進路面接の時間だがどうする?」
という担任の藤畑先生に
「それじゃ、六時ごろお願いします」
なんて言ってしまったのだ。
ついこの間、担任から大学への推薦入学の話があった。とはいえ、そんなこと考えても見なかったから、どうにもこうにも応えようがない。
そんな僕の状況をわかってくれたんだろう。先生がその辺の説明をしてくれるんだそうだ。
今のところ、これが、僕の悩みというやつだ。さすがに大学入試となると簡単には行かない。
四時半か…。
僕は時計に目をやってみたが、さっき見たときと、針の位置はほとんどかわっていない。不思議なもので部活がないとこうも時間のたつのがゆっくりになる。
時間はありあまるほどある。でも、することは何一つない。さて、これからどうしようか…?
僕は鞄を掴むととりあえず立ちあがった。このまま教室にいても面白くなさそうだ。僕はつらつらと歩き回って、結局、図書室へ向かった。どうせ暇なら図書室で読書と言うのも粋でいいかもしれないと思ったからだ。
それに、最近新着の図書をいれたって話で、友達が冗談半分でリクエストした「バイオハザードのサバイバル方程式」なんていうわけのわからない本を試してみるのも悪くない。
教室を出て、中央廊下にある階段を上る。校舎の北に慎ましく広がるグランドから僕達陸上部を除く運動部の掛け声が聞こえてきた。
野球のノック、サッカーのホイッスル、空手のランニング…。
これもまた不思議なものだが、練習中はあんなに辛いのに、いざ練習がなくなるとまた、練習がやりたくなってくる。
図書室は北校舎の五階にあった。五階は主にクラブハウスになっているが、北校舎の西側半分が広々と教室三つ分とった図書室になっているのだ。
蔵書数もそこそこあるらしいが、いかんせん学校の図書室だ。古い本も多くて管理がいきとどかない。本を探すのに時間がかかるのが欠点だろう。
僕はあくびをかみ殺しながら、図書室の扉を開けた。入り口付近に司書室があって、奥には本棚、中央に並ぶ机では主に三年生が勉強をしていた。その中の一つで一番窓際の席に、僕のよく知った顔があった。
というより、僕が目のすみで彼女を探していたから見つかったのだろう。よく彼女がここに来てることは知ってたからだ。
桑折良子。
中学時代からの友人だが、実は、僕は彼女に憧れていた。勉強も運動もできるし、ライバルは多かったろうが、彼女はどうあってもシングルだった…。
志緒に言わせると彼女のように頭のいい人は高い理想を持つ事が多いんだそうだ。ホントかどうかは知らないが、ありそうな話だ。
ところが、少し聞き耳を立てれば誰が誰を好きだとかそうじゃないとか、特に彼女みたいに男女共々に人気がある人なら、そういう噂がありそうなもんだが、彼女にはそれすらない。
だからってわけでもないが、一部じゃ彼女は「かぐや姫」でじきに月に帰っちまうんだなんて噂のほうがたったぐらいだ。
ようするに取れない葡萄といっしょでフラれたヤツのいいわけってところだろうか?
実は不純な動機だが、僕がこの学校の、しかも陸上部に入ったのは彼女のせいなのだ。なにしろ、僕は中学までは水泳部で、陸上とは無縁だったのだから。
僕は窓際の彼女の席に近づいた。彼女の机にはノートが広げられていた。
秘密のノート…。
良子はよくそのノートを広げて考え事をしていた。けど、その内容を誰にも見せようとはしないし、もちろん、僕もしっかり見たことはない。
僕は彼女のノートが気になったていた。なんというか、その、「彼女の」というのじゃなくて、そのノートそのものが気にかかったのだ。
たまに、今日みたいにほんの少しだけ盗み見するが、どうも宇宙やら相対性理論やらの勉強をしているらしい。
彼女がどうして、そのノートの中身をひた隠しにするのか、その理由に至っては見当もつかない。
「よぅ」
僕は彼女の後ろに回りこむと肩を叩いて挨拶した。
「ひゃっ」
彼女は飛びあがると僕の方を振り向いた。
「なんだ、木田君か…」
木田、木田正平。それが僕の名前だ。けど、「なんだ」ってのはちょっと残念かな…。
「何やってた?浮かない顔してたぞ」
「ん?なんでもないよ」
彼女はそう言いながらさっとノートを閉じた。中学時代から彼女を知っているが、彼女がこのノートを開けてるとき、彼女がそのノートを作り始めたのは、ちょうど高校に入学したころだったかな、は決まって浮かない顔をしていた…。
「ま、何でもないならいいんだけど」
僕は肩を竦めた。まさか、詮索はできない。本当のことを言うと、彼女の悩みの種と言うやつは知りたい。そして、できることなら手伝ってやりたい。だが、詮索しすぎたら、それはまるでストーカーだ…。
「ねぇ…」
突然、しばらくの沈黙を破って彼女が節目がちに僕を見上げたから僕はドキッとした。
けれど、その彼女の瞳がちょっと赤くなっているのを見てハッとした。もしてかして、泣いてたんじゃ…?
「もし…」
彼女のその一言だけで、僕はグッ押し黙らされてしまった。何かを考えていたはずなのに、それらを全部忘れて、彼女の次の言葉を待つ…。そうさせる力が彼女の一言にはあった。
僕は何を言われるのかドキドキしながら聞いていたが、焦らしているのか、いいにくいことなのか、多分後者だとは思うけど、彼女はそこで言葉を切ってしまった。こうなると彼女が次に言おうとしていることが非常に気になる。だが、僕はあえて彼女が続けるのを待った。
「もし、突然、私がいなくなったらどうする?」
彼女のこの言葉に僕は言葉を失った。きっと間抜けな顔で口を開けて突っ立ていたことだろう。
というか、一瞬何を聞かれたのかわからなかったほどだったのだ。だって、そうだろう?あまりに唐突な質問じゃないか。しかも、彼女には意外な質問だったのだからだ。
彼女は大抵のことは自分でやってのけたし、努力も怠らない。いつもは前向きなところしか他人にみせないから…。
その彼女が僕に…。
そう考えると嬉しくないこともない。
「そりゃぁ、白馬に乗って探しに行くさ」
僕はそう答えたが、言葉は尻すぼみになった。彼女ににらみつけられたからだ。
「本気で答えて」
今の言葉は嘘じゃない。でも、でもだ…。僕は考えた。考えざるを得なかったんだけど…。やっぱり答えはでない。
嘘じゃない僕のこの言葉に、彼女の本気に応える力があるか…?
「探しに行きたいな…」
僕は自分でも自分の言葉に自信がないことをよく知っていた。
ただ、はっきりしているのは、僕はきっと探しに行くだろうって事だ。
僕はなんだか不安になった。ああ、もし僕に彼女ほど毅然とした態度が取れたなら…。一体、こんな僕を彼女はどんな風に見てるんだろう?
しばらくの沈黙があった。
「でもね…」
彼女の目がグッと厳しくなるのがわかった。もちろん、さっきまでも真剣な目だったけど、それとは別の厳しい目だ。
「でもね。そうなっても、私を探さないで…」
「え?」
僕は頭をガーンと殴られたような気分だった。
「もし、そうなったら、私のこと、忘れて…」
「良子…?」
言葉が脳にしみ込んでくるとさらに痛かった。
「だって、そうじゃない?引き際も肝心なんだから…」
僕は、彼女に好かれているという自信はなかった。けど、嫌われていると思ったことはなかった。だから、彼女のこの言葉は酷く痛かった。
これは、フラレたってことか…?
「お前…」
いいかけたけど、言葉なんて出てこない。引き際も肝心だと言う彼女に僕は一体何を言ったらいい?
心臓が悲鳴をあげている。
「そう、かもな…」
………。
………。
………。
僕は唇を噛んだ。今の今まで何か誤解をしてたんじゃないのか?そんな思いがしてきたからだ。
今のままとは言わない、でも、いつか、上手く行くことがあるかもしれない。そんな風に思っていた。それは、間違いだったのか…。
彼女にとって、僕は友達でこそあれ…、いや、本当に友達だったのか…?そんなことにさえ、疑問がわいてくる。一体、僕は彼女に何ができる?何をしてきた…?わからない…。
しばらく、一人で考えたい。心臓の音が静まるまで、しばらく、静かにしていたい。
「帰るのか?」
僕は曇って行く自分の顔を誤魔化すように口調を変えると言った。
「うん…」
僕は鞄にノートと筆記用具を詰めこんだ彼女の顔を見た。夕日が当たってシルエットになっている。なんだか眩しかった。
だが、彼女の返事はどこか物悲しかったように思う。
「それじゃな」
僕の挨拶に彼女は軽く会釈をすると図書室を出ていった。
僕はたった今まで彼女が座っていた席に腰を下ろすと、進路指導でなんというか考えはじめた…。
そう…、今日のことは全て忘れよう。いや、今日までのことは全て…。そうすれば、また、みんなで楽しくやっていけるかもしれない…。
でも、頭に浮ぶのは、たった今の良子のあの厳しい表情だけだった。あの、表情がどうしても頭から消えない。早鐘を打つ心臓がどうしても落ちつかない。
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