〜手紙〜
ワタシは二通の手紙をポストに入れた。ワタシの後始末を彼らに託すほかない…。それでもワタシはまだ決心がつかなかった。これから戦場に向かわねばならないというのに…。
〜夜の学校〜
良子はよくできた高級料理みたいなやつだ。はっきり言って彼女にはかなわないかもしれない。だが、欠点はある。それは高すぎるってことだ。
「ウラ!」
拓斗の突きが俺を襲った。
「くぬ」
俺は何とか体制を整えるとカウンター気味に攻撃をし返した。ダメだ…。完全に反応が遅すぎる。明らかに向こうの勝ちだ…。
「おっと…」
俺が攻撃を止めたんで向こうは肩透かしをくらったんだろう。拓斗は何とか手を止めた。
「どうした?」
それから何を思ったか訝しげに俺を見る。
「いや、俺の負けのようだ…」
どうしたもこうしたもない。アレは確かに俺の負けだ。アレを打ちぬいて勝ったとしても、俺にはとっては何の意味も無い。結局、俺じゃ拓斗にはかなわんか…。
「おめぇよ、そこまでしてオレに負けたいのか?」
突然、彼は口を尖らせた。負けたい?そうじゃない。ようは本当に俺が強いかどうかだ。負ければ、俺がそれだけの男だったってだけの話だからな。それにしても、
「どうだっていいだろ?」
俺は嘲笑した。勝ちにこだわる?一体これまでの歴史の中でどれだけの人間がそうしてきたと思っている?そして、その為にどれだけの人間が不幸になってきたか?
「そりゃ…どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。勝ちが全ての世界で人が楽しくやれると思ってんのか?」
だいたい、争いなんてなきゃいい。勝ちも負けもなきゃいいじゃねぇか。そういうところが気になってるから、戦争がなくならない。
どんなにがんばったって、人間が自然にかなうはずはない。人間なんてそんなちっぽけな存在だ。人間なんてのはこうも愚かな生き物なんだよ…。
「生き抜くってことは勝ちつづけることだろうが!」
「ナンセンスだね。もはや、人類が地面にはいつくばってる時代は終わったんだ。もう、これ以上、何をねだるってんだ?」
どうして、この男はその過ちに気づかんのだ?勝負に勝つことにどんな意味があると言うんだ?
「だいたい、自分に勝てない人間が他人に勝てるか?もう少し冷静でいろよ」
熱くなりすぎるのはかえって身を滅ぼすことになる。心頭滅却、明鏡止水が大事だ。小事に左右されるほどの精神じゃ話にならん。
「別にカッとなってるわけじゃねぇ。お前が冷静過ぎるんだよ」
わかってない。それがカッとなるっていうんだ。
「って、話をはぐらかすな。どうしてお前はそこまでして負けようとする?なぜくだらないと言い切れる?」
俺はその理由を口に出そうとして行き詰まった。なんと言えばいい?この感覚をどう表現すればいい?
そもそも、一度だって負けようと思ったことの無い俺をヤツはどうしてそう言うというのだ?
ヤツが悪い人間でない事は認めよう。だが、俺の人生の中でヤツほど粗野で原始的な男には会った事がないといって過言でない。
しかし、わかってもらえないのか?この感覚は…。
「別に負けようとしているわけじゃない。ただ、そこまで勝ちにこだわる理由がないだけだ…」
俺は言い返した。どうせ、この感覚は拓斗にはわからない…。
「だいたい、格闘技のルーツはサバイバルだろう?勝たなきゃ意味ないだろ?」
それは違う。そもそも誰に勝つという?拓斗はときどきこうして勝ちにこだわるあまりに自分が見えなくなることがある。それで俺達部員がどれだけ迷惑してることか…。
「俺はただ自分を鍛えたいだけだ…」
俺は付け加えた。そうだ。何も勝つだけが人生じゃない…。もっと、他にも大切なことが…。
「今日はもう終わりだ」
拓斗は半ば投げやりに練習を終わらせた。時間が迫ってる。そう言えば、前に怒られたとかなんとか…。あの拓斗が言うほどだからよっぽどやられたんだろう…。
俺は道場のすみに申し訳程度についている我が部室、の男子更衣室、に詰め寄ると空手衣をハンガーにかけながら考えた。
しかし、強くなるより大切なこと…。それってなんだ?俺は本当にこのままでいいのか?なんか、俺って物足りなくないか?
いや、俺は自然体でありたいんだ…。
「それじゃ」
俺はそんなことをボチボチと考えながら部室を後にした。
ヤツにはヤツの考えってのがあるんだろう。俺はそれに口出しするほどお人良しじゃない。ただ、それだけのことだ。俺はこの話し合いに結論をつけると、考えを切り替えることにした。
とりあえず、今日の夕食のメニューを考えよう。料理ってのはいい。人を裏切らないし、心も体も満たしてくれる。
昨日は肉料理だったから、今日は魚料理にするか…。鯵を焼くか鯖を煮るか。その辺りは買物によって決めるのがいいだろう…。味噌も残りが少なかったか…。
武道場の下駄箱で靴を履き替え、自転車置き場に向かう途中で俺は気がついた。
「明日は英語の小テストか…」
わかってくれる人も多いだろうが、俺はその小テストのテスト範囲のテキストを教室のロッカーに入れっぱなしだったのだ。
そもそも、俺は学校の勉強ってやつにおもきを置いたことがない。全くの無駄だとはいわないが、無駄にしているヤツが多い。テストの点数にどれだけの意味がある?空手のジャッジと同じ程度の意味しかない。
大事なのは、自分が本当にそれを理解しているかという事実であって…。いや、点数をとっていない俺が言っても、ただのいいわけか…。
しかたない、テストの前日の夜くらいは勉強しといた方がよさそうだ。俺は腕時計を確認した。八時までまだ若干の時間がある。この時間なら頑張れば取りに行ける…。
俺は昇降口で上履きにはきかえると三階にある二年六組の教室にダッシュした。そうしながら、俺は思わず苦笑いした。
あれだけのことを言い切っておきながら、なんて言うざまだ。まったくなっちゃいない…。自分が言ってることのどれだけが俺にはできるんだ…?
辺りは真っ暗でさすがにもう学校に残ってるヤツはいなかった。もちろん、当然のことといっていい。夜の学校ってのは不気味だ…。何もいなくったって何かいるような気にさせる…。
「肝試し」にはもってこいなんだそうだ。怖がりな女の子なんかは本当に怖いだろう。
それに、もう少ししたら日直の先生が見まわりに来る。こっちの方は見つかると厄介だ…。
俺は絶対に誰かとぶつかることの無いと言い切ってもさしつかえのない廊下を全力疾走すると自分の教室に滑りこんだ。もちろん、最初にするのは電気をつけること…。怖いってわけじゃない。そもそも俺はその類の話を一切信じちゃいなかった。
幽霊やら超常現象やら、あのへんの多くは「何かありそうだ」という人間の心理が見せる一種の幻覚だ。
俺が電気をつけたのは、ただ、ロッカーの中を捜すのにそっちの方が便利なだけだ。そもそも、もし仮にそんなヤツがいたとして、そいつが人間だろうが怪物だろうが、人を羨んで出てくるんなんてのはかわいそうなだけだの存在だ。
俺はロッカーの中に首を突っ込むと英語の問題集をあさった。
くっ、ロッカーの中がぐちゃぐちゃでどれがどれだかわからん。辺りに道具をばら撒いてまだあれこれ探している猫型ロボットの気持ちがわからんでもない…。
「太一君…」
「うぎゃっ」
俺は突然声をかけられて思わず変な声を上げた…。なさけない。
俺が振りかえるとそこに立っていたのは桑折良子だった。
ホントの意味で頭のいいヤツってのは多くはない。が、彼女がその部類である事は簡単にわかりそうなもんだ。話もわかる。授業中まれによこすヘルプも絶妙なタイミングだ…。
が、言わせてもらえば、余計なお世話が多すぎる。そもそも、授業中にヘルプされる状況にあるのがまずいんだ。それをわざわざヘルプする必要はない。叱られようが、授業に遅れようが、それは本人の問題だ。
が、彼女は敢えてヘルプするのだ。そういう意味で彼女は甘すぎる。
前に、彼女にそのことを言った時、彼女は 「そんなことで、授業が遅れるのが嫌なだけだよ」 なんて言っていたか…。
彼女は点にこだわって机で寝てるようなガリ勉ではないらしい。
その良子を見て俺はドキッとした。彼女は少し俯き加減でちょっぴり悲しそうな表情で俺を見ていたからだ。そのスラッと通った鼻立ちが、妙に青白い。
まるで幽霊…。しかも時間が時間だ。俺は基本的にその類は信じないと言ったが、良子にはそれを思わせるぐらい鬼気迫る何かがあった。俺はその彼女の様子に圧倒されてしばらくそこに立ち尽くしていた。
ところが、その良子のほうもドッペルゲンガーでも見たように俺を見たまま動かなくなった。
「何やってんだ?」
俺はやっと声をかけた。あんまり黙ってられるとマジでやばいんじゃないかと思えてくる。
「うん…。太一君。早く帰った方がいいよ…」
どうしたんだ?良子の様子がどこかおかしい。
「そりゃ、お前も同じだろ?」
彼女が唇を噛むのがわかった。 ………?
「私、ちょっと用事があるから」
用事…。夜の学校に?女の子が独りで用事?俺は今日こそ良子が嘘下手だと思ったことない。用事があるなんて、何かありますって言うときの代名詞だ。
「ふっ。好きにしろ。だが、俺もここにいさせてもらうぞ」
別にたいした問題じゃない。彼女がこの学校で何をしでかすのか?それが純粋に俺の興味を引いただけだ。
少なくとも、何か面白そうなことをしでかす事に違いはなさそうだ。普段なら気にせず帰るところなんだが…。
まぁ、実際に、このお蔭で俺は貴重な体験をすることになるのだが…。
「お願いだから…早くここから逃げて」
しばらくそこで俺を見ていた良子だったが、急に涙目でそう訴えた。
逃げる?誰が見たって良子は混乱していた。だいたい何からそんなに慌てて逃げる?先生からか?違う。だいたい先生から逃げるのなんて造作もないことだし、そんな涙声で訴えるようなことじゃない…。
ついに良子が「壊れた」かと思った。真面目な優等生ほど壊れやすいと聞いたことがあったが、まさか良子が…。どうも信じられんが人間なんてそんなもんかもしれない…。
「なんだ?世界が滅ぶってのか?」
俺は冗談交じりでそう言った。ま、世界が滅んじまったら逃げ場なんてないんだだろうがな。
「そう。そうかもしれないの。だから、とにかく早くここから出てって」
彼女の言葉は少々乱暴だった。だが、俺はここから出て行く気はなかった。もちろん、彼女の言うことが真実に未来であってもだ。そもそも人間なんていつ何が起こるかわからないんだ。
だから、自然が一番いい。おそらくは。
しかし、彼女はまるで更衣室に忍び込んだ変態に桶でも投げつけるように、俺の腕を強く引っ張った。その拍子に持ってた英語の参考書が落ちた。
が、今はそれどころじゃない。彼女の言動は明らかに常識はずれだ。少なくとも俺には、彼女の言葉が真実に未来だとは思えない。
「おい、少し落ちつけ。それじゃわからん…」
俺は彼女の肩を掴んで軽く揺すった。思ったより彼女の肩は細かった。良子はそれにビクッと体を震わせて俺を見た。
「何が起ころうが俺には関係ないし、逃げたければ一人で逃げろ。だが、俺は何かが起こるとは思えない」
何が起ころうと俺はかまわん…。
それは彼女の忠告を聞かない俺の問題だ。だが、彼女が俺のその判断に付き合う必要はない。彼女自身がここを危険と判断したなら、当然、立ち退くべきだ。
もちろん、彼女の言動が気にならないと言えば、嘘になるが。
「良子…。何があったのか順を追って説明…」
俺がいいかけたとき、その何かが起こったことを俺は知った。地震だ…。それもかなり大きなヤツだった。
〜インパクト〜
最初はカタカタと小さな音が聞こえてくるだけだった。丁度、やかんの蓋が躍り出すときの音に似ている。
この、何か予兆じみた不可解な感じをきっとみんなも感じていたに違いない。もちろん、ワタシがそのみんなの存在を想像していたわけではないけれど。その正体はワタシだけが知っている。
ワタシは振動を感じた。それは、ゆっくりとだが、確実に大きくなっている。小刻みなリズムはますます早くなっていく。窓の外は凍るように青白く、または、不気味なほど赤黒く刻々と変化を続け、渦を巻いていた。きっと、時に人を容赦なく飲み込む渦や竜巻だってここまで恐ろしい形相はしていないだろう。
ワタシはただ、呆然としているほかなかった。この異様な空間の中に青白い閃光がほとばしった。そのたびに、静電気の刺激がワタシ達を鞭打った。それは、徐々に高まり、ワタシは僅かな浮遊感を感じた。目が回っただけなのか、本当に地球の重力が減ったのか、ワタシにはわからない。ただ、ワタシは
来た!
と思った。刹那、ズーンとお腹のそこに響くような振動が走り、ガタガタと揺れていた教室が瞬間的に浮き上がった。ワタシは思わず壁に手をつき、それが精一杯だった。
ワタシはこうして何の状況の改善もできずにインパクトを迎えた。しかし、これは全ての、始まりでしかなかったのだ。
今、ワタシは覚悟を決めねばならない。あの時の、最後の一行をワタシは今から綴らねばならない…。
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