〜異変〜
突然周りの空気がピンと張り詰めたようになり、ピリピリと肌を打ち、天と地が入れ替わったような感覚…。それで、俺はあっという間に地面に這いつくばっていた。バランス感覚には自信があるが、俺はあっさりところばされたのだ。
その地震もそんなに長く続きはしなかった。もっとも、これが長く続いてたらまず間違いなく俺達は瓦礫の山の下にいることになる。俺は今程度の地震でさえ、この学校が崩れなかったのが不思議でならんほどだ。
「良子、大丈夫だな?」
俺は自分が立てることがわかると良子に声をかけた。
「うん、大丈夫」
しかし、この女は何を考えているんだ?自分で危ないと言いながら、自分は逃げないとは…。
「おい…」
「ん…?」
「お前、俺がいたから逃げなかったのか?」
もし、そうなら、こいつは途方もないバカだ。
「違うよ」
そうか…。
しかし、ますますわからん。彼女は何故、一人ででも逃げようとしなかったのだ?
そして、実際にこうして地震が起こったというのがまた驚きだ。一体どういう仕掛だ?俺には彼女に地震を起こす力があるとも、未来を予測する能力があるとも思えない。
俺はひとまずあたりの様子を伺った。良子に怪我はないらしい。他に崩れかけてるとか落ちてきたとかそいうのもないらしい。
ただ、何か引っかかる。俺はそれを探してもう一度視線をめぐらした。彼女は相変わらず複雑な表情で立ったままだ。天井では電灯がまだかすかにゆれている。机も若干動いた様には見えるが大きくはかわらない。床も黒板も何もかもそのままだ。落ちたノートも変わりはない…。
そして、最後に視線を向けて気がついた。外だ。窓の外が異常だ…。
「良子…」
俺は声が振るえないようにするので精一杯だった。窓の外がすっかりなくなっていたのだ。
そんなバカな…。なんだって、たった一回の地震で向こう側の校舎も中庭も、星や月でさえもなくなるようなことがあるか?
俺は目を疑った。だが、窓に暗幕をかけたように真っ暗だ…。これにはさすがの俺も焦った。少なくとも、これが真実なら、俺の理解を超える現象だったからだ。が、その景色は俺に現実だと思わせるだけの重みがあったのだ。
暗幕…?
俺は一瞬全部悪戯なんじゃないかと思いなおした。断然、信じられん。こんなことがあろうはずがない。
俺はしばらく立ち尽くしていたが、窓に駆け寄ると外を良く見た。それでもやはり、まどの外には何も見えない。
俺は窓枠に手をかけると思いきり窓を開け放った。いや、そうしようとした。だが、だめだ。窓は開かない。俺はなりふり構わず全力を注ぎ込むが窓は開いてくれない。冷汗が出てきた。これはいったい…。
「それ、鍵かかってるよ…」
………。
………。
………。
俺は冷や汗とは違った汗が噴出し来るのを感じた。いずれにせよ、気持ちのいい汗というわけにはいかない。まあいい。俺は改めて鍵をはね開けると窓を思いきり開けた。
「とっ」
窓はほとんど何の抵抗もなく開いた。俺は勢い余って態勢を崩したが、そこはそれ、どうにか耐えた。
窓はちゃんと開いた。が、窓の外は相変わらず真っ暗だ。暗幕が掛かっている様子はない。俺はその種と仕掛を調べようと手を差し出したが、手は窓枠から外には出なかった。何かの壁が学校に張りついた感じだ。
どうやら、異常な状況であることに変わりはないらしい。
「どうなってんだ?」
どう考えても非常識だ。俺は何度も黒い壁を触ってみたが確かに壁があるようで、手は窓枠から外には出てくれない。自分の目で見ても信じられない光景だ。これはさっきの良子の言動なんかよりもずっと常識はずれだ。
だから、俺は答えを知るはずのない良子に思わず尋ねた。
「いや。お前が知ってるわけ…」
「そこは次元の境目なの…」
俺が弁解に付け足した言葉をさえぎって良子がそう言った。次元の境目?口からデタラメを…。と思った。良子の日常が割りにまともなだけにそれは俺を失望させた。そんなことがあるはずがない。
確かに世の中は不条理だが、物理法則は裏切らないはずだ。物理法則を変えてしまうのは人間の心だけだ。そんなことくらいは良子ならわかっていると思ってたんだが。話はそう簡単にはいかないものか…。
「次元の狭間?俺達は未来の猫型ロボットのポケットにでも入たってのか?何かの小説じゃあるまいに」
「ふふ。まあ、そんなところ。ただ、周囲の空間は二つの次元の衝突に伴って…」
俺は努めて柔らかく訪ねたが、彼女は詳しく説明してくれた。その内容は小難しくて俺には理解できるものじゃない。それに、俺は彼女の話しをほとんど聞き流していた。
彼女の中じゃ、ちゃんと説明がいっているらしい。が、俺は信じない。これは何かの間違いだ。手の込んだ悪戯だ。絶対に何か裏がある。ちょっと、慎重に行動した方がいい。その間に尻尾を出すに違いない。
もし、これが本当だったら?そうなれば、これは問題だ。そうなれば、良子はキ印でなく本気で俺に忠告してくれたことになる。
彼女の言う「逃げろ」ってのはきっとこのことを言ってたんだろう…。あくまで、結論から言えば、だ。実際には、これは単なる偶然に過ぎないんだから…。
いや…、
「ちょっと待て。じゃ、なんだってお前はそんなこと知ってるんだ?」
「え?」
良子は黙り込んだ。実は悪戯なんだ。と彼女が言い出すのを俺は期待した。
「言いたくないのか?」
俺は鎌をかけたつもりだったが、彼女は頷いた。なるほど…。ならいいだろう。そのうち必ず俺が暴いてやる。その秘密。 何たくらんでるんだ?
普段の良子には見られない彼女の様子に俺は少々苛立ちを覚えていた。冷静で整然とし、理論的に話を進めるいつもの良子。一方で、何かを隠している今の良子…。どっちが本物の彼女だ?
「それじゃ、ここからの出方は知ってるのか?」
彼女が悪戯の仕掛人やサクラなら彼女についていくのが一番だ。まさか、学校中がこんな壁に囲まれてるわけじゃあるまい。
「探し物をね、して欲しいのよ。多分、それが鍵になると思う…」
彼女は少し考えてからこう答えた。
「さ、探し物…?」
俺は思わず聞き返したが、彼女はしっかりと頷いた。俺の聞き間違いじゃないらしい。だが、この学校の、この状況の中で探し物…?
俺は彼女の言う探し物について詳しく聞いたが、もし、彼女の言う通りその探し物をしなければならないというのなら、これは途方もないことになりそうだ。
なにせ、どこにあるかわからないがこの近くにあるあらしい、どんなものだかよくわからないもの、を探さなければならないんだから。宝捜しにしては雑過ぎる。
しかし、俺はしばらく彼女に付き合うことにした。ただの仕掛人にしてはちょっと言動が迫真に迫りすぎてる気もするが、この種は是が非でも暴いておきたい。
そんなわけで俺達は教室を出た、というか、他にいくところはない。そしてそこにはもちろん廊下があった。廊下はこの教室から西に伸びていて途中でT字路がある。そこを南、つまり左に曲がると中央廊下及び、中央階段だ。
探し物と言ってもさっき言った通り何の手がかりもない。俺達はとりあえず、中央廊下から南校舎に渡ることにした。
「そういえば…」
俺は自分の時計を確認した。すでに八時を過ぎている。普通なら、体育館やらの鍵をしめた日直が校舎をみまわりに来ている時間だ。
「外から先生が見まわりに来るってことはないのか?」
彼女は首を横に振った。半ば予想はしていたが、悪戯に先生までかりだしたってわけか。これは相当大掛かりだ。
もっとも、学校を囲む壁をつくっただけでも充分賞賛に値する。ホント、人間ってバカだ。一体何が楽しくてこんな大掛かりなことをしでかすんだ?
「ごめんね…」
彼女がポツリと謝った。
俺は息を飲んだ…。とりあえず、俺はこれほど感情のこもった謝罪を今まで聞いたことはなかったからだ。
が、悪戯の仕掛人がこんなに親身に謝罪するだろうか?俺はさらに疑わしくなった。どこまでが演技なんだ?
「気にするな。お前が謝る事じゃない」
「うん…」
だめだ。俺の鎌にかかるようなヤツでもない。しかし、どうも、今日の良子にはハキがない。いつもならもっとハキハキと元気よくものを言うヤツなんだが…。
「………!」
俺は思考を中断した。丁度、T字路を曲がろうとした俺達の横、つまりT字の突き当たり北側の壁から何かが生えてくるのがわかったからだ。
「危ない!」
俺はとっさに良子を引き倒していた。彼女は悲鳴を上げる暇もなくその場に転がった。頭を打ってなければいいが…。
そこまで心配している余裕はなかった。これじゃまるでホラー映画じゃないか…。いくらなんでもやりすぎだ。
壁の真ん中から鋭く何かが突き出されたのだ。そこから、灰色の毛むくじゃらな太い腕が続いて出てくる。そして、大きく膨れた腹と、とがった鼻先、髭、黒くクルクルした瞳、とがった耳…。
俺は驚きを通り越して半ば呆れた。壁から生えて来たのは鋭い爪で、そのあとから出てきた爪の持ち主は二メートルを越える巨大さをほこるネズミだったのだから。
あまりによくできた気ぐるみだが、どうやったら学校の壁の中から出て来れるのかわからない。しかも、この攻撃の鋭さは拓斗に匹敵するほどだ。
もし、俺の行動が、あのときのように半瞬でも遅れていたら、良子の横顔は引き裂かれていたに違いない。
「大丈夫か?」
俺は視界の片隅で良子の安否を確認すると構えをとった。これは本気でどうかしてるのかもしれん。気を引き締めないと…。今度ばかりは拓斗が相手ってのとはわけが違う…。
これこそまさにサバイバルだ。だからこそここは逃げるべきだ。俺はそう判断した。
「逃げろ!」
俺はそう言ったが、彼女は座り込んで後ずさりしただけだ。腰でも抜けたか?無理も無い。俺だってショックを受けている。
だが、ここではそんな甘いことは言っていられない。まさしく致命的だ。俺には彼女を引っ張ってやるだけの余裕はない。
「邪魔だ!早く行け!」
良子はやっとの思いで壁にしがみつきながら立ちあがると俺に背を向けたらしい。運良くか悪くか、ネズミは俺に集中している。
「早く!」
俺がもう一度どなると彼女は走り出していた。南校舎に向かって中央廊下をかけていくのが足音でわかる。
これが悪戯じゃないとすると、事態は最悪だ。つまり、まったく把握できない。その上、目の前には化けネズミだ。こうなると、頼れるのは自分だけだ…。
俺は少し視線をずらして彼女の背中を追った。さすがに陸上部だけあるし、廊下もそんなに長くはない。彼女はもう俺の視界には入らない位置まで逃げていた。
上等だ。あとはこいつだけだな…。
「くっ」
俺が視線をはずしたスキをネズミは逃さなかった。僅かな差であれ、ネズミの攻撃が迫っていた。
ストレート…。
俺はとっさに身をかがめるとヤツの攻撃をかわした。それとほぼ同時に体重を前に乗せてカウンター気味に打ち返す。右の正拳突き。目標は中段、ミゾオチだ。
拓斗とのスパーリングのシーンを思い出した。あのときはこのクロスで完全に拓斗にやられた。だが、今はそれが許されない。
俺の拳に鈍い手応えがあった。サンドバックを叩くような感じの鈍い手応えだ。俺はそれを感じたままヤツとすれ違った。態勢を整え、振り向く。ヤツもすでに切り替えて俺に向き直っていた。
さすがに動物だけあってそういう所は早い。しかも、俺は一つミスをおかしたことに気がついた。俺はヤツとすれ違ってはまずかったのだ。今、俺はヤツの北側にいるが、こっち側にはもう逃げ場がない。
背中には壁だし、右にも左にも廊下があるが、その先は完全に行き止まりだ。かといって、もう一回すれ違うなんて芸当はやれったってできん。
何か、何か手を考えなきゃまずい。何か…。
俺はそう思いながらジリジリと下がっていった。追い詰められてる。嫌な感じだ。まったく、ゲームや小説みたいにカッコよくなんてそうそういかない。
俺はついに壁まで追い詰められた。あとは右か左に避けるしかない。避け切れなきゃやられるだけだ。
俺は半ば死を覚悟した。何気なく生きてるみたいで、人間死ぬときなんてこんなにあっさりしてたりもするんだろう…。
それが自然だと言うなら、それが運命だと言うならそれもまたいたしかたあるまい。
その一撃がやってきた。
「やばっ」
右か左…。理性と身体は必ずしも直結しない。俺は後ろに下がっていた。別に後ろが壁だってことを忘れてたわけじゃない。人間とっさの一撃を避けようと思うと自然と身が引ける。だから、後ろ…。
俺は目を瞑って歯を食いしばったが、俺を襲ったのはネズミの攻撃じゃなくて落下感だった。天井がぐるっと回って、俺は仰向けに倒れこんでいた。
「あ?」
俺は頭をうたないように受身をとったが、頭の中は殴られたような状態だった。
そこは一応金属製の壁で小さな部屋になっていた。部屋そのものもともかく、この壁につかわれている金属ですら俺は初めて見るものだった。
「なんだ?ここ?」
俺は一瞬こそ気を抜いたが受身の勢いで立ちあがると、改めて構えを取った。というのも、部屋の入り口に例のネズミが立っていたからだ。だが、様子が変だった。ヤツはまるで俺が見えていないような仕草しかしない…。
今日、この場所で一体何が起こってるんだ?俺は一体どこにいるって言うんだ?
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