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一番星が歌う歌。

 

■■

私は、多分あの場所へ行きたいのだろう。

自分が永遠に時を止めてしまったにもかかわらず、あの場所に行きたいのだ。

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『マスター・ユーベル、どーなさいました?』
ACに搭載されているAIの間延びした音声にロジェ・ユーベルは現実に引き戻された。既に作戦エリアに到達しているにもかかわらず、一瞬意識が作戦外のことへ飛んでいた。
『ぼーっとなさっておいででしたようですが?』
「…何でもない。 」
相変わらずなEWの物言いに苦笑をもらしながら、ロジェはスロットルを握りなおす。 自暴自棄な気持ちでレイヴンになったロジェは、一体目のACが大破した後、かなりいいかげんなACの選び方をした。 無作為に選んだガレージに行き、整備屋の顔を見るなり「中量級二脚のACを一体組んでくれ」言ったところ、 組んでよこしたAIがEWだった。必要に合わせ武装・装備は変えてきたが何故かAIは変える気は起きなかった。 『死にたがりは、全く以って良くありません』と説教するAIが気に入ったのか、と問われればそうなのかもしれない。
 『マスター、一番星が見えますよ。』
ロジェの唇にまたもや苦笑が浮かぶ。 EWは前の乗り手に色々な(大概はおかしな)情報をインプットされたらしく、妙なところで語彙が多い。 CGモードにしていたはずだが、モニターに目をやるとノーマルモードの画面に切り替わっていた。地平の上には夕闇が帳を下ろしかけている。地平線の少し上、確かに星が一つだけ見えた。
「…時間だ。行くぞ。」
『了解(コピー)。』
端末を操作して再びCGモードに切り替え、ロジェは表情を引き締めた。

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ロジェはEWに乗るようになってから、雰囲気がやわらかくなった、といわれるようになった。 無愛想で口数も少ないので、話し掛けてくる者と言えば、EWを組んでよこした整備屋くらいなものだが。
『そーですよねぇ、ちょっとは穏やかな表情になりましたよねぇ。』
整備中にもかかわらず、音声回路を切っていないEWは言いたい放題だ。行く当てもないので、 整備中はガレージの適当な場所に腰掛け、ロジェはタバコを吹かしていることが多い。その言葉を聞いて、 タバコを咥えていたロジェは内心顔を顰めた。
『いい男なんですから勿体ないですよねー。 』
EWの台詞に、整備屋はけらけらと声をたてて笑った。どこら辺がいい男なんだ、という整備屋のある意味失礼な問いに
『パーツの並びが良いんですよ。目と鼻と口のバランスがー。あと、声もかっこ良いですよねー。』
と答えて、さらに整備屋の笑いを誘っていた。

ロジェは。
自分の家族を、自分の手で殺している。
守るべきはずのものを、自分が守るべきはずの者を、自らの手で消してしまったのだ。

ロジェはかつてシティガードの隊員だった。何となくで選んだつもりの職業だったが、 今になって思えば、自分はあの街の事が好きだったのだろう。
ある日の事だ。ロジェの生活していた街はテロリストに襲撃された。追われて逃げ込んできたのか、 意図的に襲ったのかは定かではない。あちこちで火の手が上がり、喧騒は阿鼻叫喚へと装いを変えてしまった。 非常時の対策は怠っていなかった筈だが、やはり想定と現実は違う。後手後手に回るガードをあざ笑うように テロリストは街を蹂躙していった。ロジェの街のガードはMTではなく、量産型だったがACで編成されていたにもかかわらず、だ。
これ以上の被害を抑える為には、この位置の追い込んで一気に殲滅するしかないと、 ガードリーダーが提示した作戦の地図上には、ロジェの妻子が暮らす地区が含まれていた。 市民の誘導を第一に考えて組まれていた対策は実際には全く役に立たず、大半の市民の避難は済んでいない状態で提示された作戦。 そして、非情にもリーダーはロジェを指名した。テロリストが姿をあらわした段階で援助を求めレイヴンズ・ネストに依頼したが、 思いのほかテロリストの行動が早く、このままではレイヴンは間に合わない。だとしたら、 ガードの中で技量を誇っていたロジェらがその作戦を行うほか無かったのだ。

そして。
ロジェは自らの妻子を照準に捉えながら、引き金を引いた。
妻が、子供が、自らが放ったミサイルによって炎に包まれていく様を、ロジェは目を逸らさずに見つめ続けた。 目を逸らす事など、許されないのだと。

あの作戦の後、ぽっかりと開いた穴を隠す為に心を閉ざし、心を鎧った。
けれど心をいくら殺しても、 夜半に妻と子の夢を見て目が覚めた時、どうしようもない感情が湧きあがってくる。苦しくて、淋しくて、会いたくて。 耐え切れず、自らの膝を打った事は数え切れない。ただ、涸れてしまった感情を示すかのように、涙は一滴もこぼれてはこない。
子供が生まれたとき、何て小さくて不思議な生き物なのだろうと思った。
そうして、この無防備に眠る小さな生き物をこの世に送り出してくれた妻を、とても愛しいと思った。
苦しまずに逝ってくれただろうか、などと都合の良い事を考えるたび、自分への怒りが湧いてくる。 生真面目なロジェは自ら戒め、あえて危険度の高いミッションを選ぶようになっていた。

『マスターは、マゾですか?』
EWの思いもかけない一言に、ロジェは一瞬あっけに取られた。 EWと共にミッションをこなすようになってしばらく経ったときの事だ。EWのプログラムを家へ持ち帰ることは無かったが、「今日はこの辺りが停電になるから、EWをガレージに置きっぱなしは出来ない」と整備屋にいわれ、一晩だけ持ち帰ったことがあった。
『私、苦しーのは嫌です。いくらスペアがあっても腕とか脚とか取れちゃうのは嫌です。』
整備屋がEWを入れてよこしたボックスがちかちかと光を放ちながら言葉をつむぐ。その言葉に少々考えたロジェは
「…お前に痛覚回路はあるのか?」
とEWに問い返した。
『無いですよ。でも、そういうのは「痛い」って言うんだと教わりました。ですので、首ちょんぱは勘弁です。』
実のところ、今日のミッションで最後の最後にEWは頭を吹っ飛ばされた。サブカメラがコアに付いていたので、問題なく戻ってこれたのだが、いつもは何やかにやと喋り続けているEWが大人しかった原因はそこにあったようだ。
『マスターの腕なら、ちゃんと避けられてた筈です。あの攻撃は。』
EWの言うあの攻撃とは、対峙したACが最後に繰り出した小型ミサイルによる攻撃を指す。ロジェはその攻撃を避けもせずに、ブレードで止めを差した。
『マスター。』
だるそうにベットの上でタバコを咥えていたロジェは、目線だけEWに向ける。
『死にたがりは、全く以って良くありません。』
何か力のこもった言葉に虚を突かれた。
どこか憮然とした声に聞こえるEWの音声は、何故かあの幸せだった日々を思い出させ、ロジェの心をかき乱す。ロジェの混乱を知ってか知らずか、その日、EWは沈黙したままだった。

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『システム、戦闘モード起動。肩の力、抜いてきましょー。』
慣れというものは中々恐ろしいもので、初めのうち腹立たしい思いをしていたEWの間延びした台詞にも、最近は苦笑が浮かぶだけだ。
今回引き受けた依頼は、近頃発見された、大破壊以前の研究所にある遺失技術が詰まっている大型チップの回収。情報が漏れたらしく、ライバル会社も同じ物を狙っていた。チップが向こうの会社の手に渡っていたら、奪還という条件も付け加わる。どの道、短時間での回収が前提条件だ。
外と施設内を隔てるゲートを越えて中に脚を踏み入れると、床に何かが通った痕跡が見て取れる。
『む。先客が居るみたいですね。あの痕跡から見て取ると、軽量級二脚ですかー。』
砂埃の積もった床にはブースターで移動した際に出来る跡が残っていた。
『待ち伏せされてますかね?』
緊迫感のかけらも無い様子でEWのコクピット内カメラアイがロジェの顔を捉える。
「どうだかな。」
武装を再度確認してロジェはそう答えた。待ち伏せなどされていても、突破してしまえば結果は同じだからだ。

幾つものゲートを越え、通路を抜け、研究施設の中心部付近と思われる場所に到達した時。ロジェはペダルから足を離し、EWを停止させた。今まで見続けてきた変わり映えしない壁が続いているが、何か違和感を感じる。何故か途中から先行しているはずの軽量二脚の痕跡がふっつりと途絶えた。途中で引き返したのか、それともMAPには載っていない別ルートを見つけたのか。自分の感覚を信じるならば、どうやら後者らしい。
『熱を遮蔽する物体があるなら話は別ですけど、半径3000以内に熱源反応はありません。どーします?』
「このまま進むぞ。」
この場に留まっていてはチップの回収は永遠に不可能だ。ロジェは中心部へ向けて移動を再開した。
ブースターを使って床上すれすれを移動していたが、ジェネレーターのゲージを回復させる為、ブースターを切って接地した次の瞬間。ACの重みで、床が突然抜けた。
慌てずブースターを吹かしたが、追い討ちを掛けるように天井で爆発が起こり、巨大なコンクリートの塊が襲い掛かってくる。
『座標(1009,521,495)に熱源感知!ACクラス、機数1!』
誘発されるように通路の先にある床が崩れ落ちていく。これでは上にあがる事は出来ないな、とロジェは落下しつつ考えた。「罠か。」と心の内で呟いたが、身体は脊髄反射的に回避行動に出ている。ゴンゴンと機体を打つ床だった破片は問題ではない。しかし、爆薬によって崩れ落ちてくる塊に当たれば、間違いなく行動不可能なダメージを食らってしまう。
その時、ロジェの丁度真上でもう一度爆薬が炸裂した。

『マスター!』
EWの呼び声に一瞬途切れた意識が戻ると、コクピット内は騒々しいアラートに包まれていた。
上から落下してきた塊にACの下半身が押し潰されている。どうにか動かせる右足だけでペダルを踏み込んでみたが、金属のこすれる嫌な音が響くだけで、機体は立ち上がろうとしない。右腕、左腕、コア部分も損傷。バックウエポンは落下の衝撃でどこかへ吹き飛んでしまった。自分自身もスロットルを握りなおそうとするだけで、体中に激痛が走る。これでは戦える状態では無い。
ロジェは視線のようなものを感じ、モニターを通じて上を見上げた。
崩れ落ちてぽっかりと穴を開けた天井。ジェネレイター部分を正確に狙う、スナイパーライフルを構えた敵ACの姿が、嫌にはっきりと見て取れた。機体は挟まれて動けない。
次の瞬間。本当に正確に、弾丸はEWのジェネレーターを打ち抜いた。

 『マスター・ユーベル!今ならまだ脱出できます。ちょっと!マスター、聞いてるんですかっ。』
アラートが鳴り響くコア内でEWが繰り返し叫んでいる。AIが叫ぶなんてありえない、等という考えは既に湧かなかった。EWに相当毒されたな、とどこかで納得している自分がロジェはなんだか無性に可笑しかった。破壊力の高いスナイパーライフルの一撃は、機体のみならず、ロジェの身体にも回復しようの無いダメージを与えている。
血まみれのロジェの様子を窺うように動いていたEWのカメラがぴたりと動きを止めた。
『…マスター。…さよならですか?』
恐る恐るといった風にEWが問い掛けてきた。取り残されそうになっている子供が出す声音のようにも聞こえるEWの台詞に、ロジェはこんな状況ながら笑ってしまう。
「……そう、…さよ…ならだな…。」
ロジェは苦しい息でEWに答えた。息をする度に激痛が走るという事は肋骨が内臓に刺さっているのだろう。
『ユーベル。マスター・ロジェ・ユーベル。マスター・ユーベル。マスター…。』
壊れたテープレコーダーの様に自分の名前を繰り返すEWの声を聞きながら、ロジェの意識は段々と落ちていった。

ロジェは意識が途切れる直前、妻が好きだった小さな花のことを思い出した。花屋で買える一番安い花だったが、 束にして買っていくと顔をほころばせて受け取るのだ。それは幸せそうに。家へ帰ると子供を抱いて出迎えてくれる彼女の笑顔を思い出したロジェの唇に小さな笑みが浮ぶ。
もう何も見えていない瞳を瞼がゆっくり覆うと、赤く染まった眦から涙が一筋流れた。
『マスター・ロジェ・ユーベル。……おやすみなさい。』
EWは、蓄積した膨大なデーターの中からその一言を選び出だした。
笑みを浮かべて事切れたロジェに合っているような、場違いなような、弔いの言葉だった。

『この言葉を聞いたなら、マスターはもう一度笑ってくれたかな?ねえ、マスター?』

そうしてロジェ・ユーベルは死んだ。しばらくロジェを見守っていたEWも、暴走したジェネレーターの熱で耐熱限度を越え、後を追う様に機能を停止した。
彼が死の間際、何を思ったのかは誰も知らない。

■■

嫌味なほど空調が管理されている地下都市でも、一際穏やかに感じる日の午後の事。
芝生が敷き詰められた墓地を、整備屋がゆっくりとした歩調で歩いている。
人工の青空しか整備屋は知らないが、今日はなんだか空が狭いように感じられた。 虚しいほどに整えられた墓石の列に目的の名前を見つけ、整備屋は足を止めた。

レイヴンが死んだとき、連絡が行く場所は、家族がいるなら遺族の元、天涯孤独の身ならACが所属するガレージだ。

大半はスクラップ同然になって戻ってきたEWだが、最後の最後に乗り手の葬式代を捻出してくれた。 あの男のフルネームはこんなだったのかと整備屋はしばらく墓石を見つめていたが、上着のポケットに手を突っ込むと、 掌に収まるくらいの金属を取り出した。高温に晒された金属は融解し、レンズもカバーガラスも無くなっていたが、 コクピットに据付けてあったEWのカメラアイだった。
持参した花束を墓石に供えると、整備屋はしゃがみこんだ。 そうしておもむろに手で地面を掘り始める。ある程度の深さに掘り下げると、EWの一部を放り込む。 土をかけ終わると墓石に供えた花束から一本花を抜き取り、盛り上がった土の上へ無造作に差し込んだ。花が自らの重みでへにょへにょと頼りなく揺れる様は、EWの言動を思い出させ、整備屋は不覚にも笑ってしまった。
少し間をおいてもう一度上着のポケットに手を突っ込むと、整備屋は真新しいタバコを取り出す。くるくると封を切ると、 一本だけ取り出し火を付た。ロジェが良く好んで吸っていた銘柄。しばらく先端の火を見つめていた整備屋は、 一度ゆっくりと瞬きをするとタバコを墓石に載せた。ゆらゆらとあがっていく紫煙は空へとほどけるように消えていく。

じっと煙の行く先を眺めていた整備屋だが、立ち上がって手についた土を払い落とす。 それからやってきた時と同じように、散歩するようなゆっくりとした歩調で丘を下っていた。

後に残るのは整然と並んだ墓石と、今しがた供えられた花。それから、くゆるタバコの煙。
ロジェは自分の望む場所へ逝けたのだろうか。
整備屋が立ち去っても、EWへ手向けられた花は相変わらず締まりの無いない様子で、ゆらゆらと揺れ続けていた。

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私は、多分あの場所へ行きたいのだろう。

自分が永遠に時を止めてしまったにもかかわらず、あの場所に行きたいのだ―――。

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