「うーんっ!」
目が覚めた僕は思いっきり伸びをすると、反動をつけてベッドから
飛び下りる。
そしてそのまま窓に歩み寄ると、勢いよくカーテンを開けた。
薄暗かった部屋が、差し込む朝日でたちまちのうちに明るくなる。
何だか嬉しくなった僕は窓も大きく開け放つ。
とたんに澄んだ空気が入ってきて、いきなり部屋の中が春になった
ような気がする。
 「いー天気っ!」
もう一度、僕は大きく伸びをしてしまう。
空は抜けるような青。雲ひとつ見えない。
本当は寝坊しようと思っていたけど、やっぱりこんないい天気の日
に寝てるなんて、もったいないよね。
手早く着替えると、うきうきと軽い足取りで僕はドアを開けて廊下
に出る。
     
  …今日は何もしなくていい日。
     
つい先日までの戦いから開放されて、今日は完全に一日自由に使え
ることになっている。
何もなければ、の話だけれど。
 「嫌なことは考えないことにしようねっ。」
そう自分に言い聞かせると、階段を下りていく。
 「な・に・を・し・よ・う・か・なっ。」
一段下りるごとにひとつずつ言葉をつないでいく。
気分はすっかり有頂天。鼻唄まで出てしまう。
 「よっと!」
階段を下りきったとたん、ぐううっとお腹が鳴り響く。
慌てて押さえたけれど、呆れるやらおかしいやらで思わず吹き出し
てしまった。
 「まあ、健康な証拠ということだよね。…とりあえず、
  朝食からはじめようっと。」
とりあえずする事がひとつ決まって、僕は居間兼台所へと急ぎ足で
入っていく。
ドアを開けて中に入ると、ソファの向こう側に紫龍が立っているの
が見えた。
 「おはよう。」
…声をかけたけど返事がない。
どうやら僕が居間に入ってきた事さえ気付いていない様子で、手に
した本を夢中で読んでいる。
 「紫龍、おはよう。」
もう一度さっきより大きな声で僕が挨拶をすると、はじかれたよう
に紫龍が顔をあげ、初めて僕に気がついたような表情をする。
 「おはよう。」
 「ああ、おはよう瞬。」
もう一度僕が笑顔で声をかけると、紫龍が苦笑まじりに挨拶を返し
てくれた。
 「なんで立ったまま本を読んでるの?」
本を読むなら、座って落ちついて読めばいいのに。
素朴な疑問を僕が投げかけると
 「いや…そのつもりはなかったんだが…。」
少し照れた顔で、紫龍が読んでいた本の表紙に視線を落とす。
つられて僕もその本を見る。
何かびっしり字が詰まった本のようだ。おまけにとても分厚い。
よく読む気になるなぁ。
 「以前からこの本を読みたいと思っていたんだが
  なかなか機会がなくてな。やっとまとまった時間が
  とれそうなのでさっそく書斎から借りてきたんだが…。」
 「部屋に帰る途中で、我慢しきれずについ読んでたんだ。」
僕が察してそう言うと、紫龍が再び苦笑する。
 「ところでみんなは?」
きょろきょろと僕はあたりを見渡す。
目の前の紫龍以外、この部屋には誰もいなかった。
 「星矢は朝早く家を飛び出していったぞ。
  何か慌てていたようだったが。」
 「慌てて…?どこへ?」
紫龍の言葉に、僕は首を傾げながら問う。
 「さあ。そこまでは解らないが、屋敷の方へ向かって
  いたようだったな。」
 「ふ…ん。」
何か思い当たるような気がして、あれこれ考えてみたけど、
結局は解らなかった。
まあ、屋敷の方へ行ったのなら後で追いかけてみればいいか。
 「氷河は?どこへいったの?」
 「確か日光浴…とか言ってたな。」
 「あ、それいいな。」
僕は思わず賛同してしまう。
こんなにいい天気なのだから、日光浴っていうのも気持ちよさそう
だよね。
 「気になるなら屋根の上にいるぞ。」
 「…なんで屋根の上なの…?」
僕がそう尋ねると、紫龍が軽く肩をすくめて言う。
 「さあな。そういうのは本人に聞くのが一番早いと思うぞ。」
 「そうだね。」
少し考えて僕はそう答える。
 「ところで一輝はどうした?」
 「うん、まだ寝てるみたい。」
 「みたい?じゃまだ今朝は会っていないのか?」
少し驚いたような、それとも呆れたような顔で紫龍が僕に言う。
 「へへっ…。」
兄さんは一番最後までとっておくんだともいえず、僕はただ笑って
誤魔化してしまう。
 「紫龍は今日はずっと読書?」
 「そうしたいと思っている。」
わざとそらした話に、気付いたのか気付かなかったのか紫龍が答え
てくれる。
 「そうなんだ。じゃごゆっくり…っていうのも変だけど…。」
 「いや。ありがとう。」
僕が口ごもると、紫龍が笑ってそう言ってくれる。
 「そういう瞬は今日の予定をたてたのか?」
 「ううん。まだ決めてない。でも何かしたいな。
  うん、そのうちに思いつくと思う。」
僕がそう言うと、紫龍は再び笑って居間を出ていった。
 「星矢はお屋敷の方か…。とりあえず居場所が解ってる
  氷河の方にいってみようかな。」
うん、そうしようとひとりで頷いて決めたとたん、また僕のお腹が
鳴り響く。
 「はいはい。じゃ先に朝食にしようね。」
僕はお腹の虫に言い聞かせるように言うと、冷蔵庫の扉を開けた。
    
    
    
朝食を手早く済ませた僕は、再び自分の部屋へ戻ってベランダ
へ出ると、軽く膝を曲げてそのまま屋根の上に飛び上がった。
 「着地成功!」
屋根の瓦はことりと小さな音を立てただけだった。
聖闘士だからその気になれば軽く二、三メートル飛び上がれる。
 「へえ…意外と広いんだ…。」
あたりを見渡して、僕は思わず呟く。
ここは屋敷の離れにある小さな別館で、僕たちだけが住んでいる。
小さなといっても、それはあくまで敷地内の他の建物と比べただけ
の話だから、かなり広いってことは知っていた。
でもこれほど広いなんて思ってもみなかった。
 「えーっと…氷河はっと…。」
当初の目的を思い出して、僕はきょろきょろと氷河の姿を探す。
すると、きらっと何かが視界の端で光った。
 「…?」
僕は首を傾げながら、もう一度じっとその方向を見る。
 「あ。また光った。」
何だろうと僕は考えながら、その光の方向へ歩み寄るとそこには寝
ころがってる氷河の姿があった。
ゆるやかな風がときおり氷河の金の髪を揺らし、そのたび髪はきら
きらと光を反射する。
 「そっかあ。さっきの光はこれだったんだ。」
なんとなく感心して、立ったまま風に舞うその髪を眺めていると、
氷河が首を巡らせて僕を見る。
 「何の用だ?」
尋ねられて僕は返答に困ってしまう。
 「うーん…特に用らしいものはないんだけど…。
  とりあえずおはようをいいにきたんだ。」
 「…?それだけのためにここへ来たのか?」
怪訝そうな顔で見つめる氷河に、僕は半ばごまかすように笑いかけ
ると、彼の隣に腰を降ろす。
 「氷河こそ、何でこんな屋根の上にいるの?
  日光浴って聞いたけど…ちょっと意外な場所だよね。」
僕がそう質問すると、氷河は組んでいた足をいったん解き、
再び組み換えながら答える。
 「ここが一番高い場所だからな。」
 「…木の上のほうがずっと高いと思うけど…。」
あたりを見渡しながら僕がそう言うと、氷河はぼそりと言う。
 「確かに高いが、その分見晴らしが悪い。」
なるほど、と僕は空を見上げる。
こんなきれいな空、隠すなんてもったいないよね。
 「こんなに青い空を見たのは、ずいぶん久しぶりだ。」
 「そうなの?」
僕が尋ねると、氷河が答える。
 「ああ。俺のいた所は年中吹雪だった。」
 「そっか…。寒い国だからね。」
僕は頷いて、再び空を仰ぎ見る。
 「で、氷河は一日ここでこうしてるの?」
 「さあな。そうやって俺の事を聞くところをみると
  瞬、お前暇を持て余しているようだな。」
そう言われて僕は首をかしげる。
さっきも紫龍に同じような事言われたような気がするんだけどな。
こういう質問ってそんなふうに聞こえるのかなぁ。
 「別にそういう訳でもないんだけど…。
  うーん、そう見えるのかなぁ…?」
しばらく考えてそう僕が答えると、ふわあっと涼やかな風が僕の髪
を乱して通りすぎていく。
 「わあっ…気持ちいい!」
目を閉じて吹きつける風を楽しんでいると、ぼそりと氷河が言う。
 「すべて世はこともなし…か。」
 「え?何それ。」
僕が聞き返すと氷河が答える。
 「詩の一部だ。誰が書いたかは忘れた。」
 「すべて世はこともなし…か。いいな、それ。」
口の中でその言葉をつぶやいてみる。
それから僕は立ち上がると、もう一度大きく伸びをして寝ころんだ
ままの氷河に言う。
 「僕、星矢のところに行くね。」
氷河は無言で寝返りをうって僕に背を向ける。
…まあ、いいや。
 「じゃ。」
僕はそう言うと屋根から飛び下りた。
     
     
     
 「確か…ここらへんって聞いたんだけどな…。」
メイドさんたちの話を手掛かりに、星矢の姿を探したけれども全然
見当たらない。
小宇宙を感じ取れば早いのだろうけど、それも何となく気が乗らな
かった。
結局、こうして地道に歩いて探しているというわけで…。
 「うーん…。」
ぽりぽりと頬を指でかきながら歩いていると、背後から星矢の声が
して僕は振りかえる。
 「瞬!」
 「あ,星矢おはよ…!?」
おはようと言い切る間もなく、僕は星矢に勢い良く腕を引かれて、
そのまま一緒に走りだしていた。
 「なっ何!?」
 「見せたいもんがあるんだ!こいよっ!」
…たのむから“こい”っていう前に引っ張らないでよね。
聞いた意味がないじゃないか。
とにかく僕は引っ張られるままに、屋敷の角を曲がって犬舎の中へ
とそのまま飛び込んだ。
 「ほら、見ろよ。」
 「えっ?」
指し示された薄暗い場所に目を凝らしてみても、外の明かりに慣れ
た目にはよく見えなかった。
星矢を振り返ってみたけれど、ただにやにや笑ってとんと僕の肩を
押して促すだけだった。
何か企んでるのは解るけれど、結局僕は好奇心に勝てずにその薄暗
い部屋を覗き込む。
 「えっ、あっわっ!?」
覗き込んだとたん、僕の足元めがけて小さな毛の固まりがいくつか
飛び出してきた。
驚いて飛びのこうとしたけれど、すぐにその物体の正体が解ったの
でやめてしまう。
 「子犬!?かわいい!」
 「な、可愛いだろ。今二ヵ月目なんだってさ。」
星矢が僕の反応に満足そうな顔でそう説明してくれる。
クンクンと鼻を鳴らしながら、子犬達は真っ黒い無邪気な瞳で僕を
見上げてくる。本気で可愛い!
 「さわっても大丈夫かな?」
 「母親に聞いてみろよ。」
 「そうだね。」
そう言って僕はしゃがみこむと、奥から母親らしい犬がのそりと立
ち上がってこちらにやってくる。
 「抱いてもいい?」
そおっと母犬に尋ねると、彼女はぺろりと僕の頬を嘗めてくれた。
 「わっ!」
 「いいってさ。」
星矢は笑いながら屈み込むと、子犬を一匹僕の膝に乗せてくれた。
子犬は僕を見上げたまま、その小さな体についているさらに小さな
尻尾をさかんに振っている。
 「むくむくしてる…あったかいなぁ。」
抱きしめると、ぺろぺろと子犬は僕の顔を嘗めてくる。
くすぐったくて僕は顔をそむけながら星矢に尋ねる。
 「どうしたの?この子たち。」
犬舎の中にいる他の犬は、基本的に番犬や狩猟用に飼育されている
もので、血統も由緒正しいもの以外はここにいないっていう事を
僕も知っている。
でもこの母犬も子犬たちも、どう見ても雑種だった。
 「二ヵ月…くらい前だったかな。屋敷の前でうずくまって
  いるのを見つけたんだ。」
星矢が母犬の背中を撫でつけながらそう言う。
母犬は、気持ちよさそうにそっと目を閉じる。
 「妙に人なつっこいから、飼い犬かとは思ったんだけど
  首輪してないし、それにかなり弱っていたしな。」
真新しい赤い首輪を見ながら、星矢は少し困ったような顔をする。
 「腹が大きいから、子供がいるんだろうなぁって思ったら…
  なんかさ。放っておけなかったんだ。」
 「だからここに連れてきたんだ。」
僕がそう言うと、星矢が頷く。
 「必ず俺が面倒見るからって、ここの飼育係の人に無理やり
  頼み込んで預かってもらってるんだ。」
そう言って立ち上がった星矢は僕を見て言う。
 「離乳も済んだみたいだし、そろそろこいつらの引き取り手
  見つけないとな。」
 「うん…。」
星矢の言葉に僕は頷きながらも、なんとなく悲しくなってきて
思わず子犬を抱きしめる。
 「どうした?」
星矢が僕の様子に気がついたのか、そう聞いてくる。
 「うん…。家族がバラバラになるのって、なんだか悲しい
  なって思ったんだ。」
 「そうだな…。」
星矢も急にしんみりしてしまったので、僕は慌ててわざと
明るい声を出す。
 「やだな。星矢まで暗くならないでよ。」
 「その“まで”ってなんだよ。俺の事そんなに年中
  脳天気な奴だとでも思ってるのかよ。」
星矢も気を取り直したのか、そういって僕につっかかってくる。
僕は笑って言い返そうかと思ったけど、ふとあることを思いついて
星矢に言う。
 「ねえ、沙織さんに頼んでみない?」
 「へっ?」
唐突な僕の台詞に星矢が目をぱちくりとさせる。
 「沙織さんに頼んで、飼ってもいいって承諾がもらえれば、
  なんとか僕たちで面倒みようよ。」
 「そう…だな。それいいな。」
星矢が右手の指をパチンと慣らして賛同してくれる。
 「じゃ、僕さっそく話しに行ってみるよ。一匹連れていくね。」
 「なんで?」
 「こんなに可愛いの見たら、きっと沙織さんも
  うんって言ってくれると思うから。」
僕がそう言うと、星矢が身を乗り出す。
 「じゃ俺も行くぜ。」
 「ん…だったらちょっと待っててくれるかな。
  先に兄さんに見せたいから。」
そう言うと、星矢が露骨に顔をしかめる。
 「一輝にィ?食われるなよ、お前。」
そう言って片目を閉じると子犬の頭を撫でた。
     
     
     
 僕は子犬を抱えたまま、二階へと続く階段をかけあがる。
僕の隣の部屋が、兄さんの部屋…なんだけど、あんまり使われて
いないのが事実で…。
まあそれは、この際おいておくということで。
僕は兄さんの部屋の前までくると、ノックはせずに静かにドアを
開ける。
そおっとなるべく音をたてないように中を覗き込むと、ベットに
兄さんが寝ているのを確認する。
ちょっと嬉しくなって、僕は腕の中の子犬の頭を撫でると足音を
忍ばせてベットに近づく。
 「兄さん。」
返事がない。
 「兄さん、おはよう。」
気を取り直してもう一度そう声をかけたけど、聞こえてないのか
無視してるのかやっぱり返事がない。
      
      
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