それは古ぼけた赤い屋根の家だった。 白い組み木の壁はペンキが剥げかかって、ところどころもとの木目が覗いている。 洋風を意識した作りの小さな家だった。 白樺林の奥深くひっそりと、人目を避けるかのようにただ静かにそこに佇んでいた。 ああ…私の中に人が住まなくなってから、一体何年経ったのだろう。 しとしとと、雨が大地を濡らす日も ざわざわと、風が木々の間を抜ける日も 私は人を、愛せる人を待ち続けていると言うのに… …今日もまた、雨が降る…。 しとしとと、しとしとと 私の心を洗い流さんばかりに…。 パシャパシャという軽い水音が聞こえ、私はふとそちらの方に意識を向ける。 子供達がこちらの方に向かって来るではないか。 私は嬉しさのあまり思わず軽く身を震わせる。一体何年ぶりに見る人だろうか…。 ああ、願わくば神よ。彼らが私に気付きますように。 「うわっ!上から下までびしょびしょだぁ!」 木陰に飛び込むなり、くせっ毛の少年が服についた水滴を払い落としながら叫ぶ。 「急に降り出したからな。」 空を見上げながら、髪の長い幾分年上らしい少年が応じて言う。 「…とうぶん止みそうにないぜ?」 ぼそりと金髪碧眼の少年が流暢な日本語で言う。 「…このまま濡れて帰るしか、ないんじゃないか?」 仕方なさそうに先程の少年が答える。 「おい。」 弟らしき小さな少年の体を、これ以上雨に濡れないようにとかばいながら、年長者 らしき少年がとある方角に向かって顎で指し示す。 「そんな事しなくても、立派に雨はしのげるぞ。」 「空き家みたいだな。」 一通り確かめ、金髪の少年(氷河と言った)が、そう判定をくだす。 白い壁は所々灰色に煤け、閉じられた窓の桟にはうっすらと埃が溜まっている。 それは、長い間人が住んでいないことを感じさせた。 「何でもいいからさっさと入ろうぜ紫龍っ! 寒いぃっ!風邪ひいて死んじまう…!」 ぶるっと身震いし、両手で体を擦りながら大袈裟に足踏みするくせ毛の少年に、 紫龍と呼ばれた黒髪の少年は苦笑しながら言う。 「じゃ、ともかく入らせてもらおうか。」 「入ろっ入ろっ!」 「あっだめ!星矢!」 急いで入ろうとする少年の服の端をつかみ、緑の髪と瞳の少年が叫ぶ。 「なっ何だよ瞬!」 急に引張られた勢いで、後ろにつんのめった星矢があせって言う。 自然、紫龍と氷河の目も瞬に集まる。 とたん瞬は真っ赤になり、兄の一輝の後ろに隠れるようにしておずおずと言う。 「だって…あの…誰かのおうちを訪ねる時はちゃんとごあいさつしてから入り なさいってシスターが言ってたから…だから…ぼく…。」 とうとう俯いたまま、何も言えなくなってしまった瞬の髪をくしゃりと手ですいて、 一輝が微笑みながら言う。 「瞬の言うとうりだな。」 「…確かに。」 氷河が納得する。紫龍も頷く。頭をポリポリとかきながら星矢が声を張上げる。 「んじゃあ、しっつれいしま〜す!」 とたん、キイィ…っという鈍い音と共に、今まで閉まっていたドアが微かに開く。 ギョッとしたのは星矢だけではない。 「今の…何だよ…?」 「…ドアが開いたんだ。」 後ずさりながら言う星矢に、平然と氷河が返事をする。やや顔を強ばらせていたが。 クスクスと笑い声がする。振り向くと瞬がうれしそうに微笑んでいた。 一輝が不思議そうに尋ねる。 「…何がそんなにおかしいんだ?」 「あのね…きっとこのお家が“おはいりなさい”って言ったんだよ。 だからぼくたちお客様なんだ。」 「そんなもんか…?」 と一輝。眉間にシワを寄せて弟の言った事を考えてみる。 「そんなもんにしておこうぜ。」 とたたみかける様に氷河が言ったとたん…。 「…ハッ…ハ…ハクション!」 盛大なクシャミを、星矢が披露する。 あまり盛大なものなので、皆一様に顔をあわせつい笑ってしまう。 「とにかく入ろう。このままじゃあ皆、風邪をひいてしまうからな。」 星矢の背中をごしごしとこすってやりながら紫龍が言うと、一輝と氷河が頷いた。 「おじゃましまーす…」 「少し暗いな。」 家の中は夕暮れ時のせいか薄暗く、ほのかな陽の光が部屋をセピア色に染めている。 「おい、誰か明かりつけろよ。」 振り向きざまに一輝がそう言うと、兄のシャツの裾をしっかりと掴んでいた瞬が、 ふいに駆けだしながら言う。 「ぼくわかるよ。さっき見たから。」 そして、まもなく家中に明かりが灯る。 「しかしまあ…。さすがというか何と言うか…。贅沢な家だなぁ。」 部屋の中にある調度品を、見回しながら感心した様に紫龍が言う。 彼とて孤児院育ちである。決して物に対する目が肥えている訳ではない。 それでも一目で一流だと判る程、その品々は気品を備えていた。 「おーい。みんなこっちこいよぉ!」 「ねぇ兄さん。来て来て!」 いつの間にか家の中を探検していた星矢と瞬が、興奮した声で皆を呼ぶ。 つられて一輝達が部屋の中に入る。 「兄さん見て。暖炉があるよ。」 目をキラキラさせて瞬が一輝の腕を両手で掴み引っ張る。 「紫龍。これ火つけられないのかなぁ。」 暖炉の中を、しげしげと覗き込みながら星矢が尋ねる。 「さあ…。どうかな…。」 困った様に紫龍。物知りの彼でも限界はあるらしい。 「大丈夫だ。煙突は詰まってないようだし、造りはしっかりしているからな。」 ざっと点検した氷河が言うと、皆が感心したような目で彼を見る。 「なるほどな…。」 「ねえ氷河。火つけられるの?」 一輝がつぶやき、瞬が期待に満ちた目で氷河の顔をのぞきこむ。 真っ正面から見つめられて、少し赤くなりながら氷河が答える。 「ああ。薪さえあれば…。」 「燃やすものか…。どうする?」 紫龍が振り返り、一輝に向かって問いかける。 「そんなもん、そこら中にゴロゴロしてるぜ。」 何をいまさら、と言わんばかりの口ぶりで両手をポケットに突っ込んだまま 一輝が肩を竦める。そうだ、そうだと星矢が無言でぶんぶん首を縦に振る。 「…で、どれを薪にすればいいと思う?」 うーんと、問われて紫龍が腕組みをする。一輝はあっさりと 「適当に、目につくもんから燃やしてしまえばいいじゃないか。」 と言って去っていったが、さすがにこの見事な調度品の数々を前にして、 手当たり次第という気分にはなれなかった。 子供心にも、あまりにもったいないと言う気になる程の品々である。 「早くしないと日が暮れちまうぜ。」 と言う氷河はまるっきり他人事のような顔である。 紫龍、多少むっとしたのか逆に問い返す。 「お前はどう思うんだよ?」 「さあ?でも下手に燃やすとあとで辰巳の奴に殴られそうだな。」 再びうーんっと紫龍が考え込む。 怒られるのは嫌だが、このまま寒さで凍えているのはもっと嫌だった。 とにかく、何か燃やしてもよさそうな物は…と辺りを捜していると…。 …カラン…。聞き覚えのある独特の乾いた音が、部屋中に響き渡る。 そう、まるで木の棒が倒れたような…。 びくっと思わず二人は一瞬首を竦めたが、おそるおそるそちらの音のした方へ 行き、ドアを開けると…。 「やったっ!」 どうやらこの小さなスペースは、薪の保管場所だったようで、大小さまざまの 木切れが所狭しとひしめきあっていた。 「手斧もあったぞ!」 氷河が刃の具合を、陽にかざして検討しながら言う。 二人でせっせと転がった薪を集め、持ちやすいように束にする。 「これだけあれば充分だろ?」 「たぶんな。」 思った以上に重い薪を抱えてよたよたしながら、暖炉のあった部屋に急いで 戻ろうと一歩踏み出したとたん、 「あっ!」 と紫龍が小さく叫ぶ。二、三歩先を歩いていた氷河が慌てて振り返る。 「な、なんだ?」 「火をつけるものっ!氷河、お前ライターかマッチ持ってるか?」 「そんなもの俺が持ってるわけないだろ。」 「一輝か星矢が持ってるわけ…。」 「ないよな。たぶん。」 二人して思わず溜め息をつく。 「何かの本で、木と木を擦りあわせれば火がつくって書いてあったな…。」 氷河は持っていた薪を足元に置くと、痺れた腕を軽く振る。 「ああ、あれか?…火がつく前にたぶん夜が明けるんじゃないのか?」 「俺もそう思う…。」 再び溜め息。 「あーあ。薪はこんなにあるのになぁ。」 投げやりな口調で、氷河が足元にあった小石を思いきり蹴飛ばした。 カンッカンッとあちこちにぶつかっては跳ね返る硬質な音がしたかと思うと、 かつん!といい音とともに何かが紫龍の頭に落ちてきた。 驚いた反動で座っていた紫龍は後ろにひっくり返る。 「いてっ!氷河!危ないじゃないかっ!」 「あ、すまんっ。」 ぶつぶつ言いながら、痛む頭をさすりつつ起き上がろうとして何気なく落ちてきた 物に視線を向ける。とたん、紫龍の目がまんまるになる。 「…マッチだ…。」 「…は?」 慌ててそれを拾い上げるが、やっぱりマッチだった。それもまだ新品の。 二人して見上げてみたが、棚のようななものは何も見当たらなかった。 「…俺…さっきから思ってたんだが、あまり都合よく行き過ぎてないか…? 薪が欲しいと思えば見つかるし、マッチがないと言えば降ってくるし…。」 紫龍が幾分気味悪そうに振り向いて、氷河に言う。 氷河は、ちらりと紫龍を横目で見て言う。 「俺はもう考えないことにした。」 紫龍も、そうする事にした。 世の中には、いくら考えても解らない事は、たぶん山のようにあるだろう。 「兄さん!星矢!こっちだよ、こっちっ!」 瞬が一輝の腕を引っ張って、もう片方の手で行きたい方向を指し示す。 「どうしたんだ、瞬?なんかあるのか?」 一輝が尋ねると瞬は引っ張るのを止め、言葉をさがして考えこむ。 「…あのね、よく解らないけど、こっちにおいでって言ってるの。」 「誰が?」 星矢が口を挟む。なんだかよく解らないが、好奇心をそそられる話だ。 「うん。この家が。あっほらまた呼んでる。…兄さん聞こえない…?」 一輝と星矢が、思わず互いの顔を見る。 「ほら、はやく食べろよ。」 「うん。はい兄さん、あーん。」 「え?」 目の前に差し出された実に一瞬戸惑うが、ありがとうと言って食べる。 「おいしい?」 「ああ。おいしいよ。」 「よかったぁ!」 次はね…と手の平の木の実を選んでとろうとする瞬に一輝は慌てて、 「いいよ。ほら、さっさと食べないと 星矢がみんな食べちまうぞ。ほら見ろよ。」 一輝が親指で横を指し示すと、そこには確かに木一本食い潰しかねない 程の勢いで食べ続ける星矢がいた。 「なんかいったかぁー?」 星矢が二人の視線を感じて振り向く。 口のまわりと、着ている赤白のストライプのTシャツは、木の実の汁で 真っ赤に染まってべとべとになっている。 ぷっと瞬が吹き出す。一輝もにやにや笑っている。 星矢だけが、何も解らずきょとんとした顔で立っていた。 パチパチと薪のはじける音が響き始めた。 あたりがあかあかと照らし出され、夜の闇を追い払う。 暖炉の前には紐が張られ、湿って重くなった服が並べて掛けてある。 彼らのちょうど真ん中には、星矢のTシャツに詰めるだけ詰めこんだ木の実が あったが、それももうほとんど残ってはいない。 星矢達は、それぞれ家具に掛けてあったシーツで体をくるみ、暖をとるかの ように互いに身をよせあっていた。すぐに、暖炉の火が、部屋を暖めるだろう。 「氷河、はい。」 一輝の隣にちょこんと座っていた瞬が、そう言いながら自分の左側のシーツを 広げてにっこりと微笑む。 「な、何だよ?」 あせって氷河が問いなおす。 「何か聞こえたか?」 「うんにゃ。」 瞬がぐいぐいと一輝の腕を再び引っ張る。 「ねぇ、行こうよ!とってもいいものがあるって言ってるよ。」 「いいものー?」 星矢の目がぱっと輝いた。 「うん。ええっと…。」 瞬が何かを聞くように、耳をすませる。 「おいしい木の実があるよって。」 「らっきいー!」 パチンッと指を派手に鳴らすと、星矢が瞬の腕をとる。 「早く行こうぜ!一輝、なぁーにもたもたしていんだよっ。 瞬、なっ、どっちにいくんだっ!」 今度は一輝と瞬が顔を見合わせる番だった。 「すっげェ…。」 星矢が思わず息を飲む。目の前には、自分の背丈より大きな木があり、 その木には赤い実がたわわに実っていた。 「クリスマスツリーみたいだね。兄さん。」 「ああ、そうだな。赤と緑だし。」 瞬は背伸びをして、一粒大きな実を摘むと口に含む。 「あっ、あまーい。」 「ほんとだー!」 星矢は早くも口いっぱいほおばっている。両手はすでに幾粒もむしり、 いつでも口に頬張れるよう準備している。 「ほら、瞬。」 一輝が瞬の手に、粒が大きくて甘そうな実を選んで乗せていく。 小さな掌は、すぐにいっぱいになってしまった。 「ありがと。兄さん。」 にっこりと嬉しそうに瞬が微笑むと、一輝は照れ笑いをしながら鼻の頭をかく。 「ここにおいでよ氷河。いっしょに暖まろ。」 「俺は…。いいよ一人で。」 そう言って断ろうとする氷河の手を、瞬は両手でクイクイと引っ張る。 「だって一人じゃ寒いでしょ?みんなで一緒になると、とっても温かいんだよ。」 ね、兄さん、と瞬が兄の方を向く。 「…まあな。」 無邪気に問いかける瞬に「ちがう」と否定もできず、まして正直に「氷河が瞬の隣 に来るのがいやだ」とも言えない一輝が黙り込む。 結局面白くなさそうにそっぽをむくと、しぶしぶ頷いた。 「ほら。だから氷河、こっちにきてよ。」 「え…?あっああ。」 微かに頬を赤らめながら、氷河は瞬の隣に座った。 「あのね。三匹の犬といっしょに眠るといい夢見れるんだって。ほんとかな…?」 瞬がこくびをかしげて氷河に尋ねる。 氷河が返事をする前に、星矢が右手をぶんっと勢い良く振り上げ叫ぶ。 「んじゃあっ俺、人間やるっ!犬一匹多いけど少ないよりはいいやっ。 あとみーんな犬だぁ!きーまりっ!」 「誰が犬だっ誰がっ!」 「じょーだんっ!」 一輝と氷河が同時に声を上げる。 「へっへーん!早いもん勝ちだもんねー!」 「おいっ!星矢、そこを動くなよっ!」 立ち上がり、胸を張っておおいばりする星矢に、さっきの憂さばらしもあってか 一輝がとびかかる。が、待ち構えていた星矢はさっとよける。 「そこを動くなと言ったろーがっ!」 「んな事誰がきくかよ!」 あかんべーをする星矢に、一輝がますますムキになる。 捕まえようとする度、星矢は持ち前の身軽さでひょいひょいとよける。 …テーブルの上、ソファの裏、椅子の下。 小柄な体をフルに動かしているため、そう簡単には捕まらない。 「兄さん、ケンカしちゃだめだよっ。」 今にも泣きそうな顔で言う瞬に、隣に座った氷河が平然と言う。 「安心しろ、瞬。一輝は星矢に遊ばれているだけだから。」 「そーそっ。」 氷河の台詞に星矢が調子をあわせる。 予想外の答えに、きょとんと目を見張って瞬は二人を交互に見つめた。 「誰が遊ばれているだとっ!氷河、瞬から離れろ!星矢、そこを動いたら ただじゃおかないからなっ!」 命令形の一輝の言葉にカチンときたのか、氷河はこれみよがしに瞬を抱きしめ、 星矢にも負けない位のあかんべを一輝に披露する。 「ひょうが…?」 話の展開についてゆけず、瞬はただ小首を傾げただけだった。 「瞬!」 「おい紫龍!今だ!星矢を捕まえろ!」 一輝と氷河が再び同時に叫ぶ。 「捕まえた!」 「でっ!」 いきなりの攻撃に、星矢は避けるまもなく紫龍に足を捕まれ、ひっくりかえる。 「ひっ卑怯だぞっ紫龍!」 「こーゆうのを油断大敵って言うんだぞ。」 そういいながら、紫龍はそのまま星矢の足の上に座り押さえつけると、 足の裏をこちょちょとくすぐり始める。 「ぎゃ!くすぐって〜!ひーやめったったんまっ!」 「まったなしっ。星矢おとなしく降参するかっ。」 じたばたじたばた、なんとかもがいて逃げようとするのだが、日頃の訓練の たまものか体重の差か、上に乗った紫龍はびくともしない。 「降参するかっ。」 「ね…ねば・ぎぶあっぷ!」 星矢は息を切らせながら、聞きかじりの英語で叫ぶ。 そーかそーかと、紫龍が体をくるりと反転させ、今度は星矢の脇腹を集中的に くすぐりはじめる。 ぎゃーぎゃーとわめく星矢をよそに、一輝は無事氷河の腕から瞬を奪還するのに 成功していた。 「紫龍!俺もまぜろっ!」 氷河は叫ぶより早く星矢の足を脇にはさむと、力一杯くすぐりはじめる。 一輝に負けた腹いせの氷河と、降参するまでやめる気のない紫龍の二人がかりで くすぐられても、星矢は降参しなかった。 しかしそのお陰で、わめく声すら枯れ、ぜーぜーと肩で息をするまでくすぐられ 続ける結果となった。 「疲れたよぉ〜…腹へったよぉ〜…。」 「あんだけ食っておいてまだ足りないのか?」 うつぶせになったまま、情けない声を出す星矢に、あきれた声で氷河が言う。 「俺は育ち盛りなんだぞー。…あ〜腹へったよぉ〜。」 「お前がとっとと降参せんからだろが。」 火の番をしている一輝が無慈悲に言い捨てる。 「うるせェやい。降参なんて男の恥だ。」 訳のわからぬ理屈をこねる星矢に、同じように瞬がころんとうつぶせになって、 ずりずりと目先まではいずってくる。 「星矢おなかすいたの?じゃあ…あげる。」 にこにこしながら星矢の前で握りしめた右手を開くと、小さな掌の上には キャンディがひとつ乗っていた。 「えっ!これくれんのか?」 確かめる前に、すでに手はキャンディにのびている。 「瞬…それ…は…?」 なにげなしに見ていた紫龍は、ふと声をもらす。 燃えやすいよう薪を割っていた氷河も、彼の訝しげな声に振り返る。 「お前…まだもってたのか…。」 一輝は半ば感心し、半ば呆れたような声で問う。 「えへへ…。」 照れた様に、舌をちょろっと出し瞬が笑う。 「あっそーいゃーこれ!」 しばらく解らず、皆の顔を見渡していた星矢がぽん、と手を打つ。 「このキャンディ、確かお前が誕生日にもらったやつじゃないか!」 そう。それはほんの数日前、賄いのおばさんに貰った一握りのキャンディだった。 誕生日のプレゼントというにはあまりにもささやか過ぎるが、それでも誕生日など 人から祝ってもらった事の無い瞬は大喜びで、それは大切にしていたのだ。 「うん。ひとつしかないけど、これでちょっとでもお腹ふくれる…かな…?」 ゴメンネといわんばかりの瞳で星矢を見る。 「だってこれ瞬の、だろ。俺いいよ。」 そう言ってキャンディを返そうとする星矢に、あいかわず手斧で薪を割りながら 氷河が口をはさむ。 「もらっとけよ。瞬がくれるっていうんだからさ。」 「でも…さあ…これ…。」 助けを求める様に、紫龍の方を向く。紫龍もただ微笑んでうなずく。 一瞬躊躇したが、何か名案が浮かんだのか、星矢はぱっと明るい表情で包紙をむく。 「じゃ、半分こなっ!」 そういうなり、歯でガリリと二つに割る。 「くすっ。あまいね。」 「だろっ。」 微笑む瞬に、得意気な顔でそう星矢が言う。 「これじゃあ、どっちがもらった立場なのか解らないな。」 一輝はそう言いながら、瞬の頭をクシャクシャになでる。 自分の手に笑いながらじゃれつく瞬を寝かしつけるように、ぽんぽんとその肩を 軽くたたく。 「あのね兄さん。ぼくこの家大好きだよ。だってとっても暖かいよ。」 「あたたかい…か?」 「うん。とっても。ほらこうやって目をつぶって耳をすますの。」 瞬がその翠の瞳を閉じると、つられてみんなが一斉に目を閉じる。 「ほら…。もう遅いからお休みなさいって子守唄を歌ってるよ。」 |