「てやーっ!」 「たあーっ!」 一輝が勇ましい掛け声とともに木に拳を打ち付けた。 その横で瞬がじっとその様子を見つめている。 アンドロメダ島に瞬が、デス・クィーン島に一輝が送られる事に決まった日、一輝が 瞬を違れ出しここに来て、もうどれくらいたっただろうか。 「瞬っ!」 「は、はいっ!」 いつになく厳しい目の兄に名を呼ばれ、瞬が緊張する。 「やってみろ、瞬。」 こくりと素直に瞬は頷き、兄の真似をして木に拳を打ちつけるが、あまりの痛さに顔v をしかめる。 「そうじゃない、こうだ。もっとほら…こうっ!」 一輝が再び拳を木に叩き込む。 「もう一度やってみろ。」 「ぼく…いやだ。」 「瞬?」 「ぼくできないっ!」 叫ぶ瞬に一輝が驚く。 こんな弟は見たことがなかった。 一度だって瞬は自分の言う事に逆らったりした事などなかったというのに…。 いつもと弟の様子が違うのは気になったが、それでも一輝はなおも拳の稽古を続けさ せようとする。 「瞬!わがままいってないでやってみろ。」 「やだっ!」 「しゅんっ!」 あくまで逆らおうとする弟に、思わず一輝が手を振りあげるが、ぐっと押さえる。 「叩けばいいよっ!ぼくこわくなんかないっ!」 バシッ! 音高く瞬の頬が鳴り、はっと一輝は瞬を見る。 瞬は少し青ざめた顔で、打たれた頼を押さえ兄を見あげていたが、突然くるりと体の 向きを反転させると走り出した。 「瞬…。」 ぼう然と一輝は自分の右手を見る。 瞬を殴ったのは生まれて初めてだった。 まだ感覚の残る掌を握り繍めると、はっと顔をあげ、弟の名を呼ぶ。 「瞬っ!」 慌てて一輝が瞬を退って走り始める。 「瞬、まてっ!」 瞬は、全力で走っていくが一輝の足にはかなわず、すぐに追いつかれてしまう。 「瞬っ!」 ぐいっと弟の肩を引っ張った拍子にがくんと足元の土が崩れ、瞬もろとも急な斜面を 転がり落ちていく。 「いってぇ…。」 したたか打ち付けた肩を押さえながら、一輝がうめく。 が、ばっと起き上がると急いで隣の弟を抱き起こす。 「瞬…ケガは…?」 ばんぱんと瞬の体に付いた泥を叩き落としながら、一輝が心配そうに聞く。 瞬はされるがままになっていたが、黙ったまま首を横にふる。 ずっと下を向いたままの弟の肩が時々微かに震え、しゃくりあげるような声が小さく 漏れている。 わざわざ間かなくても泣いていることが解る。 しきりにさっき叩かれた頼を手で擦りながら、一輝の顔を見ようとしない。 小さく溜め息をついて、言い聞かせるように口を開く。 「瞬…。もう俺はお前の側にいてやれないんだ。だから、今俺が瞬にしてやれる事 はこれしかないから…。」 「兄ちゃんのうそつきっ!」 きっと瞬が一輝をにらみつける。 「しゅ、瞬!?」 「ずーっとずーっと一緒だって言ったのにっ!」 思わぬ激しさに一輝が黙る。 「兄ちゃんぼくと約東したのにっ!僕を一人にしないって約束…した…のに…。 兄ちゃんなんか…兄ちゃんなんか…。」 涙が語尾を濁らせる。 一輝はぎゅっと瞬を抱き締める。 「ごめんな…瞬。」 ひどく辛そうな声の兄に、瞬がびくりと体を強張らせる。 「兄ちゃん、約束守ってやれなくて…ごめんな。」 瞬の体の震えが激しくなる。 「瞬…泣いていいぞ。我慢しなくってもいいぞ。」 その声を間いたとたん弾かれたように一輝の顔を見るなり、ひっくひっくとしゃくり あげ始め、ぽろぽろと涙が溢れ出る。 「にい…ちゃんっ!」 瞬が一輝の首にしっかりとしがみつく。 一輝も強く抱き返しながら、泣きそうになるのをぐっと我慢する。 「いいか瞬、強くなれ。絶対にここに帰ってくるんだぞ。約束だぞ。」 瞬が目にいっぱいの涙を溜めたまま、こくりと頷く。 「に…ちゃんも…。」 「ああ。絶対に。」 約束、と瞬が小指を突き出す。 笑って一輝がそれに自分の小指をからませる。 「だから瞬、もう泣くなよ。これが最後だぞ。」 「うん、約東だね。」 ごしごしと強くこすったせいか、よけいに目を赤くはらしながら、それでもなんとか 涙を止めた。 そして、にこりと瞬が笑ってみせる。 こみあげる思いに再び一輝は弟を抱き締める。 「兄ちゃん?」 不思議そうに尋ねる瞬をよりいっそう強く抱いて、一輝は声を殺して涙を流す。 くやしかった。 ただ悔しくて悔しくてたまらなかった。 どうして目分には力が無いのだろう。 力さえあれば瞬を泣かせる事も、こんなふうに無理矢理笑顔を作らせる事もなかった いうのに。 「兄ちゃん。」 小さい声で心配そうにつぶやいて、瞬が一輝を抱き締めようと一生懸命腕をまわす。 「しゅ…ん。」 明日なんかこなけれぱいい。 明日になったら瞬は遠い所へ連れ去られてしまう。 そうなったらもう会えないかもしれない。 永久に。 だから…明日なんかこなければいい。 どんなに願っても叶わない事だと知っているけれど。 「瞬。」 「なあに?」 「瞬、泣くなよ。」 「うん。」 「何があっても負けるなよ。」 「うん。」 「瞬…。」 「兄ちゃん。」 何度も弟の名を呼ぶ。 瞬もそのたび返事をする。 「瞬、大好きだよ。ずっとずっと大好きだよ。」 腕の中の瞬が何度も何度も頷く。 そのたび瞬の髪が頼のあたりを微かにこする。 もう、瞬は泣いていなかった。 一.輝も泣くのを止めていた。 涙はもう…一滴も出なかった。 いつまでも難れない子供二人の上に、木漏れ日が暗い影を落としていた。 ──明日なんかこなければいいのに…!─ ─輝はそう願わずにいられなかった。 |