月の光が開け放った窓から、ベットの上に落ちる。 微かに虫の鳴く声だけが響く部屋の中で、小さく瞬は溜め息をつく。 今夜は、なぜか全く眠れないでいた。 ベッドの上でシーツにくるまってじっとしてみるのだが、眠気は 全然やってこない。 生きている物は全て、眠っているみたいに静かだ。 静かすぎて不安になる。 もしかしたら、生きている物だけじゃなく僕の目に映る壁の絵も、 テーブルも、その上の花瓶の花でさえ眠っているのかもしれない。 そんなことをぼんやり考えていると、なんだかこの世界で自分一人 だけ取り残されているような気さえしてくる。 目を閉じてみる。 …やはり少しも眠くならない。 眠ってしまえば、このいわれのない孤独感から逃げ出せると解って いるのに。 再び両目を開け、思わずふうっと吐き出しそうになった息を慌てて 飲み込む。 こんな小さな動きでさえ、この薄く張り詰めた世界をガラスのよう に粉々にしてしまいそうでひどく怖くなってしまったので。 …この世界が無くなってしまったら…どうなるのかな…? 試してみたくはあるが、それ以上に怖くもある。 結局何をする訳でもなく、瞬は出来るだけそっと静かに溜め息をつく と暗闇の中じっと目を凝らす。 …何も変わらないようだった。 ちょっと安心して、もっと不安になった。少し身動ぎをしてみる。 …やっぱり何も起こらない。 もっと大胆な気分で大きく寝返りをうってみる。 とたん、カタリ…と何か固い物が床の上に落ちたような、そんな 微かな物音がしてびくっと僕は体をひきつらせ小さく身を縮めた。 …何だろう?何だろう!? 自分の心臓だけが、どきっどきっと波打っている。 全神経が音のした方向に耳と目になってしまう。 しかし、それ以上何も起きないようだった。 それでも気になって仕方がなかったので、瞬はベットの上に起き上が ると絨毯の上に足を降ろし、気配を殺して歩みよる。 「えっ何…?」 硬い小さな物を踏んだ感触に、その足を慌ててひっこめ屈み込む。 「あっ…。これは…。」 床に落ちていたそれを指先で摘むと、左手の掌の上に乗せる。 月の光をはね返して、それはキラリと光った。 「ビー玉だぁ。」 懐かしい思いと共にしばらく手の上で転がしていたが、もう一度指で 摘むと月の光に透かして見る。 きらきらと硬質のきらめきを放ちながら、ビー玉は淡い影を絨毯の上 に小さく落とす。 それを眺めているうちに、ゆっくりと安心感が全身を包む。 この小さなガラス玉が、今自分のいるここが現の世界なのだと告げて くれたような気がする。 「ばかみたいだ。」 何だか今まで子供のように脅えていた自分が、ひどくおかしくなって くすくすと忍び笑いをしてしまう。 今になってみれば、さっきまでの緊張感は何だったのか、 すでによく解らなくなってしまっていた。 「きれい…。」 しばらくビー玉のきらめきに見入ってしまう。 「子供の頃、よくこれで遊んだなぁ。」 といっても、兄さんや星矢達とはちょっと違ったけど。 僕はどちらかというとビー玉をぶつけあうより、こうして陽に透かし て見つめているほうが好きだったし。 ふふっと口許が自然にほころんでしまう。 僕がまだ小さかった頃、よく兄さんからビー玉をもらったっけ。 それもまだ一度も使っていない、傷ひとつないきれいなのを。 『瞬、ほらこれやるよ。』 『わぁ!きれい…。ありがと、兄ちゃん!』 『へへっ。またとってきてやるからな。まってろよ。』 そこまで思い出してぷっと吹き出した。 そういえば、あのビー玉の数々は確か兄さんの戦利品だったっけ。 兄さんケンカと同じくらい強かったから。 おかげで僕のコレクションは、両手いっぱいにあふれるくらいあった けれど。 小さい頃の記憶を辿りながら半分の月を見ていると、ふと瞬はある事 を思い出した。 「はんぶんのおつきさま…か。」 『あのな瞬。月がちょうど半分の時に願い事すると かなうんだってさ。』 それはまだ僕が小さくて、事あるごとにすぐ泣いて兄さんを困せて いた頃、少し照れながら兄さんが教えてくれた、とっておきの おまじないの言葉。 もう一度ビー玉を月の光にかざす。ビー玉ごしに見えるのは半月。 きれいに半分。 「マジカル・ハーフ・ムーン、マジカル・ハーフ・ムーン。 どうか兄さんに会えますように。」 口からついてでるのは祈りの言葉。 あの島にいた頃、夜ごと唱えたおまじない。 「光の力と闇の力はいつも引きあってて、ふたつの力がちょうど つりあう瞬間に唱えると、どんな願いでもかなう…か。」 兄さんに教えてもらったおまじない。 兄さんは母さんに教わったって言ってた。 いろんな事があったけど、結局は僕の願いはかなったのだと思う。 …今こうしてここにいるのだから。 「今度は何を願おうかな?」 せっかくの半月。何か願いをかけたくなる。 毛足の長いじゅうたんの上に座り込んだまま、瞬はぼうっと月を ながめていた。 いつの間にか、小さく歌を口ずさんでいる自分に気が付いた。 ふっと口を閉じ、首をかしげるともう一度はじめから歌い始めた。 最初は思い出しながらなので、かなりたどたどしかったがそれも すぐに消えた。 …観客は月だけ。歌は、夜の闇に吸い込まれるように溶けていった。 「星矢でしょ?そこにいるの。」 歌い終わると月を見上げたまま、すました顔で瞬がそう言うと、 キイ…とドアが開き、照れ臭そうな顔をした星矢が入ってきた。 「やっぱ、ばれたか。」 「ばれるよ。そんなに好奇心一杯の小宇宙出したままじゃ。」 くすり、と瞬が笑う。 「…何してんだ?」 「お月見、なんてね。星矢はどうしたの?こんな真夜中に?」 「…なんかさ、眠れなくってさ。眠ろうとは思うんだけど、 かえって目がさえちまって…。」 ぽりぽりと、寝ぐせのついた髪を、自分の指でよけいに乱しながら 星矢が言う。 「僕もなんだ。」 ぺろりと舌を出して瞬が言う。星矢もそれに応えてへへっと笑った。 「こっちにおいでよ。月が見えるから。」 「ん。」 月明りが、ぼんやりと窓の形の影をじゅうたんに描く。 その光の上に座り込んで二人で月を見上げる。 あぐらをかいて座った星矢が、ポツリと月を見上げたままこぼす。 「ふつー、月見って満月のときにするよな?」 「そうだね。でもいいんじゃない?半分だけっていうのも、 たまにはさ。」 瞬も月から目を離さず答える。星矢肩を竦めて、 「ま、なんでもいいや。」 しばらくの沈黙。星矢がおずおずと隣に座っている瞬に話しかける。 「あのさ…さっき歌ってたやつ… あれ、もういっぺん歌ってくれないか。」 きょん、と瞬は目をしばたかせ星矢の顔を見る。 「歌って…このこと?」 出だしの部分を少しだけ歌ってみせる。 「あ、うんそれ。たのむっ!」 「うっ、うん。」 勢いこんで言う星矢に、瞬が少したじろいだ姿勢のまま歌い始めた。 歌詞はどこの言葉か全く検討も付かなかったが、そのメロディーが かもしだす、甘く、せつない、それでいてどこか温かいものを捕らえ ようと星矢は耳をすます。 何かが、心の中で浮かびあがろうとしてもがいているのだが、 なかなか出てこれない。 一生懸命その記憶の糸をたぐりよせようとしたが、つかんだと思った 瞬間、タイミングよく歌が終わった。 「あっ…。」 「どうしたの?」 訝しげに瞬が聞く。申し訳なさそうに星矢が 「ごめん、瞬。もういっかい…いいかなぁ…。」 「いいよ。…この歌、好き?」 問いかける瞬に、星矢は少し考えて言う。 「好き…だと思う。なんっかさ…なつかしいような気がする。」 「そう。じゃ、歌うね。」 「うん。」 今度は、もう星矢は自分の記憶をたどろうとはせず、歌う瞬の横顔を しばらく見つめ、それから月を見る。 「瞬。」 「ん?」 「何て言ってんだ、その歌。」 小首をかしげて瞬 「さあ…。僕も知らない。僕がいた島にずっと昔から 伝わっている曲だって。」 それからくすり、と笑って 「変かなぁ。歌詞は解らないけど、この曲好きだなんて。」 「んなことないぜ。俺もその曲好きだし。」 「よかった。」 瞬が笑う。つられて星矢も笑う。 …こん、こん。 乾いた、ドアをノックする小さな音に二人顔を見合わせ、 おどけて肩をすくめる。 「入れよ、紫龍。」 「夜分遅くにすまんな。」 星矢が部屋の主に代わって返事をする。 すると静かにドアが開き、紫龍がすまなそうに入ってくる。 「つれが一人いるが。」 「氷河も?」 瞬がきょとんとした目で小首を傾げながら、部屋に入ってくる紫龍 と氷河を交互に見る。 「察するに、二人とも眠れなかったようだねェ。」 新しく入ってきた二人をかわるがわる見ながら、 星矢がからかうように言うと、 「ああ、目が冴えてしまってな。」 紫龍が苦笑する。 「急ににぎやかになったね。」 もともと広い部屋なので、瞬がテーブルをどけると四人が座れる スペースはすぐにできてしまう。 「瞬、さっきの歌だが。」 唐突に氷河が口を開く。 「歌?」 「ああ。」 ふと瞬が自分の口元を押さえて黙りこんだので、 氷河が不思議そうに尋ねる。 「どうした?」 「僕…そんなに大きな声で歌ってた…?」 「いや、そういう訳ではないんだが…。」 言葉に詰まった氷河に代わり、紫龍が続ける。 「歌が聞こえたのは、ここに来て始めて分かったのだが…。 何か呼ばれたような気がしてな。魅かれる様にして来たんだ。」 いったん言葉を切り、紫龍はくいっと横に立っている氷河を親指で 指し示すと 「氷河も同じ理由らしい。ドアの前で鉢合わせた。」 「………。」 軽く考え込む瞬に、紫龍が尋ねる。 「どうした?」 「うん…。今思い出したんだけど、この歌、 鳥よせの歌なんだよね。」 「とりよせェ!?」 星矢がすっとんきょうな声を出して驚く。 「そう。詳しい歌の内容は知らないけど、鳥をよせる為の言葉が、 僕がいた島の古語で織り込んであるって…聞いた…。」 氷河が、面白くなさそうな顔でぼそりと言う。 「じゃあ俺たちはその歌に寄せられて来た、という訳か…?」 「…かなぁ…。」 「俺と氷河はまぁ解るとして、なんで紫龍までよってくるんだ?」 いぶかしげに星矢が紫龍に聞く。 「龍の体は、ありとあらゆる全ての動物の骨を、一本ずつ集めて 作られたというからな。きっとそのせい…ではないか…?」 あまり自信がなさそうに紫龍が答えた。 まあ自分が鳥ならばともかく、いくら守護星座がそうだといっても、 鳥よせの歌に引き寄せられてしまうというのは、何ともいえない 気分になる。 「その位にしておけ紫龍。瞬さっきの歌、歌ってくれないか?」 「うん、いいよ。」 たのむ氷河に、くすくす瞬が笑って快く承諾する。 「だめだぜ、瞬。さっきから何度も歌っているんだからな。 これ以上歌わせんなよ氷河。瞬の喉が枯れるじゃないか。」 星矢が横から抗議する。 「…お前が何度も歌わせたんだろうが。」 「…んなこたぁ、どうでもいいじゃんか。」 図星をさされて、星矢が不貞腐れる。 「いいや少しも良くない。なぜ俺がお前の為に我慢しなくては ならない?」 「誰も俺の為にがまんしろっていってないぞっ!」 「まあまあ…。」 紫龍がなだめながら、口を尖らせて文句を言う星矢の肩を後ろから 軽く押さえる。 口より手や足の方が早い星矢のこと、早めに押さえておこうとする 紫龍の配慮がそこにあった。 「星矢ありがと。でも僕平気だよ。」 笑って収めようとする瞬に氷河が言う。 「瞬、こいつに礼を言う必要はないぞ。こいつは単に お前の歌を俺に聞かせるのがイヤなだけだ。」 「…氷河。」 「なっなんだよっ!」 紫龍が静かに氷河をたしなめるが、既にかっとなった星矢は腕を振り あげている。 「ストーップ!」 |