飛びかかりかけた星矢とすばやく身構えた氷河の動きが、鋭い瞬の
その一言でぴたりと止まる。
 「これ以上騒ぐのなら、二人とも僕の部屋から追い出すよっ!」
腰に両腕をあて、厳しい口調で言う瞬に、
 「ごめん。」
 「すまん。」
星矢、氷河とも素直にあやまる。
 「鶴のひと声、だな。瞬。」
紫龍が茶化すと、瞬の頬がぽうと微かに赤くなる。
 「ほら、みんな座ってよ。僕歌うからさ。」
ごまかすように言う瞬に従って、皆がそれぞれ適当な場所に座ると、
期待まじりの視線を瞬に向ける。
 「なんか、緊張しちゃうな。」
照れたようにふふ、と笑うと、軽く目を閉じ小さく深呼吸をする。
やがて微かに開かれた瞬の口から、澄んだ音色がこぼれだす。
特別、瞬の歌声がうまいという訳ではない。というよりそれを歌、
と表現するのも難しい気がする。
例えるなら、鳥のさえずりのようにも聞こえる。
ただ、そうやって聞いている者の記憶に感じると言うより、
もっと深いところにある大切な“何か”に優しく触れられるようで、
なぜかむしょうに魅かれるのだ。
その音色は、低く高く、波が寄せてはかえすように緩やかに変わり、
潮が引いていくように静かに消えた。
歌が終わって、しばらくの沈黙が流れる。
 「やはり…何というか…。妙になつかしい気がする曲だな。」
考え深げに紫龍が言う。
 「聞いたことはない曲なのだが…。」
 「俺も同じだ。」
氷河が短く同意する。
 「ごめん、ちょっと僕水飲んでくるね。
  何度も歌ったら咽が乾いちゃった。」
瞬がそう言って立ち上がると、紫龍が詫びる。
 「すまない、瞬。無理を言ったようだな。」
手をひらひらとふって瞬が笑う。
 「やだなぁ。こんな事くらいでそんなに気にしないでよ。
  それよりみんな眠れないのなら、いっしょにお月見しない?」
 「お月見?」
瞬の提案に、氷河が訝しげに聞き返す。
 「なんだよ、氷河知らないのかよ。」
ここぞとばかりに星矢が乗り出して言った。
 「月見って言うのはな、満月の晩に月見だんごを食べること
  なんだぜ。」
…あながち間違いではないのだが…何かが違う…。
紫龍はそう思ったのだが、あまりにも星矢が得意満々で言い切るので
あえて黙る。
 「…なぜ、満月の晩にだんごを食べる?」
氷河が素朴な疑問を返す。
「うっ、そっそれは…。あっ瞬台所にいくんなら俺も行く!
 確か冷蔵庫の中に大福があったろ?あれみんなで食おーぜっ!」
あたふたと瞬の後を追って星矢が出ていった。
 「…逃げたな。」
氷河が横目でドアを見遣って言う。
紫龍は軽く笑って星矢の代わりに答える。
 「月見というのは月を祭る風習のことだ。俺もよくは知らんが、
  日本には昔からあったらしい。おそらく太陽を祭ったりするのと
  似たような理由だろうな。」
 「ふ…む。」
なんとなく納得したような、してないような返事を氷河がする。
 「しかし、今日は半月だな。」
 「…満月だろうが半月だろうが、同じ月には変わりないのだから、
  別に差しつかえはないだろう?」
笑って言う紫龍に、氷河も頷く。
 「戻ってきたようだな。」
 「ああ。」
がちゃがちゃと、ガラスがふれあうような小さな音が近付いてくると
ドアが勢いよく開く。
 「おまったせェ〜!ほら場所開けろよっ。」
星矢の威勢のいい声で、静かだった部屋がまた賑やかになった。
     
     
 「星矢…こらっ!」
どぼどぼと、勢いよく注いでいる瓶のラベルを目ざとく見つけ、
嬉しそうに飲もうとした星矢のコップを紫龍が横から取り上げる。
 「これは酒だろうが。…どこから持って来たんだ?」
 「ないしょ。いいじゃんか、せっかくの月見なんだからさ、
  ちょっとくらい。」
なっなっと星矢は紫龍に手を合わせて頼み込む。
軽く溜め息をつくと、紫龍は星矢にコップを返す。
 「ついでしまった物は仕方が無いから…これだけだぞ星矢。」
 「へへっ。らっきぃー!」
紫龍の諭すような言葉を、聞いているのかいないのか
星矢はほくほくと返してもらったコップを両手ににぎりしめて、
自分の座っていた場所に戻って座り直す。
 「瞬、飲め。」
 「氷河…僕、未成年なんだけど…。」
困ったような声で瞬がそう訴えるが、それに構わずとぽとぽと氷河は
無造作に瞬のグラスにワインをつぐ。
 「日本の法律に従う義務はない。」
氷河が、きっぱりとそう言い切る。
さらにご親切なことに、瞬の為につまみ等々を皿にとり分け万全の
態勢を整える。
先程の自分の歌に対しての、彼なりの感謝の仕方なのだろうと
瞬は思う。
 「…まあ、そうかもしれないけど…。」
軽く溜め息をついて、目の前にわざわざそなえてくれたつまみに
手をのばす。
 「でも、こんなお酒なんていったいどこで手にいれたのさ?」
 「城戸邸に行けば腐るほどある。」
当たり前のように氷河が言う。
 「あ…そう…。」
瞬が返す言葉もなく、黙り込んでしまった。
 「氷河、頼むから星矢にそういう事を教えないでくれないか。」
星矢の教育上悪い。
言外にはっきりとその意志をにじませながら、あきれたように言う
紫龍に氷河が言い返す。
 「あいにくだが、俺は星矢から教わった。
  ついでにどれが高くてうまい酒かも、な。」
 「………。」
無言で、紫龍は星矢の頭をげんこつで軽く殴った。
 「てっっ!」
星矢が大袈裟に頭を押さえる。
瞬と氷河がそれを見て笑うと、つられて星矢と紫龍も笑い出した。
     
     
 「おやすみ。」
 「おやすみ、瞬。」
口々にそう挨拶をかわすと、瞬をのぞく三人は自分の部屋へとそれぞ
れ戻っていった。
  …まだ、夜が明けるには間がある。
今度はなんだか眠ってしまうのがもったいなくて、瞬はベランダの
手すりに体をもたせかかり、頬を押し付ける。
冷たい鉄の感触が、ほてった頬に気持ちいい。
 「ちょっと飲みすぎた…かな?」
調子に乗っていつもより多く飲んじゃったしな。
 「でも…楽しかったぁ。」
ふふふっと吹き出すように笑うと、もう何度目かにもなるその歌を
口ずさむ。
手のひらの中には、返しそびれたビー玉ひとつ。
右手から左手へ、今度は左手から右手へと転がっていく感覚を楽しむ
ようにビー玉を転がしていく。
  …半分の月は、まだ静かに輝いていた…。
今度祈る事はもう決めたけど、ちょっと欲張りかもしれない。
でも、いいよね。
 「マジカル・ハーフ・ムーン、マジカル・ハーフ・ムーン。
 みんなといつまでもこんな日が続きますように。」
誰にも聞かれたりしないよう、小さな声で唱える。
もうおまじないの瞬間はとっくの昔に過ぎただろうけど、そんなこと
は全然かまわなかった。
だってマジカル・ハーフムーンがだめなら、ひょっとしたらどこかの
神様が聞いてくれるかもしれないし。
 「あははぁ。やっぱり僕は欲張りだ。」
ついでに、兄さんが早く帰ってきますように。
 「眠たい…なぁ。」
どうして眠りたい時は眠れないのに、眠りたくない時はこんなに
眠いんだろう…?
ゆるやかな風が、子守歌がわりに瞬の頬を撫でていった。
     
     
 「………ろ。」
 「ん…?」
心地良いトーンの響きが聞こえる。
誰か喋っているようだけど、何を言ってるのか解らない。
意識をその声の方に向けようとすると、海の底から浮きあがる時の
ような独特のふわっとする感覚が起こる。
 「起きろ、瞬。」
重い瞼をやっとあげると…目の前に兄さんが立っていた。
 「お帰りなさぁい。にぃさん。何でこんな所にいるの…?
  あ、わかったぁ〜。これ夢なんだぁ。」
 「…まだ寝ぼけてるな…。」
 「ちゃんと起きてるよぉ。そうだ、だったらきっと僕が歌った
  曲に寄せられてきたんだぁ。」
 「歌だ?」
訝しげに兄さんが聞き返す。
 「そうだよ、歌。鳥寄せのぉ。すっごいなぁ。
  兄さんまで引きよせちゃうんだ。」
 「…?何の事だ?」
僕がぼやぁと笑ってそのまま目を閉じると、兄さんのあきれたように
つぶやく声が聞こえる。
ひどく眠たい。どうしてこんなに眠いのかなあ。
 「眠るならベットに行け。こら、こんな所で寝るな。」
 「うん…。」
兄さんの声が、とても遠く聞こえる。
ほらやっぱり夢なんだ。だって返事はしたけど全然体が動かない。
兄さんが軽く笑って、ふわりと僕は持ち上げられた。
 「ガキのくせに酒なんぞ飲むからこうなるんだ。」
 「僕、ガキじゃないもん。」
 「なら自分で歩いてベットへ行け。」
 「やだよーだ。」
すりすりと額を兄さんの胸にこすりつける。
大きな胸がとても暖かいけど少しくすぐったい。
降ろされると、シーツの柔らかな布が僕の頬にあたる。
 「ほら、寝ろ。」
夢の中の兄さんも、僕を子供扱いするんだ。
…僕の夢の中でくらい、命令しなくてもいいじゃないか。
何とか言い返そうと、もぞもぞ動いても、目がやっぱり開かない。
静かに兄さんの手が僕の前髪を梳く。
でも、その手の優しさとは裏腹な言葉が降ってくる。
 「いいかげんにしろ。目も開けられないくせに、
  何をじたばたしとる。」
 「でも…やだぁ。」
やっと伸ばした手で、兄さんの服の端をしっかり掴んで握りしめた。
 「何を駄々をこねている。」
 「だって…。」
どうせ夢の中なんだから、これくらい甘えたって構わないよね。
やっと目をこじ開けて、僕は兄さんの顔を見る。
 「眠ったら、兄さんがまたどこかへ行ってしまうような
  気がするから…。」
軽い溜め息を、兄さんがもらす。
 「解ったから寝ろ。」
 「んっ…。」
やっと安心して、兄さんの服の端を握ったまま僕は眠ってしまった。
     
     
…翌朝…。
 「兄さん…?なんで僕のベットにいるの…!?」
目をこれ以上開かないくらいに見開いて瞬が尋ねる。
朝起きたら、隣に誰かがいるのだ。
びっくりしない方がどうかしている。
いつの間に兄さん帰ってきたんだろう?
その疑問をありありと瞳に浮べて、瞬は一輝に視線で問う。
煩そうに一輝は片目を開けると、瞬の右手を指差した。
…その手はまだしっかりと兄の服の端を握りしめている。
慌てて手を離したが、耳まで赤くなってしまった。
少しだけ、昨夜の事を思い出す。
 「あの…兄さん…?」
小さな声で尋ねる瞬に、一輝が答える。
 「お前が離さんのだから、ここで寝るしかあるまい。」
 「だって…あれ、夢だと…。」
 「どうりで我が儘言い放題だった訳だ。」
片ひじついて一輝が、トマトみたいに熟れ切った弟の顔を面白そうに
のぞきこむ。
 「わっわがままって…?」
正直言って、眠る間際の事は全然覚えていない瞬は、おそるおそる
兄に尋ねる。
 「さてな。」
にやり、と笑って一輝はそのままごろりと瞬に背を向けると、
また目を閉じる。
 「ぼ、ぼく何か言ったっ!?」
あせって兄さんの腕をゆする瞬に、意地悪そうに言う。
 「いろいろと・な。夜が明けるまで俺はお前のおしゃべりに
  付き合わされたぞ。」
とうとう首どころか、肩まで真っ赤になってしまった瞬を見て
一輝がくっくっとくぐもった笑いをもらす。
「兄さん…。」
どう反応していいのか解らない瞬だけが、とり残されていた。
     
     
寝る、と宣言するなり、本当にそうしてしまった兄さんの隣で、
ただ茫然と僕は座り込んでいた。
 「…ねがいごと…かなったの、かなぁ…。」
まあいいや。兄さんが帰ってきてくれたのなら。
ふあああぁ。夜更ししたせいか、まだ眠い。
「へへ。」
ちょろっと舌を出して、僕は兄さんの隣にもぐりこみ目を閉じた。
     
     
*END*
     
     


めずらしく、青銅五人出てきた話です。
たまには聖闘士じゃなく、こんなごく普通の仲間としての
彼らを書いてみると、なにやら楽しくもありせつなくもある
なんというか、複雑な気持ちになります。
ちなみに、イメージソングは谷山浩子の「眠レナイ夜」です。
  
あ、一応言っておきますが、例の半月のまじないというのは
私が勝手にこさえたものですので、信じないように。(^^;)
昔このネタで、オリジナルを書こうとして挫折したのでした。
      
      
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