自分があげた悲鳴で目が覚めた。
一瞬ここが何処なのか、いや自分が誰なのかでさえ
分からなかった。…息が荒い。
大きくあえぐように空気を何度も吸い込む。
 「夢…?」
少し落ち着いて、声に出してそう呟いてみた。
その声が 微かに部屋に響き、現実だとおしえてくれる。
けだるい体を起こし、座り直すと溜め息をつく。
着ているパジャマは汗でじっとりと重たい。
まだ体が少し震えている。
もう一度、あたりを見渡す。
今日は新月…淡い光さえ入らない部屋の中は、暗闇と
言ってもよかった。
額の汗を拭おうとして、慌てて自分の両手を見る。
血はどこにもついていない。
やっとあれは夢だったのだと信じることができた。
 …あまりにも、生々しい夢…。
思い出して、ぶるっと身震いする。
今ならはっきりと解る。
あれは…僕が傷つけた人の流した血なのだと。
胸が締め付けられるように痛い。
パジャマの上から、自分の心臓のある所をぐっと強く
握り締める。
そっと隣を見る。…兄がいた。
規則正しい寝息が聞こえ てくる。
 「ああ…。そうか。」
小さく呟いて、始めて瞬の口許に笑みが浮かぶ。
久し振りに、兄さんが帰ってきてくれたんだっけ…。
 (起きなかったみたい…よかった。)
それでも少し不安になり、兄の胸にそっと頬をあてて
目を閉じた。…兄さんの心臓の音が聞こえる。
その鼓動を聞くうちに、だんだん落ち着いてきた。
 (赤ん坊に、お母さんの心臓の音を聞かせると落ち着く
  って話聞いた事があるけど…僕もそうみたいだ。)
何となく嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちが僕の
中でいっぱいになる。
 (でもいいや。気持ちいいから…。)
もう一度、今度は安堵の溜め息をつく。
 「どうした。」
ふいに大きな腕が投げ出すように僕の頭に置かれる。
一瞬、びくっと肩を竦め思わず僕は兄さんにしがみつく。
 「びっくりした…兄さん起きてたの?」
僕はしがみついたまま、顔だけあげて兄さんに聞く。
 「お前が俺の上に乗った時からな。」
少しかすれた声で兄さんが笑う。
笑いながらも、その手で僕の髪をすくようにして優しく
撫でてくれる。
あまり気持ちがいいので、僕は目を閉じて兄さんの胸に
頬を乗せる。
 「眠れないのか?」
兄さんが聞く。
 「解らない…。」
 「ただ…。」
 「ただ、どうした。」
 「このまま朝がこなければいいのにな…。」
溜め息のように口から台詞がこぼれ落ちる。
 「…何をおびえる?」
 「うん…。」
言葉を濁して目を閉じる。耳を澄ますと兄さんの鼓動が
聞こえる。とく…とく…とく…
 「夢を…見たんだ。」
 「どんな夢だ。」
 「嫌な夢…。僕が誰かの血を啜っている夢…。
  でも、たぶん夢じゃないんだ。」
兄さんの手が髪を撫でるのをやめ、僕の顎を持ち上げる。
なるべく兄さんの顔を見ないようにして僕は言う。
また兄さんに泣き言を言ってるのだと解っているから。
それでも、あまりに僕の中では重すぎて苦しいので
吐き出してしまう。
 「だって…僕は人殺しだから。」
人殺し…嫌な言葉。吐き出した口の中が苦くなる。
 「ああ。そうだな。」
短く兄さんが答える。
その言葉にきゅっと僕は目を強く閉じる。
僕の言葉は兄さんも傷つけた…!
 「それでも、俺達は戦わなくてはならんだろうな。」
 「兄さん…。」
静かな、それでも微かに苦笑の色が見える口調で、
兄さんが言う。僕は何も言うことが出来ず、黙って兄の
顔を見つめてしまう。
ただ静かに、僕を宥めるように髪を撫でられる心地好さに、
そっと目を伏せる。
髪から頬へ兄さんの手が移る。僕はその手に顔を埋めた。
     
…『正義』とか『平和の為』とかいくら大義名分を
かかげようとも、僕たちのしている事はただの人殺し…。
     
この先、僕は何人の人をこの手で殺すのだろう?
強制された訳ではない。
この戦いに挑む事は、僕自身が選んだ事なのだから決して
後悔はしたくない。
でも…出来る事なら、もう終わりにしたいと思うこの気持
ちは…やはりこの現実から逃げている事になるのだろうか?
 「つらいか?」
静かな声でそう尋ねられて、僕は黙って首を横にふる。
 「いいえ。…ちょっと嫌な夢を見たから、臆病になった
みたい。少しもつらくなんかないです。」
そう言って無理矢理笑顔を作って笑って見せる。
兄さんは、微かに苦笑いを浮かべると僕の両手首を掴み、
そのままくるり、と体の向きをかえる。
今まで兄さんの胸に頬を乗せていた僕は、あっという間に
兄さんに抱き込まれた形になってしまっていた。
 「に、兄さん?」
いきなりの行動にびっくりして兄さんの名を呼ぶ。
 「何故泣かん。」
 「え…?」
口許を笑う形にした兄さんが、僕の耳元で囁くように言う。
くすぐったさに肩を竦めて僕は意味が解らず、
聞き返す。
 「泣きたいのに何故泣かない。他の奴の前ならともかく
  俺の前で感情を偽るな。」
 「…いつも泣くなっていうのに…。ずるい。」
口を尖らす僕に、兄さんがフンと鼻で笑う。
 「兄貴の特権だ。」
 「ほんとにずるいよ…一生懸命我慢してたのに。」
そう抗議する僕の声はすでに震えている。
 「兄さんの…バカ。」
僕は兄さんの首に思いきりしがみついていた。
涙が堰を切ったように僕の目からあふれ出す。
それを見られたくなくて、僕は両目を兄さんの肩に強く
押し付ける。
そうやって初めて、僕は泣きたかった事に気付いた。
 「泣き虫は変わらんな。」
からかうような声でそう言いながら、兄さんの腕は
僕の背中をあやすようになでてくれる。
     
   …僕は悲しいのだろうか。
   それとも苦しいのだろうか。
     
自分の事ながらよく解らないけど、これだけは知ってる。
僕はたとえ人殺しと罵られても、世界中の人の命をひき
かえにしても、この人の腕を離しはしないだろう。
     
   …兄さんさえ、いればいい。…
     
これ以上傲慢な望みが他にあるだろうか?
今も、そしてこれからも。
     
     
     

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