「すっげえ人だかりだな…。」
 「うん。本当にすごいや。」
裏通りを抜けて、大通りに出たとたん、所狭しとひしめきあう人込みに
圧倒されてしまった。
 「兄さん達も出るのかな?」
 「さあ。とにかく前へ行こうぜ。ここじゃ何も見えないからさ。」
 「あ、待ってよ星矢。」
先に歩く星矢の赤いシャツを目印に追いつこうとしたが、たちまちこの 
人込みの中にかきけされて見えなくなってしまった。
しばらく星矢の姿を捜していたが、とうとう見つからず、瞬一人だけが
ぽつんと人込みの中にたたずむ。
 「…はぐれちゃった…。」
あーあと溜め息をついたとたん、ドオンッと勇ましい太鼓の低音が
あたりに響きわたる。
続いて観客の歓声とともに、神輿の担ぎ手達の時の声が上がる。
 ウオオオオオッ…!
太鼓や笛の音にあわせて周りの人だかりがまるで波のようにうねる。
何も彼も音が大きすぎて聞こえなくなる。
…そこから先はよく覚えていない。
思考が白く焼き付いてしまって何も考えられない。
      
  目の前のおばさんが笑っている。
  すぐ左のおじいさんが踊っている。
  右ななめ横の女の子達が拍手をしている。
  神輿の上のおじさんが何か叫んでいる。
      
テンポのいい掛け声と太鼓の音だけが、頭の中でわんわんと反響する。
空を見上げると、主を失った青や赤の風船が二つ三つたよりなげに空に
登っていくのが見える。
何かふわふわする足元が頼りなく、ふらつきながら人込みの中を泳ぐ
ようにして進む。
鼻がつんっとつまり、目の下がじんわり熱くなる。
とても息苦しくなって思わず喉を押さえてしまう。
そうしてどのくらい歩いただろうか。
いきなり強く腕を掴まれる感覚にはっとするが、構わずそのまま人込み
の中から引っ張りだされ、抱きとめられる。
その腕の主を見上げると、霞がかかったような視界に兄の顔がうつる。
少しもはっきりしない頭で言う。
 「兄さん…?」
 「何ふらふら歩いている。危ないぞ。」
 「うん…星矢とはぐれちゃった…。」
あたりを見回すように、きょろきょろと瞬が頭を巡らせる。
弟の目の焦点が合っていない様子に、かすかに眉をよせるとひょいと
かつぎあげるが、何の抵抗もなくぐったりと抱かれている。
一輝はそのまま静かな場所に移動した。
     
     
 「ほら。ゆっくり飲め。」
 「ん…。」
差し出されたお茶を少しだけ口に含む。
 「気持ち悪い…。」
 「調子に乗ってはしゃぎすぎるからだ。」
ぶっきらぼうな口調ではあったが、まだ少し顔色の悪い弟の頭を
自分の肩に優しくもたせかける。
そっと頬から髪にかけて宥めるように撫でてくれる手にひどく安心する。
 「あ、いたっ。しゅーん、いっきぃー!」
遠くから星矢と紫龍が駆けてくる。
走ってくるなり、瞬の顔色の悪さに気付いた星矢が驚いて聞く。
 「どっどうしたんだよっ、瞬!」
 「星矢、もっと静かに。」
一輝の睨みつける目と、紫龍の窘める声に慌てて口を押さえ、声の
トーンを極力落として一輝に問う。
 「瞬…どうしたんだよ?」
 「人込みで酔ったらしい。」
 「大丈夫かぁ…。」
心配そうな星矢に瞬がかすかに微笑む。
 「大丈夫だよ…。少しこうしていれば…。」
そう言うと再び目を閉じて一輝の腕に頭を寄せる。
 「星矢、ここは二人だけにしておこう。なるべく静かにしておいた
  方が治りも早いだろうし。」
 「ああ、わかった。」
瞬から目を離さず素直に頷く星矢を見て、紫龍が一輝に言った。
 「冷たいタオルを借りてきたほうがいいか?」
 「いや…大丈夫だろう。」
 「そうか。もし気分が良くなったら、この裏の土手で花火をやる
  そうだから、来るといい。」
 「絶対こいよな。瞬の分とっておくから。」
 「星矢、行くぞ。」
紫龍に肩をとられ、何度も後ろを気にしながら星矢が去っていった。
 「…もういいぞ。」
一輝の言葉に、瞬がきゅっと兄の腕にしがみつき荒い息をつく。
うっすらと汗が額ににじみでる。
 「見栄なぞはるな。」
答える余裕もなく浅い息を繰り返す。
星矢達に心配をかけまいと無理してしたのは、とうに兄に見抜かれて
いたようだ。
しばらくそうしていたが、やっと落ち着いたのか軽く深呼吸をして
兄の腕から手を放した。
 「少しは良くなったみたいだな。」
 「うん…。ありがと、兄さん。」
 「どうした?瞬、何があった。」
優しいトーンの声が耳に心地好い。
 「…あんなにたくさん人がいるなんて…。」
 「驚いたのか?」
少し沈黙があり、それから考えながらぽつりぽつりと瞬が喋りはじめる。
 「そう…かもしれない。でも…何といっていいのかな…
  うん、ちょっと感動した。」
 「感動、か。」
 「そう。ああ、こんなにたくさんの人が皆ひとつのことで
  まとまってるんだなって。」
 「そうか…。」
くしゃりと一輝が瞬の頭をなでる。
手に持ったお茶をもう一口飲むと、とんと地面に降りる。
 「なんだかどきどきしたよ。どきどきしすぎて頭の中が
  真っ白になっちゃったもん。」
そう言って笑う弟の笑顔にしばし見惚れる。
 「お祭りって楽しいね。みんな楽しそうに笑ってるよ。みんな…ね。」
 「あまり動くな。まだ唇の色が悪い。」
 「もう平気だよ。だってほら日頃鍛えてあるし。」
星矢の真似をしてガッツポーズをしてみせる。
兄さんが笑う。瞬もつられて笑っている。
 「星矢達が学園で待ってるんでしょう?早く行こうよ兄さん。」
そう言ったとたんふいに…
      
  ドーン…!
      
と爆発音が響き、はっと瞬が振り向く。
夜空に大輪の火の花が咲き誇っていた。
      
  ドーン…パチパチパチ…
      
赤や青、黄色、オレンジ色とりどりの光が、瞬の視界いっぱいに
広がっていく。
何度も何度も艶やかに咲いては、散っていく。
その姿は、何かを思い出させる。何かを。
      
それは…人の命…。
今まで見てきた何人もの生と死。
      
 何人殺した?
 僕は何人殺した?
      
見上げたまま凍りつく視線を、無理矢理兄の背中に戻し、そのまま
その背中にしがみついた。
かすかに押さえきれない震えが一輝に伝わる。
一輝もまた、その花火を見上げていた。
 「もう…進むしかないからな。何があっても。」
誰に言うともなく呟いた台詞に瞬が頷く。
すると、急に自分の視界がぼんやりにじんできて慌てて兄の背中に
顔を擦りつける。
 「こら。俺の服をタオルがわりにするな。」
 「いいじゃない。少しくらい…。」
 「このまま星矢達の所まで運んでやろうか?」
 「…兄さん意地悪だっ。」
瞬は慌てて両目を擦るが、今日は特に涙線がいう事をきいてくれない。
 「兄さん…止まらない。」
兄の背中におそるおそる瞬が訴える。
一輝は軽く溜め息をつくと、瞬の髪をくしゃりと掻き回す。
 「少し待ってろ。」
 「え?」
そう言うなり、一輝は軽く膝を曲げ飛び上がる。
きょとんと今一歩状況を把握していなかった瞬が、見上げる間もなく
兄が着地する。
 「何?」
無言で差し出された糸の先を、反射的に受け取りその先を見ると…。
 「風船…。」
瞬はひとこと呟くと、絶句する。
赤い風船が、握りしめた糸の先でふわふわと風に揺されている。
 「木の枝にひっかかっていた。」
 「…………。」
 「これで泣くのを止めろ。」
ぼっと瞬の顔が赤くなる。
 「に、兄さんっ!また僕を子供扱いしてっ!」
 「いらないなら捨てるぞ。」
糸を掴もうとした兄の手から、急いで風船を庇う。
 「…………いる……。」
一輝が大きく笑いだす。瞬は反論することもできず
赤くなった顔をいっそう赤く染めたまま、糸の先を指先でいじくる。
結局この騒動で、涙はびっくりして止まったらしく、瞬は目に少し
残った涙を袖で拭う。
カラコロと、軽い下駄の音が近付いてくるのにふと顔をあげると、
前方から見知った人々が歩いてくるのが見えた。
いや、若干一名走ってくる。当然星矢だ。
 「しゅんー!お前もう元気になったのかっ!?」
 「うん。ほら、ね。」
瞬がそう返事をしてにこりと笑ってみせると、ほっとしたように星矢が
溜め息をつく。
 「びっくりしたんだぜー。」
 「ごめんね。心配かけて。」
 「瞬。本当に大丈夫ですか?」
心底心配そうに声をかけてくるのは…
 「あれ沙織さん。いつこっちへ?」
 「ええ、ついさっき。やっと仕事が終わって急いで来たのよ。」
そう答える沙織は髪をきれいに編み上げ、明るい紺地に色とりどりの
蝶が舞う浴衣を身に付けていた。
 「沙織さんの浴衣姿も綺麗ですね。」
 「あら、ありがとう。」
瞬が笑顔で感想を言うと、ふふっと少し顔を赤らめて沙織が笑う。
そうして恥ずかしそうに笑っている姿は、いつもと違い歳相応に見える。
 「誰もほめてくれないのよ。わざわざこの為に
  新らしく買ったのに。瞬だけだわ。」
 「あ、きれいだよっ沙織さん !」
慌てて星矢が言う。
 「ごきげんとりしなくってもいいわよ星矢。
  ちゃんと星矢の分は用意してありますから。」
 「サンキュー。沙織さん。」
 「もう…いつもこれなんだから…。」
大袈裟に溜め息をつく沙織の横で、クスクスとおかしそうに
絵梨衣が笑う。
 「用意って?」
瞬が不思議そうに尋ねる。
 「あのね…。」
沙織が口を開いたとたん、
 「な、今から星の子で花火大会やるんだってさ。早くいこうぜっ!」
すでに星矢の足は浮き足だっている。
 「…と言うわけなの。」
 「なるほど…。」
再び沙織が溜め息をつく。
言外に、もういつまでも子供みたいなんだから、という感情が
ありありと伝わってくる。
 「じゃあ、みんなで行きましょう。」
沙織の一声に、皆が歩き出す。
 「兄さんも、行こう。」
数歩先に歩いて振り返った瞬が、立ち止まったまま動かない兄を見る。
 「兄さん…。」
少し悲しそうな声でもう一度兄の名を呼ぶ。
その表情に仕方がない、といったように軽く息を吐き出し、
弟の周りにまとわりつくように浮かぶ風船を指ではじく。
 「ほら、歩け。」
 「うん。」
嬉しそうに瞬が笑った。
     
     
     
     
 「瞬はまだ目が覚めないのか…?」
氷河が尋ねる。
 「ああ。とりあえず出血は止まったが。」
青ざめた瞬の頬にこびりついた血を、一輝が親指で擦り落とす。
洞窟の壁にもたれかかるように座った一輝の膝に、横抱きにするよう
に瞬を抱えている。
瞬の着ていた聖衣はすでに残骸と化して、そばに転がっている。
他の四人の聖衣も同様にかなりの破損が見られる。
 「俺達の為に無理なんかするから…。」
紫龍がおこした焚き火の前に、膝を抱えるようにして座った星矢が、
ぽつり呟く。
 「しかし…あの時瞬が小宇宙を極限まで燃やしてくれたからこそ、
  俺達が今ここにこうしていられるんだ。」
そう星矢に言いながら、雨水を溜めた大きな葉を、静かに紫龍が
一輝に渡す。
一輝はその水を、そっと瞬の薄く開いた唇の中に少しだけ注ぎ込む。
かすかに瞬が身動ぎして、喉が水を飲み込んだ。
微かに一輝の目に安堵の色が浮かぶ。
洞窟の外は冷たい霧のような雨が降っていた。
 「解ってるさ。星矢も。」
ぴりり。氷河が自分の着ている服を裂き、自分の腕にすばやく巻きつけ、
血を止める。
 「聖戦は終わったと思っていたが…。」
紫龍がやりきれない表情で呟く。
 「ああ。確かに聖戦は終わった。
  だが人間どうしの争いはまだ続いているのさ。」
今まで黙っていた一輝が皮肉めいた口を開く。
 「…一輝、代わろう。お前も少し眠った方がいいぞ。」
紫龍が言う。一輝はそっと腕の中の弟を抱き直して答える。
 「いや…。まだいい。」
 「そうか。」
洞窟の地面は湿って冷たい。
体力も気力も使い果たした瞬を寝かせるには、あまりにも悪すぎた。
 「…雨、止まないかなぁ…。」
 「そうだな。」
外を見ながらぽつり星矢がこぼす。
紫龍もただその言葉にうなずく。
押し潰されそうな不安があたりをつつむ。
息をつくのでさえ重く苦しい。
いったい、いつになれば、何度戦えばこんな戦いが終わるのだろうか。
聖戦が終われば…そう思っていたが、状況は以前と少しも変わらない。
いや、前にも増して悪くなったというべきだった。
以前が『戦い』であったなら今は只の『殺戮』。
たとえ聖戦が終わろうが終わるまいが、人間たちは変わらず互いの
欲の為に殺しあう。
でも、この雨が止めば、何か良い方へ進むのではないだろうか。
確証はなにもない。でもそう思っていなければあまりにも辛い。
だから皆思う。この雨が止めば、と。
     
     
     
…戦いはまだ終わらない…。
     
     
*END*
     
     


これはずいぶん前に作ったコピー本の原稿です。
ちょうどこの頃湾岸戦争がありまして、テレビとかで
その様子を中継してたのですが、飛び交うミサイルが
まるで花火みたいに見えて、どこかきれいだと思い、
そう感じた自分が怖かったことを思い出します。
     
結局のところ、人間の闘争本能や欲望といったものが
戦争を生み出すのなら、彼ら聖闘士たちが命がけで
戦っている事はなんの意味があるのだろうか、と
かなりマジで考えていた時期でした。
いやぁ、若かったんだねぇ。私も。(^^;)
     
戦っている日常とそうでない日常の境が激しい彼ら、
特に瞬にとって、こういう暖かい記憶は生きる為の
大切な糧になるのではないかなぁ、と思っています。

はぁ〜;コメントが暗いぞ〜;;
      
      

【BACK】【NOVEL】