―須らく看よ、西遊釈厄伝― 繰り広げられた激しい攻防の果てに 西への旅は終わりを告げる。 四人の武勇伝は、やがて物語へ。 -1- トクトクと心地よいリズムを刻みながら、かぐわしい美酒を杯(さかずき)に注ぐ。 満杯に酒をたたえた朱色の杯にひらりと桜の花びらが舞った。 ・・・まるで絵に描いたような風景だ。 「・・・・風流だねェ」 紅色の長い髪を無造作に束ね、天界人の装束に身を包んだ青年が、ぽつりと呟く。 「ま。こーゆーのも悪くねぇケドな」 桜の枝の上に寝そべり、無造作に長い足を投げ出してのんびりと一人酒を楽しんでいた。 ![]() 「宴を外れて手酌ですか?」 不意に、聞きなれた心地よいテノールが足元から響く。 「・・・あ?」 軽く瞳を見ひらいて視線を下に送ると、なじみの秀麗な顔がこちらを見上げて微笑っていた。 「・・・ナンだよ、お前か」 口の端をかるく持ちあげて笑うと、足元の青年も湖水のような深緑の瞳で彼を見上げて微笑った。 続けてひとつ、ため息を落とす。 「まったく困った人ですね、貴方は。さっきから官僚のお偉いさんたちが、探してましたよ?」 「じじい共の相手なんかしたくねーっての」 「ダメですよ、お付き合いも仕事のうちでしょう――”金身羅漢菩薩”?」 「そういうおまえはどーなのよ、最近官僚や天界軍の連中から引っ張りだこじゃん、えーと、 浄・・・浄壇・・・っ・・・」 「”浄壇使者菩薩”、ですよ。いいかげん覚えてください」 「うるせーよッ。今サラ、んな長ったらしー名前で呼べっかッ。八戒でいーだろーが、八戒でッ」 「そーですね。僕も正直、鬱陶しいと思ってたんですよ、――悟浄。」 西への旅が終り、1年が経とうとしていた。 1年前のあの日、激しい攻防戦の末に四人の目の前で吠登城はすさまじい轟音とともに落城した。 紆余曲折を経てようやく天竺の吠登城に到着した三蔵一行を迎えたものは、化学と妖術の果てに 牛魔王との融合を果たして巨大な大妖怪の姿へと変貌をとげた玉面公主の姿であった。 思いかえせば、よくあんなのと戦って勝てたものだと思う。 見上げるほどの巨体は如意棒や錫杖を埃(ほこり)を払うように簡単にはね返し、八戒の気孔の 壁は、そのすさまじい妖力を防御することができなかった。 文字通り、初めから激しく苦戦を強いられた三蔵一行だったが、しかし中盤からこれまで培った 連係プレーや個々の経験が功をなした。 三蔵がこん身の力で放った魔界天浄が敵の急所に命中したのをきっかけに、玉面公主の優勢は崩 れ、四人は少しずつ彼女を追い詰めていった。 戦況が明らかに劣勢になったと理解するやいなや、玉面公主はさして取り乱しもせずに微笑みな がらあっさりと吠登城の自爆スイッチを押した。 あのときの彼女の顔が忘れられない。 「ふふ。アタシの望みはねぇ、このヒトと未来永劫いつまでもどこまでも一緒にいるコトなの」 別々に死ねば、次に二人が同じ時代に生まれ変わることは難しい。 別々に封印されるのもゴメンだ。だから、融合した。 両方の血を引く娘の李厘の身体を媒体にして身体も魂もひとつになった。 これでもう永遠に離れることはない。 「このヒトはアタシだけのモノよ。」 その身体も、流れる血の一滴さえもすべて。 「だから誰にもあげない」 どこか遠くで、激しい爆音の音があがった。城が、崩れ始める。 「アタシは、あの女に勝ったの」 うっとりと幸せそうに最後に玉面公主が微笑んだ。 その姿に八戒はなぜか一瞬、かつての最愛の女性(ひと)の姿を重ねた。 ―だから、さよなら― 涙を流して、どこか幸せそうに微笑みながら自らの命を絶った花喃。 (もしかして貴女は、最後の瞬間、幸福だったんでしょうか?) 応えのない問いは激しい爆音の中に消えた。 四人と玉面公主のいる部屋が、四方から凄まじい速度で崩れ始める。 はがれ落ちる壁を避け、裂ける床を飛び越えながら四人はただひたすらがむしゃらに走って逃げ た。間一髪で城外へ駆け出し、小高い丘に駆け上がった次の瞬間、吠登城は凄まじい轟音をたて まるで積み木の玩具が崩れるようにその姿を失いながら崩れ落ちていった。 互いに傷ついた身体を庇いながら、4人はその光景をただ黙って見つめていた。 旅は終わった――が、結果的には玉面公主の望むままの結末になり、蘇生実験の中核を担ってい た科学者達は、いったん追い詰めたものの、城の崩壊にまぎれてまんまと逃げられてしまった。 その後の消息は未だつかめず、いまなお彼らの捜索がづづいている。 かくして桃源郷を襲った異変は終息を迎えたが、しかしあとに多くの問題が残った。 特に妖怪と人間との間にできてしまった確執はふかく、城の崩壊後、まもなく妖怪たちは自我を 取り戻していったが、恐怖に駆られた人間達によって、抵抗むなしく次々に殺されていったので ある。生き残った妖怪たちは、天界によって保護され、今は、隠れ里に怯えながらひっそりと暮 らしている。 結局、自分たちは、妖怪たちを救うことができなかった。 もう、人間と妖怪が仲良く笑いながら共存する楽園は、桃源郷のどこにも存在しない。 任務を全うし、旅を終えてからの1年は旅をしていた時よりも忙しかった。 桃源郷の異変によって生じてしまった数々の事変の後始末。 それらの陣頭指揮のお鉢が自分達に回ってきたのだ。 妖怪たちによって壊された町や道路の復興作業。行方不明者の捜索、そして生き残った妖怪達の 保護やそのメンタルケアなど。 それらの雑事のために桃源郷内を四人は文字通り東奔西走した。本当にめまぐるしい毎日だった。 そして今からおよそ半年前、天界から召還を受け、四人は新しい名と天界での住居を与えられた。 以後は天界から下界の復興に関する作業を指示する役目を負っている。 「あ、そうそう、紅孩児さんから、貴方に西方地域の妖怪たちの保護状況の報告が届いてましたよ」 「紅孩児から?分かった、後で確認しとくわ」 「八百鼡さんたち、頑張ってるみたいですね」 「まーな。ま、アイツらにしてみりゃ、今回の桃源郷の異変には、不本意だったとはいえ自分た ちも荷担してた訳だから、いろいろツライところはあるんだろーけどよ」 紅孩児は、最後の闘いの途中で自我を取り戻し、最後に三蔵たちに加勢した。 そのため、今後の下界での仕事を手伝うことを条件に、蘇生実験荷担の罪を罷免(ひめん)され 今は八百鼡や独角児たちと共に人間達の手から逃れた妖怪たちの保護活動に奔走している。 「そういえば、お前さっき、軍の統括指令本部の元帥と話しこんでたんじゃなかったのか?」 「ああ、そうですね。祭夏の町の妖怪狩りを収めるために派遣した軍について話してました。 そのあと、天帝からも話しかけられましたが、それはもう当り障りなくかわして、三蔵と悟空 ―あ、今は”栴檀功徳仏”と”闘戦勝仏”ですね。にバトンタッチしてきましたv」 「おまえねー。」 涼しい顔でさらりと言ってのけるところは相変わらずだ。 そういえば、八戒を拾ったばかりの頃につけた「薄幸美人」の称号は同居半年にして悟浄の中か ら速やかに撤去されたのだった。 「俺はいーけどさ。お前が宴会を抜けちゃマズイんじゃねーの?最近マジで各方面のお偉いさん からひっぱりだこじゃん」 八戒については、元々頭の切れるヤツだと思っていたし、これまでの戦闘においても指令塔とし ての役割を担っていたワケだが、天界に来てからは更に各方面でその才覚を表していた。 今では官僚や、軍部など各方面の天界人達が、毎日のように八戒に意見を求めにやって来る。 「貴方だって、医局部門の面々にひっぱりだこでしょう。『特に精神医療方面に長けている』と もっぱら評判ですよ」 「んなことねーよ。まったく、人のウワサ話ばっかしやがって、天界人ってのはヒマ人ばっかり かぁ?、他人のコトは放っとけっつーのッ」 「まあまあ、悟浄。そうはいっても、僕らは明日の祝宴の主役ですからね」 吠登城が崩落して1年。下界の復興作業がようやく一段落ついたために、先日から改めて桃源郷 復興を祝う祭りが催されていた。 そして明日、この祝宴のメインイベントとして悟浄たち四人が天界人として迎え入れられる儀式 が行われる。 桃源郷の異変を身をもって防いだ功労者である自分達を新たに天界人として受け入れる。 その儀式が。そこで正式に四人は天界人としての地位と寿命を拝命することになる。 「明日で、いよいよ僕らも天界人の仲間入りですか」 「・・・・そーだな」 ひらりと二人の間を一枚の桜が舞った。 「悟浄、ここで一人酒もいいですけど、久しぶりに僕の部屋で飲みませんか?西王母様の蟠桃園 でとれた極上の宝桃酒が手にはいったんですよ」 「マジ?門外不出の宝酒じゃん。すっげー、どーやって手に入れたんだよ?」 「それは企業秘密ですよ」 「変わんねーよな、お前も」 やれやれと肩を落して、悟浄はひらりと木の枝から飛び降りた。 庭園の中央では今なお盛大に祝宴が続いている。そこには多くの天界人に囲まれて、げんなりと している悟空と三蔵の姿もあった。 それを少し肩を落して眺めながら、2人はこっそりと庭園を後にした。 宴が催されている天帝ご用達の庭園から、15分ほど離れたところに官僚たちの宿舎が建てられ ている。悟浄と八戒は、半年前から住居用にこの宿舎の一室を与えられていた。 少し離れているが三蔵と悟空も同じ敷地内の宿舎を与えられている。 「この部屋とも今日でお別れですね」 「そーだな」 明日からは、「洞」とも呼ばれているそれぞれの地位を表した住居に移り住むことになっている。 八戒の部屋の床の上に敷布をひき、宴から拝借してきたツマミを並べたところで、八戒がいそい そと奥の部屋から数本の酒瓶と杯を持ってきて並べた。 「何だか懐かしーよな、こーゆーの。」 「そーですね。旅の間と、あと同居時代もよくやってましたもんね」 お互いの杯に酒を注ぎあい、「僕らの前途に向かって」などと適当なことを言って軽く乾杯する。 「ここのところ、祝宴での堅苦しいお酒ばかりでしたから、ようやく人心地ついた感じですね」 「ホント。久しぶりに酒がうめーや」 「貴方は、しょっちゅう抜け出して一人で楽しく飲んでたでしょーが」 「一人で寂しくっていってよ」 「一人じゃなくて、綺麗な女官のおねーさんをたくさんはべらせてた時もあった気がしますが」 「だーもー。うっせーよっ。ホラ、人の揚げ足ばっか取ってねーで、お前も早く飲め!」 開き直って酒をすすめる悟浄に八戒は苦笑しながら、ふと気づいたように懐から数枚の紙の束を 取り出した。 「悟浄、お酒を前に不躾(ぶしつけ)ですが、せっかく人払いができたので、先にちょっと調査 報告させてもらいますね」 ![]() 八戒が少し改まった顏をしたので、すでに飲み会モードだった悟浄も気持ち姿勢を正した。 「貴方から依頼されていた調査、人妖が交わってできた禁忌の子には生殖能力が無いって言って いた件ですが・・」 八戒は一旦ここで言葉を切った。 禁忌の子。 人と妖怪が交わることが、なぜ禁忌なのか。悟浄はこれまでずっと抱えてきたその疑問を三仏神 を通して天界の上級神たちに改めて問いかけた。 妖怪と人間の混血児たちはなぜ、禁忌とされ、不吉なものとして迫害を受けねばならなかったの か。帰ってきた答えは 『禁忌の子供には、概して生殖能力が無いから』であった。 ―生物として、子孫を残すことができない不完全な個体。 だから、禁忌であると。 「確かに、ケースとしては、そういった生殖能力のない子供が生まれる例が数多く報告されては いるんですが・・・」 八戒が、かさりと紙をめくった。 「くわしく調べると100パーセント、そうだという訳ではないんです。」 「そーなの?」 「ええ。現に、何よりもあなたが不能じゃありませんしね。」 不能ってゆーな。不能って。 「ちなみに大変失礼だとは思いましたが、念のため、貴方についても精密に検査させて頂きました。」 「は?」 悟浄の杯が止まった。 「良かったですね、悟浄。貴方、ばっちり子孫を残せますよv」 そうか、良かった―。と、安堵の息をつきかけた悟浄の表情がふと固まった。 精密に検査? 「ちょっと待て、検査っていつの間にやったんだ、そんなの」 検査をするためには、検体となるモノが必要なはず・・・・だが。 「いやぁ、この前貴方が酔って僕の部屋で寝ちゃった時にちょっと拝借しました。まぁ大した事 じゃありませんから、あまり気にしないで下さい」 大した事だよ。気にするだろうよ、普通。 「ってまさか・・・」 悟浄の固まった表情をくみ取ったのか、八戒が意味ありげに、妖艶な表情で微笑った。 「・・・冗談・・・ッ」 「冗談です」 「は?」 「当たり前でしょーが。何を真に受けてるんです。本当は貴方が懇意にしている女官の方にコッ ソリお願いして、コトに及んでる時にサンプリングしてもらったんですよ」 とりあえず、ほっと肩は落してみるが。・・・・何だかそれもすごくイヤなんですケド。 サンプリングされてたのか俺は。 「懇意にしている女官って・・・麗羅か?翠蘭か?」 すごぶる嫌そうな顔で尋ねる悟浄に、八戒はにっこりと笑って答える。 「企業秘密です」 「そーいう奴だよ、お前は」 「という訳で、悟浄、これからも、女性とコトに及ぶ時は気をつけて下さいねー。僕は、記憶を 消したりはできますけど、それ以上のことは出来ませんから」 「おまえねー、その上品なツラでそんなコト言ってっと、お前のファンの女官達が泣くぜ。」 「大丈夫ですよ。きちんとTPOを踏まえてますから。貴方の前で今さら上品ぶっても意味ないで しょう?」 「俺のTPOはシモネタでOKってコトかい。お前のファンの女官達に聞かせてやりてぇよ」 実際、悟浄に言い寄ってくる女官たちの2割は八戒目当てだったりする。 将を射んとすればまずは馬からという魂胆が見え見えなので、ちょっと気分が悪い。 少し不機嫌そうな顔になった悟浄を、八戒が面白そうにのぞき込んだ。 「ジェラシーですか?」 「うっせーよ。言っとくけど、言い寄ってくる女の数は、俺の方が断然多いからな」 「何競ってるんですか」 不機嫌をあらわにする悟浄を見てとうとう八戒は笑ってしまった。 「・・・ベツに競ってるワケじゃねーケドよ」 そう、競ってるワケじゃねーんだけど、何でかむかついてしょうがない。 しかも不思議な事に、八戒にじゃなくて、何故か彼に群がる、女官達に。 なぜだ? 「・・とまあ、一応これが、今のところの結果報告なんですが」 悟浄が、別のところで首をひねっている間も、淡々と話を進めていた八戒は、一旦ここで話を切 り、にこりと笑って悟浄の杯に酒を注いだ。 慌てて悟浄が八戒の杯にも白桃色の酒を注ぎ返す。部屋の中に甘い酒の香りが広がった。 「さて、ここからは、僕の推測ベースの話なんですけどね。先ほどの話のとおり、一世代目の禁 忌の子供は、その両親の血の差が激しいためか、生殖能力がなかったり、まれにとても弱かった りと、多少の障害があるケースが多いんですが・・・ ――実は二世代目からは、その確率が大幅に減ります。」 「えっ、そーなの?」 「ええ。ケースが少ないので、はっきりとはいえないんですけどね。そして、ここがポイントな んですが、総じて禁忌の子供は人と妖怪の双方の良い部分を吸収して、全てに秀でた子供が生ま れてるんですよ。」 悟浄。――貴方が、そうであるように。 人を―特に異性を惹きつける、優美で均整のとれた外見。 並み外れた強靭(きょうじん)な体力と頑強(がんきょう)な身体。 そして、人の心の深い部分を自然に読み取り、それを包容することのできる心。 「生物の雌雄が分かれている理由は、環境の変化に合わせて異種族と交配し、進化するためと言 われています。この激動の時代、知恵をそなえた人間と強靭な心と身体を持つ妖怪が交われば、 環境に適応した新しい種が誕生すると考えるのが自然です。しかし現実は・・・」 次世代を担う新人類として祝福されるべき、混血の子供達は、「禁忌の子」として、迫害された。 「ちょっとまてよ、その話だと、オレ達は『希望の子供達』ってコトになるじゃん、それじゃま ったく矛盾して・・・」 「その『希望の子供達』を、気に入らない方々がいたとしたら?」 「え・・・・?」 「・・・考えたことはありませんか?桃源郷がこれだけの大きな異変をかかえて大事に至ってい るときに、なぜ天界は、僕ら四人だけにその対処をまかせたのか。本来ならば天界軍や調査団を 大量に派遣して、一気にカタをつければ、もっと早く事態を収束できたハズなんです。なのに、 天界は動かず、僕らは四人だけで、しかもジープを使った陸上での長い旅を余儀なくされた」 「まさか・・・・」 「天界は、人と妖怪が仲良く共存し、結果その混血によって、天界人の能力を超える優秀な子供 たちが生まれることを恐れたんじゃないでしょうか」 ―そして、『混血の子供は、禁忌の存在である』というウワサを流し、妖怪と人間の異種間の交 配を遠ざけた。 「それでも、妖怪と人間が仲良く存在する以上、混血の子供は自然と増えていきます。だから 『禁忌の子』のうわさだけでは抑えきれないと踏んだ天界はこう考えたんです。 『どちらかの種族を根絶やしにすればいい』 結果、身体的に強く、好戦的だった妖怪のほうが天界のターゲットにされた。 僕らの長い長い遠足は、彼らの絶対数を致命的に減らすための消耗戦だったんです」 とぷんと、酒瓶の酒が音を立てる。遠くの祝宴の囃子(はやし)の音が風に乗ってわずかに流れ てきた。 短い沈黙。 「―・・・それは、お前の推測ってワケ?」 「そうですね。とくに天界の意図に関しては、何の証拠もないただの仮説です」 証拠は、ない。証拠だけが不自然にない仮説。 「ふーん・・・」 すこし頭を下げて深く考え込んでしまった悟浄に、慌てて八戒が、言葉をそえた。 「すみません、悟浄。これは、僕が勝手に考えた最悪の場合のシナリオです。あくまで推測でし かありませんから、真実は他にあるかもしれません」 「そうだな。でも普段はボケてっけど、こーゆーときの、お前の推測は大概当たってるからよ ・・・信憑性は高いケドな」 「普段ボケているは余計です。そうですね。あまり考えたくないシナリオだったんですが・・・ 実は僕的にはかなり確信があります」 「だろーな」 「この話を聞いて貴方がどうするかは――貴方にお任せしますよ」 「ああ。・・・・実はけっこう大変な話を聞いちゃって今ちょっとパニック中なんで、ちょっと 整理させて」 「そうですね、一気に話しちゃってすみませんでした」 「お前は?」 「はい?」 「お前はどーすんの?」 「僕は・・・どうしましょうかねぇ・・・」 八戒は遠くを見るように窓の外に視線を送った。翡翠色の瞳が、わずかに深みを帯びる。 「まあ今夜は・・明日のこともありますし、仕切り直して、飲みましょうか?。実は、ほかにも 嫦娥(こうが)さんから特別な宝桃酒をいただいてるんですよ」 「何ーッ。嫦娥のヤツまで、やっぱ本命は八戒か!!」 ちくしょう、とうなる悟浄に、八戒はふたたび笑顔をむける。 「あはは、やきもちですか、悟浄」 「おうよ」 「嫦娥さんって悟浄好みの方ですもんね」 「まーねー。あ、これホントに旨そう」 香り高い酒を杯に注ぎながら語尾をにごす。何故かまた、胸がむかむかする。 やきもちですか? ・・・でも、どちらに? それからしばらくは、旅の思い出話や天界でのうわさ話など他愛のない話をしながら酒を楽しん だ。旨い酒に自然と杯は進み、ほろ酔い気分はそのまま睡魔となる。 「・・・なぁ、八戒。」 「何です?」 「生き残った妖怪たちはさ、これからどーなんだろーな」 「・・・生物には、その種を保存するために最低限必要な個体の数があります。」 「うん」 「妖怪はその個体数を割り込みました。」 あとは、天界の庇護されながら細々と生き長らえるか、絶滅に向かうのみ。 「そっか・・・」 「ええ。」 「・・・何か、やりきれねーよなぁ」 「そうですね」 「・・・俺は―・・・」 何かを言いかけた悟浄の台詞はそのまま寝息の中に消えた。 「悟浄・・・?、寝ちゃったんですか?」 (こんなところで、しょーがないですねぇ・・・) 八戒は悟浄の規則的な寝息を確認するとそっとその場を離れ、奥の部屋へ移動した。 作り付けのクローゼット開け、しゅるりと中から深い緑色の上着を取り出す。 それは、かつて旅の間に着用していた戦闘服だ。 (やっぱりこれが一番しっくりきますね) 八戒は、そのまま天界の装束を床に脱ぎ捨てると、かつての懐かしい衣装に袖を通した。 天界人にはなれない。ここは自分の住むところじゃない。 それはもう、随分と前から本能的に感じていたことだった。 天界人に転生するための祝宴の儀式を前にして、彼らから次々に祝辞の声がかけられる。 「これでもう、禁忌の子供として忌み嫌われる事もありませんね」 「貴方も、自分の意図しない妖怪に変化してしまった身体を疎んでいたのでしょう? ――良かったですね。これで綺麗な天界人の身体になれますよ」 ―そういうものじゃ、ないんですよ。 貴方もそう思いませんか?・・・ねぇ、悟浄。 音を立てないよう慎重に着替え終わると、八戒は用意していた簡易にまとめた荷物を取り出して 肩にかけた。そして床の上で布団もかけずに大の字で眠りこけている悟浄に視線を移す。 酒がよく回っているのか、すやすやと寝息をたてる悟浄にそっと上掛けをかけてやる。 少し身動きした弾みで、艶をおびた紅い髪がさらりと上掛けの上に散った。 ――天界人になれば、悟浄の髪の色は通常の色に戻るのだという。 (それは、もったいないですよね) 紅い髪は悟浄の象徴だ。 もちろん、髪の色が黒かろうと金色だろうと、悟浄は悟浄に変わりはないのだか。 でも―。これはかつて、自分をさそう死の誘惑から繋ぎとめてくれた、戒めの紅。 この紅が無ければ、今の自分はここにはいなかったかもしれない。 まるで血の色のようだと思ったそれは、時が経てば変色する血液と違って何時までも燃えるよう に紅く色鮮やかで――。 八戒は、音をたてないよう手を伸ばすと、上掛けに散った紅い髪をそっとひと房持ち上げ―― 軽く唇を寄せた。 「お元気で、悟浄」 (・・・まあ、言われなくても貴方はいつでも元気でしょうけど) 八戒はもう一度、眠る悟浄に向かって緩やかに微笑むと、そのまま音を立てないように部屋の出 口に向かった。 扉を開けようとノブに手を伸ばしたその時。 背後で、コトリと小さな音がした。 「あんさぁ、八戒。・・・忘れモンが、あんじゃねぇの?」 ごくりと、八戒の唾を飲み込む音が聞こえた。 ゆっくりと振り返ると、真紅の瞳が自分を真っ直ぐに見据えている。 「・・・悟浄、貴方・・・起きてたんですか?」 しんと静まり返った室内に、自身の声がひどく大きく響いたような気がした。 ■NEXT |