「ったくキリがねえなぁ!」
舌打ちしながら、悟浄が手にした錫杖を大きく振りかぶると、横薙ぎに払う。
同時にジャラララ…と、金属特有の音を周囲に響かせながら、鎖が縦横無尽に暴れ回る。
あっという間もなく、彼らを取り巻く妖怪達が切り刻まれ倒れていく。
 「はぁっ!」
悟浄と背中合わせに立つ八戒も、鋭い気合いと共に手の中に溜めた気孔弾を、周囲の敵めが
けて叩き込む。
目もくらむような閃光と共に、放たれたそれに触れた者は、じゅっという蒸発するような音
とともに文字通り跡形もなく消失する。
二人対複数という、戦術的には話にもならないような状況ではあったが、そんなものは彼ら
にとっては文字通り机上の空論。
しかし、そんな彼らの攻撃力を前にしても、部屋中ひしめくようなこの数の前には、さした
る打撃を与えていないようにさえみえてくる。
 「殺れ!」
 「こっちの方が数で有利だ!」
 「殺しちまえ!」
実力の違い…戦闘能力が自分たちとはケタ違いである事など、通常であれば気づくであろう
事すら、既に見失っている。
集団心理というものか、件の異変のせいなのか、周囲の同胞が倒されていく程に、狂気に満
ちた獣のような雄叫びがあがる。
勝つための作戦どころか、己の命すら省みない狂った戦士と化した妖怪共の群れは、徐々に
ではあるが確実に二人の体力を奪っていく。
このままではゲームの賭けに勝つどころか、現在の生命の勝敗すら危うい。
 「悟浄。」
 「なに?」
ふいに八戒が背後にいる悟浄の名を呼ぶ。
悟浄は視線は敵から外す事なく、返事をする。
 「ちょっといい手があるんで、乗りませんか?」
 「いい手って?」
八戒が露のように透明な汗をひと筋、額から顎に向かって伝わせながら背中越しにそう囁け
ば、すぐに悟浄が尋ね返してくる。
錫杖を巧みに操り戦う悟浄の額にも、また汗が幾粒も浮かんできている。
呼吸も少し荒い。
 「あれ、落とそうかと思って。」
 「…なるほど。」
数発の小さな気孔弾を素早く放ち、接近してきた敵を一掃しながら、八戒は視線でとある方
向を指し示す。
一瞬、その視線を追った悟浄は、すぐさま八戒のその意図を理解し、紅い双眸を細めてにや
りと了解の意を込めて笑う。
 「だから時間稼ぎお願いします。」
 「おっけ〜。」
了承の言葉と共に、八戒は攻撃を止めると静かに目を閉じ両手をだらりと下げる。
悟浄はそんな八戒を守るかのように、立ち位置を素早く変えると錫杖を握り直す。
いきなり態度を変えた二人の様子に、一瞬戸惑うような空気が周囲に流れる。
ざわり…と警戒するような音が周囲から流れた瞬間、悟浄が不敵な笑みを浮かべ言う。
 「さあ!殺られたい奴からかかってきな!」
言い切ると同時に、悟浄は左手の中指を立てるなり天に突き上げてウインクする。
露骨な程の挑発に、たちまち膨れ上がる怒気が戸惑いを打ち消していく。

敵に考えさせてはいけない。
思考を伴わない怒気は、死への顎門に首を自ら突っ込むのと同じ事だ。

獲物を自分だと錯覚させる。
全神経を掌に集中している八戒から敵の目を逸らせるために。

八戒は、キィィィ…と空気をきしませながら掌の中に集まる気を、徐々に高濃度に圧縮かけ
つつ、そんな悟浄の姿を視界の端に捕らえる。
作戦通り、自分めがけて殺到する狂気の集団を前に、悟浄はふふん…と鼻で嗤いながら錫杖
を振り上げると、鎖が錫杖から勢いよく飛び出す。
僅かな陽光を受けた錫杖の鎖は、さながら銀色の鱗をもつ大蛇のように空中でうねる。
そして次々と雑魚妖怪をなぎ倒し、切り裂いていく。
悲鳴と怒号が部屋の中に響き渡る。
埃と体臭と血の匂いだけが、世界の全てになる。
鎖を操りながら、悟浄は八戒をガードし、襲いかかる敵を蹴り上げ斬り倒す。
そのたび、飛び散った血しぶきが細かい粒子となって悟浄に振りかかる。
しかし、そんな彼らの吹き出す血よりも、悟浄の汗を含んだ髪は紅く鮮やかで美しい。
極度の集中で、焼き切れそうな神経を懸命に制御しながらも、八戒は口の端に小さな笑みを
浮かべる。
 「だめよ〜んお兄さん。」
無抵抗な八戒めがけて振り下ろされた棍棒を、軽々と錫杖で受け止め、悟浄はにしゃりと笑
ってゆらりと片足をあげる。
 「八戒の玉のお肌に跡つけてイイのは俺だけなの。」
そう言い終わると同時に、悟浄はその腹めがけて足を叩き込む。
渾身の蹴りに、たまらず妖怪はくの字のまま壁まで吹き飛ばされて崩れ落ちる。
 「お解りいただけたカシラ?」
二重三重にツッコミどころがあるそんな軽口に、答える余裕のあるものはその場にはいなか
った。もちろん、とある人物を除いては。
 「…ごじょう…。」
それまで目を閉じていた八戒が、ゆっくりとその両の目を開ける。
そして隣に立つ悟浄へと視線を向ける。
そんな八戒の翡翠の瞳に、悟浄は一瞬幾重にも感情が入り混じった笑みを浮かべると、その
場に素早く屈み込む。
 「はああっ!」
それを待っていたかのように、八戒は大きく振りかぶると、両手に溜めた気孔弾を一気に解
き放った。
自分たちを取り囲む敵ではなく、天井めがけて。
ウォン…と空気を歪ませる音と共に、強力な気孔弾はゆっくりと天井にめり込む。
とたん轟音が響き渡り、天井に無数の亀裂が入る。
バラバラと、大小さまざまな瓦礫が地上めがけて降り始め、それらは逃げ惑う妖怪達を次々
に飲み込み押しつぶしていく。
当然、その瓦礫は気孔弾を放った八戒や、それをサポートした悟浄の上にも公平に降り注ご
うとする。
あらかじめ、こうなる事を予測していた八戒が降ってくる瓦礫を防ごうと、防御壁を作り出
すため頭上に手をかざす。
しかし次の瞬間、悟浄が手の中の錫杖を投げ捨て八戒を抱き上げた。
 「うわっ!」
突然の行動に驚く間もなく、そのまま悟浄は八戒を抱えて駆け出す。
お姫さま抱っこ状態で全力疾走され、思わず八戒は悟浄の首にしがみつく。
轟音と共に降ってくる、鉄骨や石材を器用によけながら悟浄は部屋の隅へと滑り込む。
とたん、背後では最後の崩壊と共に、断末魔に似た咆哮があがり、それきり音らしき音が周
囲から消える。
 「セーフ!」
悟浄がにんまりと笑みを浮かべながら、大げさに額の汗をぬぐって見せる。
対照的に八戒は、少し面白くない…といった風情で眉根を寄せる。
 「…なにがセーフですか。」
 「だってほら。」
悟浄が指さし、八戒がそれに促されて背後を振り返れば、依然としてもうもうと立ち上る粉
塵の向こうに、大小さまざまな残がいに潰された、無残な妖怪達の姿があった。
 「よく見てますねぇ。」
 「当然っしょ。」
八戒が呆れ半分、感心半分で言えば、悟浄は褒められた子供のように胸を張る。
自分たちの周囲だけ、なぜかそういった残がいがないという事に気づいたからだ。
あの一撃を放った瞬間、安全な場所を咄嗟に判断し確保した悟浄の能力の高さに、八戒はた
だ純粋に感心してしまう。
 「僕はきちんと防御壁造るつもりでしたよ?」
 「無駄な体力使わないにこしたことないじゃん。」
 「それはそうですけど…。」
なんとなく腑に落ちないのは、自分の見せ場をとられたせいだろうか。

──悟浄じゃあるまいし。──

八戒は内心で小さくため息をつく。
 「どした?」
そう尋ねる悟浄の声にふと顔を上げれば、そこにはどこか気づかうような視線を向ける悟浄
の瞳があった。
真紅のルビー──ピジョンブラッドと呼ばれる、かの宝石よりも、なお美しい輝きを持つ瞳
は、八戒の状態を見逃すまいとしているようだ。
怪我をしていないか、先程の気孔弾で疲れてはいないかどうか…。
そんな気遣いに、八戒は軽く唇を噛む。
いつも肩を並べて歩いているつもりでも、ふいに気づけばいつの間にか追い越され、彼の背
中を見ているような思いを感じる時がある。
なんて事でもないかのように、前を行かれてしまう事が悔しいのかもしれない。
ひょっとして、本当はいつも悟浄が彼自身の歩みを解らないように加減して、わざわざ自分
の歩む速度にあわせているのではないか…とまでも思ってしまう。
きっとこれは、単純に拗ねているだけなのだろうと、自己解析を終われば溜め息がでる。
 「…なんでもありません。」
 「いへぇ…。」
そんな自分の気持ちなど、悟浄には解らないだろうし解って欲しくない。
それでもなんとなく悔しくて、八戒は悟浄の両の頬をむにっと手でつまむ。
八戒の突然の行動に、訳もわからず痛がりながらも、悟浄は抗う事なく八戒のするがままに
なっている。
それすらも、悟浄の方が精神的に余裕があるように感じられ、八戒は少しむっとするのだが
変形した顔のまま、困ったように涙目になっているその姿を見てしまえば、なんとなく笑っ
てしまう。
 「ところで、そろそろ降りたいんですけど。」
 「お?あ…そう?」
座り心地がイマイチよくないのは、自分が悟浄の膝の上に横座りしているから。
唐突にそれを思いだした八戒がそう言えば、なぜか悟浄は残念そうな顔になる。
 「この態勢はちょっと情けないでしょう?」
なんといっても『お姫さま抱っこ』の次が、いわゆる『お膝で抱っこ』状態なのだ。
これが自分が女性もしくは子供なら、まああっても仕方がないか…として受け入れられるか
もしれないが、いかんせん自分は成人男性だ。
 「いいじゃん、だって…。」
半ば言い聞かせるように八戒がそう言えば、悟浄はなぜかさらに自分の方へとその体を引き
よせて、軽いキスをする。
 「こういうコトしやすいし。」
子供じみた小さな触れるだけのキスを仕掛けると、悟浄はひどく嬉しそうに笑う。
そんな悟浄に、八戒はひとつ呆れたようにため息をつくと、ゆっくりと口元に笑みを浮かべ
ながら言う。
 「…ひょっとして誘われちゃいました?」
 「ああもう、バッチリ下半身直撃。」
八戒が弄うような妖艶な笑みを浮かべれば、悟浄も雄の笑みで応える。
先程八戒が気孔弾を放つ瞬間、悟浄に送った視線と笑みはその行為を誘うもので。
ほんの一瞬の交差だった筈なのに、見事悟浄はそれを捕らえたのだ。
 「最近、跡つけられるような事してないなぁ〜とか思っちゃったんですよね。」
 「おおっ!それってお誘い?」
四人で行動している以上、そうそう二人きりになれるチャンスなどない。
まして、いつ刺客の襲撃にあうか解らない状態ではなおのこと。
そんな八戒の誘うような台詞に、悟浄は露骨に喜びの表情を浮かべる。
膝の上の八戒の体をいっそう引き寄せ、スリスリとすり寄らんばかりのその姿は、さながら
飼い主になつく大型犬のようで。
尻尾があれば、きっとそれは振り千切れんばかりなのだろうと思う。
 「ここじゃ絶対にイヤです。」
 「あ〜…まぁ、なぁ…。」
にっこりと拒絶の微笑みを浮かべて八戒が言えば、悟浄も現在の状況を思いだしてがっくり
と肩を落とす。
確かに場所も場所だが、そんな状況ではないのもまた当然で。
しゅん…と尻尾がうなだれた様子の悟浄に、八戒は笑みを柔らかい苦笑に変える。
自分の発言ひとつに、こうも簡単に振り回されてくれる悟浄に、少しだけ優位に立った気が
して──いやそんな事などではなく、いつも自分を見てくれている事が単純に嬉しくて、八
戒は悟浄の唇に先程と同じ可愛らしいキスを送る。
 「今はこれだけ…ですね。」
突然の八戒からのキスに驚き、悟浄は目をぱちぱちと瞬かせた後、悪ガキそのものな笑みを
口元にゆっくりと浮かべて言う。
 「これもいいけどさぁ…もっとコイビトモードなのチョウダイ?」
 「…しょうがないですねぇ。」
悟浄のおねだりに対し、何がしょうがないのかぼかしたまま、八戒はくすりと小さく笑うと
その首に両腕を回して口付ける。
お互いの言葉も吐息も、気持ちも想いも全て深く重ね合わせるような…そんなキス。
しかし、すぐに名残惜しそうな余韻を残してふたつの唇は離れていく。
 「さて、さっさと上に行きましょう。でないとあの二人に先越されちゃいますよ。」
八戒が無意識のうちに、濡れた己の唇を舌でぬぐいながらそう言う。
悟浄はそんな八戒のしぐさにくらりとしながらも、現状を思いだす。
 「あ〜、まあ負けるのはちょっと悔しいしな。」
 「ちょっと…ですか?」
意味深な笑みと共に軽いツッコミを入れる八戒に、悟浄はがしがしと自分の髪を掻きながら
苦笑混じりに応える。
 「イエ、かな〜り…です。」
 「じゃあ急ぎましょう。」
 「おっけ〜!」
悟浄と八戒は並んで走り出した。
血臭と埃と瓦礫と無数の死体に満ちた中を、賭けに勝つため…ただそれだけに。









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