act.4 
そこにあるのは、怒りと哀しみと歪んだ愛だけで。
     
     
     
煙草を燻らせながら扉を開け、悟浄は中の光景に呆然と立ち尽くした。
 「…っ!?」
ドアが開く音に分身である彼はゆっくりと振り返ると、悟浄に向かってふっと笑う。
まるでこの時を待っていたかのように。
 『悟浄… 』
愛しい名前を舌先で味わいながら、もうひとりの八戒である彼はその翡翠の両目を
嬉しそうに細めた。
     
     
***************
     
     
アツイ。
     
内部から蝕む熱さが、正常な思考までも奪っていく。
体中をくまなく愛撫され、内臓を直接指でほぐされ、八戒は獣のようにハァハァと
短い息を吐くことしか出来ない。
     
アツ…イ。
     
シーツの海でのたうちながら、頭の中に浮かぶ声はただその一言だけ。
熾火のようにじわじわと侵食する熱に翻弄され、耐えきれずに声を上げる。
 「あ…くう…ん…んん!」
きつく閉じ、侵入を拒むだけだった襞がゆっくりと解されていく。
それにつれ中を掻き回す指が増やされ、八戒は圧迫感に身悶える。
 『僕たちの手は血まみれです。それはもう覆しようがないくらい。』
毒を含んだ甘い声で、もうひとりの彼が耳元で囁く。
内部を探るような指の動きがとある箇所を掠めると、とたん八戒の体がびくんと震え
甘い声を上げながらのけ反る。
それを見て取った彼は、くすりと笑うとあえぐ胸に口付けを落しながら、探り当てた
ばかりのその場所へ指を蠢かせる。
唇を強く噛みしめ、漏れそうになる声を殺しながらも自然に腰が動き出してしまう。
 『それでも、あるがままの貴方をあの人に…。優しいあの人をたとえ傷つけても、
  それでも僕はあの人が欲しい。…忘れないで、僕は貴方だ!』
 「ひっ…やあ…っ!」
そういうなり抉るかのように指の動きを激しくすると、八戒は大きく目を見開き背中
を弓なりに反らせる。
 「……っ。」
出そうになる声を抑え、悟浄は剣呑な視線で目の前の光景を見つめながら、銜えてい
た煙草を握りつぶす。
悟浄の瞳に映っているのは、ベッドの中、一糸まとわぬ姿で荒い息を吐き続ける八戒
だけだった。
だが、視覚として捉える事は出来ないが、そこに…八戒の体を蹂躙する「何か」が
在るのは感じていた。
悪意も殺意も感じられないが、今目の前で行われている事を見れば決して好感を持て
るような代物ではない。
そこにいる「何か」がいったい何なのか。
こんな光景を自分に見せつけてどうしようというのか。
それが解らない以上、うかつに動くことさえ出来ない。
苛立つ心のままにぎりりと奥歯を噛みしめると、探るように五感を研ぎ澄ませる。
 「う…あっ…。」
まるで何かから逃れようとするかのように、八戒はしきりに宙に向かって押し返すよ
うな動作を繰り返す。
そんな八戒から視線を外すことなく見詰める悟浄の目に、白い霞のような「なにか」
が集まり始めるのが見えた。
そしてそれは徐々に形をとり、それは見知った一人の姿となる。
 『悟浄… 』
その姿の主と同じ声と同じ顔をもったそれは、愛おしそうに悟浄の名を呼ぶ。
淫らでありながら、同時にひどく無垢な笑みで笑い掛けてくる。
 『悟浄…僕の愛しい貴方…。』
 「 八戒…?」
思いも寄らなかった事に悟浄は驚きに目を見張り、小さく呟きをもらす。
独り言のようなそれはひどく擦れていて、自分の声とも思えない程だ。
 「いや…違う…のか…?」
今目の前で起こっている事も、たった今現れたばかりの八戒と同じ顔をもつ「それ」
も、悟浄の理解を越えるものであり、戸惑いを隠せない。
そんな悟浄に、もうひとりの八戒は再び妖艶な笑みを口許に浮かべると、見せつける
かのように舌を付きだし八戒のあえぐ唇をぺろりと舐め、体のラインにそってゆっく
りと手を這わせていく。
もう片方の手は大きく割られた白い足の間深くに入り込み、聞かせるかのようにわざと
くちゃくちゃと湿った音を立てながら指を蠢かせる。
その挑発に気付いた悟浄紅の虹彩が、剣呑な光を帯びる。
 「あっ…ん…んん…くう…。」
直接内壁を愛撫する指の動きに、徐々に八戒自身が高まっていく。
 『この指はあの人の指。』
まるで暗示を掛けるように、八戒の耳元で甘く囁く。
その言葉にびくんと八戒の体が震える。
 『貴方が欲しいのは、何?』
囁きながら耳朶をぺろりと舐め上げ、八戒の手を彼自身に誘導する。
内側から沸き上がる熱に蝕まれ、もはや思考は正常に機能しなくなっているせいか
促されるまま、素直に八戒は己の中心を握り込む。
 「 はっ…ん…ああ…あっ!」
奥まった部分を指先で刺激され身もだえながら、内側から蝕む熱から解放されたい一
心で自身をのろのろと探る。
 『貴方は綺麗、とても綺麗。あの人が好きでしょう?』
優しく耳元でさらに囁き、答えを引き出すように指を動かす。
 「ご…ごじょ…う…あ、ああ…んん!」
そんな言葉に促されるように、八戒は悟浄の名を呼びながら、夢中で指で先端をこす
り始める。
 『もっと、乱れて。あの人を感じて…。』
八戒の足を肩に乗せ、もうひとりの八戒は指で包まれた彼自身に舌を這わせ始める。
 「…お前…誰だ?」
自慰を施す八戒に視線を奪われながら、悟浄は唸るような低い声で言う。
そんな悟浄を笑みを含んだ横目でちらりと見やり、もうひとりの彼は八戒をより激し
い愛撫で高みに押しやる。
 「 ごじょ…ごじょう…あっ…やあ!」
 『もっと、呼んで。あの人を求めて。早くあの人を…手に入れて。』
八戒は高い声で鳴きながら、ひたすら悟浄の名を呼び続ける。
 「八戒…?お前…。」
まるで迷い子が母親を求めるかのように何度も名を呼ばれ、悟浄の瞳が戸惑いの色を
隠しきれずに浮かべてしまう。
どうすればよいのか、何がしたいのか。…彼は、ではない。自分が、だ。
かける言葉を失い八戒に近づく事も出来ず、ただ呼ばれ続ける自分の名に眉を顰める。
 『ねえ、欲しいでしょう?』
 「あっ…解ってる…それっでも…あな、たが欲しい…悟浄…。」
そんな悟浄の存在に気付かず、八戒は未知の快楽に流されながら祈るような声で小さく
呟き、耐えきれずに一筋涙を流す。
その涙が、月の光を微かに反射しながらゆっくりと目尻から落ちていくのを見つめな
がら、悟浄は鋭い視線を彼に向ける。
 「…なにが見せてえんだ、お前。」
 『さあ、何が見せたいんでしょうね。』
揶揄するように悟浄の言葉を復唱しながら八戒の両の膝裏を抱え上げると、猛る彼自身
を八戒の後に宛がう。
その声に八戒ははっと我に返り、反射的に振り向く。
そして、そこに悟浄の姿を見つけると、驚愕に眼を見開いてしまう。
 「ご…っ!あ、あああ!」
八戒がその名を呼ぼうとした瞬間、一気に後ろに楔を埋め込まれてしまう。
 『ああ、キツイですね。イイですよ、とっても。でも、もっと誘って?』
 「あ…や…ぁ!」
痛みと快楽と恐怖に脅え暴れる八戒を押さえつけ、イイところを擦り上げるように
して腰を動かす。
 「うっ…くうぅ…。」
まるでピンで縫い止められた小動物のように、八戒がシーツの上でのたうつ。
そんな八戒を気づかうように見つめていたが、すぐに悟浄はきつい視線をもうひとりの
八戒へと向ける。
 『僕が見えるんでしょう?』
 「見えるから聞いてんじゃね〜の?」
八戒を攻める動きを緩めることなく、もうひとりの彼は視線と言葉でからかう
ように悟浄に笑みを投げ掛ける。
それに対し、怒りに満ちた視線と声で、悟浄は応える。
 「あっ…ああ…見ないで…見ないでくだ…やぁあ!」
突き上げられ、声を殺すことも出来ずに鳴きながら、八戒は悟浄の視線から
逃れようとする。
が、逆にそうしようと足掻けば足掻くほど、もうひとりの彼はわざと悟浄へ
その痴態が見えるように仕向ける。
 『ふふっ、そうですね。でも、それが貴方になんの関係があるんです?』
もう一人の八戒は悟浄の応えに小さく笑うが、すぐに挑戦的な瞳を向け彼を見つめる。
彼が知る八戒と同じ瞳、同じ声、同じ顔で、彼が見たこともない酷薄な笑みをその口許
に浮かべるのだ。
それが悟浄の怒りと苛立ちを一層大きくする事を承知の上で。
 「…アンタには関係無いのかもしれねぇけど、俺としては八戒と同じ顔を持つ
  あんたの正体を聞いておきたいとこだけど?」
 『正体…ですか?』
この場にそぐわない妙に軽い口調で言う悟浄に、彼は嗤うように目を細める。
怒りが深ければ深いほど、その心に反して表に現れる態度が余裕に満ちたものになる。
それは悟浄が無意識のうちに身に付けた、一種のかけひきなのだと彼は知っていた。
 「やぁ…め…やめっ…。」
 『駄目ですよ、今更逃がしたりしませんから。』
力の入らぬ四肢を動かし、必死にその腕の中から逃れようとすれば、もうひとりの八戒
は残酷なほど優しく語りかけながら、探り当てたばかりの快楽の場所を己の凶器で強く
擦り上げる。
とたん、八戒は羞恥心のせいでさらに高まった快楽に耐えきれず、嬌声を上げてしまう。
 「ひうっ…あ、ああ…んっ、くう!」
 『そんなにいいですか、八戒?』
受け止めきれない快楽と苦痛に翻弄され、八戒は生理的な涙を目尻に浮かべる。
そんな八戒の耳元に、もうひとりの彼は笑みを浮かべたまま囁き続ける。
彼にしか聴こえない声で嬲るように。
 『悟浄が見てますよ。どうします?八戒 』
 「ごじょ…やぁあ!」
その名を告げられれば、八戒はより一層恐慌状態に陥ってしまう。
悟浄の視線に脅え必死に逃れようともがくが、もうひとりの彼は楽しそうに笑いながら
己の体重で押さえ込み、より深く彼の中に己自身を埋め込む。
まるで猫が捕まえたネズミを嬲るかのように、言葉と行為で八戒を追い込んでいく。
 「八戒!」
徐々にその瞳の焦点があわなくなっていく八戒の姿に気付き、悟浄は反射的に近づこう
とするが、足が動かず立ち尽くした状態となる。
クスクスクス…ともうひとりの八戒は小さく笑いながら、わざと悟浄に見せつける
ように八戒の足を高く持ち上げる。
 『知りたいですか悟浄?僕は…』
しなやかな体躯の肉食獣が、捉えた獲物を屠りながら翡翠の瞳を悟浄へと向け、言う。
が、途中で一旦言葉を切ると、彼は八戒の耳元で甘く囁く。
 『ねえ、教えてあげていいですか?僕は貴方だって』
 「やぁ…ごじょ…!い…やだぁああ!」
その言葉が、どんな効果を生むのか十分すぎるほど承知した上で、彼はくすりと笑う。
恐怖は快楽へとすり替わり、八戒は強く突き上げられ意識が飛びかける。
 「興味はあるね、じゃなきゃ聞くはず無いだろ?」
 『…僕は、彼です。』
怒りを含んだ悟浄の声にも少しも動じることなく、八戒を愛しそうに見詰める。
 『僕は彼、彼は僕なんですよ?…悟浄。』
そう言いながら、八戒の最奥を突き甘い声をあげさせる。
 「じゃあ何か?お前は八戒自身が生み出したとでも言うわけ?」
イラつきながら扉にもたれ、悟浄はタバコに手を伸ばす。
 『さすがですね。その通りですよ、悟浄』
ニッコリと邪気のかけらもない笑みで微笑まれ、悟浄は苛立ちを抑えきれないのか、
空になった煙草の箱を握りつぶす。
 「ああ…ん、んん…。」
 『いいでしょう?こうされたかったんですもんね。』
感じるところを的確に捉えて擦り上げれば、強すぎる快楽に半ば思考能力を失った八戒
は涙を流しながら、すがるようにもうひとりの自分の腕をつかむ。
 『ほら、もっと痴態を見せて?』
そう囁きながら、もうひとりの八戒は腕の中で喘ぐ体を何度も激しく突き上げるが、
経験のない内側からの刺激だけでは達することが出来ない。
揺さぶられるままがくがくと全身で震える八戒の下肢の間で、張りつめ震える彼自身も
また涙を流す。
痛々しいくらいのその存在に、もうひとりの彼がそっと手を添える。
八戒は悟浄の反応が怖くて、与えられる快楽に逃げようとするかのようにきつく両目を
閉じてしまう。
 「…面白いジョークだな。」
悟浄は、紫煙を深々と吐き出しくくっと笑う。
 「で?あんたは何のために俺に姿を見せた。まさか八戒自身が壊れたいだなんて
  望んだなんて言うなよ?」
 『壊れる?なんで、僕が彼を壊したいなんて思うと?』
挑むような彼の言葉に対し、哀しそうにもうひとりの八戒は呟く。
まるでそれは、悟浄が本当は答えを知っていて知らぬ振りとしているとでも言いたそう
な視線で責める。
しかしそんな口調とは裏腹に、容赦なく腕の中の存在を快楽によって追いつめていく。
 「あっ…いっ…あっもう…ああっ!」
与えられる愛撫から逃れられず、いやいやと首を振りながら八戒はただ身もだえる。
悟浄は、そんな八戒の乱れる姿を直視出来ずに視線を外してしまう。
 『貴方は何もわかってない…。悟浄 。』
 「ご…じょう…ごじょう!ああっごじょ…!」
哀しげな口調で悟浄を責めながら、もうひとりの彼はゆるゆると上下に手を動かし
指先で先端を擦る。
とたん、悲鳴に似た声で悟浄の名を呼びながら、八戒がもうひとりの自分の腕に爪を
食い込ませる。
同じ名前という音を同じ声で口にする二人の、あまりにもその差の大きさに、悟浄は
何も言葉にすることが出来ずに、ただ唇を噛みしめる。
 「…当たり前だろ、お前が何を望んでいるのか聞かされてもいないのにどうして
  わかるっていうんだ?」
ようやく搾り出すようにして悟浄の口から出される声は擦れ、苦々しげにふたりの八戒
へと訴えかけるように呟く
 『かわいそうな貴方…かわいそうな…僕…。』
 「や…ああ!ごじょ…!」
八戒に優しい眼差しを注ぎ、本体である彼が感じる部分を強く己自身で突き上げた。
悟浄の名前をしきりに呼びながら、八戒は己を蹂躙する存在にしがみつく。
     
なにも考えられなかった。
なにも聞こえず、見えもしなかった。
なにをあばかれ、なにを奪われようとしているのか。
     
与えられる快楽にただ翻弄され、自分の意志など無視して跳ねる体と燻されるような
熱だけがやけにリアルで。
目の端に紅い色を感じ、八戒は無意識のうちにそれを追おうとするが強い刺激を前後
に受けて、とうとう達してしまう。
 「あっ…あああ!」
高い悲鳴と共に、大きくのけ反る背中が痛々しい。
ゆっくりと閉じられていく瞼の間から一筋目涙が零れ、頬を伝い落ちていく。
半ば意識を失った八戒から、まだ逝かない自身を抜くとそっとその額に口付ける。
まるで愛おしむかのような優しい仕草に誘われたのか、うっすらと八戒は目を開け
ると、ことんと首を傾け悟浄を視界に捉える。
 「ご…じょう…。」
聞いてる方が痛くなるような声でぽつり悟浄の名を呼ぶと、八戒はもうろうとした
意識のまま淡く微笑む。
 「ご…じょ…僕は、あなたが…。」
紅い色…紅い光。命そのものを表したかのような色を持つ人。
燃える炎を模した色に触れたくて…触れる事を恐れながらもそれ以上に焦がれた。
 「あなた…が…。」
欲しくて欲しくて。彼を包む全てを切り離し、自分だけのものにしたくて。
そんな自分の異常なまでの執着心が恐ろしかった。
もし拒まれでもしたら、今度こそ自分は狂ってしまうだろう。
狂って…今度は彼に向けて己の刃を向けてしまうかも知れない。
    
愛しいから守りたい。
愛しいから奪いたい。
    
大きな二つの感情を制御する術すら解らず、しかしこの「想い」をもはや無かった
事にも出来ず。
そうやって「想い」だけを無理やり封じた己の心の中から生まれたのは…。
 「ご…じょう…僕は…。」
最後まで言葉にならずにその両目は再び閉じられ、気絶するように眠ってしまう。
 「…八戒。」
悟浄はくしゃりと手の中のタバコを潰し、寂しげにしかし何処か愛おしげに呟く。
 『貴方も嘘つきだ。知ってるくせに。』
気を失った八戒の汗で張り付いた髪をなだめるように指で梳きながら、静かな眼を
向けもうとりの八戒は言う。
 『気付いてるくせに。』
 『貴方も逃げてるだけなくせに!』
視線を強くして、八戒は攻めるような口ぶりで言い募る。
 「…気づいていない振りをして欲しがってたのはどっちだよ?」
悟浄は紫煙を吐き出し視線を絡めながら、そう言う。
静かな口調でありながら、どこかその語気が荒くなっている。
抑えきれない苛立ちと怒りをその紅い瞳の中に感じ、もうひとりの八戒は何故か嬉し
そうにゆっくりと微笑みを浮かべた。
    
    
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【moon rose】