箱根・小田原茶室レポート 執筆 宮 下 帯 刀 |
|||||||
|
流れ蹲踞のある露地に三井松籟(本名 八郎次郎・南三井家当主)遺愛の春日灯籠がたたずむ。 |
||||||
「白雲洞」は大炉に自在鉤がかかる田舎家風の茶室で、掃出窓が見られる。床は壁床となっており、床柱は千年を経た奈良古材を用いている。 |
寄付(四畳半)の畳には縁がないものが用いられ、石の長炉が据えられている。 |
「不染庵」の扁額と、栗材のへぎ板を用いた天井部分。板の張り方に特長がある。魯堂によって設計されたこの茶室は二畳台目で、四畳半の寄付が付属しており、時にはそれが相伴席の機能を果たす。この二室には段差があり、また躙口が廃された構造となっている。 |
|||||
これは岩風呂で寄付の地下に設けられ、三渓が「白鹿湯」と名付けている。 |
|||||||
つぎに小田原市の茶室であるが、松永記念館に隣接して野崎幻庵(本名 広太・中外商業新聞社長)の茶室「葉雨庵」・「烏薬亭」と今年(平成十三年)オープンした「老欅荘」がある。後者の茶室は松永耳庵が晩年を過ごした居宅で、吉田茂・池田勇人・中曽根康弘などの首相や政財界の大物が訪れている。 |
|||||||
「葉雨庵」内部。中板を用いた茶室には紺紙の腰張がある。中柱が横木と繋がっていて面白い。 |
この「烏薬亭」は「葉雨庵」にない設備を備えた施設で、琵琶床や天井の手法は斬新で言語に絶する。 |
鈍翁旧蔵の九重塔。 |
|||||
小田原掃雲台(鈍翁居宅)本館玄関に据えてあった沓脱ぎ石。 |
|||||||
「老欅荘」玄関(腰掛待合)。格狭間透しが印象的である。 |
十畳の広間に三畳の床がある。床窓が配され、耳庵九十六歳の時の掛物がかかる。この床の左側に付書院が付設されている。 |
|
茶室「松下亭」内部。風炉先窓のある壁に二重棚が取り付けられている。この四畳半台目の茶室には大きな窓(明かり障子)があけられており、とても明るい。奥に肘掛窓が見える。 |
||||
「松下亭」の床。床框と床柱には古材が用いられている。 |
三畳の寄付の床窓は織部窓で、 |
ここは「鎖の間」とも言うべき八畳の和室であり、縁なしの畳に長炉が切ってある。 |
|||||
最後に小田原・箱根の中世茶の湯関連史跡をご紹介する。 |
|||||||
北条幻庵宗哲(伊勢早雲の三男・小田原北条氏随一の茶人)屋敷址の池。 |
伝 幻庵作の枯山水石庭。重森三玲氏によると製作年代は江戸前期だという。 |
山上宗二 追善碑。 (早雲寺中門隣) |
|||||
小田原北条氏ゆかりの 白蛇水の井戸。 (小田原市誓願寺) |
|||||||
![]() ※ このページに使用している画像はすべて掲載許可を頂いております。 Copyright(C)2001− by Tatewaki Miyashita All Rights Reserved. |
|||||||
戻 る |