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萬忠太


 シュンがインターネットを始めてから、どれくらいになるだろうか? 夜の十一時になると、ブラウザソフトを起ち上げ、プロバイダに繋いで……。十一時というのはテレホーダイタイムの幕開けである。テレホーダイ。夜十一時から翌朝八時までの定額料金通話サービス。インターネットを始めて、ヘビーユーザーになるにはどうしても加入しないわけにはいかないサービスだ。
 スイッチを入れられたパソコンは低い作動音立てて廃熱する。ハードディスクがガリガリと鳴る。ウィンドウズのタイトル画面が表示され、お気に入りの壁紙が現れて、間抜けた鐘の音がリンと鳴る。シュンは今夜もいつも通りに、デスクトップに表示されたアイコンをクリックし、ネットに繋ぐ。薄く入れたコーヒーの香りが鼻をくすぐる。インスタントだけど、眠気覚ましには丁度良い。パソコンをネットに繋ぐと言うことがどういうことか。生活が激変しコミュニケーションの形が激変する。そんな風に喧伝されているインターネット。確かに雑誌を買ったりしなくても、情報が手にはいるし、切手を貼らなくても手紙が出せる。ジュースの缶にまでURLと呼ばれるホームページのアドレスが印刷されている。しかしいざ繋いだとき、シュンはそう便利には思えなかった。ホームページは表示までに時間がかかるし、出てきた情報だってそれほど真新しい物じゃない。雑誌のように持ち歩けないし、目的の情報を得るのだって難しい。検索したからと言って、出てくるとは限らない。出てきたと思ったら異常に多いホームページ。とてもじゃないけど全部見きれない。所詮「運」や「縁」と言う偶然の産物に支配された世界。リンクを辿ったら思わぬ情報に出会うこともある。マイクロソフトは自社のブラウザソフトにInternet Explorerと付けた。文字通りインターネットを探検するソフトだ。ユーザーはブラウザソフトを使って未開のジャングルを探検する。シュンは地図もなく放り出されたその期待とかけ離れた新天地に、肩をすくめてため息をついた。が……慣れとは恐ろしい物である。次第に欲しい情報にたどり着くコツを手に入れていく。未開に見えたジャングルには実は道があり、標識があると言うことを知った。そして、その道や標識から外れた場所もあるということも。
 パソコンがダイアル音を発し、その後耳障りなノイズのような音がし、そしてブラウザにYAHOO!と言う検索ページが表示された。シュンはブラウザをもう一つ起ち上げる。一つはチャット用、もう一つはネットサーフィン用。コーヒーをすすって、いつものHPに行く。クラタというハンドルネームの人物が運営する、ゲーム関係のホームページである。そこのチャットコーナーがシュンの目的地であり、そこで文字でのおしゃべり……チャットをしながらネットサーフィンをするのが彼の日課であった。

シュン:ばんわ〜^^
メグミ:こんばんわ^_^/
チコ:こんばんはぁ(^^)
シュン:う〜重いかも(^^;;;;;
メグミ:テレホタイムだから、しょうがないんじゃないかしら?
チコ:うんうん。
メグミ:ネットミーティングとか起ち上げる?
チコ:あれやだぁ(TT)
シュン:^^;;;;だね。あれってなんか変な人がいっぱいログインしてるもんなぁ。
メグミ:たしかに((((^^;;;;;
シュン:ところで、クラタさんまだぁ?
クラタ:こんばんは。出現するタイミングはかってたりして。^^

 その、5時間ほど前、倉田哲朗は夕方の散歩を楽しんでいた。会社から帰宅してすぐにデジカメを取り出して外に行く。始めた頃はゲーム系のホームページであったが、だんだんゲームの話題のウェイトが減っていき、クラタの趣味のためのページになっていった。近所の風景、音楽、料理のレシピ、園芸。典型的な自己紹介ページと言っても過言ではなくなった。そんなページに固定のチャット客が付いたのは、チャットルームが他ページより比較的軽く動作したからである。テレホーダイタイム中に軽く動作するチャットルームは、それ自体で十分な魅力なのだ。固定客が付いてからというもの、クラタは更新をマメにするようになったし、掲示板での返事もまじめに書いた。
 道ばたの花などを写真に収めて、ホームページに飾るとそれなりに評判がいい。チコは新しい写真を追加するたびに綺麗だとほめてくれた。タンポポが好きだと言った。早く写真を撮らないと暗くなる。それに腹も減ってきた。今夜のおかずはなんだろうか。早く帰らないと怒るだろうな……。脳裏に映った不機嫌な真希の顔に眉をひそめつつクラタは黄昏時の堤防をじっと見つめて歩いた。オオイヌノフグリを見つけた。カメラのズームをマクロモードにしてじっと構える。少しのぶれも許されない。ピントを手動でじりじりと動かし、小さな青紫の花を見つめる。涙ぐんだようにぼけた視界が不意にクリアーになる。ファインダーに小さな青い花が映り、クラタの呼吸に合わせてわずかに揺れている。脇を締め膝をつき姿勢を安定させる。クラタは息を止めた。シャッターを押し込もうとした瞬間。オオイヌノフグリは視界から消え去った。クラタは空を飛んでいた。そして、意識を闇に落とした。

チコ:でもたしかに^^; 話に区切りがつかないと入り辛いよね^^
クラタ:びっくりしたかなぁ?(笑
シュン:あぁしたした。ねぇメグミさんもびっくりしたよねぇ^^
クラタ:ふふふ。待った甲斐があったようじゃな。

 メグミは一瞬ディスプレーが震えた様な気がした。はて……と、夜になって伸び始めた髭の抵抗を指先に感じながら顎をさすり、キーを叩いた。
 クラタさんたらぁ。あは^^
 メーラーが音を立てて、Eメールの着信を教えた。チコからだった。チコは最近相談メールをメグミに送ってくる。メグミはそれらしく答える。後に引けなくなってしまった者の悲しさ。メグミはメグミでいることに疲れてきている。でもチコはそれを許してくれるだろうか。シュンはクラタはどう思うのだろうか。クラタは「やっぱりな」と言うに違いない。見抜いていてもいなくても「やっぱりな」と言うだろう。メグミを演じることが最初は面白かった……。だがそれは次第に、疑心暗鬼へと変わっていった。
 みんなわかってて相手してるのではないか?
 チコはこうして、相談してくれるが……。これが悪戯ではない保証が何処にある。メグミは、殺伐とした部屋の中をぐるりと見渡して、ため息を一つついた。それでも返事を返さなくてはならない。今さら言えない。

 メグミさんへ
 こんばんわ(^^)/ チャット中だからICQとかで送ろうと思ったんだけど^^;
 メールで送るつもりで書いてたから、これで送ります。
 長いし(^^;;;

 もうすっかり春ですね^^
 メグミさんの住んでるところは桜咲きましたか?
 あたしの住んでるところは、まだちょっぴり寒いです(TT)
 実はまた彼とケンカしちゃいました。
 彼は、チャットは不健康だっていうんです。
 いくら説明してもわかってくれないみたいです。
 あたしも、あんまり強く言えなくて(^^;
 きっとあたしがチャットしてる姿を知らない人がみたら変に思うと思うんです。
 パソコン相手に笑ったり泣いたりしてる(ほんとに泣いたことはないとおもうけど^^;)のって、きもちわるいかもって思います。
 でも、メグミさんとお話ししてるのって楽しいし(^^)
 チャット大好きだから(T^T)
 やめたくない。
 でも彼とケンカしてまでやりたいわけじゃない気もするし。でも(^^;;;;;;;
 ごめんなさい^^;
 なんかまたへんなことかいてるね^^;;;
 ごめんね〜(TT)
 またメール送るね^^/

 メグミはため息をついた。やめたければやめればいい。やめたくなければやめなきゃいい。どっちだかわかんないものを聞かれたって返事できる筈無い。当たり障り無く、女性らしく答えなくては。返信アイコンをクリックし返信しようとしたとき。またメールが届いた。差出人は「XXX加藤」見たことのない名前である。
 メグミは、開いたメールを見て、一瞬凍り付いた。全身から熱が引いていく。耳もポ〜ンと聞こえなくなる。長い一瞬だった。ディスプレーが不意に輝きを増して見えたのは、目を見開いたからだ。力をなくした顎がぽかりと垂れ下がる。

 貴女に僕の写真を送ります。
 どうですか?
 綺麗に撮れてるでしょう。
 三枚目はちょっとブレてしまいました(;^_^A アセアセ…)

 メグミのディスプレーには、男性の象徴の写真が三枚表示されている。三面図のように、前・上・横から写した象徴の写真。
 メグミはメール削除を実行した。そして、これが天罰という物なのかなと思って、飲み物を取りに台所に行った。しかし、もし自分が本当の女性だったら。それを考えるとますます気分が悪くなった。

 メグミという女を知ったのは、とあるページの掲示板だった。しばらく彼女の発言を追いかけた結果、彼女の文章は男を挑発してるように見えた。だから股間の写真を送った。XXX加藤はそう言う女のアドレスを控えていて、美沙からの命令の実行相手にする。美沙からの命令は、はじめはメールを読みながらオナニーしろとかそういう類の物だったが、だんだんとエスカレートしてきた。それは、彼が夢見る愛の形から、だんだんと遠のいていった。

 僕の御主人様を捜しています。
 僕を奴隷として、調教して下さい。

 目覚めたのいつのことだったか、XXX加藤は自分を破壊してみたい。と言う衝動に駆られるようになった。恥の皮を脱いだピュアな状態に自分を導いて欲しい。XXX加藤は、BBSと呼ばれるインターネットの掲示板に自らの思いを込めた、二行を書き込んだ。そんな彼には罵倒のメールや明らかに遊び半分のメールが大量に届いた。その中に美沙のメールがあった。

 あなたをわたくしの奴隷にしてさしあげます。

 美沙(misa@xxx.xxxx.xx.xx)

 XXX加藤は、全身の毛がざわめき立つのを感じた。思わず股間に手を伸ばし、いきり立ったペニスに手をかけた。
 しかし……美沙は違った。彼女は自分を愛してくれていない。命令のエスカレートは、いたずらに苦痛なだけで、ちっとも気持ちよくない。それに美沙は自分の姿をあかそうともしない。足の指一本でも良いから見せて欲しい。一声だけでも良い。声を聞きたい。XXX加藤は懇願したが、美沙は「まだ駄目」と言って決して見せてくれない。聞かせてくれない。それより何より、美沙は自分の姿を見てくれない。写真をお送りしたいのですがと言うといつでも、送ったら主従の関係は取り消すと言う。
 自分が求めている御主人様は、自分をピュアな状態にして、その悦びを自らの悦びとして下さる方。普通のセックスでは絶対に味わえない連帯感を共有して下さる方。しかし美沙もまた罵倒を送りつけてきた多くの人々と同じだった。
 XXX加藤は愛していた御主人様美沙に、最後の報告を送った。送信トレイに送られたメールは間髪おかずに美沙の元に送られる。XXX加藤は、失恋をタダで受け入れるには、美沙へ怒りが、裏切った者への怒りが募っていた。

 美沙様へ、ご命令の件
 わたしのおちんちんの写真を女性にお見せすると言うご命令。実行いたしました。

 貴女の奴隷XXX加藤(xxx_k@xxx.xxxxxx.xx.xx)

 美沙は、ディスプレイの前で、お腹を抱えていた。バカがまた本当にやった。次は何を命令しよう。
 下半身裸で近くの自動販売機にジュースを買いに行くというのはもうやった。一日四つん這いで生活というのもやった。あはは、なんてバカなんだろう。なんていう変態なんだろう。そんな男に爪の先だって見せてやるものか。声なんてとんでもない。文章だって嫌なくらい。
 最初は本当にちょっとした悪戯心というか、恐い物見たさだった。何となくたどり着いたページの掲示板の書き込み主におもしろ半分にメールした。
 その書き込みがその掲示板に存在していたのはたったの一時間。掲示板の管理者が素早く削除したのだ。それなりのアクセスの有るページだったので、その書き込みを見た人間は多い。そして書き込み主XXX加藤には、大量のメールが舞い込んだのだった。
 その中の一人、美沙をXXX加藤は御主人様に選んだ。
 それ以来、美沙にとってXXX加藤への命令は、美沙の密やかな楽しみとなった。XXX加藤は美沙の命令を忠実に聞いた。もっとも、実行しているところを見たわけではないけれど。それでも別に良かった、いや実行していないとは考えなかったと言うべきか。
 美沙はXXX加藤からのメールを削除すると、同僚のUraraにメールを書いた。

 Uraraへ
 元気?
 きょう美味しいラーメン屋さん見つけたんだ。
 今度食べに行かない?
 あのさぁ今日、バーコード課長がね、あたしのまえでスポーツ新聞よむんだよ。
 あのセクハラおやじ。
 ほんとムカツクよね。

 告白されたとき、Uraraは迷った。顔も見たことの無い男からの告白。ちょっとメールをやりとりするようになって、しばらくして好きだと言われた。サイトウはメールの中で、実際につきあってくれとは言わない。と言った。ネットの中だけで良い、と。Uraraはサイトウのことは別に嫌いじゃなかったのだが、いきなりの妙なメールに困惑した。ネットの上ではアリなのかも知れない。そう思いながら、今はまだ友達でいさせて欲しい。と言う類の返事を返した。そう言いながらも、チャットやメールでサイトウと話をするにつれて、Uraraもまんざらでもないと言う気分になってきた。
 最近では、二人用のチャットソフトでとりとめの無い話をするのが日課になっている。

Urara:友達からメールきたみたい。サイトウさんちょっと待ってね。
サイトウ:へ〜い、返事書いてても良いよ、なんかホムペみてっから。
Urara:うん、ごめんね

 サイトウは、あくびを一つかみ殺し、手元の雑誌を手に取った。面白いホームページはないものか。ぺらぺらめくるがこれと言って目に付く物もない。首を左右に動かす。手元の水割りを飲み干したので、次の一杯を用意しようと立ち上がったときだった。メール着信を教える音がした。件名は「私とつき合って下さい」差出人は「白井美沙」もしかして、Urara?
 サイトウは、心臓の高鳴りを覚えた。口から飛び出しそうだと言う表現、あれは嘘ではない。

 はじめまして、わたしは白井美沙って言います。
 彼と別れちゃって、今とっても寂しいんです。
 心もアソコも。
 私があんまりエッチだったから。彼が疲れちゃったのかな。
 こんな私で良かったらおねがいです、愛して下さい。

 XX県XX市XX町X−X
 TEL(XXXX)-XX-XXXX
白井美沙(misa@xxx.xxxx.xx.xx)

 そのメールをシュンも受け取っていた。
 シュンはクラタにICQをしようと思った。こんなメールが来ました困ったもんですね。ICQは短いメッセージのやりとりに使われるソフト。ネット上のポケベルとも称されるもので、相手がネット上にいるかどうかもわかる。メッセージを送ろうとして、シュンは眉をひそめた。クラタはOFFラインだった。

シュン:クラタさぁん、ICQでおくりたいもんあるんすけど?
チコ:クラタさん、そう言えば、登場してからしゃべってない気が^^;
メグミ:おちたんじゃない?
シュン:パソコン凍ったんかな^^;
チコ:あらぁ(TT)

 白を基調にしたシンプルなチコの部屋で、充電器に差してあった携帯が鳴った。ブルーのiMacをちょんとつついて、チコは席を立つ。ディスプレイで彼からのだとわかる。
「もしもし」
『またチャットしてたのか』
「してたよ」
 チコは肩をすくめた。
『この間はわるかったな。言い過ぎた』
「うん」
 ブースカのストラップを指に巻き付けながらチコは口元をほころばせる。
『あのさ、これからお前んち行っても良いか?』
 チコは一人暮らし。
「こんな遅くに?」
『ん。あぁダメかな』
「良いよ。来なよ」
『じゃあまたあとで……な』
 携帯を充電器に戻した。チコは「チコさんまで黙っちゃったよ^^;;;;」と言っているシュンに、返事して、それからメグミにICQを送った。

 彼これから来るって(^^;

 メグミは、チコに当たり障りのない返事を出した。そしてXXX加藤に抗議のメールを出そうと書き始めた。

 あんたサイテー。
 今度やったら警察に通報するからね!

 と書いて、ふと自分のことがどこぞの記事に載る様を想像した。ワイドショーでおもしろおかしく紹介される様を想像した。変態男ネットオカマにアソコの写真。  ネットオカマはネカマと呼ばれる。気持ち悪がられる存在である。女性名を付けてちょっとちやほやされたいそれくらいなら別にどうと言うことはないだろうが、女性に近付くために使ったり、時には人物に精神的な打撃を与えるために使うこともある。メグミは、軽い気持ちだった、ゲームのキャラクターに名前を付けるかのようにメグミという名前を使った。
 掲示板で女性として扱われたとき、メグミは「自分は演技派なのでは?」と言う感情が生まれた。自分は女性の真似が上手い。「失礼かも知れないけど、ホントに女性ですか? 一応聞いておかないと、ハンドルネームだけじゃわからないから」そう聞かれたとき、メグミは唇に乾きを感じつつ背筋に鋭く通った冷たい感覚を感じつつ、
 女です(^^/
 それが一線だった。それを越えたとき、メグミは毎晩がスリルの連続だった。これは女の子は言わない。これは言うかな? シミュレーションして受け答えするうちに自分がもしかしたら女性なのではないか? そんな風に思うようになってきた。だがそれはチャットの上だけ……。チコがメールをくれるようになったとき、無茶が生まれた。その場でフォローを入れられない、相手はそれを熟読する。疲れた。メグミは何事もなくここから消えて、今度はちゃんと男でネットに入りたいと思っている。しかし、それはそれで寂しい。
 メグミはキャンセルボタンを押して、XXX加藤への抗議のメールを破棄した。

 美沙様、いや白井美沙様へ
 貴女の奴隷、今日限りやめさせていただきます。
 私は貴女様を許しません。貴女様の愛を信じていたのに。

 XX県XX市XX町X−X
 TEL(XXXX)-XX-XXXX
白井美沙

 調べるのは割と簡単でした。貴女の住所と電話番号に私の拙い文章を添えて、複数の殿方に送信させていただきました。もちろん差出人の名前は貴女です。ちょっと設定変えればすぐ出来ますからね。警察に通報されるなら、そうされれば良いかと思います。そんときゃあんたの変態的な命令も暴露されんぜ。
 マスコミには遠慮と言う言葉は通じません。
 お気をつけ下さい。

XXX加藤

 XXX加藤からのメールは、美沙を一瞬にして恐怖のどん底にたたき落とすのに十分すぎた。恐怖のどん底と言うのは、こういうことを言うんだ。美沙は面白くなってきた。体が震えるのだ。可笑しくて震えてる。なんて可笑しいんだろう。
 美沙の元に、斉藤俊郎と言う人物からメールが、届いた。続いて三田玄、Maxミ☆、and_and、畠田雅人、暴れん坊先生、D_kitada、内山四郎、Urara、鮫肌三太郎、Dosukoi_Ikeda、古畑、Stイーグル
 美沙は、次々と受信されるメールを、見つめながら、悪意が、敵意が、怒りが、欲望が、自分に止めどなく押し寄せて来るのを感じていた。まだ増えていく。紀田宏、安田浩一……。

Urara:おっけ〜おわったよ
サイトウ:ういっす。
Urara:友達がね、美味しいラーメン屋さん紹介してくれるって。
サイトウ:ふ〜ん。俺も食いたい。
Urara:メールで写真送るよ。あはは
サイトウ:匂いは? 味は? 麺のコシは? あのこってりとした厚い焼き豚! 俺の心に幸せを運ぶ、あの焼き豚は? 立ちはだかるかに見えるが、実は大切な具であるモヤシは? あのネギは? メンマは! こたえてくれ! 汁は? Urara!
Urara:どうしたの。どうしたの????
サイトウ:ごめん。

 サイトウは、プレゼントページを開いていた。ラーメンのことは、ちょっとした冗談だった。だが、いらだちを覚えていたのは事実だ。あのメール! 人をバカにしたあのメール! 住所と電話番号はでたらめだ。悪質ないたずらだ。サイトウはすぐにふざけるな! てめぇがでたらめ書いて送ってるのは知ってんだばぁか! と書きつづって返信した。どうせ、返信先もでたらめだから、メール届けられませんでしたメッセージとともに送り返されてくるさ。
 そう思いながら、プレゼントページのアンケートを進めている。名前、フリガナ……。Uraraはプリンが好きで、新製品はチェックしてる。Uraraは阪神ファン。Uraraは幽霊番組が嫌いだけど見てしまう。Uraraは、砂糖と塩を間違えたことがある。Uraraのパソコンは雑誌の懸賞で当たったノートパソコンで、名前はおじゃるまる。XXX加藤は、美沙にメールを出した後、オナニーして、サイトウと同じプレゼントページを見てる。
 美沙は、だまされた。
 XXX加藤は、偽のプレゼントページを作った。そして、美沙にメールした。もちろん新しいメールアドレスを取得して。

 株式会社ビックマックから豪華プレゼントのお知らせ。
 当社では、春のスプリングキャンペーンといたしまして、アンケートに答えて下さった方から抽選で10名様に、ノートパソコンをプレゼント。
 応募は下記のページにて。

 美沙がノートパソコンをほしがっていたのは知っていた。彼女が出入りしている掲示板はチェックしている。
 XXX加藤は美沙から本名さらには住所と電話番号までも手に入れた。
 プレゼントページでは、アイコンのアニメGIFが、鬱陶しい輝きを放っている。デジカメにつられて、大切な個人情報がどんどん流れだしている。
 XXX加藤は、ブラウザを閉じた。新しいメールを書き始める。

 私を貴女の奴隷にしてください。
 私に恥辱的な命令を下さい。
 私は貴女を掲示板などでお見かけするにつけ、貴女様は私に命令を素晴らしい命令をして頂ける方と確信しました。私がこんなにも貴女を愛しているのですから、きっと貴女は私を愛して下さいますね?
 貴女は私を裏切らずに愛して下さる方と信じています。
 お返事、心よりお待ち申し上げます。

 XXX加藤(xxx_k@xxx.xxxxxx.xx.xx)

 メグミはXXX加藤から届いたメールを読まずに破棄した。メグミは一度だけ、本当に悪ふざけで出逢い系のページでメルともを探したことがある。もちろん返事なんか出すつもりはない。

 メール友達を捜しています。
 名前はメグミ(ハンドルネームです^^;)、高校で国語の教師をしています。趣味は音楽鑑賞とゲームとテニスです。テニスはテニス部の顧問をしているくらいなんです^^/
 メール下さい。待ってます。

 教師は本当だった。テニス部の顧問は本当だったが、テニスなんかしたことがない。若いと押しつけられるのだ。その直後、メールが山のようにやってきた。そのなかにXXX加藤なんて名前は無かった。もっともろくに読まずに破棄したから、実際のところはわからないが。

シュン:二人とも作業しながらちゃっとしてるっしょ^^;;
メグミ:シュン君だって、ネットサーフィンしながらじゃないのかしらぁ(++)
シュン:ごめん^^
チコ:あたし、とくに何もしてないよ^^
シュン:あぁそう^^; 息もしてないんだ(核爆
チコ:してるよぉ^^;
シュン:あのさ、OFF会やろうよ(^^)/
チコ:うん(^^)
メグミ:どこで?
シュン:クラタさんちの近くでいいんじゃねぇかな
チコ:メグミさんも行こうね(^o^)
メグミ:日付と場所次第かな(^^;
チコ:メグミさん行かないなら、あたしはちょっと(^^;
シュン:そうだねぇ。女の人ひとりじゃぁね。あぁあここの常連て俺達だけなんだよなぁ(TT)
チコ:そうだねぇ(^^;

 OFF会かぁ。チコはマウスカーソールをくるくる回した。オフラインミーティング。つまり実際に会うということ。会ったらやっぱり印象変わるかな。メグミさんってどんな人だろう。チコは、伸びをして、キーボードに手を添えた。
 チャイムが鳴った。チコは、玄関に行って、魚眼レンズを覗き込む。剛が薄暗い蛍光灯に照らされていた。チコは鍵を開けて、剛を中に入れてやった。
 チコは「どうぞ」と微笑んだ。剛は無言で頷いて靴を脱いだ。チコは「ごめん友達来たの(^^;」とキーを打ってから、剛にクッションを勧める。剛は少々ばつが悪そうな顔をしている。
 チコは「どうしたの? ケンカの事ならもういいよ、あ〜んまり気にしてないから」と、剛の額を人差し指で突いた。
「通信切ってくれ」
 チコは、今切ったら繋がりにくくなるからと断る。
「見られてるような気がするんだ」
 剛はうつむいてしまった。
「カメラが付いてるわけじゃないし、気にしない気にしない。それともコンポに見られてるような気がするの?」
 剛は苦笑して「無い」と答えた。
「確かにパソコンを真ん中に置いて、向こう側に人がいるけど」
 チコは言い終わってから、不意に立ち上がり「何か飲む?」と言ったが、剛は首を軽く横に振った。
 また腰を下ろしたチコに剛は、チャット続けて欲しいと言った。
「続けて良いの?」
 剛は、今からやって欲しいと言った。
「あぁもしかして、あたしが変なそぶり見せないか見張るんでしょ」
 チコは、ぷっと吹き出したが、剛は「いいから」と真剣な顔をした。
「ねぇもしかして……妬いてた? だからやめさせようとした?」
 チコが、剛の顔を覗き込むと、彼は目をそらして違うと言った。チコはそんな剛に心の中で「かわいい」とほほえみかけ、立ち上がった。

チコ:友達がチャット見たいんだって(^^;

 シュンは、傍らのテレビでニュースの音を聞いていた。
『今日午後六時十分頃、XX市郊外の河原で、写真を撮ろうとしていた男性が、走ってきた軽トラックに跳ねられ、頭を強く打って死亡しました』
 シュンは、ログの流れが悪いチャットから目をそらし、テレビに目を向けた。
『死亡したのは、XX市に住む会社員倉田哲朗さん三十歳で、警察では現場の道路は見通しがよい直線である事から、運転手の前方不注意とみて捜査しています』
 アナウンサーは、淡々としている。人が死んだのに。あたりまえだよな。シュンは、無関係な人の死に感傷的になるような人間じゃない。そもそもそんな人間はいるのだろうか。
 クラタテツロウねぇ。シュンはクラタさんもそんな名前だったかなぁ。と思いながら、チャットに目を戻した。

シュン:いまさ、ニュースで見たんだけど、くらたてつろうって人が今日の夕方、交通事故で死んじゃったらしいよ(^^;)
メグミ:似た名前の人もいるもんねぇ(^^;
チコ:だね(^^;;:

 チコのキーを打つ手が、突然の刺激に、ぴくんと跳ね上がった。
「ちょっとぉやめて」
 剛は、チコを後ろから抱きすくめた。耳元で、チャットつづけろよ。と呟く。そのままディスプレイとチコの間に体を乗り出し、唇を塞ぐ。

チコ:〜{0
シュン:え?
メグミ:文字化けかな^^;

 唇を引き離して、チコは、良いの? 見られてるよ。熱っぽいつぶやきを漏らす。剛は、お前はテレビに遠慮したことあるのか? と呟いて再び唇を塞ぐ。

 美沙は、メールが止めどなくなだれ込んでくるメーラーを切った。そしてぼうっと輝くディスプレイを見つめていた。やがてディスプレーの中では落ち葉がひらりひらりと舞いはじめる。スクリーンセイバーが作動したのだ。
 まだ、回線は切ってない。だが長時間通信せずに放っておけば自動的に切断される。もうすぐ切れる。
 美沙は放心状態であった。
 パソコンがカチリと鳴った。自動切断された。
 その瞬間であった。美沙の電話がけたたましく鳴り響いた。美沙は涙を流していた。止まらなかった。電話の音は耳に入らなかった。電話はしつこく鳴り続けそして切れた。間髪入れずにまた鳴り始める。

サイトウ:なぁなぁ今度OFFやろうよ
Urara:誰と?
サイトウ:Uraraと
Urara:デートじゃない。それ。
サイトウ:やっぱだめ?
Urara:OFF会かぁ
サイトウ:じゃぁさ俺も友達つれてくから、
Urara:じゃああたしも友達つれてく
サイトウ:詳しい話はまた今度、友達にも話してみるからさ。
Urara:うん
サイトウ:じゃあそういうことで、そろそろさよならかな?
Urara:だね。じゃぁまたね〜。おやすみ♪
サイトウ:おやすみ

 Uraraもサイトウも、布団に潜り込んだ。
 サイトウはUraraの夢を見た。遠藤久美子に似ていた。
 Uraraは、焼き豚を落とす夢を見た。美沙が分けてくれた。

シュン:チコさんも落ちたかなぁ
メグミ:さぁねぇ^^;
シュン:クラタさん、パソコン壊れたのかなぁ?(TT)
メグミ:ログインできないみたいねぇ^^;
シュン:寝たのかな。チコさんもクラタさんも。
メグミ:今夜はおひらきにする?(^^
シュン:そうだねぇ。
クラタ:私は死んでしまいました。

「はぁ?」シュンが、口に出した瞬間。シュンのパソコンが凍り付いた。マウスカーソールも反応しない。強制終了も効かない。ただ、クラタの発言が、シュンの網膜に焼き付いて離れない。残像が残るほど強烈に閃光を発していた。そう見えた。シュンは、何度も何度も強制終了ボタンを押して再起動しようとしたが、言うことを聞かない。テレビから漏れるタレントの笑い声が、むなしく響く。
 メグミのパソコンも凍り付いていた。メグミも強制終了しようとするが、通用しない。いきなり喋ったクラタは本当に死んでいたのか? 頭をもたげた信じがたい考えに、バカなと苦笑いしながら、最後の手段、スイッチを切った。
 XXX加藤は次から次へと美沙の個人情報を送りまくる。
 剛はチコのパンティに手をかけた。
 Uraraとサイトウは夢の続き。
 美沙は、鳴り続ける電話の前でうずくまって、耳を塞いだ。

 そして、クラタは流れる電子の一粒一粒、光の一粒一粒をいとおしく眺めた。


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