騎士と少女の逃避行
水無月 いずみ


「何者だ? あんたら」
 アルサイト・ウェズンは、前方の四人を見据えながら声を発した。
 年の頃なら二十歳過ぎ、といったところだろう。もともと鋭い双眸を、今はさらに鋭くしている。腰に長刃剣を提げているが、まだ、それには手をかけていない。
 見知らぬ人間に、突如、周囲を取り囲まれる――
 街道を進んでいれば、多かれ少なかれ、こういうこともあるだろう。だが、今回はそのよくあるパターンではなさそうだ。
「野盗、じゃないよな……?」
 四人の服装と装備を見ながら、アルサイトは訊ねた。彼らは、四人ともが一様に同じ装備だ。それに、野盗ならば、数が少なすぎる。ああいう連中は、不必要なまでの大人数で少人数を囲むものだ。
「無駄だとは思うが……もう一度訊くぞ。あんたらは何者だ?」
 アルサイトは言葉を切り、相手の返答を待った。が――
「ちょっとあなたたち! 返事くらいしたらどうなのよ?」
 別のところから、甲高い声が発せられた。
「…………」
 アルサイトは、黙ったまま傍らにいる声の主に目をやった。その間にも、声の主は堂々と口上を続ける。誇らしげに腰に手をやりながら、
「なんのつもりか知らないけど、待ち伏せなんて卑怯者のすることよ。堂々とかかってきなさいよね!」
 最後に小さく鼻を鳴らして、少女は口上を終えた。
「お前は黙ってろ、フィリア」
 嘆息しながら、アルサイトはその少女に告げる。
「相手を刺激してどうするんだよ。今ならまだ平和的な手段で解決できたかもしれないのに」
「なっさけないわねえ、アルス」
 少女――フィリアは、あからさまに見下した顔でアルサイトを見上げた。
 可憐、という言葉がよく似合う。そんな少女だ。歳は、十五、六といったところか。小首をかしげながら、彼女は続けた。
「もしかして、怖じ気づいたの?」
「誰もそんなことは言ってないだろ。戦って勝てると分かっていても、交渉するのが大人の態度なんだよ」
「まぁた、そうやって言い訳する。それに……」
「分かった分かった。とにかくお前は下がってろ」
 まだなにか言いたげなフィリアを制し、アルサイトは四人に向き直った。彼らの出で立ちを見て、胸中でつぶやく。
(どのみち、平和的解決なんてあり得ないんだろうしな……)
 目の前の四人が野盗の類ではないのは、服装などを見ても明からだ。となると……
(目当てはこいつか……)
 ちらり、とアルサイトは後方に数歩退いたフィリアを見る。気楽な様子の彼女に、アルサイトは声をかけた。
「……離れすぎるなよ。それから、間違っても手を出そうなんて考えるな」
「分かってるわよ。わたしは戦いの心得なんてないもの。アルスに任せるわ」
 アルサイトは手を振って、それに返事を返した。それから、目の前の四人に言った。
「あんたらがなんのつもりかは知らないが……かかってくるんなら、全力で退けさせてもらうからな」
 四人は返事を返さない。最初から腹づもりは決まっているのだろう。が、アルサイトは諦めずに交渉を続けた。
「とはいえ、俺だって斬り合いなんてごめんだ。できれば、このまま帰ってくれないか。そうしてくれるなら、俺もあんたらを追いかけたりはしない」
 もっとも、彼自身、そうしてくれるとは思っていないが。
 案の定、四人はそれぞれに抜刀した。
「聞き入れてくれないのか。残念だな」
 アルサイトは嘆息し、長刃剣の柄に手をかけた。

「アルスって、本当にいい腕してるわね」
 見事に伸びてしまっている四人を見下ろしながら、フィリアは感嘆の声を発した。それから、倒れている四人に無防備に近づいていく。アルサイトがそれを止めないのは、全員気絶させている、という確信があるからだ。
 彼の思い通り、四人とも完全に戦闘不能に追い込まれている。だが、致命傷にはほど遠い傷だ。
「お前な、それがこの前まで修道院にいた人間のせりふかよ。もう少し、こう、慈悲の気持ちとかはないのか?」
 剣を鞘にもどしながら、アルサイトはフィリアに訊ねた。
「口で言っても分からない相手には仕方ない、って修道院でも教わったわ」
 倒れている男――だろう、たぶん――を指さしながら、フィリアは抗弁する。彼女の口調から察して、冗談ではなさそうだ。
「誰かが余計なことを言わなかったら、説得できたかもしれないけどな」
 独り言のように言いながら、アルサイトはフィリアのもとに歩み寄った。彼女の腕をつかみ、
「行くぞ」
 立ち上がらせようとする。が、
「待って。まだ、この人たちへの用事が済んでないわ」
 フィリアはそれを拒むと、目を閉じ、四人に向かって何事かをつぶやきはじめた。
 聖言だ。悔いを改めろだの、懺悔しろだのといった、あのお決まりの言葉だ。
 静寂の中に、フィリアの声だけが小さく響く。
 しばらくすると、彼女は立ち上がった。
「終わったわ。行きましょ」
 アルサイトの数歩前をフィリアは歩いていく。それに追いつきながら、アルサイトは彼女に言った。
「お前、そういうところはしっかりしてるよな」
「アルスにいたわりの心が欠けてるだけよ。誰だって、傷つけられたら痛いに決まってるじゃない。そんなことをしたら、謝るのは当然でしょ」
「それも修道院の教えか?」
アルサイトの問いに、フィリアは首を横に振った。
「ううん、わたしがそう思うだけよ。だって、そうでしょ?」
 青玉石のような瞳で、彼女はアルサイトを見上げた。
「……そうだな」
「分かればよろしい」
 アルサイトの返事に満足したのか、ご機嫌な様子でフィリアはほほえんだ。
「それにしても……」
 歩きながら、フィリアが再び口を開く。
「さっきの人たち、なんだか変な感じがしなかった?」
 なんとはなしに、という口調で彼女は言った。
「まあ、な」
 アルサイトは言葉を濁した。
 あの四人が、野盗の類ではないのは明らかだった。服装を見たときもそう思ったが、剣を合わせたときに、それは確信に変わった。
 野盗たちのように実戦でたたき上げた剣術には、どこかしら太刀筋にその人物特有の癖があるものだ。だが、彼らの剣にはそれがなく、四人ともが同じような太刀筋だった。
 つまり、明らかに正式な訓練を受けた者の動きということになる。それでも、実践を積み重ねていけば癖は出てくるものだ。もちろん、彼らにもそれは見られたが、明らかに同じ剣術から派生したものだった。
「ただの野盗じゃなかった、な」
 言葉を選びながら、アルサイトは答えた。
「……なんだか歯切れが悪いわね?」
 疑わしげな視線で、フィリアはアルサイトを見上げる。と、彼女は声をあげた。
「あっ! アルス。あなた、もしかしてどこかでお尋ね者になってたりしないでしょうね?」
「なんでそうなるんだよ。俺は、誓って世の中に背くようなことはしていない」
 アルサイトはフィリアに向かって断言する。それから、
(……たぶんな)
 と、胸中で付け加えた。

 どこかで、フクロウかなに0かが鳴いている。
「どういう風の吹き回し?」
 目の前に差し出されたものを見ながら、フィリアは怪訝そうな声を発した。
 不意に、焚き火がはぜった。その拍子に、彼女の顔がオレンジに染まる。
「どうって、俺がこんなものを渡したら変だとでも言いたいのか?」
 フィリアを見つめたまま、アルサイトは彼女に訊き返した。
 彼の手の中にあるのは、赤いリボンだ。
「お前、髪が長いだろ? 邪魔になるかなって思ったんだよ」
「ホントにそれだけ……?」
「人の善意は素直に受け取るもんだ。修道院でそう教わらなかったか? いいから後ろを向け」
「うん……」
 アルサイトの言葉に、彼女はおとなしく背中を向けた。
「…………」
 無言で、アルサイトはフィリアの髪を手に取った。それから、彼女の髪にリボンをからませる。
 程なくして、彼女の肩の辺りにリボンが結わえつけられた。
「よし」
「もういいの?」
「いや、ちょっと待て」
 フィリアに言うと、アルサイトは目を閉じて意識を集中した。そして、頭の中でリボンを思い浮かべる。
(見えるな……)
 目を閉じていても、アルサイトははっきりとフィリアの姿を見ることができた。
 探知の魔法がかかっているリボンだ。現在では魔法は失われてしまっているので、それなりに貴重なものではある。
 アルサイトは、もう一度リボンを動かしてリボンの位置を固定した。
「これでいいだろ。ちょっと前を向いてみろ」
 彼の声に、フィリアは振り向いた。
「似合う……?」
「よく似合ってるよ」
 遠慮がちに訊ねるフィリアに、アルサイトは言ってやる。やや大きめのリボンだが、事実、彼女にはよく似合っている。
「ありがと」
 フィリアはにっこりとほほえんだ。
「お礼に、わたしもアルスになにかあげたいんだけど……なにがいい?」
「いいよ。別にそういうのを期待したわけじゃない」
「でも……善意を受けたら相手にもそれを返しなさい、って修道院では教わったもの。そういうわけにはいかないわ」
 言いながら、フィリアは自分の身体を眺めはじめる。が、これといった装飾品を身につけているわけでもなく、彼女は思案顔になった。
「我ながら、なんにも持ってないわね。あっ」
 と、彼女は襟元に手を突っ込み、ごそごそとやりはじめた。
「なにをしてるんだ?」
「ちょっと待ってね」
 しばらくごそごそとそれを続け、彼女はなにかを取り出した。
 ペンダントだ。
 細かい細工の入った銀の土台の真ん中に、紅玉石が埋め込まれている。おそらく、鎖も銀製だろう。
「そんなものを持ってたのか?」
「うん。わたしが小さい頃にね、シスターがお守りにしなさいってくれたの」
 フィリアはうなずき、アルサイトにそれを掲げて見せた。紅玉石が月の光を反射して、静かに輝く。
「ふうん……」
 アルサイトはペンダントをのぞき込む。
 見るからに高価そうな代物だ。間違いなく値打ちものだろう。宝石に知識のない彼にも、そう思えた。
「で、これを俺にくれるのか?」
「そうよ。だって、わたしはこれしか持ってないもの」
 さも当然、という表情でフィリアは言った。それから、彼女はペンダントを首から外し、アルサイトに差し出した。
「リボンとペンダントじゃ、つり合わな過ぎるな。これはもらえない」
 アルサイトは苦笑した。
「でも、わたし、人にあげられそうなものは、これしか持ってないわ」
「いいよ。その気持ちだけで充分だ」
 言いながら、我ながら陳腐なせりふだなと思ったが、フィリアは納得したようだった。ペンダントを服の中にもどしながら、彼女はアルサイトに言った。
「修道院にいた頃はそんなふうには見えなかったけど、アルスって結構優しいのね」
「そりゃどうも。さ、もう寝な」
「うん。ありがと」
 フィリアはアルサイトの横に並び、彼の肩にもたれ掛かった。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 アルサイトは、マントで彼女の身体をつつみこんでやる。
 しばらくすると、フィリアは静かな寝息を立てはじめた。それを確認して、アルサイトも目を閉じた。

 ざっと見て、十人以上。
 現在、ふたりの前に立ちはだかっている人間の数だ。
 格好は昨日の四人と同じだが、今回はこの大人数だ。大層なことに、後ろには馬もいる。
(本格的に動きだしたってわけか……!)
 アルサイトは胸中で舌打ちした。この人数を退けるのは、さすがに厳しいかもしれない。
 左右は森だ。襲撃にはおあつらえ向き、ということだろう。戦いの気配を察したのか、鳥たちが群をなして飛び立っていった。
「アルス、どうするの……?」
 小声で、フィリアが彼に訊ねる。恐怖に震えているのかもしれない。その声は、幾分かすれていた。
「説得は不可能だ」
 アルサイトはつぶやき、抜刀した。それから、フィリアに告げる。
「俺のそばをできるだけ離れるな、と言いたいところだが……無理だな。少し、離れてろ。いいな?」
「分かったわ」
 フィリアはうなずき、アルサイトの背後、数メートルのあたりに後退した。
 それに反応するように、男たちが抜刀する。
 同じタイミングで、アルサイトも剣を握る手に力を込めた。
(数が多すぎる。こっちから仕掛けるのは無謀……)
 アルサイトはそう判断し、
「来いよ。俺をなんとかしないと、目的は達せられないぜ?」
 挑発するように、切っ先を上下させた。それから、不敵に笑ってみせる。
 それが気に障ったわけでもないだろうが、彼に向かって男がひとり駆け出した。
 ひゅっ――
 男の剣が、左上段からアルサイト目がけて振り下ろされる。
 が、身体を後方に反らして、アルサイトはあっさりとそれを回避した。
 体勢を立て直そうと、男が振り下ろした剣を上げようとする。
 その隙を突いて、アルサイトは男の胴を薙いだ。数歩たたらを踏んで、男は地面に膝をついた。
(まずは、ひとり……)
 油断なく、アルサイトは剣を構え直した。
 斬られた男が動かなくなったのを見て、一斉に男たちが動く。
「ちっ――」
 地面を蹴り、アルサイトは数歩後退する。一番手前にいた男の剣が彼の鼻先をかすめていった。
 が、次の瞬間には、別の男の剣が彼に襲いかかっている。
 ぎぃん。
 振り下ろされた剣を受け止め、アルサイトはその男を押しもどした。それから剣から右手を離し、手近にいた男を裏拳で殴り飛ばす。後ろにいた者を巻き込んで、その男は尻餅をついた。
 それを確認すると、アルサイトは剣を両手持ちにもどし、左側にいた男に斬りつけた。悲鳴をあげながら、男は地面に倒れ伏した。
(ふたり……)
 アルサイトは胸中でつぶやきながら、先ほど転倒させた男の顎先を蹴り飛ばす。後頭部を地面に打ちつけて、男は失神した。
 これで、三人。だが――
(数が多すぎる……!)
 アルサイトは胸中で毒づいた。
 ひとりやふたり減ったところで、相手にとっては大した損害ではないだろう。
(それでも、ひとりずつ倒していくしかない……)
 まだ、十人以上の人間が残っていそうだ。もといた位置にもどろうと、アルサイトは後方に軽くステップを踏んだ。ついでに、ちらりとフィリアの姿を確認する。彼女までの距離は十数歩、といったところか。
(全滅させなくてもいい。あいつを守りきれば、俺の勝ちだ)
 自分に言い聞かせて、再びアルサイトは剣を構える。
 男たちが三人同時に駆け出した。方向は正面、右、左。
 迷わず、アルサイトは前方にダッシュした。正面の男の剣を弾き飛ばし、最初の男と同じようにその男を斬り伏せる。
(四人目……)
 男が倒れていく姿を確認して、アルサイトはそのまま横に跳んだ。着地後、すかさず振り向く。そこには、彼の計算通り、左右から襲いかかってきていた男の姿があった。
 アルサイトはまっすぐに剣を突き出した。長刃剣の切っ先が、男の脇腹に突き刺さる。派手に血が飛び散るようなことはなかったが、それでも男は戦意を失ったようだった。
(これで、五人)
 いつまでも突き刺していては、剣が抜けなくなってしまう。すぐさま、剣を男から引き抜いて、アルサイトは別の相手と切り結ぶ。
 彼の技量にかなう者は、この場にはいないようだ。その男もあっさりと地面に倒れ伏した。が、立っている人間はまだ十人近くいそうだ。
 このままでは、らちがあかない。アルサイトは声を張り上げた。
「死にたくないんなら、逃げたほうがいいぜ!?」
 が、男たちは返事を返すことなく、無言でアルサイトに斬りかかってくる。
(くそっ!)
 その中のひとりを倒しながら、アルサイトは舌打ちした。さすがに息が上がってきている。全力で動けるのは、あと数分が限度だろう。
 が、それでも彼は諦めない。ひとり、またひとりと、男たちを屠っていく。と――
 彼の背後から、複数の足音。ふたつか、それとも三つか。だが、その足音は人間のものではない。
(馬か?)
 アルサイトは、音からそう推測する。それから、
(援軍か? 違ってくれ……)
 すがるような思いでそう願った。もしそうなら、絶望的だ。この状態で背後から襲われたら、ひとたまりもない。
「アルスっ!」
 悲鳴じみたフィリアの声。どうやら、彼の願いは成就されなかったようだ。三頭の馬が、武装した男を乗せてこちらにやってきている。
「森の中へ逃げろ!」
 振り向く余裕がアルサイトにはない。男たちと斬り合いを続けながら、彼はフィリアに向かって叫んだ。
 馬のものであろう足音は、どんどん近づいてきている。
「でも……」
「いいから逃げろ! あとで迎えに行く!」
 フィリアからの返事はない。森の中へひとりで入っていく、という行為に躊躇があるのかもしれない。
 足音が止まった。それから、人間が地面に足をつく音。
「早くしろ! 絶対に迎えに行く!」
 もう一度、アルサイトは彼女に叫ぶ。
 それにうなずき、フィリアは森の中へ駆け出そうとした。が――
 あっさりと追いつかれ、彼女は馬から下りてきた男に腕を掴まれた。
 フィリアが悲鳴をあげる。
 振り向くことはできないが、彼女の声を聞けば、アルサイトにもなにが起こったのかは察することができた。が、目の前の男たちの相手をするのが精一杯で、彼にはどうすることもできない。
「くそっ。なんでもいいから時間を稼げっ!」
 アルサイトは彼女に告げた。そして、再び男たちと剣を合わせる。
 彼の言葉に従い、フィリアは手近にあった木の枝に、空いている手でしがみついた。だが、所詮、華奢な少女の力だ。屈強な男の腕力にかなうはずもない。
 ささやかな抵抗のあと、襟首を掴まれて彼女は強引に男のもとに引き寄せられた。
「放してっ!」
 もう一度、フィリアが声をあげる。それを見て、彼女を捕まえていた男は彼女に当て身を浴びせた。
 くたり、と彼女の全身が力を失う。
 フィリアに当て身を浴びせた男は、そのまま彼女を担ぎ上げた。そして、仲間が乗っている馬の背中に、彼女をロープでくくりつける。その男に行け、と命じたあと、男はその場にいる全員に声をかけた。
「退くぞ」
 その言葉に、アルサイトと切り結んでいた男たちは一斉に後退をはじめた。
 同時に、アルサイトの横を一頭の馬が駆け抜けていく。
 馬上にくくりつけられているフィリアの姿を、アルサイトははっきりと確認していた。
「フィリアっ!」
 彼の呼びかけに彼女は返事を返さない。完全に気絶しているのだろう。彼の横を、さらに二頭の馬が駆け抜けていく。
 立ちつくすアルサイトを後目に、男たちはどんどん遠ざかっていった。
「くそっ!」
 つい先ほどまで彼女がいた方向を見つめながら、アルサイトは地面に向かって剣を振り下ろした。力の限り振り下ろされた剣の切っ先が、大地を深くえぐった。と――
 先ほど、馬が駆けてきた方向からさらにもう一頭、馬が駆けてきている。
 馬上にいるのは男のようだが、どうやら、仲間ではないようだ。服装が違う。
 程なくして、男はアルサイトの目の前までやってきた。道中に広がっている光景と、抜刀しているアルサイトを見て、さすがにただごとではないと思ったのだろう、男は馬を止まらせ、下馬した。
 長身の男だ。おそらく年齢は三十過ぎほどだろう。がっしりとした体格の上、精悍な顔つきをしている。傭兵かなにかなのだろうか、馬の腹には大剣が縛りつけられていた。
 男が口を開く。
「これは……なにがあったのだ?」
 顔に似合った低い声だ。アルサイトと地面に転がっている男たちを交互に見ながら、彼はアルサイトに訊ねた。
「見ての通りだ。こいつらに襲われた」
 アルサイトは男に答える。本当はすぐにでもフィリアを追いかけていきたい気分だったが、向こうが馬に乗っていた以上、どうやっても歩きでは追いつくのは不可能だろう。アルサイトは、この男に協力を求めてみることにした。
「襲われた? 怪我はなかったか?」
「俺は大丈夫だ。それより……」
 アルサイトは答え、剣を振るった。切っ先から血飛沫が地面にまき散らされ、地面に赤い斑点ができあがった。彼は切っ先で男のひとりを指し示し、
「連れがこいつらの仲間にさらわれた」
「さらわれた? この者たちにか?」
 男の表情に驚きの色が浮かぶ。
「そうだ。追いかけたいんだが、向こうは馬に乗ってる」
「私に協力してほしい、ということか?」
「ああ。頼む」
 アルサイトは黙って頭を下げた。が、男は表情を曇らせた。
「協力してやりたいのは山々なのだが、私にも事情がある。当てもない探索につき合うわけにはいかない。その連中が向かった場所の見当はついているのか?」
「場所なら分かる。どこに逃げても、だ」
 男の問いに、アルサイトは即答した。顔を上げて、
「連れに探知の魔法のかかったものを渡しておいた。連れがそれを手放さない限り、見つけられる」
「ふむ……」
 男は考え込むように宙に目をやった。
「頼む!」
 アルサイトはもう一度、頭を下げた。と――
 地面からの光が、彼の目の中に飛び込んだ。まぶしさのあまり、思わず彼は目を覆う。
「どうした?」
 男の問いには答えず、アルサイトは発光源のほうに向かう。ちょうど、そこはフィリアが先ほどまで男たちと格闘していた場所だ。
 アルサイトが少し地面を見回すと、すぐに発光源は見つかった。彼はかがみ込み、それを拾い上げる。
 フィリアが身につけていたペンダントだ。
「それは?」
 男がアルサイトに近づきながら訊ねる。
「連れの持ち物だ」
「ずいぶんと高価そうなものだな。ちょっと見せてくれないか?」
 アルサイトは手渡さずに、自分の手のひらの中でペンダントを男に見せた。
「ふむ……」
 興味ありげに、男はアルサイトの手の中をのぞき込む。
「これは……」
「なあ、ペンダントなんてどうでもいいだろ? 協力してくれるのかくれないのか、どっちなんだ?」
 男の態度がいらだたしくなって、アルサイトは彼に言った。この男が協力してくれるのならばそれでいいが、断られた場合、ここにいるのはあ時間の無駄になるだけなのだ。
 アルサイトの口調からその心中を汲み取ったのか、男はペンダントから目を上げた。そして、彼に訊ねる。
「もう一度確認させてくれ。その連れとやらは確実に見つけられるのだな?」
「ああ。見つかるはずだ」
 真剣な面もちで、アルサイトは答える。
「分かった。君に協力しよう」
「本当かっ?」
「すぐに見つけられるのだろう? ならば、すぐに追いかけよう。私の後ろに乗れ」
 男は自分が乗ってきた馬のもとまで歩いていき、馬の背中に手をかけた。
「すまない」
 アルサイトはペンダントをポケットに押し込むと、もう一度男に頭を下げ、彼のもとへと駆け寄った。
「あいつを、誰かに渡すわけはいかないんだ……」
 アルサイトは胸中でつぶやいた。

 半年ほど前のことだ。
「アルサイト・ウェズン、参上いたしました」
 どこにでもあるような修道院。その最も奥まった部屋の前でアルサイトはかしこまって礼をしていた。
「入りなさい」
 と、部屋の中からしわがれた女性の声。
「失礼します」
 部屋の前で一礼して、アルサイトは中へ入った。
 おおよそ、修道院の最高権力者の執務室には似つかわしくない狭さだ。それに、聖職者の部屋だということを差し引いても、もう少しものがあってしかるべきだろう。この部屋の中にあるのは、椅子とテーブル。あとは、本が数冊と筆記用具のみ。
 ステンドグラスから色とりどりの光が射し込む聖堂とは違って、ここには白い光しか射してこない。射し込んでくる光は白。部屋にあるものも白。そして、部屋の主が身につけている衣服も白。なにもかもが白で統一されたこの部屋は、さながら病室のようでもある。
 部屋の中で待っていたのは、四十を過ぎているであろうひとりの女性。この修道院の最高権力者だ。
「いらっしゃい。とりあえず、そこに腰掛けなさい」
 いつものように柔和な笑みを浮かべながら、彼女はアルサイトにそう促した。
 それに従い、アルサイトは椅子に腰掛ける。そして、すぐに本題を切り出した。
「俺に用事がある、とのことですが?」
「ええ」
 と、シスターは真剣な表情になった。
「時間がないかもしれません。単刀直入に言います」
 彼女の口調と眼差しに、アルサイトは背筋を伸ばした。緊張して、彼女の次の言葉を待つ。
「アルサイト。あなたをここの騎士団から除名します」
 …………
「……どういうことですか?」
 長い沈黙のあと、アルサイトはそう訊き返すのが精一杯だった。なにがなんだかさっぱり分からない。自分がなにかしでかしただろうか、と考えてみたりもしたが、彼には思いつく節はなかった。
「安心なさい。免職ではありませんよ。あなたには騎士団から外れてもらって、別のことをしてもらいたいの」
 シスターの言葉は続く。
「最近、陛下の体調がすぐれない、ということは知っていますね?」
「知っています」
 アルサイトはうなずいた。
 国王が現在、病床に伏している、というのはこの国の国民なら誰もが知っている事実だ。
「軽い病だとかんなんとか……」
 アルサイトの言葉に、シスターは黙って首を横に振った。
「違うんですか?」
「ええ。もう、いつ天に召されても不思議ではない容態だそうです」
「そうだったんですか。知りませんでした……」
「民に不安を募らせるわけにはいかない。そういうことなのでしょう」
 シスターは小さく嘆息した。
「ですが、それと俺の除名になんの関係が?」
 そんなことより自分のことが納得できない。アルサイトは、シスターに訊ねた。
「フィリアを知っていますね?」
「? ここにいるフィリアのことですか?」
 彼の問いに、シスターはうなずく。
「それなら知っています。目立つ子ですから……」
 言いながら、アルサイトはその少女に関する記憶を頭の中で引っぱり出した。
 名前はフィリア。両親は不明なので家名はない。今年で十六歳になった。容姿、行動、存在感、とにかく、すべてにおいて目立つ少女だ。同世代だけではなく、下の世代にも上の世代にも人気があり、彼女の周りにはいつも人がいる。
「不思議な魅力がある子ですよ。人を惹きつけてやまないなにかがある、というか……」
「そうでしょうね。なにしろ、あの子は陛下の実の娘なのですから……」
 一度言葉を切ると、シスターは長い説明をはじめた。

 現在、この国の世継ぎは、十六歳になる王子がひとりいるだけ、ということになっている。
 だが、実際には王妃は同時にふたりの世継ぎをこの世に送り出していた。
 王妃が産んだ世継ぎは双子だったのだ。ひとりは現在の唯一の王位継承権保持者であるこの国の王子。そして、もうひとりがここに孤児として引き取られたフィリア。
 皮肉なものだ。王は後継者争いを避けるために世継ぎをひとりしか作らない、と決めていたのだ。それなのに、よりによって双子が産まれてしまうとは。
 歳に違いがあれば、それを理由に王位継承権の順位を決めることができる。年齢の高い順に継承権を与えれば済むことだ。
 だが、この兄妹は双子。生まれた順序など、あってないようなものだ。
 しかも、この国では代々、王の直系の子供の中で最も年長のものが、男女を問わず王位を継承してきた。
 年齢に差のない双子の兄妹。やがて自分が死ぬとき、このふたりが王位の継承権を巡って争うであろうことは火を見るより明らかだ。仮に、ふたりのうちのどちらかが王位の継承を望まなかったとしても、それを無視してでも担ぎ出す者などいくらでもいる。双子の世継ぎを見て、王はそう思った。
 どうすれば、未来の後継者争いを未然に防ぐことができるか。王は考え、そして悩んだ。
 迷った末、彼はフィリアをこの修道院に孤児として預けることにした。そして、シスターにこう言ったのだ。
 この子は、この時点で王女ではなくなる。どうか、争いの火種にならないように守ってやってほしい。
 そして、こうも言った。
 本当に王国の未来を案じるのならば、ここでこの子を殺してしまうべきだろうと思う。だが、直接的にしろ間接的にしろ、自分にはそんなことはできない。この子を生かしてやりたい。生まれてきた以上、生き抜いてほしい。
 シスターはフィリアを引き取った。そして、彼女を普通の孤児として育てることを彼に約束した。 

「そんなことが……」
 アルサイトは大きく息をついた。
「残念ながら、陛下が天に召されるのは時間の問題でしょう」
 シスターは続けた。
「そうすれば、当然、世継ぎの問題が浮上してきます。フィリアのことを知る者は少ないと言えども、秘密など、どこからでも漏れるものです。どこの有力貴族がこの情報をつかんでいるとも限りません」
「だから、フィリアを連れてここから出て行け、と?」
「その通りです。もし、フィリアの存在を知っている者がいたとしたら、ここにあの子を置いていくわけにはいきません」
「確かに、一カ所にとどまっているよりは、あちこちを動いていたほうが見つかりにくいでしょうね。ですが、そんな役を俺に?」
 アルサイトは正直言って自信がなかった。いくらなんでも、話が大きすぎる。少女ひとりを守るだけとはいえ、とても自分ひとりの手に負える問題ではないように彼には思えた。
 だが、それと同じくらいに、フィリアを守ってやりたい、という気持ちが彼の中に芽生えてきているのも確かだ。
 なにも知らずに、ここまで普通の娘として育ってきたひとりの少女。それなのに、突然、争いに巻き込まれるのかもしれないのだ。あの誰よりも優しい少女が、争いの火種になってしまうかもしれないのだ。
 それでなくとも、今まで彼はここの子供たちを守る義務を背負ってきた。たとえ、騎士団を除名されたとしても、その気持ちに変化はない。
「お願いできますね? アルサイト」
 真っ直ぐにアルサイトを見つめながら、シスターは彼に言った。
「分かりました」
「やはり、あなたに頼んで正解でしたね」
 即答したアルサイトに、シスターはほほえんだ。
「出発は、明後日です」
「成人した子供を送り出す日ですね」
「そう。あなたたちだけではなく、他の子供たちが全部で四人、ふたりひと組でここから巣立っていきます。いつもと同じですよ」
 シスターは椅子から立ち上がると、アルサイトに背を向けて窓のほうに目をやった。まだ、外に出ると肌寒いが、もうすぐ草花が芽吹く季節になるだろう。その証拠に、日差しは日一日と優しさを増している。
「ここに来た子供は、みんながわたくしの子供。あの子とて、それは同じです。たまたま、あの子は危険に遭う可能性が高いから、旅のパートナーがあなたであるだけ」
 つぶやくと、シスターはアルサイトのほうへ振り向き、彼に告げた。
「あの子を、よろしくお願いしますよ。あなたにならできると、わたくしは信じています」

 その明後日、アルサイトとフィリアは予定通りに修道院を旅立った。

 馬の背で、男はバーラムと名乗った。
「できるだけ早く見つけたほうがいいだろう。今すぐ、その連れの居場を探ってくれ」
「言われなくても分かってる」
 バーラムに返事を返し、アルサイトは目を閉じた。そして、昨晩、フィリアの髪に留めたリボンを思い浮かべる。
 すぐに彼女の姿が彼の脳裏に浮かんできた。彼との相対的な位置関係は……
「分かった」
 アルサイトは目を開け、バーラムに方向と大まかな距離を告げた。
「それほど離れていないな」
「ああ。今ならすぐに追いつける。急いでくれ」
「分かった。飛ばすからしっかり掴まっていろ。とは言っても、大の男がふたりだ。どこまで飛ばせるかは分からないがな」
「すまない」
「気にするな。では、行くぞっ!」
 バーラムは馬の腹を蹴った。
 ゆっくりと馬が常歩で動きだす。
 程なく、バーラムが馬に合図を送った。馬が常歩から速歩へと走法を変える。
 軽快なフットワークだ。それに、男をふたりも乗せている割には、スピードも悪くない。
「……いい馬だな」
「そうだな。私もこれ程とは知らなかった。我が愛馬ながら頼もしい奴だ」
 言いながら、バーラムが馬に気合いを入れる。
 馬はさらにスピードを上げ、そのままふたりを乗せて駆け続けた。

 追跡はそれほど困難だったわけでもない。むしろ、簡単だったと言えた。もっとも、林の中で音を立てずに行動するのだけは、なかなかに骨が折れたが。
 ともあれ、何事もなくふたりはここまでたどり着いていた。今は、木々の影に身を潜めながら、フィリアをさらった男たちの様子を窺っているところだ。
「本当に間違いないのだな?」
「ああ」
 小声で訊ねるバーラムに、アルサイトはうなずいた。そして、もう一度、フィリアに渡したリボンを頭の中で思い浮かべる。
 やはり間違いない。リボンの反応は目の前にある。
「連れはあそこだ」
 と、アルサイトは目の前にある三つのテントのうちのひとつを指さした。
 不意に風が吹いた。木々が一斉に騒ぎ、男たちが焚いているたき火が小さく揺れる。
「この場にいるのは二人か。君が襲われたときは、連中は何人いたのだ?」
 男たちのほうに顔を向けたまま、バーラムがアルサイトに訊ねる。
「さあな、数えてない。確か、十五、六人だったはずだ。そのうち、俺が倒したのが七、八人。ただし、それから援軍が三人来た」
「十人は見積もったほうがいい、ということだな」
「テントの数を考えても、そのあたりが妥当だろうな」
 もっとも、何人いようとも、フィリアを助け出すつもりではいるが。
 アルサイトは小さく息を吐いた。それから、バーラムに訊ねる。
「あんた、剣の腕はどのくらいだ?」
「君は、あそこにいる連中の仲間、七、八人をひとりで倒した、と言っていたな。私が手伝えば、あの連中から君の連れを救出できるだろう」
「信用していいんだな?」
「約束しよう」
「よし、決まりだ。俺は左の男を片づける。あんたは右の男を頼む。そのあとは、各個撃破だ」
 腰にある長刃剣の柄に手をかけながら、アルサイトはバーラムに告げる。
「いいだろう」
 バーラムも背中大剣に手をかけながらうなずく。
「と、言いたいところだが……馬鹿正直に正面から突っ込むつもりか?」
「あいにくと俺は小細工の仕方を知らないんでね」
 真顔のまま、アルサイトはバーラムに言い返した。
「なるほど、な。ならば、私がひとつ教えてやろう」
 バーラムは小石を拾いながら、
「危険を減らす手段があるのならば、まず、それを実行することだ」
「もっともな意見だが……そんな初歩的なテに引っかかるのか?」
 使い古された手段だ。こんな手段が通用するとは、アルサイトには思えなかった。
「失敗しても我々が危険を被ることはあるまい? ならば、試さない理由はない」
 言うと、バーラムは手にしていた石を、向かいの林に向かって放り投げた。
 石が夜の闇に吸い込まれていく――
 程なく、石は反対側の林に到達して小さな音を立てた。
 弾かれたように、見張りの男が音のほうを向く。それから、すぐに男がひとり、そちらへ様子を見に行った。
「これで、ひとまず二対一だ。今のうちにあの男を片づけるぞ」
「分かった」
「行くぞ」
 バーラムが大剣を抜きながら広場へと駆け出した。長刃剣を抜きながら、アルサイトもそれに続く。
 正面からの襲撃である。見張りが居眠りでもしていない限り、気づかれて当然だ。残っていた男は声をあげながら立ち上がり、抜刀した。
 バーラムが剣を抜きつつその男に駆け寄り――
 一瞬で男を斬り伏せる。
 男は悲鳴をあげる間もなく絶命し、地面に倒れ込んだ。
 それが終わるか否かのタイミングで、テントから一斉に人間がめいめいの武器――とはいえ、全員、持っているのは剣だが――を手に這い出てきた。
「せっかくふたりいるのだ。私と背中合わせになれっ!」
 バーラムがアルサイトに大声で告げる。言われるままに、アルサイトはバーラムと背中合わせになった。
 昼間と同じ黒服の男たちが、ふたりを取り囲む。
「君の腕は確かなようだが……これだけは言っておく。油断はするな」
「分かってる。あんたこそな」
 アルサイトは言い返し、剣を構え直した。そして、男たちに向かって吠える。
「フィリアを、返してもらうぞ!」
 もう一度、今度はひときわ強い風が吹いた。木々が葉ずれの音を立て、たき火から火の粉が舞い上がった。

 バーラムは強かった。ほぼ一撃で、容赦なく相手を絶命させている。しかも、彼自身はほとんど息を乱していない。
 彼の腕は、アルサイトの技量をはるかにしのいでいた。
(あと何人いる……?)
 アルサイトは周囲を見回した。地面には、バーラムとともに彼が倒した男たちが累々と横たわっている。
 戦いが始まってから、まだ、それほど時間は経っていない。せいぜいが数分だろう。だが、この場に立っている人間は、アルサイトとバーラムを除けば、もう、三、四人しか残っていない。
 またひとり、アルサイトの剣の前に男が倒れ伏した。バーラムもその間にひとり屠っている。残っているのは、あとふたり。
(もういいだろう……)
 アルサイトは切っ先を地面に落とし、目の前の男に声をかけた。
「逃げないのか?」
 ぴくり、と男が反応する。その間に、バーラムが彼と対峙していた男を斬り伏せた。それを見ながら、アルサイトは続けた。
「これで二対一になった。まだ続ける気か?」
 バーラムが振り向き、アルサイトの横に並ぶ。横目でそれを見ながら、彼は続けた。
「俺はあんたたちの命を狙ってるわけじゃない。連れを返してくれるんなら、それで充分だ」
「ほ、本当だな?」
 まだ、疑惑の色を含んではいたが、男はそう訊ね返した。
「ああ。ただし――」
 アルサイトは切っ先を上げた。それを、まっすぐに男に突きつけながら、
「当然のことだが、一応言っておく。二度と俺とあいつの前に姿を現すな」
「わ、分かってるよ……」
 卑屈な笑みを浮かべ、後ずさりながら、男。それから、彼は背を向けて街道のほうへと駆けていった。
 男の姿が見えなくなったのを確認して、アルサイトは息を吐いた。それから、バーラムのほうに顔を向けた。
「あんたのおかげで、連れを助けられた。感謝するよ」
「そうだな」
 バーラムは短く返事を返した。
「あとは、あそこに行けば終わりだ。あとで、あんたに礼をしなくちゃな」
 言いながら、アルサイトはフィリアがいるであろうテントのほうへ歩きだした。と――
 背後に凄まじい殺気を感じて、彼は振り向きざまに剣を振り上げた。殺気を投げかけてきたのは――
「なにをするんだ!?」
 振り下ろされたバーラムの剣を受け止めながら、アルサイトは彼に向かって叫んだ。
「すまないな。君の連れを、君のもとへ返すわけにはいかない」
 つばぜり合いの体勢のまま、バーラムはアルサイトに告げた。

「あんたも、こいつらの仲間だったのか!」
 地面に転がっている男たちを指さしながら、アルサイトはバーラムに訊ねた。
「いや。この者たちも私の敵だ」
 バーラムは静かな口調で答えた。
「?」
「分からないのか?」
 怪訝な表情をするアルサイトに、バーラムは続けた。
「この者たちに君の連れを渡すわけにはいかない。かといって、君のもとへ返すわけにもいかない。そういうことだ」
「……なにを企んでいるんだ?」
「企む?」
 アルサイトの問いに、バーラムは眉をひそめた。
「私はなにも企んではいない。戦いの前に君に言った言葉を実践しているだけだ」
「…………」
「争いの火種になりそうなものを、見逃すわけにはいかないのだ。この国を守る義務を背負う者としてはな」
「バーラム……そうか。あんたは王国騎士団長のバーラム・ニュルンベルグか」
 アルサイトはつぶやいた。つぶやきながら、間違いなくそうだと彼は確信していた。だとしたら、目の前の男はこの国一の剣の使い手ということになる。
「私のことなどどうでもいい。それより、君の連れは、フィリア・スフィールズなのだろう?」
「!」
「やはりそうか」
 アルサイトの表情を見て、バーラムはひとりでうなずいた。
「間違いないようだな。これ程に早く見つかるとは、思ってもみなかったが、幸運だった」
「……違うよ」
 バーラムの独り言をさえぎるように、アルサイトは言った。
「なんだと?」
 今度は、バーラムが驚きの表情を浮かべる。
「俺の連れは……フィリアは、フィリア・スフィールズじゃない。ただのフィリアだ」
「なにを言うかと思えば……」
 呆れたようにバーラムが言う。
「君の連れは、紛れもなくフィリア・スフィールズだ。君の持っていたあのペンダントは……」
「フィリア・スフィールズは、生まれてすぐに死んだよ。実の親にその存在を消されたんだ。あいつは……フィリアは王女じゃない」
「それは詭弁だな。君がいくらそう言おうとも、いや、陛下がそう言ったとしても黙ってはいない者がいるのだ! ここにいる者を差し向けたような人間がな!」
 切っ先で地面の男を示しながら、バーラムは怒鳴った。
「そのような人間の手に彼女が渡ってみろ。どうなると思う? この国は後継者を巡って内乱に突入するだろう。それを起こさないためには、彼女が生きていてはいけないのだよ!」
「かもしれない、だと? あんたはそれだけで理由であいつの命を奪うつもりなのか!? それに、生きていてはいけない? そんな人間が存在するはずがない!」
 アルサイトは思わず叫び返していた。が、バーラムはさらに声を大きくした。
「彼女が生きていたせいで、大勢の人間が死ぬかもしれないのだぞ! それでも、君は彼女が存在してもいいというのか!?」
「……っ!」
 アルサイトが言葉に詰まる。が、すぐに彼は言い返した。
「させないよ」
「なに?」
 バーラムがアルサイトに訊き返す。
「あいつは、誰の手にも渡さない。俺が……あいつを守る。守り続けてみせる!」
「はっ! よくもそのようなことが言えるな! 現に、こうして守れなかったではないかっ!」
 この場を指し示すように、両手を広げ、バーラムは声をあららげた。
「…………」
 アルサイトはうつむいた。追い打ちをかけるように、バーラムの言葉は続く。
「今回とて、私がいなければどうなっていたか分からないのだぞ。君の言っていることは理想論に過ぎない。現実には。危険になりうる要素は、摘み取るしかないのだよ」
 バーラムは言葉を切った。
 アルサイトは返事を返さない。たき火のくすぶる音だけが、周囲に響く。
「……そうだな」
 長い沈黙のあと、アルサイトはつぶやくように言った。
「確かに、あんたの言うことは正しいと思うよ。俺は力不足だ。だから、今回もこんなことになった」
「……分かって、くれたのだな」
 安堵したように、バーラムが言う。
「だが……」
 アルサイトは顔を上げた。そして、彼はきっぱりとバーラムに告げた。
「俺は納得できない。可能性がある、なんて理由だけで、ひとりの人間の命を奪うような真似は絶対にしたくない」
 …………
「……そうか」
 バーラムはしばらく沈黙していたが、意を決したように下げていた切っ先を上げた。
「ならば、君は私の敵だ」
「そうだな。俺には、あんたの考えは理解できないよ」
 アルサイトも剣を構え直した。
(ごめんな、フィリア――)
 たぶん、このあとすぐ、自分は死ぬだろうな。アルサイトはそんなことを考えていた。
 相手は王国一の剣の使い手だ。どう考えても、自分に勝てるとは思えない。
 そして、自分が死んだあと、フィリアも殺される。
(おそらく、勝てないだろうな。だが――)
 彼は諦めるつもりはなかった。油断なく構え、バーラムが動くのを待った。
 そして、バーラムが一歩、アルサイトに向かって踏み出した。
 とてつもなく速く、無駄がなく、そして美しい動きで彼はアルサイトとの距離を詰めていった。バーラムとアルサイトの距離が、一歩、また一歩と近づき――
 バーラムの剣がアルサイトに襲いかかった。それに負けじと、アルサイトも剣を振り上げる。ほんのわずかの間だけ、バーラムの剣と彼の剣が触れ合い――
 そして、アルサイトの剣は大きく彼の頭上に舞った。
「さらばだ!」
 丸腰になったアルサイトに向かって、バーラムの剣が振り下ろされる。
 目を閉じることなく、アルサイトはその様子を直視していた。
 そのとき――
 アルサイトのポケットから光が発せられた。剣は襲いかかってこない。見ると、バーラムが剣を振り上げたまま、凍り付いたように動きを止めていた。
 一秒か、それとも二秒か。それはわずかな時間だった。だが、アルサイトには充分な時間だった。彼は落ちてきた剣を宙で受け止め、そのままバーラムの肩口目がけて斬りつけた。
 信じられない、といった様子でバーラムがアルサイトを凝視する。
 それに構わず、アルサイトは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。

「うう……ん……」
「気がついたか?」
 背中の上からの声に、アルサイトは立ち止まった。
「あ、あれ? アルス……なの?」
「ああ」
「よかった。助けてくれたんだ……」
 まだダメージがあるのだろう、弱々しい声でフィリアは言った。
「当たり前だろ。それが俺の仕事だ」
 アルサイトの返事に、フィリアは小さくほほえんだ。
「騎士……だもんね」
「除名されたけどな」
「そうね。でも、わたしにとっては、今でもアルスは騎士よ。だって、こうしていつも守ってくれるもの」
 アルサイトはフィリアを背負ったまま、林の中を進んだ。不意に、彼の脳裏にバーラムとの会話が蘇った……

「その、ペンダントか……」
 仰向けに倒れたまま、バーラムはつぶやいた。
「らしいな」
 アルサイトはうなずき、ポケットからペンダントを取り出した。ペンダントは何事もなかったかのように、彼の手の中に収まっている。
「陛下が、あの娘にそんなものを贈っていたとは、な」
「そうか。これは、陛下の贈り物か」
 アルサイトはペンダントに目を落とした。彼が最初に見たときと同じように、ペンダントは月の光を反射して、静かな光を放っている。
「知らなかったのか?」
 アルサイトはうなずいた。それから、バーラムに告げる。
「陛下は、フィリアに生きてほしかったんだよ。だからこそ、生まれた時点で、あいつを殺さなかったんだ」
「……私の行動が、間違っていたと?」
「さあな。そんなことは俺には分からない。ただ、俺はあいつを普通の子として生かしてやりたいだけだ。陛下が望んだとか、そんなことは関係ない」
 アルサイトは答え、フィリアのもとへと歩きだした。
「私に、とどめを刺さないのか?」
「言っただろ? 俺の役目はフィリアを守ることだ」
 背後から訊ねるバーラムに、アルサイトは言った。

「そうだ。これ、落ちてたぞ」
 アルサイトはポケットからペンダントを取り出し、フィリアに見せた。
「あ、あのときに落としたんだ。拾ってくれたの?」
「ああ。お守りなんだろ?」
「うん。ありがとう」
「大事にしろよ。御利益もばっちりだからな」
 アルサイトはフィリアを背負ったまま、彼女の首にペンダントをかけてやる。
「なにかあったの?」
「それのおかげで、助かったよ。それがあったから、お前を助けられた」
「そうなんだ。やっぱり、お守りって効くんだね」
 フィリアのせりふを最後に、会話が途切れた。
 アルサイトは黙ったまま、街道に向かって林の中を歩き続ける。
 バーラムは言った。
 フィリアが生きていれば、大勢の人間が死ぬことになるかもしれない、と。
 確かに、その可能性は高いかもしれない。自分の実力からして、そうなる可能性は高いだろう。
 今回は、たまたまフィリアを救出することができた。だが、次に同じようなことになったとき、今回のようにうまくいくという保証はどこにもない。
 だが、可能性はいつだって残されているはずだ。
 自分が彼女を守り続ければ、バーラムの言葉にある未来を阻止できる。その可能性だって、決してゼロではないはずだ。
 そして、諦めなければ、それを実現できるのではないか。可能性を高めることができるのではないか。
 アルサイトにはそう思えるのだ。
「うん。いつも守ってくれるもんね……」
「フィリア?」
 立ち止まり、アルサイトはフィリアに声をかけた。が、彼女はそれには返事をしないで、勝手に続けた。
「だから……わたし、アルスが大好きよ」
「フィリア?」
 もう一度、アルサイトはフィリアに呼びかける。が、やはり、彼女からの返事はない。
「なんだ。寝言か……」
 その証拠に、背中からはフィリアの寝息が聞こえてきている。
 それを耳元で聞きながら、アルサイトは街道に向かって再び歩きだした。


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