風の吹くまま 気の向くままに
紅 草希


 暑い。雪国育ちも原因してるのかもしれないけど、暑がりのあたしにはかなりきつい。人も多いし、おなかも減ったし、はっきり言って、うっとうしいことはゴメンだわ。
 あたしの名は、ラニィ=ストーセル。歳は、まあ、一六歳なんだけど、そこら辺の男なんかよりはずっと腕っぷしに自信がある。なんたって、アレスファン帝国帝都の闘技場で三年間みっちりと鍛えたんだもんね。
 で、修行が終わって放浪の旅に出たの。冒険を求めてね。ここ、ハデス王国の商業町シオーラに来たのは一昨日。路銀稼ぎもそろそろしないと――ということで、仕事を探してるの。けどさ、ここってとにかく暑いのよ。人波に混じってへろへろ歩いてるだけでも疲れてくる。
 そんなときに、目の端に映ったものが……もう、なんというか、関わりたくないようなことなのよね。でも、チンピラ二人に絡まれた女の子って設定でさー。まあ、その子が筋骨隆々の格闘家とか、見るからに凄腕の神術師か魔術師だったら気にしなかったんだけど。綺麗に整えられた金髪のか弱そうな子じゃねえ。歳だって、あたしより下っぽいし。放っておけると思う? できないわよ、そんなこと。
 高い位置でひとつにまとめた黒髪を揺らし、あたしは大股でチンピラ達に近づいた。
「なあ、ねえちゃん。ちょっとつきあってくれるだけでいいんだって。俺ら、悪い奴らじゃねえからよ」
 近づいたのに気づいていないのか無視してるのか知らないけど、チンピラ二人はあたしのほうなど見向きもせずに、ターゲットの少女を口説いている。まあ、いいけどね。
 あたしは、チンピラのひとりの肩を軽く叩いた。チンピラが振り返る。
「あん? なんだ、ねえちゃん」
「やめてあげなさいよ。怯えてるじゃない」
「はっはぁ、そうか、ねえちゃんも俺らと遊びたいんだな」
 勝手な推測しないでよ。
「いいぜ。二対二で人数的にもいいしな」
 下卑た笑いを浮かべ、もうひとりのチンピラが近寄ってくる。あたしはため息をついた。
「そう、遊んでくれるのね。けど、二対二じゃ駄目よ。一対二ね」
「ひゅう。ねえちゃんひとりで俺らふたり? 積極的じゃん」
「いい場所知ってんだ。そこに行こうぜ」
 ターゲットをあたしに移したみたいね。馴れ馴れしく肩に手を置くんじゃないわよ。
 あたしはニヤリと笑った。
「ここでいいわ」
「へ?」
 間抜けな表情を浮かべるチンピラに笑みを大きくし、あたしは肩に乗ってる手を掴んだ。その手を引っ張り、前のめりになったチンピラの鼻っ柱に拳を叩き込む。続いて、状況把握ができていなさそうな片割れの鳩尾に蹴りを一撃。
「こ、このっ」
 鼻を押さえたチンピラが、拳を振り上げた。動きが遅いってのよ。
「はっ」
 気合い一発――って程じゃなかったわね。かるーく上段回し蹴りを一発、側頭部に。
「おおっ」
 どこからともなく感嘆の声が聞こえてきた。周りを見る。多少、野次馬が集まってるわね。野次馬には睨みが一番。あたしの鋭い眼光を受け、野次馬たちはそそくさと解散した。
 一度、地面に崩れ落ちたチンピラどもに視線を落とし、あたしは前ターゲットの少女を見た。彼女は面食らった感じで立ちつくしている。
「もう大丈夫よ。早く家に帰りなさい」
 微笑んで、あたしは言った――のに、なに?! その恐怖する眼差しは!
 そりゃ、突然格闘技なんか見せられたら驚くでしょうよ。でも、あたしは微笑んでるじゃない! 可能な限りの優しい微笑みなのよ!
 ……さて、と。気を取り直して。
「あたしはラニィ。ラニィ=ストーセルよ。まあ、ただの通りすがりの格闘家ね。あなたは?」
 まだ怯えたままで、少女が少し口を開いた。
「ル、ルトリ」
「そう、ルトリって言うんだ。ところでルトリ、こーいうチンピラに捕まったら、即、全速力で逃げなさいよ。それが一番なんだから。特にこんな人の多いところではね」
「わ、わたくしは……」
 ん? わたくし?
 あたしは、じぃーっとルトリを上から下まで眺めた。白い全身マントのせいで服装はよくわからないけど、髪型といい立ち方といい表情といい、何となく品があるような……。
「もしかして、あんた、どっかのお嬢様?」
 近づき、あたしは囁きかけた。ルトリが目を見開く。
「どうして、わかったのですか?」
「口調と格好で、なんとなく。それよりさ。どっか料亭でも行って話しない? あたし、おなか減ってんのよね」
「え? あ、けど」
 返事をもらう前にルトリの腕を掴み、あたしは歩き出した。悪いけど、お嬢様の返事って時間かかるから、待ってられないのよ。

「ぷはー。食べた食べた」
 椅子の背もたれに背を預け、あたしはじっくりと満腹感を味わった。ほんと、食べられるのって幸せねえ。
「あのう」
「ん。何?」
 ルトリの控えめな声に、円卓の向かい側を見る。ルトリの伺うような目と、目が合った。
「先ほどは、ありがとうございました。わたくし、あんなことは初めてで、どうしていいかわからなくて」
「あー、あれね。まあ、初めてで当然でしょうね。ところでさ……」
 あたしは声をひそめ、円卓の上に少し身を乗り出した。
「あんたって、フルネーム、なんて言うの?」
「ルトリ=シオ=ロマーズです」
 ルトリが小声で返してきた。
 ロマーズ。ロマーズねえ……。侯爵か何かかな?
「じゃあさ、今日はどうして町になんか出てるの? 普通、出させてくれないでしょ」
「ええ。お父様もお母様も、わたくしが町に出ることには大反対でしたわ。でも、ずっと出てみたかったんです。バルコニーから眺めることしかできなかったこの町に」
「よく抜け出せたわね」
「瞬間移動の魔術を使って……。高度魔術なので、修得に時間がかかりました」
 なるほど、そういう手ね。賢いじゃない。
 ちなみに、この世界には「神術」と「魔術」っていう二種類の特殊な術があるの。この世界の創造主――女神ヘルシアナの力を借りてするのが神術で、伝説の魔界を創ったという魔神ヴァイファーの力を借りてするのが魔術。二百年くらい昔には、魔術ってなかったらしいけど。歴史に疎いから、よく知らないわ。
「けど、わかるなぁ、町に出たいって気持ち。あたしも小さいころ、よく抜け出したもの」
「ラニィ様も?」
 ルトリが、少し目を丸くした。
「そう。窮屈な生活に嫌気がさしてさ。あと、ちょっとワケがあってね。格闘技習おうと思って、家出しちゃった」
 言って、あたしは苦笑した。はあ、複雑な過去だわ。
「失礼ですが、ラニィ様はどこのお家の方なのですか?」
「え。あたし?」
 やばっ。ちょっと喋りすぎたかな。ルトリの目、かなり興味津々って感じだわ。ここら辺でやめておかないと。
「ま、まあ、あたしのことなんてどうでもいいじゃない。ね?」
 両手を慌ただしく振り、あたし。
 返事は、ルトリのものじゃなかった。
「よお、ねーちゃん。さっきは世話になったなあ」
 こ、この声は。
 振り返るあたしの目に映ったのは、予想通りのもの――道端ではり倒したチンピラ二人組だった。二人とも、頬や目の上が腫れ上がってる。って、あれ? あたし、ここまでしたっけ? おっかしいわねえ。
「なあ、ねえちゃんよぉ」
 チンピラのひとりが、あたしの肩に腕を回してきた。こいつ、まだ懲りてないの?
「あんたのせいで、俺ら本来の目的忘れて、このザマだぜ。どうしてくれるんだよ、あ?」
「きっちり落とし前つけてもらわねえとよ」
 ふたりの台詞に、あたしは眉根を寄せた。
「なんか、あんたらの言い分聞いてたら、逆恨みのような気がするんだけど……」
 そういうや否や、肩に腕を回してきてるチンピラが、仰々しく額に手を当てた。
「かー! なに言ってんだ。正真正銘、あんたのせいじゃねえかよ」
「とにかく、いっぺん表に出な」
 吐息し、あたしはルトリを見た。あらあら、心配そうな顔しちゃって。無理もないけど。
 さて、どうしたものかしらね。こいつら、しつこそうだし。言うとおり表に出て、もう一回はり倒してやろうかな? それが一番いいかも。うん。
「いいわ。表に出ましょ。ルトリ、ちょっと待っててね。すぐ終わるから」
「あ、ラニィ様」
「大丈夫よ。心配しないで」
 ルトリに微笑みかけると、あたしは席を立ち、チンピラ二人と料亭を出た。立ち止まり、くるりと二人のほうに向き直る。
「さ、かかって来なさい。また恥をさらさせてあげる」
 構えを取らず、手で誘う。
 チンピラ達――チンピラ壱とチンピラ弐とでも名づけよっと。彼らは、あたしを挟んで構えを取ったか――と思うと、早速攻撃をしかけてきた。
「てやぁ!」
 かけ声とともに、チンピラ壱が右拳を突き出す。あたしは体を反らし、その手首を掴んでチンピラ弐のほうに流した。ついでにチンピラ壱の足を引っかける。
「おわあっ」
「なっ!」
 立て直しようのないくらい体勢を崩したチンピラ壱が、チンピラ弐を巻き込んで頭から地面に転がった。ふっ、いいザマだわ。
 じゃ、時間がないから、とどめと行きましょうか。
「おやすみっ」
 強く上に飛び、まだ倒れたままのチンピラ壱の背に乗っかる。「ぐえ」という声が聞こえ、チンピラ壱の手足がだらりと地面に伸びた。と、あたしの片足首を誰かが掴んだ――って一人しかいないけど。
 ぎろり、と、あたしはチンピラ弐を睨みおろした。うつ伏せ状態のチンピラ弐の顔には、薄笑いが浮かんでいる。
「なにしてんのよ」
「へへ」
 足首を掴む力が強まった。引っ張って倒す気ね。そうはいかないんだから。
「よっ」
 あたしはチンピラ弐のほうに自分から倒れた。もちろん、ただ倒れたわけじゃないのよ。チンピラ弐の背――っていうか、こいつの体がちょっと歪んでたから、脇腹っぽいところ――に肘鉄を喰らわせてやったわ。倒れざまの勢いがあるから、かなり効いたはずよ。
「ぐああ……!」
 脇腹を押さえてのたうち回るチンピラ弐。そのそばに立ち、あたしは周りを見た。
 うーん。結構いるわね、野次馬。みんな、あたしの闘いっぷりに惚けちゃってるわ。
「拍手をくださーい」
 にっこりと笑って手を振ると、歓声と拍手がわき起こった。いい気分〜。
「じゃ、戻ろっと」
 まだ苦しんでるチンピラ弐と気絶中のチンピラ壱に背を向け、あたしは料亭の中に戻った。食事をしていた円卓へ行く。あれ? ルトリがいない。
 料亭中を見渡す。全然、見当たらないわ。どこ行ったんだろ? トイレかな?
 ひとまず椅子に座り、あたしはルトリを待ってみることにした。
 ……まだ?
 んんー。
 お、遅い! 待つのが嫌いなあたしには、もう限界だわ。いったい何やってんのよ。ひょっとして、トイレにはまってるんじゃ……。
「ちょっと、ちょっと」
 あたしが席を立とうとしたとき、誰かが服の袖を引っ張った。
 引っ張られた方向に顔を向ける。隣の円卓に座っている髭面の中年オヤジが目に映った。袖を引っ張ったのは、こいつね。
 中年オヤジはあたしをさらに引っ張り、耳元に顔を近づけてきた。
「あんたの連れのお嬢さん、〈黒い爪〉の一味に連れて行かれたぞ」
 ひゃあっ。耳元でごしょごしょとくすぐったい! 耳元に息をかけないで!
 まったくもう。あたしは中年オヤジから耳を離した。
「なんですか、その〈黒い爪〉って」
 訊ねると、中年オヤジが意外そうな顔になった。
「知らないのかい?〈黒い爪〉を」
「知らないから訊いてるんじゃないですか」
「ここらじゃ有名な盗賊団だぞ。盗賊団にしちゃ珍しく、頭目の素性が全然知れてないんだ」
「へえー、そんなのがいるんですね」
 初めて聞いたわ。まあ、二日前に来たばかりだからしようがないか。
 ……あれ? ちょっと待ってよ。じゃあ、ルトリは盗賊団に連れて行かれたってわけ? やばいじゃない!
 あたしは、中年オヤジの胸ぐらを掴んだ。多分、すごい剣幕で。
「知ってんだったら、もっと早くいいなさいよ! 大体、なんでそんなこと知ってて平然としてんのよ。町警護に知らせるか、助けるかしなさいよ! あんた、男でしょっ。いたいけな少女がンな奴らに連れて行かれて、助けなきゃ、とか思わないの?!」
「や、やばいんだよ。あいつらに逆らったら」
「そんな根性なしでどーすんのよっ。なんなら、あたしが気合い入れてあげようか?!」
 マジで気合い一発してやろうかと思ったとき、横から邪魔が入ってきた。
「お客さん、店の中でもめごとは困るんだよね」
 邪魔者――この料亭の女主人らしきおばさんが、ひきつり気味の笑顔を向けてくる。
「うわっ」
 力強く中年オヤジの胸ぐらを突き放し、続いて起こった悲鳴と椅子の倒れる音を無視して、あたしはおばさんと向かい合った。
「おばさん、ここの店長? あたしの連れをみすみす盗賊団に渡したでしょ。善良なお客を守るのも、店長の仕事じゃないの?」
 おばさんの眉間にしわが寄った。
「あんた、旅人かい? だったら知らないだろうけど、この町じゃ、奴らに逆らったらやっていけないんだ。あんたの連れの娘は、不運だったんだね。諦めるしかないよ」
 えらく迷惑げに言ってくれるじゃない。ムカッときたわよ。
 あたしは、おばさんの顔に人差し指を突きつけた。
「この町に、どんな暗黙の了解があるのかなんて知らないわ。でもね、『不運だった』のひと言で片づけちゃいけないんじゃない? 人としてっ」
「うるさいね!」
 突然、おばさんが怒号を浴びせてきた。顔には、微塵も笑みがない。なんて短気なのよ。
「こっちの都合も知らないで、べらべら喋るんじゃないよ! 店がつぶれたら、生活に関わるんだからね! そんなに言うんなら、自分ひとりで助けに行きな!」
 ぷち。
 あたしの中で、なにかが切れたわ。体の奥から、怒りが沸き上がってくる――。
「言われるまでもないわ! それと、この町の人間には〈仁〉ってものがないのね! 最低よ!」
 激情にまかせて喚き散らし、あたしはきびすを返した。扉に向かい、大股で歩く。
「待ちなっ」
 背後から、おばさんの声が聞こえてきた。目尻をつり上げ、振り返る。おばさんが近くに来、手を差し出してきた。
「料理代、払ってから行っとくれ」
 こ、こんなときまで……。
「わかったわよ!」
 怒鳴り、あたしは懐から財布を取り出した。中から銀貨を四枚出して、おばさんの手に叩きつける。
 憤怒を抱えたまま、あたしは店を出た。チンピラ達の姿は、もう見当たらなかった。
「あー、もう!」
 イライラを吐き出し、どうするか考え出す。
 町警護に知らせようかな。けど、町警護って行動するの遅いし……。迅速に動いてくれるのは……あったわ。ルトリの父親。
 善は急げ、よ。通行人にロマーズ邸の場所を訊きつつ、あたしは足早にそこへ向かった。

       ◇ ◇ ◇

 ロマーズ卿って、シオーラを治めている公爵なんだって。人に道を聞いたときに知ったの。
 ま、確かに、公爵様は偉いわよ。けど、この「偉い」は、「賢い」とは違う。賢かったら、人の誤解を真に受けて、あたしを閉じ込めたりしないわっ。
 そう。今、あたしはロマーズ邸の地下牢に閉じ込められてるの。ここに至るまでの経緯を話すとね、もう凄いのよ、まったく。
 通行人に道を訊いて、あたしは無事、ロマーズ邸にたどり着いたの。公爵様の邸宅にただの格闘家が入れるわけないと思ってたから、門番たちに事情を話したのよ。「公爵令嬢が盗賊団にさらわれました。詳しいことを話したいから、公爵様にお目通り願います」ってね。で、門番のひとりが知らせに行って、ちゃんと中に入れてくれたの。ロマーズ卿にも会わせてくれたわ。
 でも、よかったのはここまで。妙に邸宅が騒がしいと思ってたら、あたしが知らせるより先に、「ルトリ拉致事件」がロマーズ卿に知れてたのよ。知らせたのは、ロマーズ卿お気に入りって感じの神導教会長。
 神導教会ってのは、創造主〈女神ヘルシアナ〉の信仰を行い、信者に初歩の神術から高度な神術まで教えるところよ。全体を治めてるのは「大神導師」だけど、各地区にある支部は、それぞれ選ばれた教会長が治めてる。
 ってことは、教会長って利口な人のはずなのに……愚かな人もいるみたいね。名前、なんて言ったっけ? えっと、確か、マシオーミ。
 それで、そいつもロマーズ卿のそばにいてさ。あたしを見るなり、なんて言ったと思う? あたしのこと、盗賊団関係者だ、なんて言ったのよ。ルトリと一緒にいるのを見たんですって。それだけで、盗賊一味扱いよ。信じられる? どういう脳ミソしてんのよ。あれが教会長だなんて、神導教会の質も堕ちたもんね。
 公爵も公爵よ。ンな戯言、信じてんじゃないわよ。だいたい、盗賊一味がわざわざルトリのことを知らせに来ると思う? その沸騰した頭をよーっく冷やして考えれば、すぐにわかることよ。あたしなんか引っ捕らえる前に、教会長を何とかしなさいよ。で、教会長っ。「わたしもルトリ救出隊に加えてください」ですって? あんたみたいな脳ミソの人間に、ンな資格はないわ。ロマーズ卿も、すんなり許可するんじゃないっ。
「出せー! 出しなさい! あたしを誰だと思ってるの?! すぐにここから出さないと、ひどいわよ!」
 喚きつつ、あたしは地下牢の鉄扉を叩きまくった。
「うるさい、静かにしろ!」
 扉の向こうから怒声が返ってきた。扉ののぞき窓から向こうを見ると、牢番と白装束の男がふたり――青年と口髭を生やしたオジサマって感じの人が、扉の前に立っていた。あの白装束、神導師の正装だわ。神導教会のお偉いさんね。……あ。しかも、あのオジサマってマシオーミじゃない。
 牢番がマシオーミのほうを向いた。
「では、わたしは向こうへ行ってます。大丈夫だとは思いますが、くれぐれも気をつけてください」
「ああ。すまないね」
 マシオーミの温厚そうな笑顔に一礼し、牢番があたしの視界の外に出ていく。その途端、マシオーミの表情が一変した。いかにも悪そうな顔つき。温厚なんて雰囲気はひとかけらもないわ。
 マシオーミとあたしの視線がぶつかった。マシオーミが口端をつり上げる。
「きみのせいで一時はどうなるかと思ったが、計画は順調だ。だが、危険は残しておきたくない。気の毒だが、消させてもらうぞ」
 え。消させて……って、なに言ってんのよ!
「無茶苦茶なこと言ってるんじゃないわよ! なんで、あたしが消されなきゃいけないの?!」
「関わってしまったからな、今回のことに。あまり、親切心なんて出すものじゃない」
「親切心? なんのことよっ」
「昼頃、助けただろう? ルトリを。まったく、余計なことをしてくれたよ」
 あたしは、はっと目を見開いた。
「あんた、まさか、あの事件の裏で糸引いてるんじゃ……」
 返答の代わりに、マシオーミの笑みがきつくなった。やっぱり、こいつも犯人のひとりだったのね。仮にも教会長ともあろう者が、なんてことなの。
 でも、馬鹿ね。あたしにぺらぺら喋っちゃってさ。
「牢番さーん! ここにルトリ様をさらった犯人がいるわよぉ!」
 扉の外に向かい、あたしはありったけの声量で叫んだ。
 あれ? おかしい。通路の反響が少ない。あたしはマシオーミを見た。
「くっく。気づいたかね。周りに音封じの風壁をつくってあるから、いくら叫んでも、誰にも聞こえんよ」
 楽しそうに笑っているマシオーミを、あたしは睨んだ。
「じゃあ、わたしは行くとするか。忙しい身なのでね。――あとは任せたぞ、スレン」
 若い神導師――スレンって言うの?――にひとこと言い、マシオーミが歩き出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
 あたしの声に、振り向きもしない。マシオーミの姿が見えなくなり、あたしはスレンに目を向けた。あんまり悪そうに見えないけど……マシオーミに荷担してるくらいなんだから、悪い奴なんでしょうね。
 スレンがあたしのほうに手をかざした。口が小さく開閉を繰り返す。
「我がうちを通りし女神ヘルシアナの力よ……」
「ちょ、ちょっと待ってよ。本気で殺す気?」
「我が前にありし……」
 や、やばっ。呪文、止まらないよお。こ、こうなったら、最後の手段を。
 のぞき窓に思いきり顔を近づけ、あたしは叫んだ。
「あたしを誰だと思ってるの?! ラニィ=デュバ=ストーセルよ!」
 呪文が止まった。スレンが、じーっと見つめてくる。
「デュバ? まさか……」
 効果てきめん。声が震えてるわよ、スレン。
 でも、使いたくなかったな。この名だけは。
「あんたも神導師なら知ってるでしょう? デュバの血族くらいは。そして、あたしの名も。父様の名前なんか、もっと知ってるんじゃない?」
「あなたが大神導師様のご息女の?」
「そうよ。嘘だと思うなら、父様に訊いてごらんなさい。神導教会の本部にいないこと多いから、捜すの大変だけど」
「い、いえ。そんな、畏れ多いですっ」
 スレンの顔がひきつってる。あたしは苦笑した。
 やむを得ずとはいえ、あんな親父の名に頼ってしまうなんて。まだまだ修行が必要だわ。
 でも、さすがと言えば、さすがよね。一応、神導師の長の威厳は保ててるわけだ。父様。
 静かに、あたしはスレンに訊ねた。
「それで、ここから出してくれるの?」
「は、はい、すぐに!」
「音封じの術も解除してね」
「はい!」
 うん。いい返事だわ。慌てて走り出すスレンの背を見、あたしはにっこりと笑った。

「なんだ、貴様! なぜ、ここにいる?!」
 あたしの出現に、ロマーズ卿が驚愕の声を上げた。ロマーズ卿の前に近衛兵らしき人が数人立ち、あたしに剣を向けてくる。
 ここはロマーズ卿邸宅の大部屋。あたしは牢を出たあと、スレンと二人でロマーズ卿に話しに来たの。
「引っ捕らえい!」
 ロマーズ卿が叫び、近衛兵たちが動く。
「待ってくださいっ」
 あたしはロマーズ卿に、二、三歩近づいた。同時に、数人の近衛兵があたしの体を押さえてきた。
「あたし……じゃなくて、わたくしは大神導師の娘ですっ。公爵様、わたくしの話を聞いてください!」
「なに?」
 ロマーズ卿の表情が少し落ち着きを取り戻した。バッと腕を振る。合図だったのね。近衛兵たちが、あたしの体から離れた。
 ふう、これでひとまずは……。
「大神導師殿の娘という証拠は? あの一族と言うのならば、人の常識を越えた神術が使えるのだろう? それを見せてもらおうか」
 ロマーズ卿の問いに、あたしは頭を横に振った。
「どういうわけか、生まれながら、わたくしにはあれだけの力がありません」
「それでは、信じるわけにはいかぬ」
「ですが、ひとつだけデュバ特有の力を持っています」
 あたしは右手を頭上にかざした。
「我が白き光翼よ」
〈力〉ある言葉を唱える。背中を温かい感覚が包んだ。
 周りを見る。みんな、呆然としてるわ。神導師のスレンさえも。〈女神の翼〉なんて、そうそう見せるものじゃないから。
 デュバ一族っていうのはね、本当かどうか知らないけど、女神様と同種の力を体内に持っている一族らしいわ。普通の人は、自分の体を媒介として女神様の力を借りるんだけど、デュバはその必要がないの。つまり、長ったらしい呪文を唱えなくてもいいわけ。
 じゃあ、デュバ一族であるあたしにも、凄い力があってもいいと思うんだけど……使えないのよねえ。できるのは、自分の背中に「白い光の翼」を出現させることだけ。ホントに呼び出すことだけなのよ。父様は、これを使って飛んでたのに……。実は、このことも家出をした原因のひとつなのよ。
 あたしは、ロマーズ卿に視線を戻した。
「〈女神の翼〉――デュバ一族だけが使えるものです。これでも信じてもらえませんか」
「信じずにはいられまい」
 あたしは頷き、「消えろ」と呟いた。背中から温かさが消えた。
「公爵様。この度の事件、黒幕はマシオーミです」
「なに?! それは誠かっ」
「はい。教会長である者が、あのようになってしまって……。これは、神導教会の責任です。父に代わり、わたくしが責任を持って彼を罰します。そこで、お願いがあるのですが……」
「なんだね?」
「馬を二頭ほど、貸していただけないでしょうか。今すぐ」
「うむ、わかった」
 ロマーズ卿の指示で、近衛兵のひとりが馬を用意しに、大部屋を出ていった。
 あたしはロマーズ卿に一礼し、スレンと邸宅の外へ出た。赤い空が見えた。もうすぐ夜ね。急がないと。
 少しすると、さっきの近衛兵が二頭の馬を連れてきた。手綱を受け取り、ひょいっと鞍にまたがる。綺麗な栗毛の馬ね。さすが、ロマーズ卿お抱えの一頭だわ。
 スレンも乗馬したのを見ると、あたしは軽く馬の横っ腹を蹴った。
 走行中のあたしの馬の隣に、スレンが馬を並べた。
「道案内、頼むわよ」
「はい」
 スレンの馬が前に出た。あたしは、彼について行けばいいだけ。
 あたしたちは町を抜け、山に入った。ランタンも借りてきたらよかったな。まっ暗で前が見えにくい。あたしはスレンを見ていればいいけど、スレンは大丈夫なのかな。前、見えてんの?
「ランパスッ」
 スレンの声が聞こえ、スレンの周りが明るくなった。ちょうど、大きな光球がスレンを包んでいるような感じ。神術ね。
 どれくらい走ったんだろう? 空にふたつの月が見えてるわ。
 ん? あれ、前方に見えてる明かり……炎? 山火事っ?
「スレン! あれ、山火事?!」
 大声で、前を走るスレンに問いかける。
「いいえ。あれは山城が燃えているんです」
「まさか、マシオーミが?」
「そうです」
 なんて奴。山火事になったらどうするのよ。大きな山火事になったら、大神導師か大魔導師の力を使わなきゃ消せないわよ。
 だんだん、炎上している山城が見えてきた。すごい燃え方してるじゃない。ルトリや、先に行ってる救出隊が心配だわ。
「馬はここまでにしましょう」
 急にスレンが馬を止めた。あたしも手綱を引っ張る。
「盗賊団が向こうにいます。人だけのほうが身を隠しやすいです」
「そうね」
 あたしは下馬し、闇の深いところにある木の枝に手綱をくくりつけた。
 スレンと一緒に、山城へ近づく。――人? 茂みに隠れなきゃ。
「お嬢はどうした」
「ちゃんとここにいます。お頭のスラーフェンがよく効いてるようで、まだぐっすりですぜ」
「よし。おまえらは新アジトに行ってろ。わたしは、お嬢を連れて公爵のところに戻る。名声と報酬が思いのままだ」
「へへ。楽しみですね」
 なんか、とんでもないこと話し合ってるわね。しかも、聞き覚えのある声。偉そうなのがマシオーミなのはわかるけど。
 あたしは、草陰から声のするほうをのぞいてみた。あら。マシオーミの前にいるの、昼間のチンピラじゃない。あいつも盗賊団の一味だったのね。腕に抱えてるのは、ルトリかな? よく見ると、他にもいるわね、ぞろぞろと。十人以上はいるわ。みんな、革鎧に長剣で統一しちゃって。盗賊お決まりの格好ね。あれが〈黒い爪〉? マシオーミが首領の。
 そういえば、ルトリ救出隊の人たちはどうなったんだろ? 全員がマシオーミの配下ってことはないよね。ロマーズ卿お抱え騎士団から精鋭を選んで組んだっていうし。――まさか、燃えてる城の中じゃ……。
「馬、持ってきました」
 マシオーミのところに、盗賊のひとりが駆け寄ってきた。手には手綱を引いている。マシオーミはルトリを受け取ると、馬の背にまたがった。ロマーズ邸に行く気ね。どうしようかな? ロマーズ卿には真実を言ってあるし、たぶん大丈夫よね。けど、それじゃ、ロマーズ卿に迷惑がかかっちゃう。もう、かかってるけど。これ以上は――。
 あたしは、隣にいるスレンに顔を寄せた。
「『眠り』の用意をしておいて。やばくなったら、お願い」
 小声で頼み、キッとマシオーミのほうを見る。マシオーミは、今にも馬を走らそうとしていた。
「待ちなさい、マシオーミ!」
 叫び、あたしは立ち上がった。盗賊団が一斉に振り向く。
 大股でマシオーミに近づき、あたしはこいつに人差し指を向けた。
「ルトリを返しなさい。これは、デュバの命令です」
 沈黙。マシオーミの表情はぴくりともしない。たぶん驚いてるんだろうけど、そんな顔されると、ちっとも驚いてる感じがしないわね。
 誰も喋らない。誰も動かない。炎の音だけが聞こえてくる。たいして時間は経ってないはずなのに、えらく長く感じる。普段のあたしだったら耐え難い雰囲気。でも、今はそんな気がしない――ということは、成長したのかな? あたし。
 マシオーミに指を突きつけながら、あたしは内心笑みを浮かべた。けど、一瞬にして消え去ったわ。マシオーミの哄笑のせいで。
「はっはっはぁ! 誰かと思えば、きみか。しかし、デュバの名を口にするところを見たら、きみがあの有名なじゃじゃ馬嬢か。デュバの名を盾にわたしを脅そうという気なのだろうが、無駄だぞ。大神導師の一人娘が神術を使えないことは、既知のことだ。お父上のそばにくっついているほうがいいんじゃないか」
「なっ」
 頭に血が上っていくのが、自分でもわかる。あたしは腕をおろし、拳を握りしめた。
「なめんじゃないわよ。神術なんかなくたって、あたしは充分強いわ」
「ほう。なら、こいつらと闘ってみるか? 十五人の手練れたちとやり合う自信があるのならばな」
 マシオーミが右手を大きく振ると、盗賊どもが動き出した。にやけ顔で、あたしの周りを囲んでくる。その中には、あのチンピラ二人の姿も見えた。
 マシオーミの声が聞こえてくる。
「言っておくが、こいつらは武器でもなんでも使うぞ。素直に降伏することだな。少なくとも、怪我はしない。怪我は……な」
 めちゃくちゃ何かを含んだ物言いね。不愉快きわまりないわ。
「あたしは、盗賊に降る気なんかさらさらない。降る必要もないしね」
「強がりだけは、逸品だな」
 マシオーミの嘲笑を無視し、あたしは横目で茂みを見た。そう、スレンの隠れているところ。あたしの声ひとつで、スラーフェンをかけるはず。何人の盗賊に効くかはわからないけど、十五人じゃなくなる……って、あれ? 十四人しかいないじゃない。あとひとりは? マシオーミを合わせて十五人ってこと?
 まあ、いいわ。あたしは口を開いた。
「スレン!」
 さあ、覚悟しなさいっ。スラーフェンで次々と眠っていくは……ず……あれぇ? 誰も倒れないじゃない。どうなってんの?
 あたしは、バッと茂みのほうに振り向いた。
 茂みが揺れる。その向こうから、ふたつの人影が現れた。もう、呆気に取られて、声も出ないわ。なんで捕まってるのよ、スレン。
「お頭。こいつ、術使おうとしてましたぜ」
 スレンの首元にナイフの刃を当てつつ、十五人目の盗賊が言った。スレンったら、恐怖に顔をひきつらせちゃって。あんたが捕まったら、あたしはどーなんのよ。このぉ役立たずー!
「そうか、スレン。お前、『デュバ』という名に恐怖したな。デュバについているほうが安全だと思ったんだろう? だが残念なことに、このお嬢さんは無力なんだよ」
 マシオーミの台詞に、スレンはひきつる口を動かした。
「で、ですが、大神導師様が」
「ふん。一人娘が手に入った時点で、大神導師など恐れるに足らん。じゃじゃ馬嬢を人質に使えばいいのだ」
 なんてこと言うのよ、マシオーミ! ああっ、スレンも納得するな!
 大ピンチだわ。さすがのあたしも、盗賊十五人に神導師二人は無理よ。勝てっこない。
「頭ぁ。この娘、好きにしていいんスよね?」
 あたしを囲んでる盗賊のひとりが、とんでもないことを訊ねた。
 マシオーミを見る。あうっ、あの笑みは……。
「殺すなよ」
「ぃやったあ!」
 周りで歓声が起こる。冗談じゃないわよお。あんたらの慰み者なんて絶対嫌だからねっ。こうなったら、死にものぐるいで闘ってやるわ。
「はやい者勝ちだぜえ!」
「ひゃっほう!」
 盗賊たちが一斉に襲いかかってきた。あたしも応戦する。
「ぐあっ。こいつ、女の力じゃねえ」
「てめえは後ろからやれ、後ろから!」
「いい加減にしてー!」
 どれくらい闘ったんだろう? 疲れてボロボロになって、とうとうあたしは、背後から羽交い締めにされた。周りの連中も、流血してたり青アザできてたり、と様々。
 あたしは荒い呼吸を繰り返し、体を押さえてきてる腕を振りほどこうとした。でも、かなり体力を消耗してたみたい。全然、力が入らないわ。
 しようがないわね。喋るのもつらいけど、これで行こうかな。
「我が白き光翼よ」
 あたしの背に〈温かさ〉が生まれた。
「うわっ。目がぁ!」
 真後ろから悲鳴が聞こえ、あたしの体は自由になった――のはいいんだけど、バランス感覚がおかしい。倒れないように踏ん張った。
 あたしは辺りを見回した。マシオーミとスレンがいなくなってる。あたしたちが闘ってる間に、行っちゃったんだ。ロマーズ卿には言ってあるけど、よく考えたら、マシオーミだもん。ロマーズ卿を言いくるめるかも。
 まずいわ。はやく後を追わないと――。
「おい待てよ、ねえちゃん」
 よろよろと歩くあたしの腕を、がっしりとした手が掴んだ。振り返る。チンピラ弐がいた。
「今度こそ、仕返ししてやるぜ」
「?!」
 抵抗すらできなかったわ。一瞬にして、あたしは地面に組み伏せられた。目の前に、笑みを浮かべたチンピラ弐の顔がある。
「ほら、どうした。前みたいに、技を使って見ろよ」
 使えないのわかってて言ってるわね、その顔は。なんて意地の悪い奴。ここまで疲労してなかったら、ぼこぼこにしてやるのに。
「おい、ラッツ。やるンなら、さっさとやってくれよ。後がつっかえてるんだからよ」
 別の男の声。チンピラ弐が顔を上げた。
「まあ待てって。俺はこいつに、たーっぷりと礼をしなきゃなんねえんだからよぉ。なあ、羽の生えたねえちゃん」
 チンピラ弐の顔が、あたしのほうに向く。うう、とてつもなくヤな予感。こんな奴に貞操を奪われるくらいなら、舌噛んで死んだほうがましよ。父様に「助けて、パパ」と言うのに較べたら……どっちもどっち、かな? ンなこと、死んでも言いたくないから。
「覚悟しな」
 チンピラ弐が動いた。もう、絶体絶命だわ。こうなったら、本気で死んでやるっ。
「ヴァン・レゾー!」
 懐かしい――でも聞きたくない声が聞こえた。風が動くのがわかった。ヴァン・レゾー――〈風の刃〉、神術だわ。
 あたしの上で、チンピラ弐の顔が、体が、みるみるうちに赤く染まっていく。あうー、血が降ってくるわ。げっ! こっちに倒れてくんじゃないわよ!
「ちょ、ちょー!」
 我ながら、なんつー悲鳴を上げてるのかしらね。数秒間も「ちょ」を叫んじゃったわよ。
「ちょっと、どいてどいて!」
 あたしは必死で、真っ赤なチンピラ弐を押しのけた。疲労なんかどっかに飛んでっちゃったわ。
 服に目をやる。血で赤く染まってるわ。わたしの服がぁ……。
「な、なんだ、てめえはっ」
「よくも、やってくれたな!」
 男たちの怒声が聞こえてきた。彼らの怒りは一点に集中してる。あたしじゃないわよ。呪文を放った人物に。そう、たぶん、あたしの父様に。
「やっぱり」
 燃えている山城を見、あたしは父様の姿を確認した。長い黒髪、白いローブにマントという白一色の、一見涼しそうで、やっぱり暑そうな格好。口元の嫌〜な笑み。歳は四〇半ばくらい。三年ぶりの再会だけど、全然嬉しくない。
 そう。こいつは紛れもなくわたしの父親よ。なんか、後ろに大勢引き連れてるけど、あれって救出隊? そうね。きっと、そうよっ。
 父様の声が響いてきた。
「我こそは、世界最強にして超絶美形の大神導師、セイルズ=デュバ=ストーセルである! 貴様らの悪行、しかとこの目で見たぞ! 行けぃっ。騎士達よ!」
「おおぅ!」
 父様が右腕を前に振り、救出隊が長剣を手に飛び出す。たちまち、盗賊団と救出隊が混迷状態になった。あたしの周りで。
「ふひゃあっ」
 倒れてきた盗賊――というか、そいつの剣を避け、あたしは父様のほうに顔を向けた。人のあいだから、ちらちらと父様の姿が見える。
 と、あたしの目の高さが変わった。誰かに持ち上げられたみたい。
「大丈夫かい? 有翼のお嬢さん」
 若い男の声。振り返るあたしの目に、白銀の兜をかぶった青年が映る。彼は破顔すると素早く背後を向き、剣を振るった。
「さ、早くこの場から逃げてっ」
 そう言い、あたしの背中を押してくる。あたしは礼を述べ、乱闘の外に向かった。
「らあぁ!」
 ひとりの盗賊が、長剣を大上段から振り下ろしてきた。あたしは横に体を反らし、足技をかけようとした。途端、足から力が抜けた。もう限界なの?
「くっ」
 倒れはしなかったものの、反撃できない。盗賊が二振り目に入った。や、やば……。
 あたしは堅く目を閉じた。
「ぎゃあっ」
 悲鳴? あたしは瞼を開いた。盗賊の両腕がなくなってるわ。痛そう。
「まったく、見ておれんな」
 思いがけない声に、あたしは隣を見た。いつの間に横に? 父様。
「光翼を消せ。目立ってしようがない」
 あ、消すの忘れてた。
「消えろ」と呟く。背中から、翼の感覚が消えた。
「さあ、行くぞ」
 そう聞こえるや否や、あたしの足が地面を離れた。一瞬、理解できなかったわ。父様に抱きかかえられたなんて。
「ちょ、なにすんのよ、父様!」
「まともに歩けん娘がごちゃごちゃ言うな。暴れるなっ。ただでさえ重いんだぞ」
「お、重いですってえ?!」
 あたしは余計に暴れてやったわ。父様の顔面にも、拳が何度か当たった。
「ええい、おとなしくしろっ。――スラーフェン」
 うっ。〈眠り〉の術を……。
 猛烈な眠気が襲ってくる。最後の抵抗を試みながら、あたしは、父様の背に光翼ができるのを目にした。

       ◇ ◇ ◇

 んん〜、風が気持ちいーい。なんだか、ほのかな温かさもあって、風の冷たさと絶妙に合ってるし。気持ちいい目覚めってやつ?
「そろそろ起きろ、ラニィ」
 誰よぉ。心地よい朝のまどろみを邪魔するのは。まあ、今は寛大な心になれそうだから、許してあげるわ。もう邪魔しないでねー。
「おい、こら。起きろ。落とすぞ」
 もぉ、うっさいわね。いくら寛大でも、限度があるわよ。
「お、見えた。いいのか、ラニィ。このまま降りても。おまえの性格からすると、そういうのは嫌だと思うんだが」
「ほへ?」
 あたしは、うっすらと目を開けた。綺麗な朝焼けが見えるわ。
 あれ? ここはどこ? あたし、空飛んでんの?
 頭を動かす。あたしの視界に飛び込んできたのは――
「うぎゃあっ。父様っ」
 父様の顔があまりにも間近に見えたもんだから、体をのけ反らせちゃったわ。刹那、世界がひっくり返った。
「おお、お、落ちるー」
「ほら、言わんこっちゃない」
「なにを言ったのよ?!」
 父様の平静な声に、あたしの怒り度が上昇した。
 その時、体勢が宙吊り状態からなおった。
「ほいっと。まったく、しようがないやつだ。こっちは腕が疲れてるっていうのに」
 文句言うわりに、たいして不機嫌そうな顔してないわね。
 あたしは、父様の肩の向こうを見た。大きくて白い光翼が、力強く上下に動いている。
 そういえば、なんで父様に抱えられてんだろ? えーっと……うーん……あ、思い出した。確か、乱闘中に父様がそばに来て、スラーフェンで眠らされたんだわ。うん、そうよ。眠らされたのよ!
 遅ばせながら、怒りがこみ上げてきた。
「ちょっと、父様っ。あたしをどこに連れて行こうっての?!」
「あ?」
 父様の顔が歪む。あたしの声がうるさかったみたい。
「ロマーズ卿の屋敷だ。そこに行きたいんじゃないのか?」
「え。う、うん」
 なんか、拍子抜けしちゃったわ。いつもだったら、激しい言い合いに発展したりするのに。
 風が弱まった。下を見る。あ、ロマーズ邸だわ。
 ゆっくりと降下し、あたし達はロマーズ邸の玄関前――数人いる衛兵たちのど真ん中に降り立った。あらら。彼ら、驚いてるじゃない。声も出ないようね。
「消去」
 父様の言葉に、光翼が一瞬で消えた。
 あたしは父様の顔を見た。
「ねえ、降ろしてよ。恥ずかしいじゃない」
「おお。忘れてた」
「……」
 やっぱり、父様は父様ね。全然変わってないわ。
 地面に足をつけ、あたしは嘆息した。
「大神導師様じゃないですか。どうしたんです? こんな朝早く」
 衛兵のひとりが、あたし達に近づいてきた。あたしと父様を交互に見てくる。
「それに、こちらのお嬢さん、血まみれですが……。大丈夫なんですか?」
「え?」
 あたしは自分の服を見た。あの時の血で、赤い斑点模様ができちゃってるわ。洗ってとれるかなぁ?
 衛兵に目を戻す。答えようと思ったんだけど、あたしより早く、父様が答えちゃったわ。
「こいつの血じゃないから大丈夫だ。それより、ここにマシオーミが来ていないかね」
「え。はい、来ていらっしゃいます。ルトリ様を救出なさって、大変お疲れになったようで。到着してすぐお倒れになり、今、客室でお休みになっております」
「そうか」
 あ。父様の目、笑ってるわ。
 それにしても、みんなすっかりマシオーミに騙されちゃって。でも、ルトリが無事でよかった。
「ロマーズ卿と奥方はお休み中か?」
「奥方様は、緊張が解けた途端お疲れが出たようで、寝室でお休みになっております。親方様は、ルトリ様に一晩中つきっきりのようです」
「そうか。では、わたしはマシオーミに会いに行こう」
 父様のあの顔、絶対なにか知ってるわ。あとで訊いてやろっと。
「行くぞ、ラニィ」
 一度あたしのほうを向き、父様が歩き出した。あたしも後について行く。
 大きな扉から中に入り、正面の広い階段をのぼって、廊下を歩いて――。この屋敷の中ってよく知らないけど、なぜか客室に向かってないような気がする。周りの様子だって、ちょっと違うような……。父様、一体どこに向かってんの?
「あっ」
 目の前の光景に、あたしは思わず声を洩らした。だって、廊下の先ずっと、使用人とか近衛兵とかが倒れてるんだもん。立ってる人なんて、ひとりもいないわ。
 前方の父様を見上げる。
「し、死んでるの?」
 父様が横に首を振った。
「いや。眠らされてるだけだ」
 特に気にする様子もなく、どんどん前へ進んでいく。
 あたしは、もう一度周りに目をやった。眠ってるんだったら、心配ないけど。これだけ大勢を眠らせるなんて。しかも、怪我をさせずに。神術か魔術じゃないと不可能だわ。となると……こんなことをする神術師なんて、ここの関係者じゃマシオーミくらいね。
「あそこだ」
 父様の声に、あたしは廊下の突き当たりを見た。個室にしては大きい扉が、開放されてる。その向こうに見えるのは、三人の人? 違う、四人だわ。あれは――。
「マシオーミ!」
 そう、マシオーミだわっ。あれじゃまるで、ルトリを人質にとってるみたいじゃない。あとの二人は、スレンとロマーズ卿ね。ロマーズ卿、眠らされてるわ。なにやってんのよ、スレンッ。
「ったく」
 舌打ちし、あたしは駆け出そうとした。けど、父様に肩を掴まれた。
「父様?!」
 目つきを鋭くし、振り返る。父様はあたしを後ろに引き、こっちなんか見向きもせずに扉のほうに歩んでいった。急いで、あたしも後を追う。
 部屋に足を踏み入れたときだった。
「そこで止まれ!」
 マシオーミの大声が聞こえてきた。あたしと父様は立ち止まった。マシオーミの緊張した顔と、ルトリの怯えた表情が目に入る。うう、かわいそうなルトリ。首にナイフの刃が当てられてるわ。速攻で助けて、マシオーミに天誅を喰らわせないと。
 マシオーミが口を開いた。
「わざわざ来訪くださいまして、ありがとうございます。大神導師様」
 めちゃくちゃ皮肉った言い方ね、マシオーミ。あ、父様が鼻で笑ったわ。
「貴様の言動は読めて読めて、しようがないな。たまには、わたしを出し抜いて見ろ」
 今度は、マシオーミの口端がつり上がる。
「デュバ一族の親子は、口だけは達者らしいですな」
「口すら達者でない貴様には、羨ましくてしようがないだろう? それで、わたしからのプレゼントはどうだったかな?」
「あの急な睡魔は、やはり神術でしたか。どこか遠くからかけてきたのでしょう? さすが、大神導師様ですなぁ」
「貴様に、あんな芸当はできまい」
「ふふ……」
 だあー! なに二人で、不気味な笑いのし合いっこしてんのよ。父様も、いったい何考えてんの? 今はンなことしてる場合じゃないでしょっ。
 あたしは父様を押しのけ、ずずいと踏み出した。
「マシオーミ、ルトリを放しなさい。スレンも、公爵様を起こして、こっちに来なさい。今なら、重罰に処さないであげるわよ」
 マシオーミとスレンを交互に見る。スレンは戸惑ってるみたいだけど、マシオーミの顔には相変わらず不敵な笑みがあった。
「子分どもと、血みどろで闘ったのか。見た目のわりに、体は大丈夫みたいだな。お父上に助けられたか」
 むっかー! 事実だけど、口調がすっごいむかつくわ。
「うっさいわねっ。ンなこと話してるんじゃないのよ。ルトリを放す気はあるの? ないの?!」
「ない」
 うっ、きっぱり言ってくれるわね。そっちがその気なら、こっちにも考えがあるんだから。
「父様っ」
 くるっと、肩越しに父様を振り返る。父様もあたしを見下ろしてきた。
「出番よ。マシオーミをのしてやって。ルトリを傷つけないように」
「嫌だ」
 は? 今、「嫌」って言ったの? 父様。
「な、なんでよ」
「わたしを押しのけただろ。わたしの力は必要じゃない、というふうに解釈したぞ。だから、おまえひとりでやれ」
「なに拗ねてんのよ。あれ程度のことで、大人が拗ねるんじゃないわよ」
「……」
 今度は無視? こんな奴が父親だなんて……。
 ああ、もう! わかったわよ。頼まないわよ。あたしだけでも助けられるもんね!
 あたしは、スレンのほうに向き直った。
「ほら、もたもたしないのっ。さっさと公爵様起こして、こっち来なさいよ」
「は、はい……」
「動くな、スレンッ」
 キッ、とあたしはマシオーミを睨んだ。マシオーミの顔から、笑みが消えてる。真面目な表情になったのはいいけど、余計なことは言わないでほしいわ。
「じゃじゃ馬嬢と大神導師も動くな。少しでも妙なマネをしたら、ルトリの動脈をぶった斬るぞ」
 ちぃっ。マシオーミの目、本気ね。でも、ここで弱気になっちゃ駄目だわ。
「はんっ。ようやく悪党らしい口調になってきたわね。盗賊団の親玉は、やっぱりそうでなくっちゃ」
「安心しろ。わたしは手出しをせん」
 あたしは一度父様を睨みつけ、マシオーミに視線を戻した。少し下を見る。ルトリと目が合った。
 どうしよう。どうやってルトリを助ければいいの? あたしに術は使えない。
「全員、さがってろ。道を開けろ! スレン。先に行って馬を用意するんだ。早く!」
 マシオーミの叫び声が響いた。悔しいけど、素直に従うしかないわ。何か、いい方法が見つかるまでは。
「ほら、もっと離れろ」
 マシオーミが、ルトリにナイフを当てたまま、じりじりと前を通っていく。
 何か、何かないの? 早くしないと、ルトリが連れてかれちゃう。ルトリが――ん? 口が動いてるわ。何か唱えてるの? 呪文?
 そっか! 瞬間移動の魔術ね。なら、時間稼ぎしないとっ。
「マシオーミ!」
 あたしの呼びかけに、マシオーミが足を止めた。うっとうしそうな顔で、こっちに振り向く。
 あたしは、マシオーミの目をじっと見つめた。
「あんた、逃げたあと、ルトリをどうする気?」
 マシオーミの眉が微かに動いた。
「そんなこと訊いてどうする」
「知りたいじゃない。もし殺す気だったら、遠慮せずに成敗できるし。どうなのよ」
「自由にしてやるさ。どこで開放するかは知らん。せいぜい、お嬢がここまで戻ってこられるように祈っておくんだな」
 不敵な笑みを浮かべ、マシオーミが再び歩き出そうとする。あたしは、慌てて次の質問を探した。
「もうひとつ! なんで、神術を使わないの? 他の人たちみたいに眠らせたら、堂々と逃げられるじゃない」
「うるさい奴だ」
 再度振り返ったマシオーミの形相は、さっきより凄い。いら立ちが顔全面に出てる。
「大神導師がいるだろうが。こっちに手を出さなくても、いざあんたに危険が及んだら守りの神術を使うに決まっている。だから、無駄なことをしないだけだ」
「じゃあ、あとひとつ」
 あたしが質問を続けようとすると、マシオーミの顔が憤怒の形相に変わった。まあ、そうなる気持ちもわかるけど。
「俺をなめてるのか! いい加減にしないと、ルトリが苦痛を味わうことに……」
 マシオーミの台詞が途中で切れた。原因はたぶん、彼の足元に突如現れた光の魔法陣。
 ルトリの声が聞こえてきた。
「我が体を、我の望む場所へ移したまえ!」
 ルトリの手が器用に印を結び、彼女の姿は消え去った。魔法陣もなくなってる。あたしは周りを見回した。
 いたわ、ルトリが。あたしの後ろにね。
「くそぅ」
 マシオーミの悔しそうな声が聞こえた。動く気配がする。
 あたしは片笑み、振り向きざまに回し蹴りを放った。マシオーミの手からナイフが落ち――って、あたしの軸足に?! いったぁ……くないわ。あれ? 父様の神術なの? 足がナイフをはじいたわ。
 ぎろり、とマシオーミを睨む。マシオーミの顔に恐怖の色が浮かんだ。今ごろ恐がっても、遅いのよ。
「天誅ぅー!」
 叫ぶ、あたし。究極の三段蹴りが、マシオーミに炸裂した。

       ◇ ◇ ◇

 思ってもみない出来事だったわ。二日もかからず終わったけど、面白かった。世の中、捨てたもんじゃないわねえ。……あ、こんなこと言ったら、ロマーズ卿に怒られちゃうかなぁ。あはは……。
 あたしがマシオーミをこてんぱんにのした後、どうなったか――というと。マシオーミとスレンは父様が引き取ったわ。昼頃になると、ルトリ救出隊が、盗賊団をひとり残らず捕まえて帰ってきた。聞くところによると、あのとき救出隊が乗ってた馬って、盗賊団が用意してあったものらしいけど……。なかなかやるわよねー、あの人たちも。――で、一件落着、と。
 そうそう。父様なんだけど、なんであんなところにいたのか問いつめたら、なんて答えたと思う?〈遠見〉の神術で、あたしのこと監視してたんだって。もしかしてと思って、「着替え中とか入浴中のあたしを見たことある?」って訊いたら、「ある」のひと言よ。悪びれた様子なんて、全然ない。あんまりむかついたんで格闘技の嵐を見舞ってやったら、翼だして逃げてったわ。ったく。
「ほんとに、もう出発なさるんですか? ラニィ様」
 ルトリが、寂しそうに訊いてきた。
 ここは商業町シオーラの南門の前。ロマーズ公爵家の馬車で、ここまで送ってもらったの。ルトリは、あたしの見送りだって。護衛として、十人の近衛騎士たちもついて来たわ。おかげで、宿に荷物を取りに行くときとか、目立ってしようがなかったわよ。
 布製の荷袋を背負いなおし、あたしはルトリを見た。
「路銀も手に入ったしね。長居はしてらんないわ」
 路銀ってのは、ロマーズ卿にもらった報酬のこと。結構たくさんくれたから、しばらく困らないわね。
「これから、どちらに向かわれるのです?」
 これはルトリの問い。
「そーねえ……」
 あたしは青空を見上げた。白い雲が、ゆっくりと流れていく。
 どこに行こうかな? 三年ぶりに、故郷(くに)に戻ってみるのもいいわよね。父様はともかく、母様とか友達に会うためにさ。でも故郷って、ここよりずっと北にあるのよね。当初の予定は、大陸の南端に行くことだし。とりあえずは――。
 あたしはルトリに視線をおろした。
「ひとまず南へ。あとは気の向くままに、ね」
「また会えますか?」
「もちろん」
 ルトリが喜色満面になった。あたしも顔をほころばせる。暖かくて気持ちいい風が、あたしの頬をなでていった。
「じゃ、そろそろ行こうかな」
 あたしの言葉に、ルトリが小さく頷いた。
「道中、お気をつけて」
「ありがとっ」
 小さく手を振り、あたしはルトリに背を向けた。視界いっぱいに、広々とした景色が現れる。
 さあ、行こう。見知らぬ土地へ。きっと、楽しいことが待ってるわ!


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