しのたんとボク
鬼脳


  ボクは今、大好きな女の子がいます。
  その女の子は、しのたんといいます。しのたん、本当の名前は「鏡澤しいな」なのですが、みんな彼女のことを「しのたん」と呼んでいるのです。いやいや、正確に言うとみんなの場合は「しのちゃん」なのですが、ボクはしのたんなのです。でも、そんなことはどうでもいいのです。
  ボクはしのたんが大好きなのです。
  しのたんはボクの友達とか恋人とかではありません。しのたんは、テレビにでている女の子なのです。とっても可愛いのです。しのたんは「スリーウィッチーズ」という三人組の女の子たちのひとりなのです。
  いつもしのたんは右側で歌って踊っているのです。でも、左側で歌っているともたんよりも、真ん中で歌っているあきたんでさえも、しのたんの可愛さはかないません。
  しのたんたちは、いつもテレビの中から、少女漫画にでてくるおちゃめな魔法使いの女の子のようなカッコをして、
  「ワタシたちの魔法で、アナタのハートをトリコにしちゃいマス!」
  なんて言いながら、ひとさし指でボクの心臓をぐるぐるぐるぐるかき回してくれるのです。そんなときは、またボクはどうしようもなくしのたんのことが好きになってしまうのです。
  ボクは、しのたんの風が吹くとふわふわさらさら流れるような、長い髪の毛が大好きです。そう、ボクは物心がついたときから、長い髪の毛の女の子が大好きなのです。幼稚園のときの初恋の相手だったようたんも、生まれてから一度も切ったことがない長い長い髪の毛が自慢でした。小学校の入学式で一目惚れした担任のくすのき先生も、髪の毛は長かったのです。中学校に入ってからも、好きになったクラスメートの女の子やテレビにでている女の子は、みんな髪の毛の長い女の子だったのです。でも、そんなことはどうでもいいのです。今は、ボクはしのたんのことだけで頭がいっぱいなのです。しのたんのことを考えると、学校の勉強もぜんぜん手につかないのです。ボクはいつもしのたんのことを考えているので、学校の成績はまっ白なのです。でも、ボクはしのたんがいれば、それだけでいいのです。
  学校が終ると、家に帰って、しのたんのビデオを見るか、しのたんの本を眺めてすごすのです。しのたんのコンサートがあるときは、学校もいかないこともあるのです。どうでもいいのです、学校なんて。しのたんの元気な姿をみているならば、それで満足なのです。
  ボクの部屋はしのたんでいっぱいです。壁にも、天井にも、しのたんのポスターがはってあります。本棚はしのたんの写真集や、しのたんの載った雑誌ばっかりです。しのたんが出たビデオは、みんな持っているのです。ビデオは毎日順番にくりかえし見ているのです。
  特にボクは、「東村山の魔女たち」というビデオが大好きです。これはしのたんたちが初めて主演した映画なのですが、どこからともなくやってきた悪魔の力をかりて、不思議な超能力をもってしまった女の子たちの物語で、しのたんは長い髪を風になびかせながら、魔法をつかって、ボクみたいな気弱な男の子たちを、悩殺してゆくのです。
  なにせ魔女の役なので、しのたんは色んなカッコをしたり、色んなことしたりするのです。水の上を歩いたり、空を飛んだり、海にもぐったり、死んだり、生きかえったり、動物サンたちと遊んだり、木に登ったり、決闘したり、血を流したり、下着姿になったり、ヘビを身体に巻きつけたり、変身したり、しています。
  でも、いつでも、しのたんの髪の毛は、しっとりと、そこにたれさがっているのです。
  しのたんは、きっと本当に魔法が使えるのです。そうでなければ、僕をハートをこんなにも夢中にできるわけありません。
  そしてその神秘の力は、あの長い長い髪の毛に、やどっているのでしょう。
  ボクは一度だけ、しのたんの髪の毛のニオイを嗅いだことがあります。
  そう、あれはひと月ほど前の出来事でした。
  それは、しのたんがサイン会で吉祥寺のデパートにやってきたときなのです。
  しのたんたちは小さなステージにあがって、歌を少し歌ったあと、イスに座って、あらかじめサインを書いてきた色紙を長い机の上にならべはじめました。
  ボクは朝から一番前の席をとっていたので、サインを貰う順番も一番前にならびました。
  ところが、なのです。
  「スイマセン。今日はサイン会だけで、握手はなしです! くれぐれも、ウィッチーズの3人にはさわらないようにしてください!」
  なんてスタッフの人が、叫ぶではありませんか。せっかく今日はしのたんと握手ができると思っていたので、がっかりしたのです。
  でも、ボクは妙案をおもいついたのです。しのたんと握手ができなくても、髪の毛のニオイを嗅ぐことはできるのです。「しのたんにはさわっちゃいけません」とスタッフの人はいいました。それなら、ニオイを嗅ぐのは大丈夫に決まってます。
  ボクは一番前の順番を他の人にゆずると、いちもくさんにトイレにかけこみました。そして、トイレットペーパーを5つぐらい集めて、「しん」を抜きとりました。そして近くの売場にいって、セロテープを借りました。そしてそれらを、つなげ合わせて、一本の長い筒をつくったのです。
  我ながら名案でした。
  髪の毛のニオイを嗅ぐといっても、しのたんの髪の毛にじかに顔を近づけてクンクン、ニオイを嗅いだりしてしまったら、嫌がられるにきまってます。すぐに側にいる怖そうなスタッフの人たちがパッパッとやってきて、ボクは誤解されて怒られてしまうでしょう。最悪の場合は、サインも貰わないうちにその場からつまみだされてしまうかもしれません。そんなことしたらしのたんにも嫌われてしまって、もう二度としのたんの前に姿を現すのは恥ずかしくてできなくなってしまうのです。そんなことになったら、もうしのたんとはお別れです。ボクの部屋で、写真を眺めながら、ひとりでしこしこ、しのたんの幻を遠くで追いかけているしかできなくなってしまいます。
  でも、この魔法の杖があれば平気です。この杖を鼻にあてて、象さんのお鼻のように遠くからクンクンすれば、嫌がられるわけはありません。それどころか、ボクの頭の良さに、感心してくれるかもしれません。しのたんのニオイが嗅げて、そのうえ尊敬までうけてしまったら、握手できない淋しさもへっちゃらです。
  ボクはうきうきしながら、しのたんのところにもどってきました。すでにほとんどの男の子たちがサインをもらって、サイン会は終りに近づいています。ボクは慌てて、列の最後にならびました。列は左から右へ流れています。つまり、最初にあきたんのサインをもらって、次にともたんのサインをもらって、そして最後にしのたんのサインを貰うのです。
  ついにボクの順番がまわってきました。魔法の筒は、Tシャツの背中に隠してあります。
  「どうもありがとう!」
  あきたんがサインをくれました。
  「どうもありがとう!」
  ともたんがサインをくれました。さあ、いよいよ次はしのたんです。
  「どうもありがとう!」
  ボクはしのたんのサインを左手で受けとると、おもむろに右手を後ろに回して、魔法の筒をとりだしました。何もないところから、いきなり長いものをボクがとりだしたので、しのたんは一瞬びっくりしたようです。まさに魔法の筒です。
  スタッフの人たちが一斉に身がまえました。長いものなので、凶器か何かと思ったのかもしれません。昔、変質者が、コンサート中のアイドル歌手の頭を長い鉄の棒でごんごん叩いて傷つけてしまった事件がありました。
  でも、一秒後にはこの魔法の筒がそんなアブナイものなのでは決してないことが、解ることでしょう。
  ボクは筒を、目をまるくするしのたんの髪の毛にあてて、もう一方に鼻をあて、くんくんくんくん、しました。くんくん、くんくん、あれ?
  ぜんぜんニオイが解りません。
  頭のいいボクは、すぐに理由がわかりました。筒のなかにもともと入っていた空気が邪魔しているのです。しのたんの髪の毛のニオイに到達するには、まず筒の中の空気をみんな吸いこんでしまわないとダメなのです。
  ボクは焦って、勢いよく鼻から空気を吸いこみ、口から出し、また鼻から吸いこみして、しのたんの今朝つかったシャンプーのニオイを探りあてようとしました。そのときなのです。
  しのたんがケラケラ、笑いだしたのです。肩を揺らして、ケラケラ、笑っているのです。笑うたびに、しなやかな長い髪がゆらゆら揺れるので、ボクはそれに合わせて筒の先っぽを、動かさなければなりませんでした。
  筒を動かしていると、他の空気が入ってきてしまうので、なかなかしのたんのニオイがやってきません。思えば、髪の毛の淡いニオイをキャッチするには、この筒は少し長く作りすぎたようです。まったく、魔法の杖失格です。
  慌てるボクをよそ目に、なおもしのたんはケラケラ笑っています。しのたんだけではく、あきたんも、ともたんも、ボクを見てケラケラ笑っています。長い筒でしのたんの髪の毛を追いかけるボクが、そんなに滑稽でおかしいのでしょうか? ボクはこんなに一生懸命なのに。ふと向こうを見ると、スタッフの人もクックッと笑っています。
  ボクはあきらめて、魔法の筒をポイっとほうりなげました。筒はしのたんの後ろに落ちました。しのたんはそれを拾うと、ボクにむかって
  「君、これ君がつくったの?」
  と聞いてきました。
  「そうです」
  ボクは正直に答えました。「ボクがさっきつくったのです。しのたんの髪の毛のニオイをクンクンするために一生懸命つくったのです」
  また、しのたんがはじかれたように笑いだしました。もう絶望です。すっかりしのたんの前で恥をかいてしまいました。
  「な、なんでアタシの髪の毛のニオイを嗅ぎたいの?」
  「ボクはしのたんの長い髪の毛が大好きなのです。それとは別に、今日はしのたんと握手をするのを楽しみにしてきたのです。でも、握手ができないと知って、がっかりしたのです。それでは、握手のかわりに髪の毛のニオイをクンクンしようと思ったのです。でも、失敗だったのです。残念なのです」
  しのたんはボクの話しをキョトンとして聞いていましたが、またもや、ケラケラケラケラ笑いだしました。よく笑うしのたんです。
  いつもしのたんの笑う顔を見て元気をだしてきましたが、それが日本中の男の子たちに向けてニコニコしたものならともかく、ボク一人にむかってケラケラしたのは、何だか素直に喜べないのです。いつもボクの部屋で見ているしのたんのほうが、本当のしのたんのような気さえしてくるのです。
  しかし、続けてしのたんは信じられないようなことをボクに言ってくれたのです。
  「そんなにアタシの髪のニオイが嗅ぎたいんなら、嗅いで頂戴。ホラ」
  そういって、しのたんは髪の毛をつかんで、ボクの鼻先につきだしたのです。
  後ろから、ファンの人たちの「おおおっ」という声が聞こえました。
  小鼻につき刺さらんばかりに差しだされた髪の毛の束を、ボクは、気をつけの姿勢のまま、クンクンしました。何だか、頭に血が昇ってくるのが解りました。
  ボクはすべてを理解したのです。しのたんの使っているシャンプーは、P&Gのリジョイ・モイスチャーリッチ、しっとりうるおいタイプだったのです
  「あ、あ、あ、あ」
  しのたんは、ボクの顔を見つめながら首をかしげています。
  「あ、あ、あ、あ、ありがとうございました」
  ボクはぺこんと頭をさげて、その場をあとにしました。
  帰ろうとするボクに、他のしのたんたちのファンの「このラッキー・ボーイ」という声が聞こえました。でも、そんなことはどうでもいいのです。
  ボクは、しのたんの髪の毛のニオイを、ついにクンクンしたのです。しのたんの神秘のパワーを、鼻から吸いこんでしまったのです。
  家に帰ると、いつのまにかしのたんのサインがありませんでした。ボーッとしていて、電車のなかにでも忘れてきてしまったのでしょう。
  でも、そんなことはどうでもいいのです。・・・・


  さて、ボクのしのたんへの愛が、その後どうなったかというと、ちょっと複雑なのです。
  何故かというと、何と、最近、しのたんはあの自慢の長い髪を切ってしまったのです。本当に、ばっさりと、きってしまったのです。
  ボクは、髪の毛が長いからしのたんのことを大好きになったので、髪の短いしのたんにはようはないのです。
  幸い、ボクの部屋には髪の毛の長いしのたんのすべてが集まっているのです。歌、写真、みんな、ここにあります。あとは、現実のしのたんを消すだけです。
  頭のいいボクは、昨日、浅草にいって、長いナイフを買ってきました。これは、しのたんが「東村山の魔女たち」で使っていた魔法の剣と、同じデザインなのです。こんどは、この魔法の剣で、ニセモノのしのたんをぐさぐさしてしまうのです。
  髪の毛をきったしのたんなんて、怖くありません。ツノが折れたラムちゃんと同じです。下町で買ったまがい物の魔法の剣で十分たおせるでしょう。
  ああ、しのたんの車がやってきました。ボクは今日しのたんたちがここで新曲のレコーディングをすることを知っていたので、待ち伏せしていたのです。車がとまりました。中から、まずあきたんが出てきました。次に、ともたんが出てきました。最後に、しのたんが出てきました。醜いショートカットのしのたんです。ほとんどカリアゲ状態です。あれじゃ生きてる価値はありません。何でもこれが今はやりのヘアスタイルらしいのですが、そんなことボクにはどうでもいいことです。
  しのたんたちは、ボクの顔を見るなり、またケラケラ笑いだしました。また、笑われてしまったのです。ボクはちょっとむかっとして、早くも右手を背中に回しました。
  「またこのあいだの君なの? 今日はなあに? 何をだしてくれるのかな?・・・・」
  数秒後には血だらけでその場に横たわることなど知るよしもないしのたんは、ボクが背中から何をだすのか、楽しみに見ていたのでした。


戻る