トキ陥落
萬忠太


 帝国暦六〇〇三年マガロの月六日夜半。第一及び第五空中絨毯部隊は「静かなる森」上空約三〇〇メト(約三〇〇メートル)を飛行していた。「蒼天の鷲」と呼ばれる第空中五絨毯部隊所属の五枚の絨毯は、爆撃任務に就いた魔導師を満載し、横一列に体制を整えた。月もなく星もない。全くの闇夜。その空を滑るように移動する絨毯。絨毯の縁に立つ魔導師達は全員艶のない真っ黒なローブに身を包み、闇に閉ざされた森を、わずかな光で十分に像を結ぶ、暗視の眼鏡越しに覗き込んでいる。強い夜風が底面を黒く染められた夜戦用絨毯をグネリグネリと揺さぶった。魔術師達のローブもうねる。音が出ないのは、絨毯上に静寂の魔法が掛けられているからである。この魔法を掛けられれば、音という音は空気を揺さぶることができない。絨毯中央に据え付けられた通信用の水晶に数字が、微かな光を放ちながら浮かび上がっている。作戦開始のためのカウントをしているのだ。
 魔導師の一人が指先から地表に一筋の光を放った。照準を合わせるための光である。
 一方第五空中絨毯部隊の後方100メトで滞空している、通称「皇帝の翼」と呼ばれている第一空中絨毯部隊の五枚の絨毯上では、魔術の粋を集めて作り出された最高の兵器「アーマー」で、全身を隙間無く覆った騎士達が作戦の開始を見守っていた。
『始まりましたね、マクス様』
 アーマーの兜にはスリットがない。騎士は顔の前に、埋め込まれた映像の石版に映し出される、外の景色を頼りに戦う。勇者の末裔マクス=レックス=ムンディは映像の石版の端に映し出された、ドガーズのむくんだ顔を一瞥した。
「そうだな。トキに巣くう森の牙の連中はもう壊滅したも同然だ」
 静かなる森中央にある地下古代遺跡。そのうえにトキの町は築かれた。元は発掘のための町であったが、いつしか反帝国組織「森の牙」が地下遺跡に住み着き、ウィザーズドラックと言われる麻薬を生産、勢力を拡大しつつあった。と言う話は最近になって発覚したことであり、それまで帝国は正体のつかめない敵に対して、為すすべをもたず、徐々に帝国に浸透しつつあるウィザーズドラックを取り締まり続けるしか無い状況であった。
『はい。しかし「ベータ」と言うアーマー我々が相手をせねばならぬほどの強敵なのですか?』
 帝国最高の精鋭騎士団、第一騎士団の十五名を「皇帝の剣」と呼ぶ。マクスは深紅のアーマーにうっすら付いた露を払った。アーマーの外はさぞ冷え込んでいるのだろうな。マクスは手を握ったり開いたりして指をほぐした。そのたびにかちゃりかちゃりと音がする。沈黙の魔法は掛けられていない。彼のアーマーは彼の祖先が魔王の迷宮から持ち帰った、魔法の鎧「レッド」を素材に現宮廷魔術師スレイ=アンダーソンのこれまた祖先が作り上げた物である。その後最強のアーマー「レッド」は勇者の末裔が代々その身にまとい、第一騎士団長を務めていた。
「さあな、戦ってみないことには。ただわかっているのは、『ベータ』が最新型だということ、そしてそれを作り出すために216人の魔導師が魔力を吸い尽くされて死んだと言うことだ」
 マクスはうんざりだと言わんばかりに、投げやりに答えて天を仰いだ。アーマーの制作には多くの魔力を必要とする。「レッド」制作時には301人の魔導師が死んだそうだ。近年アーマーの制作で魔導師が死んだという噂は聞かない。しかしそれほど安定したアーマー制作環境において「ベータ」は216人の生命と魔力を屠ったという。

「蒼天の鷲」が沈黙の魔法を解いて爆撃を開始した。魔導師達の腕からあるいは杖から、水晶から、火炎弾が冷凍弾が雷撃が町めがけて発射され、地上で花が咲く。横一列に並んだ絨毯から、隙間無く発射される魔法弾は町を容赦なく破壊していく。絨毯の上で望遠映像石版を覗き込んで、効果観測をしている魔導師が頷いた。
「効果確認、死傷者多数、建築物多数損壊」
 煉瓦造りの建築物が崩れる。寝静まっていた人々はその下敷きになりある者は命を散らせ、またある者は身動きをとれずに、死を待つしかなくなった。穏やかな夢も悪夢も全て破れ、闇と爆炎の世界が広がる。なんとか外に飛び出した人々も雷撃に撃たれて四散した。大地は揺れ動き人々はそれがいったい何なのか、自分は一体どこに行こうとしているのか? そもそも一体自分が誰なのか? 全てが希薄になっていく。火の海が町を飲んでいったかと思えば、炎さえも凍り付かせる冷凍の魔法弾が降り注ぎ一瞬にして全てが砕け散った。
 絨毯を操縦する魔導師が速度を調整しじりじりと前進させる。噴き上がる光は夜にたれ込めた雲を照らし出した。
 ドガーズは映像石版のはじに写るマクスの氷のような眼光を避けた。かつての勇者もこんな目をしていたのだろうか? 「ベータ」の実験台になった男は、マクスの許嫁をさらっていった。それでもこの男は、少しも動揺を見せない。許嫁の名はミルレア=アンダーソン。宮廷魔術師の娘であり、その魔力は現宮廷魔術師スレイを凌ぐとさえ言われ、次期宮廷魔術師の座は間違いないと誰もが信じて疑わなかった。
「トキの町の正体、良くわかりましたね」
 映像石版に居並ぶ他のアーマーが映し出される。まるで置物のように動かない。時々手元が動くことがあるが動けばそれだけ魔力を消費して、稼働時間が減る。アーマーは魔導師によって魔力を補給しなければ動かないのである。魔力を失ったアーマーはもはや、動くことが出来ない。アーマーを着るときの基本は必要以外は動かない。その一点である。ただし映像石版は、緊急時に備え且つ騎士に闇による無用の重圧を避けるため、稼働させておく。
『「ベータ」から信号が送られてきたらしい。ベータは重要機密だからな、それくらいは当然だ。森の牙もとんでもない物をくわえこんでしまったものさ』
 マクスは、笑みすら浮かべている様に見える。ドガーズは乾いた唇をなめた。
 爆発による気流の乱れか、微かに絨毯が揺れた。

 ガド=ラ=メダは、揺れる牢獄の中でミルレアと二人座っていた。揺れるたびに壁がパラパラを砂を落とす。対面には、ウィザーズドラック中毒で、精神を破壊された人間が一人鎖につながれてブツブツと何かを呟きながら床をこすっていた。その一点は血で赤黒くなり微かにへこんでいるのがわかる。ガドはもうじき自分もああなるのだろうか……そう思いながら床をさすってみた。ミルレアはそのいじけた様な態度に一瞬腹を立てたが、この男はそれほど弱い人物ではないと思っているので、見ないふりをしていた。
「ねえガド、どうなってるんだろうね」
「帝国軍の攻撃さ。『ベータ』が呼んだんだろうな。たぶん」
 ガドは床を見つめている。ミルレアはそんなガドを見ないように壁を見ている。
「いつからここにいるんだろうな」
 ガドが呟いた。「ベータ」を持って、絨毯を一枚奪って宮廷を飛び出した。そして偶然この町に不時着したのだ。二人とも衰弱して動けなかった。ミルレアは絨毯に魔力を注ぎ続けたからであるが、ガドは「ベータ」の実験直後だったのだ。二人が気が付いたとき、もうこの牢獄にいた。
「さあ? 何日かなぁ。少なくとも昨日はここにいたと思うけど」
 そう言えば私はどんな顔をしているのだろう。ミルレアはここ何日も鏡を見ていない。肩で切りそろえた結構自慢の髪も今は触るのが嫌だった。ガドは一緒に逃げたときより血色は良くなったように見えるが、初めてあったときほどではないし、髭も伸びている。男の髭が伸びていく様子をこんなに近くで観察できるとは思わなかった。
 遺跡全体が揺れる。魔力によって輝いているガラス玉が不意に点滅した。ミルレアはそれを見つめながら、振動におびえているのかな? と考えていた。牢獄での生活は復讐心に身を焦がすにはあまりに何も無さ過ぎる。こんな状態で復讐に身を焦がせば、心が焦げ付く。ミルレアは、隣の牢に入れられた老人がたまにあげる「オーン、オーン」と言う、低くふるえた嘆きの声を聞いたとき、牢での心構えを知った。全てを遠くに押しやれ。しかしガドはそんなことを考えるには、消耗しすぎている。「ベータ」はそれほどに、精神を犯すのだ。
「ねぇガド、逃げよっか?」
「『ベータ』おいてか?」
 ガドの頭に小さな石がコツリと当たった。
 天井がやばいのか。ガドは震える天井を見つめて目を細めた。
「……置いてけない」
「ベータ」があるから、ここに転がり込んでいるのだし、「ベータ」が無ければどこへなりとも逃げられるのだ。スレイは追ってこないだろうな……。ミルレアは立ち上がって鉄格子を軽くはじいた。
 床をこすっていた男が、顔を上げた。ミルレアと目が合う。笑みが硬直したような顔の男は、相変わらず微かに口が動いてブツブツ何かを呟いている。そしてひときわ大きな口を開いて、何か言おうとした瞬間、ミルレアの視界は人影に塞がれた。牢の中の男は、結局言葉を発しなかった。
「グロックさん、出してくれるの?」
 ミルレアは頬のこけた鷲鼻の男を見上げた。右手に鍵をじゃらつかせている。
「まあな、返答次第では。ってとこか」
 大きく揺れた。グロックは舌打ちをして、もうもたんか。と呟いた。帝国軍は「森の牙」を皆殺しにするつもりである。
「ガド。アーマーを着ろ。そして戦え。我々は撃って出る」
 ミルレアは即座に断った。ガドが顔を上げるのよりも早かった。
「できない! そんなことしたら、ガドが……」
「俺達がウィザーズドラックをガドにくれてやらなかったら今頃そいつは狂ってただろうな。ガド、はっきり言わせてもらうぞ。お前はどのみち長くはもたん。それを一番知っているのはお前自身だ。違うか? どのみちこの牢に押し込めてある気違いどものようになる」
 精神を犯されつつあるガドは、ウィザーズドラック無しでは自分を維持できない。麻薬によって一時的にでも精神の一部を破壊してやらないと重圧から逃れなれないのである。偶然とは言えこの町に不時着しなければ今頃発狂していたに違いない。
 隣の牢の老人が、おーん……おーん……と言った。いつもなら石造りの牢獄に響き渡るその声も、激しい振動と断続的に響く爆発音のせいで、響くどころか消え入るばかりである。

 宮廷魔術師スレイは水晶球を覗き込みながら、何度か頷いた。水晶球の光が作り出した影が宮廷魔術師の血塗られた実験室の壁に映る。恰幅の良い彼は、自慢の顎髭を撫でながら、また頷いた。
「ミルレア。ベータの封印を解くかな?」
 助手の青年魔導師エペは、水晶の青白い光に照らし出されたスレイの顔に一瞬身震いした。この男はなぜ常に嘲笑を絶やさないのだろう。なぜ笑うのか? と聞いたことがある。スレイは、本当に一瞬もしかしたら気のせいかもしれないくらいに一瞬、真顔に戻って答えた。「神を笑っている」と。
「それは得策ではありませんよ……。そんなことをされたら。如何に『レッド』がそこにいたとしても、勝てるかどうか」
 エペの言葉に、そうさなと髭を撫でると、スレイは上目遣いに、エペを一瞥すると。
「解いてしまえば、ミルレアは目的が果たせない、しかし解かねばこの局面は乗り切れない。解けば全てが終わる。私にとっては好都合だがね。愚かなものさ、自分が何者であるかわかっているだろうに……これから得られる名誉と比べたら、些細なことではないか」
 エペは茶の用意をするためにそこを離れた。スレイは愛おしそうに水晶を撫でている。

「蒼天の鷲」は一通りの爆撃を終え、トキの上空を周回しはじめた。魔導師達は一様にぐったりと絨毯の上に寝転がっている。各絨毯に一人だけ温存されていた魔導師が町から脱出をはかろうとする者を殺していく。そしてついに「皇帝の翼」がトキ上空に侵入してくる。
 いよいよアーマーが降下する。アーマーは低い金属音とともに床几を蹴って立ち上がった。「レッド」を除いて全員黄金色のアーマーを身につけている。形も皆一緒であり、一見したところただの全身鎧に見える。胸と盾には大きく帝国の紋章が描かれ、装甲表面には趣向を凝らしたカービングが施されていた。しかしアーマーの特徴はそこかしこに、魔力を秘めた宝石が埋め込まれているところにある。アーマーはそそぎ込まれた魔力を宝石に流し込むことによって遠隔攻撃から、攻撃補助、回復、等様々な魔法を駆使することが出来るのだ。
 アーマーの魔力は魔導師が込めるのだが、自分の妻に魔力を込めさせるのが、一人前の騎士の条件である。従って強力な魔力を持つ娘を妻に迎えることは、騎士にとって最高の名誉なのである。騎士の妻は、戦に備えて常にアーマーの魔力を一杯にしておかねばならない。
 マクスは、兜の中で微かに頷き、叫ぶ。
「降下!」
 マクスの降下命令を受けて、他の騎士達は次々と絨毯から飛ぶ。夜の冷たい空気を引き裂きながら、アーマー達が降下していく。
 その極短い時間の中で、マクスはかの手痛い敗北を苦々しく思い出していた。
 新年の重要な行事に天覧試合がある。毎年帝国中から腕に覚えのある者達が集まり剣の腕を競う。参加資格は不問であり、無名の剣士達にとっては自分を売り込む絶好の機会であり、マクスの先祖の勇者もまたこの天覧試合で見いだされ、魔王討伐を命じられた。
 その年の天覧試合の決勝戦は、シードから順当に勝ち上がったマクス。それに対したのは、無名無冠の剣士ガドだった。
 マクスは轟々と響く圧倒的な声援を受けながら、それに応えようともせずに帝国中央闘技場に姿を見せた。人々は皆「レッド」の勇者の登場に熱狂し、「レッド」の歌の大合唱が始まる。対するガドはと言うとその大合唱の中現れて、何を思ったか片手をあげてその声援に応えた。マクスはこの温和そうな間抜けがどうやって勝ち残ったのだろうと思ったが、試合前に握手したときに疑問の答えは出た。闘志である。マクスは一瞬その腕から伝わる闘志にたじろいでしまった。マクスは既に負けていた。
 傍目には一進一退の攻防が続いた様に見えただろう。しかしそれは違う。マクスは完全にガドの思い通りに打ち込まされ、ガドはそれをかわしてまた打ち込む。ガドがそこまで高度な戦略を持って戦っていたか、疑わしい限りであるが、しかしそのときはともかく一手ごとに追い込まれていった。気が付いたとき、マクスは片膝をつきガドが放心したように立っていた。審判は信じられないと言う面もちでゆっくりとガドの方の手を上げた。マクスの勝利を疑わない観客席の上の方の人々は勝負が付いたと同時に「レッド」の歌の大合唱を始めてしまった。
 つられて、他の人々も歌う。「レッド」の歌の中マクスは敗北感に打ちひしがれていた。
「ベータ」の実験台に選ばれたガドが、マクスの許嫁である宮廷魔術師の娘ミルレアと駆け落ちしたのは、それから数ヶ月後のことであった。しかし、その事実を知っているのは一部のみで、ガドがミルレアを人質に「ベータ」を奪って逃走した事になっている。
「ガド。必ず殺してやる」
 マクスは、地上近くで風の魔法を地面に向かって吹き出して軟着陸すると、腰から剣を抜いた。青白い燐光を発するその剣もまた、勇者が使っていた物である。
 他のアーマーも次々に着地して、獲物を求めて散っていく。マクスが最初に殺したのは片足を瓦礫に挟まれた娘であった。マクスはもがく娘の額を肩から発射した光線で撃ち抜いた。
「れっレッド!」
 森の牙の兵士とおぼしき男が、その姿に叫び声を上げる。マクスが剣を一振りした瞬間兵士は剣圧で吹っ飛んで、瓦礫の壁に当たってトマトのようにベシャリと潰れた。トキの町は既に瓦礫の山であった。家も道もない。何もないのである。あるのは瓦礫と死体だけ。撃って出てきた森の牙も為すすべもなく倒れていった。
「絨毯! 聞こえるか? 遺跡の入口を捜せ。ここまでやられては地上からの発見は困難だ」
 盾から発射した光線で兵士の首を三つ飛ばした。騎士道なんてどこにもない。ただの殺戮だ。そこかしこで上がる煙を見つめた。まるで煙がそのまま黒雲に吸い込まれているようだ。

 グロックは牢の鍵を開けた。
 ガドがアーマーの装着を承知したのである。揺れは収まっていた。
「グロック。薬をくれ」
 ガドは差し出す左手を震わせた。
「止めて、ガド。死んでしまう」
 ミルレアはガドに抱きついた。ガドは久しぶりにミルレアの温もりを感じた。実験台に選ばれ宮廷魔術師の屋敷に招かれたその日、ミルレアはガドを求めた。今まで見たこともない、上等のシーツの上でミルレアはマクスの許嫁であることを告げた。ガドはそれを聞かされてもミルレアを抱いた。そのときのような柔らかさを失ってぱさついている髪を震える手で撫でながら、
「だ……だいじょうぶだ。きっ君の復讐の手助けはす……る。これが無事終われば、ね」
 ミルレアはガドから離れた。
「知ってたの……」
 ミルレアはへなりとその場に座り込んだ。
 老人がまたおーんと鳴く。
 グロックは、ポケットから三角の容器を差し出した。ガドはそれを受け取ると首筋に突き刺す。一瞬びくりと震えたあと、ゆっくりと息を吐き出して、首筋の血を拭った。
「アーマーは色々教えてくれる。君が本当は俺のことが好きな訳じゃないてことも知ってる。君と一緒に絨毯にのって逃げる途中に教えられた」
 アーマーには様々な情報が納められている。スレイは何を思ったか、ベータにはミルレアの情報も納めた。

 マクスは今回の戦闘で43.5人を殺していた。アーマーは一挙手一挙動全てに魔力を消費する。魔力を多く消費すれば高速で走ることすら可能なのである。
「入り口はまだ見つからないのか!」
 兜に埋め込まれた映像石版は隠れた敵も看破して教えてくれる。剣先から爆炎が放たれ、スコアを3のばした。
 そのときである。
『まっまっまマクスさまー』
 ドガーズが叫び声を上げた。そして右斜め前158メトに爆発が起きた。まるで天に向かってかぶりつくかのように噴き上がる爆発。大地が恐怖のあまり鳴動したかに見えた。しかしそれはマクス自身の揺れであった。
「出たか」
 マクスは唇をかみしめた。

 グロックは足下の、千切れ飛んで転がるドガーズの腕を踏みつけた。体を離れてもアーマーの魔力かまだ微かに動く。脇に立つミルレアがその様に息をのんで目をそらせずにいた。
「アーマーをたった一撃で屠りやがった」
 鎧の色から言って「皇帝の剣」の猛者だ。グロックは恐ろしい物を目覚めさせたのだと言う事実を、やっと認識した。トキの町は、「森の牙」は、もう再起不能である。ウィザーズドラック製造の機械も破壊され、それを操る魔導師も死んでしまった。
 大変な拾い物だった。
 瓦礫が吹き飛んでえぐられた大地の真ん中に「ベータ」は立っていた。紋章もカービングもない銀色のアーマー。あくまで試作品なのだ。

 ガドは貧しい役人の息子、それも三男坊だった。両親は食うに困ってガドを養子に出した。その先が名も無き剣の道場であった。その道場主は決して弱いわけではない。ただ、名声とかそう言う物に興味がなかったのだ。だが、生み出した技には執着した。妻もなく大した身よりもないその道場主は、代々伝わる名剣と引き替えに二歳のガドを養子に迎えた。ガドの両親は名剣をすぐさま金に換えた。
 アーマーの着脱は少々面倒である。順番があるし留め金がそこら中にあり、さらに魔力伝達管を間違えないように繋がなくてはならない。
 まずは足から付けて、次に胴。箱から取り出されたアーマーは不思議と軽い。これは軽量化の魔法がかけられているからである。崩れかかった遺跡の中に、かちゃりかちゃりと金属の触れあう音が響く。先ほどまでとはうって変わって、静まり返っている。「森の牙」はグロックを残して全員撃って出たらしい。退路をなんとしても見いだそうという苦肉の策だったのだが、何人もの兵士が肉塊に変えられた。逃げられた者はいるのだろうか。グロックは、ガドに籠手をはめてやりながら、同志達のことを思った。
「ミルレア、グロック。俺が兜を付けたらすぐにここから脱出してくれ。アーマーに精神を食われたら俺は暴走する」
 ベータには致命的欠陥があった。あまりに多くの命を吸ったためにその鎧に怨念が宿ってしまったのである。その怨念は、装着者の精神を喰い、その体を我が者にしようとしているのだ。最初の装着実験のとき、ガドは怨念との戦いにかろうじて耐えた。だが精神の一部は未だにその重圧から逃れられずにいる。「レッド」は命を吸ったが、古の神によって作り出されたとも言われる鎧には怨念など宿ることは出来なかった。
「もし俺がアーマーに食われたら、済まないがミルレアそのときは手伝えない」
 ミルレアは、唇をかんだ。
「ベータ」の装着実験が成功すれば、そのときガドとミルレアは逃げる手筈だった。ミルレアは、そのどさくさに紛れて復讐も果たすつもりでいた。
 ガドはミルレアと寝たとき、スレンを尊敬していると言った。ガドにしてみれば、それは社交辞令的な言葉だったのだが、ミルレアは本当の目的を話せなかった。
 ミルレアがとった行動は、ガドの耳元で「マクスなんかと結婚したくない……一緒に逃げて」と囁くことだった。
 だが結果は、何も知らないガドは怨念との戦いに勝利し、そのままミルレアをつれてその場を脱走。絨毯の上で気を失ったガドはアーマーに納められた情報によって、ミルレアの本当の目的を知った。
 ガドは、道場主に「この剣技は勇者の末裔にも勝てる」と言われ続けて育った。いつしかそれは勇者の末裔への一方的なライバル意識へと変わっていった。ガドは本当に勝てるのか? それだけを考えて、天覧試合に参加したのである。そのあとのことなんか考えてはいなかった。勇者に勝利する。それが彼にとって全てであった。
 天覧試合に出場するまで、じっと実力を隠し続けていた。
「グロック、アーマーが来てるはずだが、何色が来てた?」
 グロックは、金色らしい。レッドもいる……。耳に付けた、通信石から得た情報通り答えた。
「レッドがいる」
 ガドの無気力そうな瞳が、一瞬だけ鋭くグロックを射抜いた。

 スレイは何度も頷きながら「やはり実戦でないと良い情報は得られないな」と呟いた。水晶の中では「ベータ」が背中に据え付けられた対空魔法を発射して、一瞬のうちに「蒼天の鷲」を壊滅させているところが、映し出されている。
「のうエペ、ミルレアは愚かだとは思わぬか? 自分の出生の秘密などどうでも良いではないか。ミルレアは手に入れた子供の中でもっとも優れていた」
 スレイはエペに肩をもませている。エペは「確かに強力な魔力をお持ちでした」と言いつつ、揉む手に力を込めた。
 ミルレアの本当の名前は「ミルレア=フレッチ」と言う。彼女は農家の娘として生まれた。生まれて間もなく、その魔力を感じ取った、スレイはすぐさまその農家を襲撃、一家を皆殺しにして、ミルレアをさらったのである。ミルレアはその魔力故過去の記憶力も恐ろしいものがあり、スレイの殺戮行為を覚えていたのである。そして自分がミルレア=アンダーソンではなく、ミルレア=フレッチであることも。砕け散る父、燃え上がる母、祖母は粉になってその場に崩れ落ちた。母の炎は一瞬にして小さな家を火で包み、スレイは泣き叫ぶ自分を小脇に抱えて瞬間移動の魔術で城に帰った。
「宮廷魔術師になれば、どのような密技に耽ろうとも誰のとがめも受けることはない。何人もの命を犠牲に出来る。尊い犠牲としてだ!」
 スレイはエペの入れた茶をすすった。
「私が、お前のごときの企てを見抜けぬと思ってか」
 水晶の中では、6人目のアーマーがガドに屠られていた。銀色のアーマーは返り血を浴びて、薄赤く汚れている。金色のアーマーが全攻撃魔法を発射するが、全て「ベータ」剣の一閃で四散して消える。そのまま至近距離まで踏み込んで串刺し、白い光を放つ剣は、まるで装甲など無いかのように突き通る。そして魔力を剣から放出、血と臓物の雨の中を次の獲物を探す。暗い空気が明滅し、その度に命が散っていく。

 物陰からその様を伺っていたグロックはミルレアに
「逃げた方が良い」
 と言った。
 ミルレアは、暗視の眼鏡を覗き込んだまま首を横に振った。
「私はこの戦いを見なければいけない」
「たとえ死んでもか?」
 頷くミルレアを見つめながら、グロックは、ため息をついた。別にこの娘を放って逃げても良いのである。しかしそんなことは、彼のプライドが許さなかった。男なら誰でも保っている類のプライドである。「レッド」は何をしているのだろう。部下が全滅するのを待っているのか。
「怖いのよ、マクスは」
 グロックが疑問を口にする前に、ミルレアは鼻で笑った。「レッド」以外の残り三人のアーマーが「ベータ」を囲んだ。
 一斉に飛びかかる三人。前の二人は剣の一閃が襲い、後ろの一人は盾で殴り飛ばされた。次の瞬間「ベータ」はその場から消えて、そこには「レッド」が立っていた。三人を囮に上から攻撃する作戦だったのであるが、ガドはそれを見抜いていた。

 マクスは、兜の中でちっと舌打ちをした。そろそろ魔力が切れる頃だと踏んでいたのである。対空魔法の斉射はかなり大量の魔力を消費する。さらに、楽勝だったとはいえ、十一人のアーマーをたった一人で屠ったのである。それでもまだ動いているのだ。
「レッド」は、剣を構え直した。そして鋭い打ち込み。「レッド」の走ったあとの大地が割れる。「ベータ」はその剣を盾で弾くと剣を横一閃。しかしそこには「レッド」の姿はなく、既に先ほどの位置に戻っていた。
「ベータ」は剣を大地に突き刺した。「レッド」は瞬時に宙に浮き上がる。それを追う様に「ベータ」が剣を下から上に振り上げる。それと同時に地割れが走り、地割れから衝撃波が天に昇った。
「なっなんだとう!」
 衝撃波は宙に浮いた「レッド」を捕らえ、はね飛ばし大地にたたきつけた。
 マクスは全身の骨が軋む音を聞いた。折れたのも少なくはあるまい。だが、アーマーには回復魔法もセットされている。瞬く間に回復した「レッド」は、むっくりと立ち上がった。
「ベータ」は剣をだらりと垂らして立っていた。
 あの天覧試合のときもそうだった。ガドは剣をだらりと垂らし、構えようとしない。マクスは剣を構えてにじり寄る。虫を捕まえるように、ゆっくりとゆっくりと、ある一点まで来た瞬間、空気が凍り付いたように張りつめた。その瞬間マクスは稲妻のごとき鋭さで踏み込まれたのだ。敗北試合はそこから始まったのである。
 マクスは、その間合いを今でもはっきり覚えている。今度はそこまで一気に詰めた。が、「ベータ」は動かなかった。
 マクスは、アーマーに装備された魔力検知を「ベータ」にかけた。魔力はもう無かった。
 ミルレアもまた、魔力の枯渇を感じ取り、飛び出した。グロックはその動きについていけず、その場に踏みとどまってしまった。ミルレアは飛翔の魔法で一気に「ベータ」の前に立った。
 マクスは、鼻で笑うと「やっと出たな」と言った。
「ミルレア! 何のつもりだ? 一緒に斬って欲しいか」
 マクスは、全身に怒りがほとばしるのがわかった。
「私に妻など必要ない。なぜなら、このアーマーは魔力回復能力がある」
「レッド」には、魔力回復能力がある。そもそも魔力の宿った鎧であったためであると言われるが、本当のところは誰もわからない。
 ミルレアは吹き出した。
「何言ってるの? 私だってあんたなんか嫌いだった。初めてあったときからね。あんたのその目が嫌いだった。みんな、鋭く冷徹な目なんて言うけどあんたのその目は、飼い犬よ、それも家の中でぬくぬく暮らしてる。ガドは違う……ガドの目は、ガドは狼の様だった」
 マクスは、冷徹と言われた顔に憤怒が宿った。
 怒りは今や全身を支配していた。
 ゆっくりゆっくり、前に進んだ。獲物は逃げない。英雄の鎧「レッド」は、じりじりと間合いを詰めた。
 ミルレアは、「ベータ」の首に抱きついた。「ベータ」は返り血でどろどろに汚れ、ミルレアの服が汚れた。
「ガド……聞こえる? ごめんなさい。本当のことをもっと早く教えれば良かった……もしも、あなたが生き残ったら私の願いを叶えて。お願い……」
 マクスは、その様を憤怒の中で見つめていたが、ふと我に返った。ミルレアが何をしようとしているのか悟ったのである。
「よせ……死ぬぞ」
 マクスは、剣を垂らした。斬らないと言う証に。
「私はこの人の望みを叶える」
 マクスは一歩前に出た。
「よせ」
 ミルレアは、ほのかに暖かいアーマーの胸に額を付けた。ガドはこの中でどうなっているのだろうか……、ぴくりとも動かない。ミルレアは精神を集中した。普通アーマーの魔力補給は徐々に行う。そうしないと、とても魔術師の体が保たないからだ。一気に補給する事は、魔術師の寿命を縮める。「ベータ」クラスのアーマーならば並の術者の命を賭したところで、半分も補給できずに命を落とすだろう。
 ミルレアの体が輝きを放ち始めた。周囲がほのかに照らし出される。マクスは、先ほどの衝撃で映像がかすれている映像石版越しに、ミルレアを見守った。今斬れば全てが終わる。剣の柄を握り直した。今斬れば全てが終わる。右足がじりじりと前に出た。「レッド」が微かに震えている。何をためらっているのだ。今二人とも斬れば全て終わる。もうこの場で生きている者は自分と瓦礫の影で怯えている男だけだ。
 ゆっくりとゆっくりと、剣が持ち上げられていく。
 ミルレアは、兜の中で眠るガドにそっとくちづけをした。自分が広がっていく。自分が光の粒に分解されていく。マクスの映像石版が、光に包まれていく「ベータ」を映した。ミルレアが少しずつ光の粒子の中に溶けていく。「レッド」は持ち上げ掛けた剣を降ろした。ミルレアが消える。マクスは唇を噛んだ、血が出るほどに噛みしめた。ガド! お前はどこまで……この勇者を勇者マクス=レックス=ムンディを。
「レッド」に装備された攻撃魔法が一斉に撃ち出されようとしたしたそのとき。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
「ベータ」の兜が笑い声を響かせた。獣じみた、理性のタガがはずれた、そんな笑い声だった。

 スレイは、エペとともにじっと水晶を覗き込んでいた。
「封印を解いたな……」
 エペはゴクリとつばを飲み込むと、そうですねと茶をすすった。
「『レッド』が勝つか『ベータ』が勝つか」
 スレイは顎髭を撫でる。汗で湿っていた。「レッド」を越えることが彼の夢だった。
「レッド」が放った、幾筋もの光や、炎の弾、冷気の弾が一度ににベータを襲う。エペはその光から思わず目をそらした。スレイは目をそらそうとしない。
「怨念も『ベータ』が喰った。『ベータ』は全てを喰らい尽くす。そして笑う」

 壮絶な光の奔流が「ベータ」を中心に収束していく。笑い声は未だに響き、惨劇を包み続けた闇を震わせた。 マクスは、その笑いが自分を狂気に誘っているのを知った。魔力を放出し続けた。「ベータ」の声は消えない。自分の頭の中から響いているのかもしれない。とも思った。そう思ったとき、自分の体が宙に浮いた。
「レッド」がはね飛ばされて、大地に激突してそのまま石畳をえぐり、火花を散らしながら、滑る。やっとの事で停止したとき「レッド」は全身を痙攣させていた。マクスの感覚は混乱していた。暑いのか寒いのか痛いのか美味いのか不味いのか自分は一体どこにいて今はいつで自分はいくつでなんて名前でそもそも自分は……からだが遠い。エビのように跳ねるアーマー。大地にぶつかるたびに鈍い金属音が響く。回復が間に合わない。アーマーはほんの少しの力で強力な力を生み出せる。
 「レッド」の放出した魔力を吸収しはね返した『ベータ』は笑い声を響かせながら「レッド」を踏みつけ、そして剣を「レッド」の胸めがけて突き立てようと振り上げる。
 剣が振り下ろされ、大地に亀裂が走りその割れ目から衝撃波が吹き出す。しかし「ベータ」の足下には「レッド」は無かった「レッド」はその時空中に瞬間移動していたのだ。
「ベータ」は対空魔法を放ち「レッド」それをすれすれでかわし、錐もみ回転しながら「ベータ」ねらって降下する。「ベータ」は剣を突きだし、ちょうど剣先と剣先が衝突して「ベータ」の剣先の上で「レッド」が剣を軸に高速回転している。「ベータ」の笑い声が響く中、マクスは泣いていた。何もできないのだ。何をしてもかなわないのだ。自分に残された道は「死」のみ。かつての勇者が魔王を貫いた秘技を破られた。回転は止まらない。兜の中の涙は、流れない。やがて回転は収まり、くらりと傾いて落下した。
 マクスは、敗北感に打ちひしがれたまま、呟いた。
「もういい。殺せ」
「ベータ」は剣を振り上げた。

 少々あっけない終わりにスレイは、舌打ちをした。
「ま……成功は成功だったな」
 エペは伸びをして、茶を入れようと立ち上がった。
 決着は唐突であった。
 突如横から、飛び出したアーマーが、「レッド」にとどめを刺そうとする「ベータ」に攻撃を仕掛けた。「ベータ」はその場から動くことなく、剣を一閃そのアーマーを真っ二つに割った。だが、それにしても隙は隙であった。勇者マクス=レックス=ムンディはその隙をついて剣を「ベータ」の胸に深々と突き立てた。ベータはガシャリと両手を下げて、剣と盾を取り落とした。
「ベータ」が盾で殴り倒したアーマーの騎士は確かに即死した。だが、その身につけたアーマーは、すぐさま蘇生の魔法を開始し、完成させた。それが丁度マクスにとどめが刺されようとしているときだった。騎士に染みついた忠誠心は、本人の意思など半ば関係無しに「ベータ」に向かわせた。彼は別にそれを不思議と思わなかったし本望だった。
 スレイは、ほぼ自分の思い通りに事が運んだので、機嫌は悪くなかった。確かに、長い時間を掛けたベータが破壊されたのは残念ではあったが「ベータ」の能力は完全に「レッド」を凌駕したし、非常に有益な戦闘情報を手に入れられた。これでまた新たなアーマーが作り出せる。スレイは、また水晶玉に目を移した。
「ベータ」の中から、光の粒子が流れ出てくる。マクスは、剣から手を離し飛び退いた。もう体に傷は残っていない。マクスはその光の中に、ミルレアを見た。ミルレアはマクスを見つめて、微笑むと「勝った」と言った。
 その声は……ガド。ガドだった。
 マクスはその場に崩れ落ちて、大地を殴った。頭を抱えた。本当の敗北。
「ベータ」からあふれ出た光は、天を指して昇り何処へともなく飛び去った。「ベータ」はその場で砕け散ったが、ガドの死体も肉片も無かった。
 スレイは、その様を見たとき恐怖に震えてミルレアの名を呼んだ。嘲笑が消えた。エペはその様に思わず盆を取り落とした。しかし、落とした盆は床に触れることはなかった。

 帝国宮殿の半分が突如として飛来した光弾の直撃を受けて崩れ落ちた。その爆心地にいたスレイとエペは肉片すら残さず消え失せた。しかし、それは宮廷魔術師スレイの実験の事故として処理され帝国史にも「スレイの災禍」として記されることとなった。
 勇者マクス=レックス=ムンディは、ただ一人トキから凱旋し、宮殿の崩壊と言う緊急時にもかかわらず、その祝勝会は何時にも増して盛大に執り行われ、その席上で勇者は皇帝に対し、トキにおける戦闘を語った。「森の牙」は事もあろうに悪魔の呼び出しに耽り、その術は既に完成されていた。そして、自分以外の人間は、ミルレアもガドも「ベータ」も含めて、地獄の底から現れた悪魔に喰らい尽くされた。しかし激しい戦闘の末、「レッド」の剣はついに悪魔の心臓をえぐり、地獄の底に追い返した。マクスはそれを自慢するわけでもなく、淡々といつもの落ち着き払った顔のまま語った。
 真の勇者マクス=レックス=ムンディの誕生の瞬間であった。


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