「 梁山泊の夜はふけて・・・ 」


ひろりん


「ちょっとおーーーっ!ここに置いといた豆大福食べたの、かっちゃん!?」
狭い店内に、拗ねた様なアルトの声が響いた。
「あっ、ごめんごめん。残りもんだと思ってさ。
草大福ならまだ一個ありますよ」
かっちゃんと呼ばれた青年は、読んでいた本を閉じて声の主の方を向いた。
「それから、その本はまだ買い取ったばっかでチェックしてない奴だから、
勝手に読まないでよねー。ここに積んでおいた山から抜いた本でしょ?」
「すんませんね」
にこにこと笑う彼の横へ声の主、麗は奥の部屋から出て来ると腰を下ろした。

周りは天井までぎっしりと古本が詰まった本棚。
八畳くらいの広さであろうか。
真ん中のスペースに二、三人が座れる位の背もたれの無い木の椅子が三つ
コの字型に置かれて、真ん中に椅子と同じ位の高さの小さな座卓もある。
その上にはお皿と急須にポット、湯飲みがいくつか・・・

「はああ。ちょっと奥へ入った隙に、食われるとはなあ。豆、大福」
長い髪をかき上げ、ため息をつく。
「悪かったですってば。明日、差し入れしますって」
人の良さそうな彼は言った。
「ホント?わーい!」
「いつもの事でしょ。誰かが何かしら、差し入れした物がここにあって、
茶飲んで、本読んで、買ってく。ちょっとした喫茶店ですよね。
けど、こんなんで古本屋なんて、やってけるんスか?今時分」
「大きなお世話ー。物好きですから。
でなきゃ、こんな常連が菓子持ち寄りで、茶飲みながら長居できるような
空間、作ってませんて。」
「そりゃそうだ」
二人は顔を見合わせて笑った。
たぶん、彼女には別に本業があるのだろう。
儲かりそうもない古本屋で楽に食える筈はない。

「あっ、やべっ!配達行かなくちゃ。」
「サボってばっかいるんじゃないわよ、若旦那」
「やめてくださいよ、人聞きの悪い。オヤジに聞かれたら、絞られちまう。
あ、そうそう、吟醸の上手い奴入ったから、今度持ってきますね。
客に売る前にまず自分で試さないと。
仁さん達呼んで、また夜ここで一杯やりましょ」
「うん。その前に、大福ね」
「はいはい」

彼が出て行くと、麗は伸びをした。
「ふう。この山だけ片づけちゃおうかな。どれどれ」
奥の部屋といっても、六畳程の畳部屋との仕切りを閉め、カウンターに座る。
一冊手に取った時、からからと引き戸を空けて一人の女性が入ってくる。
きょろきょろと見回して身を滑り込ませる。
丁度麗は本に目を落としていたので、入って来た者とは目が合わなかった。
彼女は、本棚の影に体を隠すようにして、外の通りを伺っている。
やがて、ほっとしたように胸に手を当てた。
振り向いたその闖入者に、麗は微笑んだ。

「いらっしゃい」
「あ・・・わたし・・・」
「お時間あります?こちらいらして、かけません?」
麗はその女性に椅子を勧めた。
「甘いもの、大丈夫ですか?よろしかたらこれ、どうぞ」
「は・・・あ」
おずおずと彼女は歩み寄り、腰を下ろした。
「突然、ごめんなさいね。うち、こういう変な古本屋なの。
だから気楽にして。お茶いれるわね」
「はい・・・」
「本はお好き?」
「はい・・・時々読みます」
「そう。うちは古本だけど、新品同様のが入ったりするから、
安く買いたい時なんかは便利よ。よかったら、どうぞご贔屓に」
「はい」
最初は固くなっていた闖入者であったが、話しやすい麗につられ、
三十分も経つ頃には、スムーズに会話が進むようになっていた。
「ごちそうさまでした。また来ます。いろいろ話せて楽しかったです」
「良かった。またね。えと、ゆみさん、だっけ。」
「はい。ではまた」

ゆみ、というその女性が出るのと入れ違いに、一人の青年が入ってきた。
先ほどのかっちゃんという、真面目で実直そうな体育会系の青年とは逆に、
肩まである茶色の髪に軽くウエーブパーマをかけ、スリムでお洒落な
タイプである。
「あれ、仁さん。今日は休み?」
「ああ。ちょっと新宿と渋谷まで行ってきたら、なんか疲れちゃったよ。」
「情報収集?さすがねー、ブティックの店長は。」
「まあな。・・・ほら、これ。差し入れ。」
「わお、モロゾフのチーズケーキ@東横で買ってきたの?」
「ちょっと恥ずかしかったけど、まあ麗の為だしな。」
「サンキュ。かっちゃんが今度吟醸持って来てくれるって。」
「楽しみだな。・・・ところで、今の俺と入れ違いに出てった女性、新顔?」
「うん。誰かに追われてやり過ごすのに、ここに入った、って感じで。
なんか、ほっとけなくて、つい声かけちゃった。」
「悪い癖だぞ。すぐ人におせっかい焼いて。いつかなあ・・・」
「はいはい。でも、一人でも多くの人と知り合いになれるのって、楽しい
じゃない。」
「あんま、変な奴に関わらん方がいいと俺は思うけどね」
「変な人?彼女」
「うーーーん」
「あたしは、仁さんより人を見る目、有るのよ」
彼は笑って返事をしなかった。

それから、その、ゆみという女性はちょくちょく通って来るようになった。
麗にいろいろと話を聞いて貰いたがる。
彼女も人と話をするのは好きではあるが、ゆみとの場合はいつも聞き役に
なってしまう。
そして・・・・・その会話は、他の常連が来るまで延々と続く。
他の者が来るとゆみは帰ってしまい、決して他の人の話に加わろうとは
しない・・・・・

半月程経ったある日のこと。
「いいなあ・・・」
「え?」
「麗さんは、たくさんお友達がいて。私なんか、あんまり友達いないし」
「そ・・・そう?でも、友達って、自分から作ろうとしなきゃ、いつまで
経ってもできないわよ。
常連の皆に紹介しようとしても、ゆみさん、逃げちゃうし・・・・」
「麗さんは、奇麗だから・・・髪も長くてさらさらだし。スタイルもいいし。
だから、いろんな人が常連になって、いつもここは人がいて・・・」
「ははは・・・」
麗は苦笑いした。
まただ。
この頃、何かというと、そういう方向へ話がいく。
「でも、専門学校で、クラスメートとか一杯いるじゃない。
みんなでグループで、どこか遊びに行くとかさ。男の子達だって一緒に
連れていけば、気の合う彼氏の一人や二人・・・」
「でも私、美人じゃないし・・・服だってセンスないし・・・」
「そんなの、関係無いって。」
「でも・・・・いいんです、私なんか・・・」
「・・・・・・」
さすがに、麗はキレた。
毎回聞かされるこの会話。
いつもいつも口にする、『私なんか・・・・・』に。

「ちょっと、来て。」
ゆみの手を掴んで、店の外へ連れて行こうとする。
「ちわーっす。」
「あ、かっちゃん、丁度良かった。店番、頼むわね」
「え?ちょ、ちょっと、麗さん、どこへ?」
びっくりする彼を置き去りにし、麗はずんずんと先を進む。
ゆみも手を引っ張られて仕方なく後をついてくる。

「こんちわ。仁さんいる?」
「おう、麗か。どした?」
「今、暇?」
「ま、まあな。どうしたんだ?」
「あたしが店番してるから、ちょっと彼女にメイクしてあげてくれる?
仁さん、芸能人のメイクアップアーティストしてた事あるじゃない。
プロの腕でさ。その後、似合いそうな服、見繕うの。」
「・・・・わかった。ちょっと、バックルーム来てごらん」
ゆみの事を麗からたまに聞いていた彼は、すべてを聞かずとも応じた。
「えっ?えっ?」
あれよあれよという間に、ゆみはメイクをされ、麗が選んだ流行の服に
着替えさせられた。
「ほら、靴はこのパンプス履いて。ぐらぐらしない!
背筋、しゃんと伸ばして!すっと立つ!」
麗が隅々まで、ぴしっとチェックする。

鏡の前には・・もっさりして、いつもおどおどとした元のゆみとは
別人の様にすっきりした彼女の姿があった。
「ほら。ちゃんと髪をいじって、きっちりメイクして、それなりの格好
すれば、女なんて、誰だって奇麗になれるの」
「これ・・・私・・・?」
ゆみは、呆然と姿見を見つめる。
「あ、いらっしゃいませ」
他の客が入ってくる。
仕事に戻った仁に、ゆみは我に返る。
「あ、あの・・・これ、おいくらですか?」
「え?いいよ、そんな。試着しただけなんだから」
「いえ、買います」
服と靴のお金を支払うと、麗をその場に残して、そそくさと帰って行った。
「この・・・・おせっかいが」
呆然としている麗の横に来た仁がぼそっと呟く。
「だって・・・」
「あんまり、入れ込むなよ。お前の方がつらくなるぞ」
そう言って、接客に戻った。
麗は釈然としない気分で、自分の店に戻る。
「あ、麗さん、どーしちゃったんですか、一体。」
「ごめん、かっちゃん。ちょっとね」

数日後・・・・・ゆみがやってきた。
麗は、本の区分けなどの仕事を終え、閉店の札を掛けて
一息ついていた所だった。
「あ・・・ゆみさん。お久しぶりー。お茶飲む?」
「はい・・」
「どう?調子は。あの服無理に買わせたみたいでごめんね。」
「いえ。あれは自分も欲しくて買ったから・・・」
「じゃあ、おしゃれして、コンパとか行ってるんだ」
「いえ・・・・」
どうもはっきりしない。
「うちに最初入ったのも、コンパのメンバーが足りないから出てよ、って
いうしつこいクラスメートから逃げて、の事だったわよね。
せっかく・・・いろんな人との出会いがあるのに、勿体無いよ・・」
麗はため息をついた。
「私、いいんです・・・どうせ、人と上手くやれないし。
奇麗な格好したって、他にもっと奇麗な人は一杯いるし、比べられるの
嫌だし。どうせ、努力したって、たかが知れてるし。
私みたいな地味な女は、目立っちゃいけないんです。どうせ、私・・・」
ゆみは、うつむいて、いつまでも愚痴愚痴という。
「・・・・・いい加減にしなさいよ」
麗の、アルトの声がいっそう低くなった。

「え?」
「どうせ、どうせって・・あなたねえ、こないだの事でわかったでしょ?
いくらだって、磨けば、女なんて・・・・」
「だって・・それは、あそこのブティックの人にメイクしてもらったから。
私は、あんなに上手くメイクなんて、できないしー」
「やってみなくちゃわからないでしょ?」
「やってみなくたって、わかってるもん。私なんて・・」
「どうせとか、私なんて、・・・って言うの、止めなさい!」
ゆみはびくっと体を震わせる。
「外見いじるのが嫌なら、なんで、中身で勝負しようとしないの?
あなた自身の事でしょう?まだまだこれからじゃない。あなたの人生・・」
「れ・・麗さんみたいに、奇麗で友達たくさんいる人にはわかりません!
わ、私の気持ちなんて・・・・!」
「あなたの言い方借りるとね。あたしなんて、19、ハタチの頃なんか、
そりゃもう凄かったわよ。顔は太ってパンパンだし。物は知らないし。
失礼な奴だったし。勉強サボってばっかりだし。
でもね、ある日、ガツンと言ってくれる人がいて、目からウロコが・・・」
「いいです、もう!
どうして、そんなに、私に何かをさせようとするんですか!
何もしないでいるのが、そんなにいけない事ですか!?
もう、いや!」
ガタン!と立ち上がると、ゆみは半泣きしながら出て行く。

「・・・ありゃ、もう来ないな・・・」
ため息をついて、麗は湯飲みを片づけ始める。
「なんで前に進もうとしないんだろう・・あのままじゃ・・」
さらに深いため息をつく。
「ちわー!」
元気な声にがする。
入り口を振りかえると、大きなトランクを下げた女性が立っている。
「沙樹さん!いつ帰って来たの?」
「久しぶりー。今日成田に到着よ。お土産渡そうと思って、直行したの。
いやー参ったわ。今回撮影のスケジュールきつくってさあ。
見てよ、この日焼け。お肌がシミになっちゃうー」
「やだ・・・」
二人は顔を見合わせて笑った。
「ねえ・・沙樹さん、カメラマンで独立するのって、大変だった?」
「え?そりゃもー、当たり前じゃない。
どれだけ血を吐くような努力したと思ってるのさ。
今だって、常に勉強して、努力してなきゃ、置いてかれちゃうからね。
世の中、何もしないでオイシイ思いできるほど、甘くないわよ。
日々是精進。私の座右の銘だわね。・・・・でも、急に何?」
不思議そうに、麗の顔を覗き込む。
「う・・・ううん、何でも」
慌てて彼女は笑って誤魔化す。
「・・・そう。あ、これ、お土産」
それ以上突っ込もうとはせず、沙樹は話題を変えた。
「え?いいの?こんな高そうな・・・・」
「こないだ、カメラの本、探して持ってきてくれたお礼よ。
苦労したでしょ?
絶版になってる本だったもんね。
あ、かっちゃんたちには内緒。野郎共にはこのスケベトランプで十分・・」
「きーきーまーしーたーよー」
「げっ!かっちゃん、何時からそこに!」
「麗さん達とも前に飲んだ吟醸の追加持ってきたんだけど・・・
どうしよっかなーーーーーーーーー」
入り口で、酒瓶をぶらぶらさせて帰るそぶりをする。
「わー、お代官さまー、おねげーしますだよー」
「誰が御代官さまだって?」
ひょいとかっちゃんの後ろから仁が顔を出す。
「なんだ、生きてたんか、沙樹さん。」
「何ですって?」
「嘘嘘。ほらほら、かっちゃん、早くそれを御渡し申し上げてー」
「仁さん、形無しー」
げらげら笑いながら店に入ってくる。
「八木ちゃんと西さんも呼ぼうぜ。真美ちゃんは・・志郎とデートだから
駄目かな?涼一も呼んじまえ、麗」
「ちょっと仁さん、涼一はまだ高校生よ。」
「ジュースでも飲ませとけ。バイトの帰りでも顔出せってさ。
携帯に入れとけよ。
折角、沙樹さん帰ってきてんだから。」
「涼一クンは仁さんのお気に入りだもんねえ。今、電話してみますよ」
かっちゃんがからかう。
「グラス用意するね」

奥へ入った麗は、食器棚からグラスを取り出す。
ふと窓を見ると、羽虫がばたばたしているのに気がつく。
サッシを開けて逃がしてやろうとしても、一向に外へ出ようとしない。
ガラスの上の方で、何度も何度もそこにぶつかってばかりいる。
「麗」
いきなり声をかけられて、グラスを落としそうになった。
「びっくりしたあー。仁さん、脅かさないでよ」
「ごめんごめん。なんか手伝おうかと思ってさ」
「ありがと。じゃ、先にグラスだけお願い」
「おう。・・・・それからな、麗」
「何?」
「時代が、俺達の頃とは違うってのもある。
・・・・年は4、5歳しか違わないけどさ。」
「?」
「まあ、人にもよるけどな。高校生くらいで
涼一みたいに俺達に近い奴はまれだよ。
たいがいの奴は、
『自分の話は聞いてね。
でも、それについて意見はお断り。』だぞ」
「人によるんでしょ」
「ああ。だから、踏み込む所を間違えるな、って事だ。
幾つか、いろんなきっかけを作ったとしても、
本人が前向きで活用しない限り、それは
一歩間違えれば、ただの押し付けになる。
喫茶店でお互いがマンガ読んで、一言も会話してないのに
それをデートだと思ってたり、相手の話を聞かないで、
お互いが自分の言いたい事だけ喋ってて、
自分たちは会話をしてわかりあっていると
勘違いしてる連中に、お前のやり方は通用しないぜ」
「・・・・・」
「早くこっち来いよ」
「うん」
にっと笑って仁は戻っていった。

「・・・可哀相な事、しちゃったな・・・・」
ふっと呟いた所へ、彼女を呼ぶ声が響く。

麗は慌てて、つまみを揃えて持っていく。
グラスになみなみと酒を注いで、
皆が、彼女が来るのを待っている。
「カンパイしましょうよ、ね」
「何にだよ、かっちゃん」
「えーと、沙樹さんとの涙の再会を祝して・・・」
「なんだそりゃ」
「じゃあ、明日からまた始まる忙しい日々の為の気合入れ、ってとこかな」
「そうよ、仁さん。日々是精進。」
「カンパーイ!」
「カンパーイ!」

『あの羽虫、ちゃんと外へ出られたかな・・・』
麗は、ふとそんな事を考えていたが、皆のハイテンションにつられて
だんだん話に引き込まれてゆく。

後は三々五々、会話が途切れることなく続き、
そうして時間は過ぎていく・・・・
掛け替えのないものをきちんとそこに残しつつ・・・

いつかは、形や姿を変えていくかもしれないけど
人生においての、貴重な財産かもしれないそれは、
今、確かに、そこにある。

(終)


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