はっぱ「ひとときの缶詰」

 病院の真っ白い部屋で、女の子は本を読んでいた。手も足も口さえも動かない。唯一動かせるもの。それは目。耳で聞き、目で見る。これが女の子にできる精一杯の動作だった。女の子は体に負った病から外に出る事もできず、永遠にこの白い空間で夢を見ることしかできなかった。
 ベッドの上に固定された画面に見える本は女の子にとって退屈しのぎでしかなかった。本を読み終えると、女の子は外の景色に目をやった。眩しい陽射しが窓からそそがれる。太陽がてっぺんに上ったとき、唯一楽しい時間が訪れることを女の子は知っているのだ。
 コンコン・・・。
女の子の下に一人の男の子がやってきた。今年退院した男の子だった。男の子はいつも女の子の下へ来ては、病院の外で手に入る面白いものを持ってきてくれた。
「今日はね、すごいものを持ってきたんだよ。」
 男の子はこうして病院にやってきては女の子に自分の身の回りで起きたおもしろい出来事を語って聞かせた。女の子は聞くことしかできないが、それだけで満足だった。
「ほら、この缶詰!」
そう言って懐から一つの缶詰を取り出した。それはピンク色の鮮やかな模様が描かれた缶詰だった。女の子にはその模様が何を表しているのかわからなかったが、期待を膨らんだことに間違いなかった。
「この缶詰ね。缶切りがいらないんだよ。」
男の子はそう言うと、フタの部分を女の子に見せ付けた。見ると、フタの上にリングがついていた。男の子はリングに人差し指を入れ、それを引っ張った。
「ちょっと待っていてね。三分でできるから。」
 女の子は缶詰をじっとみつめた。しばらくすると、缶詰から一本の枝が生えてきた。やがて枝は茎になり、枝の部分を上へ上へと押し上げた。女の子は口を開け、呆然とその木を見つめた。パッパッとつぼみが開き、次々とピンク色の花を咲かせる。そこには、まぎれもなく桜の木があった。
「見ろ。きれいだろ。高かったんだよ、この缶詰。100円もしたんだから。」
 つぼみは次々と開いていく。瞬く間に手のひらサイズの小さな桜は満開になった。男の子は呆然と口を開ける女の子の布団の上にオレンジジュースとお菓子を置いた。
「ちょっと遅いけれど、お花見だよ。」
 女の子の目は笑っていた。男の子の愛情に、目の前のきれいな桜の木に。
 ところが、桜はまもなく散り始めた。ものすごい勢いで、それこそあっという間に枯れ始めた。女の子は止めようと目を追ったが手も足も動かなかった。桜の木に残った一枚の花びらも、ついに枝を離れた。女の子の目の前を花びらが通り過ぎると、女の子は地面に落ちた桜の花びらを見て、口を開いた。
「あ・・・あ。」
 男の子は女の子の顔を見ると、飛んで花びらを拾った。そして大声で看護婦さんを呼んだ。
「今、あ・・・あって言ったよね。声を出したよね。」
 看護婦さんは部屋の騒がしさに連れられ部屋にやってくると、床に散らばった桜の花びらを見て男の子を怒鳴りつけた。
「いけない、あなた、病院に何を持ち込んでいるの!」
 男の子はベッドの下に散らばった花びらなど目も暮れず、看護婦さんに言い続けた。
「しゃべったんだよ。今、あ・・・あってしゃべったんだよ!」
 看護婦さんはサッサと花びらを片付けると、窓を開いた。
「こんな花びら、どこから持ってきたのよ。」
 山が緑色に染まっている初夏の日のできごとだった。

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