篠宮恵美「桜の時」
 薄紅色の嵐の中、彼は立っていた。
 白く透き通るような肌に、輝くような金の髪がサラサラと揺れて、細く長い金の睫毛がそっと影を落とす。
 肩に、頭に、降り注ぐ花弁を拭うこともなく、桜の大木に身を預けたままそのまま消えてしまいそうだった。
「どうしたの?」
 彼はゆっくりと目を見開く。
 淡い空色。
 冷たく、薄い、硝子細工。
「……君こそ、どうしたの?」
 声は、やや低いボーイソプラノ。……旋律は風に乗って、その地を乱して、また元に戻る。彼は変わらない。
 周囲は、入学式が終わったばかりの新入生が溢れかえり、誰もが自分の居場所を探しているのに。
「うんっ。ちょっとねっ。キミが、あんまりキレイだったからさっ。ナンパしてみたっっ」
「……キレイ?僕、が……?」
「うん、とっても、キレイだよっっ」
「……」
「……どうしたの?」
「……なんでもないよ」
「ふーん。あっ。同じワッペン!!よかったあ。同じ同級生だあ。上級生だったら、どうしようかなあとちょっとドキドキだったんだ。あ、何組?同じクラスだともっと嬉しいなあ。こんなキレイな人が近くにいたら、高校生活、楽しくなりそうだもん」
 一気に喋ると、久美は、彼の顔を凝視した。
 よく見ると、彼の顔が白いのは生来のものばかりではなさそうだった。
 細い腕にも足にも筋肉らしきものはなく、骨が頼りなげにそれらを支えていた。
 久美は、手を伸ばして、その肩や頭にかかる花弁を振り払った。
「ダメだよっ。無精しちゃあ。こんな細っこい体で、ぼっとしてちゃ。……埋もれちゃうよっ?」
 彼は、久美の手に怯えたような表情をして、半歩退いたが、それ以上逃げようとはせず、なすがままになっていた。
 ……母親に付き添われて、同級生達は笑っていた。
 彼と久美は一人だった。
「……埋もれたかったんだ」
 彼は呟いた。
 鼠色の雲が、急に空を覆った。
 雨が降り始めた。
「……あっ。雨宿りしなくちゃ」
 久美は、聞かない振りをして、彼の隣に何気なく寄った。
 鞄を頭に乗せて走っていく生徒達。慌てて傘を開いて子どもを招き入れる母親。……それらを眺める自分がとても嫌な顔をしているのを久美は自覚していた。だから、肌に触れたら、離れようとした彼の腕を無理矢理掴んだ。
「……どうして、僕に構う?」
「友達だからっっ」
 笑う。
 久美が声をかける前から、ちらりちらりと彼のことを見ていた女の子達はもういなかった。二人だけだった。
 雨は、激しい勢いで何かに怒っているように、地面に叩きつけていく。
 近くにある門さえ遠くなっていく。
 木の恩恵から外れたブレザーとチェックのスカートが濡れて冷たくなった分、腕から伝わる温もりが暖かった。 
 彼は、変わらず桜色の絨毯が汚れるのを見ている。
 雀が一羽、目の前を掠めて、大空へと飛びったった。
 彼は、それでも空を見ない。
「……君は、僕が怖くないの?」
 静かに、彼は言った。人に回答を求めるというより、それだけで完結してしまうような、そんな口調だった。
「……僕の髪や瞳は他の人とは違うでしょ?……怖くないの?」
 彼の髪は、抜いても染めても出ない見事なブロンドで、瞳はカラーコンタクトよりずっと薄い色彩だった。
 そのことから、彼が幼少の時からどんな仕打ちを受けてきたのか久美にも、容易に想像できる。
(こんなにキレイなのに) 
 閉じた唇さえ笑みの形を作ったことのないように堅く強ばっていた。
「……名前!!」
「は?」
「名前聞いてなかった、教えてよ!!」
「え?」
「な・ま・え!!」
「た、高浜、陵だけど……」
「よし、陵ね!!覚えたよ!!……良い名前だねっ!!」
 ちなみに、私は鈴原久美ね、と付け足して前方を指さした。
 雨は、もう上がっていた。
 黒い雲が徐々に散って、陵の瞳と同じ色の上を白い雲が走っていく。
 交通事故でつい最近死んだ母親の遺体が焼け終わった時も、こんな風に晴れていったから、久美には場所がわかった。
「ほら、虹!!雨が上がるとね、虹が架かるんだよ」
 大丈夫だから、そんな願いを込めて彼の方を振り向いた。
「うん……。キレイだね」
 少し目を細めた陵が久美を見た。
 久美は、また笑う。


 陵の母親が、陵の瞳と髪のために浮気を疑われて自殺していたと聞くのはその後のこと……。


 後に、陵は同じ桜を見上げ言う。
「あの時、本当に君が天使に見えたんだよ。……コラ、そこ笑わないで!!……うん、だからね、これからは君は僕が守るよ」


 陵と久美は、つないだ掌を離さずに、未来へと歩いていく。

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