やかんとおかんの1999

萬忠太


大晦日の夜中は、虚しい物です。他の家ではどうだか知りませんが、少なくとも我が家の大晦日は虚しい。1999年の大晦日も虚しい物で、起きていたのは僕とおかんだけでした。おかんはベコベコのやかんを取り出して、湯を沸かしています。
「年越しそば、くうやろ」
 おかんと僕はいつも二人で年越しそばを食べます。他の家族は皆寝てしまうのです。近所のおばちゃんが不味いそばを打ってくれることもあったし、おかんがそば屋に注文しておくこともありました。でも今年はインスタントのカップ麺です。
「おかん。なんで年越しに、カップなんくわなあかんねん」
 テーブルの一隅に陣をしく、僕の抗議は通じませんでした……。「しょうがないやろ」と怒られました。1999はカップ麺で決定です。大掃除の後ですが、蛍光灯は変えませんでした。少々黒くなっている蛍光灯は薄暗く、新しい年を迎えると言うには少々物足りないのですが、夜中にインスタントを食べるには、何とも似つかわしく思えるのでした。チープな表現で申し訳ないですが、NHKの行く年来る年の境地です。ベコベコのやかんは、火にかけられました。微かな除夜の鐘の音。今年も終わるんだな。
「このやかん、婆ちゃんが嫁に来るときにもって来はったんやで。それ以来ずっと世の中を見守ったはるんや」
 古めかしい煤けたやかんは、もう許してくれと言っているような気がしてならないのですが、おかんはそんな情けのある人間ではなかったので、やかんは未だに現役でした。古い以外は取り柄のないやかんでしたがおかんの自慢の一品で、婆ちゃんが形見だと言ってくれた物なのだそうです。おかんの我が家のおかんたる証。僕はそう思っていたのですが、最近気が付きました。どうもそう言うわけではないようです。おかんはやかんを見るとき、道路の真ん中で、猫の死体を見たときのような、忌々しげな顔をするのです。
 1999も終わろうとしています。人類は滅亡するはずじゃなかった? 僕は、テーブルに入って来たおかんに、ちょっと聞いてみたくなりました。「人類生き残ってるやん?」と。おかんは「なにゆうてんの」とミカンを剥きはじめました。
 死んだらどうなるのか? これはいつまで経ってもわからない事です。いつかは誰でもわかることなんでしょうが。その時ああこうなるのかってわかるのでしょうか? 私はこうして生きていますが、死んでいった人々に「どうなったん」とは聞けないわけで、そう思うとなんだか不安で、なんだか待ち遠しい気分になってくるわけで……。こんなに待たせるなら、さっさと死んでみたい。
 そう思いましたが、自殺なんて……とてもとても出来ませんでした。痛いでしょうし……やりたいこともあったし。そう言う意味で1999は何というか、一種楽しみな年でした。
「人類滅亡せえへんのかなあ」
 再び吐いた僕の問いに、おかんは
「人間様はゴキブリみたいにそこら中に住んどるからなぁ」
 とミカンを口に放り込んで、薄皮を吐き出しました。それからちらりとやかんを振り返り「どうやろなぁ」と言いました。おかんは口元をゆがめました。口元の皺を見ながらおかんも年をとったと思いました。
 生物が種を維持するには最低三十匹は必要だと聞いたことがあります。人間様も三十匹いれば、滅亡はしないのでしょう。
 婆ちゃんは病院の枕元にまでやかんを持っていきました。婆ちゃんは、意識があるうちはおかんを見る度にやかんのことを言っていたのだそうです。やかんは我が家の主婦の証だ、と。そして、このやかんは世の中の全部を握っている、と。
 やかんが湯気を吐き出し始めました。除夜の鐘が聞こえます。もう何回鳴ったのでしょう。
「おかん。はよ火ぃ止めなふくで」
 おかんは「じゃんけんせへん」とめんどくさそうに、答えました。僕はパーでおかんはグー。「三回戦にせえへん」とおかんが言いましたが、やかんがふいたのでやめました。
 コンロが、湯気を噴いていました。おかんが「ちっ」と取っ手に触れられずにいるのを見ながら、僕は「いわんこっちゃない」と言って、ふきました。
「三分待ちぃや」
 と言ってテーブルの上に載せられた、インスタントそば。しかし僕は、すぐに蓋を剥がしました。一分だろうが三分だろうが大差ない。どうせインスタントです。
「せっかちやなぁ」
 というおかんを後目に、かき回し天ぷらを載せました。まだ十分に湯を吸っていない麺は強ばってなかなかほぐれませんでしたが、それでもお構いなしに、僕は蕎麦を食い始めました。おかんは待っています。
 麺を啜り込んでいると、除夜の鐘が聞こえました。つゆもなんだか、合成臭い後味です……まぁ当然か。と僕ははたと気が付きました。これはうどんだ! うどんじゃないかおかん。「おかん! これうどんやないけ」と言おうとした瞬間。
「あのやかんほるわ」
 おかんが突然切り出しました。
「えーなんで?」
「もうええねん」
 おかんは、蓋を開けてうどんを啜り始めました。僕は質問を思い出したので、箸を止めて言いました。
「おかん。なんでうどんなんや。なんでや」
 おかんは、目を伏せると「うどん? これは蕎麦や。蕎麦と言ったら蕎麦や。そうやろ? そうおもわへんか。両方とも細くて長いやんけ。とにかくやかんはほるんや……もうええんや。生きてようが死んでようが、うどんとそばくらいの違いしかあらへん」
 おかんは突然湯の入ったやかんを床にたたきつけました。湯気が部屋中を満たし、おかんがやかんを踏みつける音が除夜の鐘をうち消しました。
「なにすんねん!」
 部屋中に広がった湯気で、おかんの顔がよく見えませんでした。
「婆ちゃんな、やかん渡すときに言いよってん。これをほるとみんな死ぬって。婆ちゃんは馬鹿や。夢で見たって言うとった。だから大事にしよってん、こんなぼろやかん。でもなぁこのやかんはおかんのもんや、ほろうがどうしようが自由や! 婆ぁ!」
 僕は、はたと気が付いたのです。人間は死んだら人間じゃない物質になるだけだ。と言うことに。
「なるほど……」
 僕はうどんのつゆを飲みました。からい。舌がひりひりしました。もしももう人類が滅亡していたとしたら……。それはつまり人間が人間として存在していなくなった。つまり自分では気付かないうちに人間は、変化していたとしたら。人間が灰になったりやかんになったり。
 僕は除夜の鐘を聞きながら、自分の少々大胆な発想に吹き出しそうになりました。
「なぁおかん。これからやかんの葬式しょか」
「縁起悪いこというな」
 と言いながらもおかんは、やかんを拾い上げて鍋敷きに置きました。ベコベコのやかんは、申し訳なさそうにそこに座り込んでいました。
「なぁおかん、お経あげよか」
 おかんは、念仏を唱えました。般若心経がめんどくさかったのでしょう。おかんはやけにさっぱりした顔をしていました。母は、ベコベコのやかんをポコポコと木魚代わりに叩きながら「成仏しいや、婆ちゃん」と呟きました。
 


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