「オリジナル・サウンドトラック」
鳴海昌平
うたの出典:「アイム・ノット・イン・ラブ」 by 10CC
  アルバム「オリジナル・サウンドトラック」(マーキュリー)収録
or
アルバム「ミラー・ミラー」(カッティング・エッジ)収録
輸入版「The Original Soundtrack」(Mercury 830 776-2)
詳しくはhttp://www.aaz.mtci.ne.jp/~kazu-n/home.htmにて


 今、僕には付き合っている人がいる。付き合っているという言い方が正確なのかどうか、自分でも良く分からない。たぶん他人はそうじゃないと言うかもしれないけど。

 彼女の名は中嶋美紗。六つ年上の人だ。
 彼女は四月に我が校に赴任してきて僕の担任になった。若くて美人の中嶋先生は男子生徒の間でちょっとした話題になった。でも僕は違った。彼女の教科担当は英語の文法だった。僕は英語が苦手で特に文法はからっきしだったから、自分のクラスの先生がその担当だなんて困ったことになったと思った。

 一学期の中間テストで早くも赤点をとった僕は追試を受けることになった。赤点だったのはクラスで僕一人。中嶋先生は事前に出題傾向を教えてくれたけど、残念ながら僕は追試を通らなかった。
 期末も赤点だったら単位がもらえない。僕は必死で勉強した。が、毎時間ある小テストも芳しい成績とは言えなかった。
 このままじゃ高校で留年なんていう恥ずかしい事態に陥ると思い、意を決して先生に放課後に少し勉強を見てもらえないか頼んでみた。中嶋先生は劣等生の僕を心配してくれて「しょうがないわね、面倒を見るわ」
と返事してくれた。
 その日の放課後から個人教授が始まった。
 クラスメートからはやっかみ半分で「本当に勉強してるのかよ」とか「なんの勉強してんだよ」とか言われたりした。でも僕は気にしなかった。気にする余裕などなかったのだ。先生とマンツーマンで勉強してもさっぱり英文法って奴が頭に入ってこなかった。先生が、例文ををたくさん暗記していくのが一番だというので毎日三つずつ覚えていくことにした。最初は全然だったけど、例文を覚えたかいがあってかだんだん小テストの点は上がっていった。
 問題の期末テストの日。先生は友人のお葬式だということで学校を休んだ。僕は持てる力を出しきって試験に臨んだ。出来はまぁ大丈夫だろうって感じだった。
 それから一週間後、テストが返ってきた。どうにか赤点は取らずに済んだ。
 僕は放課後、中嶋先生にお礼を言おうと英語教官室に行った。教官室に入ると他の先生はいなかった。
「先生、どうもありがとう。おかげで留年せずに済んだよ」
 入り口に背を向けて座る先生に、僕は大声でそう言って自販機で買ってきた缶ジュースを差し出した。
 先生は少しごそごそしてから振り返った。なんだか目が赤かった。
「なんだ松田君か。脅かさないでよ」
「先生どうかしたの」
「どうもしないわ」
 そう言って中嶋先生は笑顔を浮かべた。でもなんだかいつもの笑顔じゃなかった。
「あの、これお礼」
 僕が差し出した缶ジュースをしばらく見つめてから、先生は今度はいたずらっぽく笑って言った。
「なんだか私も安く見られたものね。缶ジュース一本とはねぇ」
 今度は僕が困ったような顔をする番だった。
「まぁ今日のところはこれでいいわ。でも今度映画でもおごってね」
 映画か。それぐらいならなんとかなる。僕は安心して言った。
「じゃあ今度の日曜日にでも行こうか」
「そうね」
 僕らは日曜日に先週封切りになったばかりの恋愛映画を見に行こうと約束した。思えばこれが最初のデートだった。

日曜日の映画はイマイチだった。だいたい僕は恋愛映画よりも話題のSF大作の方が見たかったのだ。でもこれはお礼だからしょうがない。
「映画面白くなかった?」
 映画を見終わった後で入ったマクドナルドで中嶋先生が言った。
「なんでそう思うの」
「だって顔に、やっぱりスターウォーズの方が見たかったな、って書いてあるもの」
 僕はマックシェイクを一口すすってから
「そんなことないさ」
と言った。
 そんな僕を見ながら中嶋先生は少し笑ってから言った。
「じゃあお詫びに来週スターウォーズにつれてってあげる」
「え、本当」
「本当よ。今回の試験、がんばったご褒美」
「やったぁ。じゃあ約束だよ」
 そして翌週も僕らは二人で映画を見た。

 スターウォーズは最高だった。やっぱり映画はこうじゃなくちゃ。僕は映画の後で寄ったマクドナルドでスターウォーズの素晴らしさについてとうとうと語った。中嶋先生はそれを笑いながら聞いてくれた。
 別れ際、先生はぽつりと言った。
「松田君、ありがとう」
 何のことだか分からなかったが僕はそれに笑顔で応えた。

 すぐに夏休みがやってきた。僕は特に部活にも入っていなかったので暇だった。大人は夏休みがあっていいなと言うが、子供には暇はあってもお金がない。そんな訳で夏休みの前半は親戚の家の酒屋でバイトすることにした。暑い中、酒瓶を運ぶのはけっこう重労働だった。やっと約束の期間が終わってバイト代をもらうと、思ったよりも入っていた。翌日から僕の夏休みが本格的に始まった。

 夏休みもあと一週間を残すというところで唐突に中嶋先生から電話があった。
「映画、一緒に見に行かない?」
 ちょうど暇だったしまだお金もあったので行くことにした。でもこの時少しおかしいと思うべきだったのだ。
 見に行った映画はアクションものだった。
 派手な銃撃戦が終わってヒーローがタバコで一服するシーンで隣の様子が変だった。僕が先生を見るとなぜか彼女は泣いていた。
「どうしたの」
「ううん、なんでもない」
 なんでもないと彼女は言ったが、気になってそれから後のストーリーは全然頭に入ってこなかった。
 上映が終わって館内が明るくなった。僕は隣を見た。そこにはいつもの彼女がいた。

 マクドナルドでアイスコーヒーを飲みながら僕は彼女に聞いた。
「さっきはどうしたの」
「え、ああ、あの時のことね。別に気にしないで。あなたには関係ないから」
 なんだか突き放されたような気がした。そのせいでかえって彼女がなぜ泣いたのか理由を知りたくなった。でもなんて聞けばいいのか僕には分からなかった。
 その後は僕らは何も話さず駅に向かった。
 改札を抜ける前に彼女は言った。
「これからも時々こうして一緒に映画を見てくれる?」
 かなり唐突な気がしたが僕にはその誘いを断る理由がなかった。もしかするとこういうことを期待していたのかもしれない。
「別に構わないけど」
「ありがとう。それじゃあ」
 それだけ言うと彼女は改札の向こうに消えた。
 こうして僕ららは月に二、三回一緒に映画を見に行く仲になった。

 たまに彼女が映画館で泣くことを除けば、彼女とのデート(彼女はただ単に一緒に映画を見てるだけと言うかもしれないが)は楽しかった。彼女の見たい映画が必ずしも僕のそれでなくても気にならなくなった。彼女が見たい映画の時の方がそのあとの他愛のないおしゃべりが楽しかった。

 学校では今まで通り過ごした。放課後の個人レッスンもそのまま続けた。もうクラスメートも冷やかしたりしなかった。それに学校では先生は先生でしかなかった。

 ニューヨークを舞台にしたコメディ映画を見た後、いつものようにマクドナルドで彼女はこんな話をしてくれた。
「ニューヨークに行ったことがあるの。まぁパック旅行だったけどね」
 僕はコーラを飲みながら軽く相づちを打った。こうやって自分から話をする時の彼女の顔が好きだった。
「ハーレムって危ない町って思ってたけど今は違うの。市が再開発してすっごくきれいになってるし。だいたい景気がいいからニューヨークも治安がよくなったしね」
 楽しそうにニューヨーク旅行の話をする彼女を見ていたら僕もそういう思い出を共有したくなった。
「今度どこか一緒に行こうか」
「うーん、考えておくわ」
 彼女はさらりとそう言った。
 冗談として軽く受け流されたようで少し残念に思った。かわりに僕は前から聞きたかった質問を彼女にしてみた。
「どうして僕と映画を見るの」
「……こうして松田君といると嫌なこと忘れられそうな気がするの」
 今度は少し考えてから彼女は答えた。返事を考える間少しだけ表情を曇らせたように思えたが気のせいだろうか。

 秋が過ぎやがて冬になった。だんだん強くなる僕の思いとは比例せず二人の関係は進展しなかった。

 クリスマスの夜に三時間半の文芸超大作を見た後、いつもよりも遅くなった帰り道で思い切って僕は彼女を抱き寄せた。
「好きだ」
「止めて、松田君」
 すぐにそう言って彼女は僕の腕をすり抜け背を向けた。
「ごめんなさい。こうなるかもしれないとは分かっていたんだけど……」
「それじゃどうして僕と映画なんか見に行くにのさ」
 映画の中の大人のようには僕は振る舞えなかった。
「あなたは彼に似てるの」
「彼って?」
「今年の七月に交通事故で死んだわ」
 七月と言うと一学期の期末試験の頃だ。するとあのお葬式は彼の……。
「大好きだった」
 そう言って振り返った彼女の懐かしむような表情は僕には辛かった。
「大学入ってからはなんかそれまでの反動で身体鍛えることに熱中してたから似てないけど、高校時代の彼はあなたにすごく似てたの」
 そう言って遠くを見るような目で僕を見る彼女。僕を見ていてもその潤んだ瞳は僕を見ていないのだ。
「私は高校時代の屁理屈ばかりこねてた彼も好きなの。活発になった彼は私だけの物じゃなくなった気がして。高校時代こうして二人でよく映画を見に行ったわ」
 僕はなぜ彼女が映画の最中に泣いたりしたのかやっと分かった。でも分かったからといってそれでどうなるものでもなかった。
「僕が彼に似てるからつきあってるの? そんなんじゃだめだ。もっと前向きに生きなきゃ」
 僕はやりきれない思いを吐出すように言った。
「ごめんなさい。でももう少し待って」
と彼女は謝って足早に去って行った。
 僕は彼女のそんな後ろ姿を黙ってみていた。

 年が変わって三学期になった。中嶋先生のお蔭で僕の英文法も人並みになったので放課後の個人レッスンは取り止めになった。でも月二回のデートはまだ続いている。
 この学年も終わろうとしている。彼女はまだためらっている。それでも僕は待ち続ける。来年は三年生だ。卒業すれば事態に変化があるだろう。

 二年生最後のデートの時、僕は再び彼女を抱き寄せてみた。
 しばらくして
「ごめんなさい」
と彼女は僕から離れた。まだ死んだ彼氏のことが忘れないのか。なんだか少し悔しかった。でもそれはしょうがないことなのかも知れない。ただ一つ彼女がすぐに腕をすり抜けなかったことに希望を見出す僕だった。

                                      了


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