竹林院(幸村の妻)
竹林院(幸村の妻) ・・・夫幸村と共にあるいた流転の人生
姫6大谷刑部少輔吉継」の娘で、生年は不明。
幸村が大阪に出仕している折、幸村の器量を見定めた吉継の方からの話であったといわれる。 さすがは大谷吉継といったところであろうか。
その後、関ケ原の合戦の責を負って、夫幸村は昌幸と共に九度山に配流になるが、彼女もそれに従った。 竹林院は九度山で夫と苦労の中に暮らす傍ら、四女「あぐり」、長子「大助」、六女「菖蒲」、七女「かね」、次男「大八」を生んで育てた。

大阪入城の際は夫とは行動を共にせず、六女・七女の娘2人と共に九度山の隠れ家にとどまった(と思われる)。 竹林院は子の大助に、「生き長らえて逢いたいのは山々なれど、 かまえてその様には思わず、父幸村と生死をともにせよ」といって送り出している。 子を思いながらも、悲痛の決断がうかがえる。

大阪の陣12日後、竹林院は紀州伊都郡で浅野長晟に捕らえられた。 幸村入城と引き換えに秀頼から貰った「来国俊の脇差」と「黄金」を持っていたので幸村の妻と分かった。 命は助けられ、竹林院はその後、七女のかね夫婦と京都に住んだ。
後年は亡き夫を思いながら、比較的穏やかに過ごしていた様である。
そして慶安2年5月18日に、その生涯の幕を閉じた。
■法号は竹林院梅溪永春清大姉


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  竹林院を主人公にした小説があるでござる! ----- 「 真田幸村の妻 」   阿井景子著 (光文社文庫) 533円   (2004/01/10)
 
  竹林院と幸村の墓が、京都の竜安寺内大珠院にある。しかし参拝謝絶。   (2004/01/10)






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