鈴木主水重則
鈴木主水重則
武士19 古くから真田家に従属していた家臣で、沼田城の北西にある名胡桃城の城代を勤めた。 勤勉で実直な人柄で、真田家の家臣の中でも信望の厚い武将であった。
ところが、1589年鈴木主水を悲劇が襲った。例の名胡桃城事件である。 当時主水を補佐していた中山九郎兵衛の手引きによって、北条氏猪俣憲直の侵入を許してしまう。 それというのも、九郎兵衛が主水に「上田城からの呼出し」の偽の書状を渡し、 主水が上田に向かった所を見計らい北条勢を引き入れたからだ。 途中立ち寄った岩櫃城で矢沢頼綱に「謀叛」を注進され、慌てて引き返したが時すでに遅かった。 主水は頼綱から借りた手勢で一戦を交えようとしたがかなわず、 「たばかられたか・・・」といって正覚寺に入り、腹を切って果てた。
実はこの事件は裏が有ったのだが、主水の切腹までは昌幸にも予期できぬ悲劇であった。 現在もこの正覚寺には鈴木主水の墓がある。

★また、鈴木主水の子「右近忠重」は、真田信之の臣として終生よく此れに仕え、 信之が1658年に死去すると共に殉死するほどの主従だった。


  鈴木家  よろず情報  
 






戻る



Last up 2000/04/26
++ 鈴木家のよろず情報探してます ++