彦根城と龍潭寺 ・・・彦根の坂、突撃す。
2000年5月6日 彦根城と龍潭寺
 
 ++ あき殿と彦根遠征へ!のご報告です。 ++
■GWも終わりに近づいた6日、あき殿が東京帰還の日に彦根への遠征と相成りました(^^
あき殿は赤備え(井伊直政)の旗頭としてやはりはずせない土地でありますし、 私は彦根初体験なので、楽しみです!しかし、私の方は相変わらず事前知識なし(^^;  あき殿には色々お世話になるだろうなぁ〜。

枚方から、高速とばして1時間強で目的地彦根に到着です。
彦根は琵琶湖湖東の北よりに位置していて、中仙道の要衝の地。 北へ少し行くと賤ヶ岳、西へ少し行くと関ヶ原という 2度の天下分け目の合戦が行われた場所にも近いのは、果たして偶然だけ? 「近江を制するものは天下を制す」の言葉通り、なにやらただならぬ土地であることは間違いないかも・・・・。

 ・・・・とは言ってみても、思って別段構えてるわけもなく、着いてすぐ見た


「堀の中洲で休んでいた白鳥(?)と
    町中にたたずむ彦根城付きポスト」



などを見つけ、単純に彦根への期待を膨らませていたのでした(^−^

まず向かったのは、彦根城博物館
ここには、井伊家の様々な家宝が展示されています。(ただし、撮影禁止なので写真はありません・・)
「あ、結構写真で見たことのある品だ・・・」
一番目に付いたのが、左の挿絵の「井」の方の旗です。これが度迫力!!素晴らしい重厚感ですね。「そうか、この旗の下に戦ったのか・・・」  あき殿は写真を撮りたそうでした(^^;
次にU←の巨大なのが兜についた赤備えの甲冑が置いてあります。これは有名ですよね・・・。 彦根駅前の直政像もこの兜をかぶってるし。でもすごい綺麗でした<実戦で使った?
小一時間もいたでしょうか・・・その他にも「国宝彦根屏風(国宝)」や「能舞台」など多様でしたが、 私は屏風とかあまり知らないし(^^;それよりも、直政公の物の展示物は思ったより少なかったと思います。

ただ、出口に置いてあった本「近江歴史街道/近江戦国への道」(1,529円)には、つい手が出てしまいました(笑)


(これはGW(?)特別公開されていた馬屋の馬:実は作り物→)

ここでちょうどお昼時。お腹も空いてきたので、食事をとるために京橋を渡ってすぐにある 「夢京橋キャッスルロード」に向かいました。パンフレットによると小江戸情香漂う超人気スポットだそうです。 なかなか雰囲気があってよろしい町並み。

私達が入ったのは、このお店。店先の甲冑と「近江牛肉丼」の文字に惹かれてしまいました。 近江牛丼は、すき焼き丼みたいで美味しかったです(^^

お土産屋にもあった赤備えの甲冑!但し、レプリカ→
(ちなみに11月3日お城まつりに登場!)

《小江戸を模した夢京橋キャッスルロード》

■お腹も一杯になったところで、いよいよ登城です!
彦根城の坂→
彦根城は山城です。
天守にたどり着くまでには、坂を登らなければなりません。 「彦根の坂」は、 ・・・けっこうな坂でした(^^;
石階段があるのですが、この階段が中途半端に間隔が広かったり狭かったりしてバラバラなのです。 これは敵軍に攻められた時、容易に坂を登られないよう、わざとこうしてあるそうです。 なるほどね〜〜


しばらく登っていくと見えるのが、←天秤櫓です。
 
橋を挟んで左右対称の形をした櫓から、この名称がついたとの事。 この橋は戦時のときは重要な役割をもっており、したから登ってくる敵に 上部から矢や鉄砲を射掛けたり、攻め込まれたときは橋自体を切って落として侵攻を防いだりするそうです。 って看板に書いてありました ・・・ん?彦根城って攻められた事あったっけ?  ・・・左の写真が下からの撮影、ぐるっと回り込んで右の写真がその橋です。 ちなみにこの天秤櫓、国の重要文化財です(^^

途中、葵三代展をやっていました。
葵に使われた甲冑や兜、着物などを展示してました。これも期間限定みたいです。

<これはその中に置いてあった関ヶ原ゲーム
部隊名がピカッと光ると、そのまったく同じ部隊のボタンを押すという単純なものです。
あき殿と奥方は「所領安堵、お咎めなし」だったのに、 拙者は2回やって2回とも「領地没収のうえ遠島配流」でした(;;  ・・・ということは、私ゃ、宇喜多秀家か?

これも重文の「太鼓櫓」

さて、いよいよ頂上です。
「いやー、さすが山城。眺めが良いですなぁ〜〜」

□写真左:山頂より琵琶湖湖畔方面を眺む
□写真中:山頂より彦根駅方面を眺む
□写真右:山頂より佐和山城方面を眺む
(中央の山が石田三成の居城であった佐和山城址です。意外と近かった?)

山頂は南北に細長い形になっており、天守閣の他に西の丸などがあり、その間には広場がありました。 きっと有事の時には、戦仕度をしてここに集合したんだろうなぁ。

「いや〜、疲れたね」
ここまで結構歩きっぱなしでしかも登り坂だったので、頂上に着いたときは「ほっ」とした安堵感が流れました。

「いよいよ後は天守に登るだけか・・・」

しかし・・・
上の自販機でジュースを買い、喉を癒しているときにその異変は起こりました。

■又五郎、突撃す(笑)
「あれ?雷かな・・」確かにそれはそう聞こえたものでした。
ドーンという鈍い重低音が突然鳴ったのです。暫くすると2度目のまたドーンという鈍い音が・・・。 なんだなんだ?とあき殿と顔を見合わせていると、あき殿の奥方が「ひょっとして鉄砲隊の音と違う?」と 非常に鋭い一言をおっしゃいます。そういえば、登る前に門のところで「鉄砲隊の演武」と書いた看板を もったお兄さんがうろうろしてました。日にちも何も書いてなかったので、てっきり片付けているものと思っていたが、もしや・・・

私たちは頂上からあたりを見回します。すると・・・

「いたぁーーー」

←あんなところに・・・・・・・・・

あっけにとられる私達をあざけ笑うように、3発目・4発目の重低音が城を包みこみます・・。 「どうする??」顔を見合わせた私達ですが、この山頂まで登ってくるのに結構疲れてます。 今走っていっても間に合うかどうか分かりません。これが天守に登った後なら降りてそのまま帰れますが、 まだ天守にも登っていません。
「もうむりかなぁ・・」そんな感じがした時、私の頭の中で何かがはじけました(笑)
「行くだけ行ったらぁ〜」このことです。あき殿にしばしの時間をいただき、「必ずやご期待に添える結果を持ち帰りまする!!」とことわって、 脱兎のごとく駆け出した私がそこにいました(^^;

「彦根城で合戦があったなら、一番槍は私がいただく」

心の中でそう繰り返しつぶやきながら、まさにその気で彦根の坂を猛烈な勢いで一気に駆け下りると・・・
そこには、あと数回の砲演を残した赤備えの一隊がいました。「よかった」(^^

それではいってみましょう!!「つるべ打ちー(違うなぁ^^;)、撃てーーー」

あき殿、しっかりと砲撃の図、撮りましたぞ〜〜
(しかし、すごい音だなこりゃ)
まさに雷の音のようだ・・・。
『今回のお気に入り写真 vol.1』→


実演が終わったあとは、簡単な写真撮影会がありました。

「ここが火をつける場所です。よく『戦いの火蓋を切る』とか言いますが、 その火蓋とは火縄銃のここの部分です」と説明している赤備えの人。

その人の腰のあたりをよく見てみると・・・
あ、六文銭のポーチ(違うだろ^^;)だ!彦根の井伊の赤備え隊の人がなぜ六文銭を? これはひょっとして私も知らない隠された繋がりがあるのか・・・そうなのか? と、推測する事10分。

「あー、これね。これ前に松代の鉄砲隊(おそらく松代の真田鉄砲隊)の方と交流したときに頂いたんよ」
と、あっけない答えでした。なんだ、そうだったのね(^^
★私は再度、あき殿の待つ山頂へ登っていき、事の次第の報告と相成りました。


《 彦根城の天守閣 》
 
と、天守の中、天井に使われていた梁。 自然の形を生かしたのか、かなりうねっていました。天守はそう大きくないのですが、 こじんまりといい感じでした。 その天守を出て山を降り、次に行ったのが玄宮園。あき殿によるとここから見える彦根城が「いい!」との事でした。 で、何気なく撮った1枚がこれ。 →
『今回のお気に入り写真 vol.2』
本当、デジカメでびっくりするほど深みのある写真撮れてました。
(お暇な方クリックしてみてください)
彦根城 ・・・本当に良い城でした(^^

■さて、人でごった返していた彦根城下をはなれ、次に行ったのが龍潭寺。 彦根城とは対照的に、GW中だというのにひっそりしています。
龍潭寺は、先ほど山頂から見た佐和山の麓にあるお寺で、彦根藩主井伊家の菩提寺でありますが、 かの佐和山城主「石田三成公」のゆかりの寺としても有名です。
しかもこのお寺、「方丈南園」という素晴らしい庭園があり、 山の麓の涼やかな風がとてもいい感じで吹いています!
庭園を眺めながら「ほっ」


そういう、お寺としても非常に趣のあるところなんですが・・・・
私達が行ったときは、もう一つ!なんと普段公開していないあのお宝が、 特別公開されていたのでした!

□右 : 井伊直政公と井伊直孝公の掛け軸
□中 : 石田三成公の掛け軸(そうあの有名な絵の本物です!)
□左 : 安国寺恵瓊の肖像画
 
□1番左 : 赤備えの甲冑

特に「石田三成公」の掛け軸、見れてよかった。思わず見入ってしまいました。 GWだけ(?)の特別公開みたいだったので、本当にラッキーでした(^^  佐和山城は時間の都合で(+体力の都合で)登れませんでしたが、次回来たときはぜひ登りたいっす。


《 龍潭寺と敷地内にひっそりと鎮座する三成公の像 》


《 龍潭寺の横にある清涼寺 》
井伊家の菩提寺であるが、
その前は島左近の屋敷があったとされている。


もっと時間があれば、まだまだ見たいものはあったのだけど、そろそろ帰還の時間。
少し残念ながらも、最後に「木村重成公」の首塚がある宗安寺に向かう。

なぜ、木村重成の墓が彦根にあるのかというと・・・
大阪夏の陣で木村重成の一隊と戦ったのは、井伊直孝の軍。その中の安藤長三郎が 重成の首を討ったとされている。安藤は傍らにあった薄の葉に包んでこれを持ち返り、 自らの墓所(安藤家)の横に五輪の塔を建ててまつり、後世に残した。 このようないきさつで、彦根井伊藩にその墓があるんですね。

(写真は左から)
□宗安寺
□血染めの薄 ・・・重成公の首を包んでいた薄を転植し続け、現在にいたる
□重成公の首塚 ・・・安藤家の墓所の横にあります

改めて木村重成公に合掌

■彦根総括(えらそうですが単なる感想です^^;)

前からあき殿に彦根遠征、誘われていながら、私の方は彦根城と井伊直政ぐらいの知識しかなく、 よもや彦根があんな事になっていようとは・・・・。 とにかく面白かったのは、GWという理由もあるのだろうけど、彦根(および琵琶湖湖畔の戦国ロード<売り出し文句?)が 戦国〜江戸にかけての城下町としての町を大切にしていこうという地元の人の意欲の賜物かな。 ま、立派に(いい方向に)観光地化されていると思った私でした。



あき殿とは、彦根駅で別れ帰途についたのでした。
「あ〜〜、面白かった!」


『 多分、今まで見た中で一番かっこよかった武将像・井伊直政の像 』→
(彦根駅前にて撮影)


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Last up 2000/05/17
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