その4 〜関ヶ原合戦絵巻2000 in 関ヶ原町(1)



朝が来た。--------注:再び戦闘モード(笑)
決戦のの朝だ。時計を見るとまだ6時過ぎ。予定より早く目覚めたようだ・・。

あたりを見回す。8日早朝の関ヶ原は、どんよりと曇っていていた。
「史実なら霧なんだけど・・・」しかし、このどんよりと曇った空は400年前のあの時に似ている(と思う^^;)。なんか、いい感じだ。でも雨が降るとちょっと厄介だな・・。関西では今日の午後から雨だと聞いてるから、雲の流れが少し早いと行軍中に降るかもしれない。しかし、気を揉んでも仕方あるまい。
(後部座席で車中泊→)
「うーん・・・」
車を降りて、ひとつ大きく伸びをする。さすがにシュラフで車中泊は結構辛い。体が強張っている。

しかし、その疲れもなんだか心地よい、爽やかな朝だった。昨日は気づかなかったが、同じような車が何台かとまっていた。「この人たちも武者行列に参加する人たちだろうか?」関ヶ原駅がすぐそばにあった。私は朝のすがすがしい空気の中、あたりをぶらついてみる事にした。さっそくデジカメを手に決戦の朝の風景を撮る。



《上段左から・・》
□笹尾山方向を望む (石田三成布陣)
□松尾山方向を望む (小早川秀秋布陣)
□南宮山方向を望む (毛利秀元布陣)

《下段》
□駐車場横の道に立つ幟の列
「こうしてみると、毛利は遠いね。あんな所にいたらなにもわからないだろうな・・」
実際に見てあらためて思う、南宮山の遠さ。しかし今日は毛利隊・吉川隊はその南宮山の麓、垂井の近くに布陣するらしい・・。


駐車場の真横に東首塚があった。

「うーん、寝てた真横に首塚があったとは(^^;・・・」
戦後、この首塚で死者の霊を弔ったらしい。東とあるからには、東軍の戦死者か?中にはその時から奉られている木や、五輪の塔、そして死者の首を洗い清めた「首洗いの井戸」などがあった。

中のトイレで顔を洗った。冷たい水が気持ちいい。
「東があるなら西もあるな」一通り見たので、車に戻ることにする。

道を横切る時、首塚の真横にあった家の犬が不思議そうにこちらを見ていたので、撮ってあげた。「首塚の横によくお住まいで・・・」そっと話しかける。
車に乗り、今度は西首塚に向かう。

西首塚は東首塚と違って、国道21号の往来激しい幹線道路のわきに作られていた。やはり西軍は敗軍なのであろうか・・・。東首塚と比べると、なんとなく控えめな小さな首塚に見えた。
奥行きはそんなになく、中には「史跡 関ヶ原古戦場西首塚」と書いた石碑と小さなお堂が2つ並んでいるだけだった。

朝早くからおばあちゃんが来ていて、手を合わせていた。「ならば・・」と又五郎もこの地で亡くなった西軍の兵へ黙祷を捧げる。

「しかし、この塚に井伊の旗が見えるのは納得いかんなぁ・・」
そう思いつつも、時間もないのでさっそく着付け場所である関ヶ原中学に向かう事にした。






「靴を脱いで、こちらで受け付けして下さ〜い」
中学の体育館についた。いよいよ出陣へ向けての準備が始まろうとしている。受付にできていた列の多くは、友達や家族での参加らしい。楽しそうに話している。今回はLonlyWolf(笑)な又五郎だったが、ここで気後れするわけにはいかない。ささっと受付を済まして、受付の横にあった武将カード(シール)の戸田隊を束でひっつかんで(笑)、いよいよ戸田隊が着付けをする体育館の一番奥へ向かった。

《着付け会場の様子》
左から・・
「大谷吉勝隊の着付け&並べてあった槍」
「着付け終わって談笑する宇喜多隊女衆」
「なにやら集まって話を聞く大谷吉継隊」

すでに着付けは始まっていた。もう半分以上の人は、着付けがおおよそ済んでいる。案の定、私が最後のほうだと気づく(笑)。
急いで戸田隊のところへ行くと、まだ未着衣の衣装がきちんとたたんで並べられていた。

『西軍 戸田重政隊 7番 槍衆
   つぼや又五郎(仮名:笑)様 (男)』

と書かれた札が貼ってある衣装を見つける。「おおっ、これを着て進軍するのだな」かなり感動する。羽織袴は青色だ。今回は部隊によって色んな色に分けられていたのだが、至極まともそうな色だったのでほっとする。刀もちゃんとある。 ・・・しばらく見とれていると、着付け係の人がやってきて、「それでは着てみましょうか」といよいよ着付けが始まった。羽織・袴・脛当て・小手・胴・草鞋と順番に着けていった。刀も差した。最後に陣笠をかぶって出来上がりだ。あちこち縛られるので、結構苦しい。しかし、大将がらしき人がつけている本物の鎧は、これの何倍も重いのだろう。
(戸田公との撮影!足軽と違って大将の鎧が重そう→)

「えー、出陣は11:00過ぎぐらいから、移動になります。それまでここで待機していてください」
げっ、まだ9:30なのに・・・後、2時間近くもあるのか・・。「トイレは済ましておいて下さい。この衣装ではなかなかできません。行軍中どうしても我慢できなくなったら、股のところ切ります」・・・おい、そういう事は着付ける前に言え(笑)。しかしなんとかする方法を発見し、この問題は一応の解決を見た。

この足軽の格好では、あぐらをかいて座るのも結構苦しかった。きっと本当の合戦ってかなり辛い。こうやって待機してるだけでも士気が衰えていく感じがする。これで雨降った野外でじっとその時を待つのだから・・・その陣営の士気を鼓舞する為に、太鼓打ったり、酒飲んだり、大将からの言葉をかけるなど、各部隊は気を使ったんだろう。 ・・・じっとしていては士気が萎える。よし!


←その時間を利用して、写真を撮る又五郎。
 これは宇喜多隊から借りた鉄砲です。

そうこうしている内に、あき殿、甚八殿のNETの皆さんが駆けつけてくて、少し話す。気分が一気に和んだ。


あき殿、甚八殿とは「では、後ほど布陣場所で」と一旦別れ、しばらくボーッとしていると、昼食が配られた。『家康の鷹狩おむすび』と書いてある。出陣前にこんなもの食えるかーー!(笑)とは思ってみたものの、やはり腹が減っては戦はできぬ(^^;中身はおむすび3個といった簡単なものだったが、これがめちゃめちゃ美味い!特に「焼き味噌おにぎり」が抜群だ。鎧で縛られてあまり食欲もなかったが、すべて食べてしまった(^^

(昼食。ハンバーグ弁当でなくてよかった→)

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さて、他の戸田隊の人たちとであるが・・・
初対面で少し気恥ずかしかったが、「こんにちは」と話しかけてみる。

「あ、こんにちは」とむこうの人も小声で言う。「今日はどちらから?」「あ、私は大阪です」「あ、同じですね」「私は埼玉から」そしてどうやら大将の方は「兵庫県」から来ているらしい。「お一人で?」「ええ一人です」「あ、私も」なんだ、そうだったのか。どうやら一人なのは私だけではなかったようだ。実は戸田隊は、1組の夫婦の方を除いてLonlyWolfの集まりだったのである!「今日はよろしくお願いします」大将が「こちらこそ」と静かにいう。戸田総勢10名の隊。全員が初対面であったが、へたに有名武将の大部隊や縁の団体の中に入るより、こっちの方が全然いい。なんかとてもいい雰囲気だ。

「お待たせしました。只今よりバスで布陣場所に移動して頂きます」向こうの方で出陣をつげる声がした。
「では、行きましょう」戸田隊の面々も動き出す。足取りが急に軽やかになった。

この大将とこの隊の元でなら・・・ 2日間楽しく戦えそうである。




 2000年10月7日 〜 10月9日
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