その5 〜関ヶ原合戦絵巻2000 in 関ヶ原町(2)



戸田隊は大谷・木下隊らと皆でバスに乗り込み、布陣場所を目指す。布陣場所は松尾山の北側、国道21号線から少し入った民家の前にあった。松尾山と若宮八幡のある小山に挟まれて結構圧迫感があるが、中山道の押さえとして重要な場所だ。ここには、他に平塚為広・大谷吉継・大谷吉勝・木下頼継らの隊が布陣する事になっている。今では遮蔽物が多く立っているからなのだろうが、ここからでは目の前に松尾山が見える以外は、戦局を伺う事はできなかった。田んぼと民家が並んでいるだけだったが・・・

「ここに布陣して、ふんばっていたのか・・」史実どうりなので、実際400年前に戸田隊は大谷吉継らといっしょにここに布陣したのだ。小説などでそのシーンは幾度も読んだ事はあったが、あらためてその場に立ってみると新たな感慨が襲ってくる。あの山から小早川、それに呼応して赤座・小川・朽木などが突撃してきたときには、たとえ予期していたとはいえ、かなりの衝撃が走っただろう。「もはやこれまで・・」吉継が意を決したその時の様子が少しばかり慮られた。


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「それでは、ここで行進と殺陣の練習をします」
どうやら我々戸田隊の剣術指南役のお姉さんらしい人が、皆を集合させる。「えっと、槍の持ち方はこうです。絵巻2000の時は、この構えで待機していただく事がほとんどとなります」

この中腰の構えが、やってみるとかなり辛いとの事。
(その槍の構えを訓練をする隣の平塚隊→)

「そして、戸田隊・平塚隊は行進の途中、路上で戦っていただく事になります」えっ?どうやら絵巻以外にも戦闘パフォーマンスがあるらしい。実はその事は今知ったのであるが、これはチャンスだ!戦うのは槍隊の面々。これはぜひ一番槍を頂戴しなければ(笑)。

(説明を聞く戸田隊の面々→)

一通りの殺陣のやり方を伝授されて、又しばしの休息をしていると・・・。
NETで知り合った方々が、次々と陣中見舞いに訪れてくれた!それは、初対面の方や、予定外(失礼^^;)の方、同府の噂の方(笑)まで・・・お会いできて、大変楽しいひとときとなった(^^ 甚八っつぁんは、ビデオカメラまで構えて撮影してくれるという・・。これで気合はいらない方がおかしい!皆さん、お会いできて嬉しかったです!

←これは、葵殿から送っていただいた布陣中の又五郎の様子。( photo by 葵殿 )
少し緊張気味なのが伺える?


 ←甚八殿から送っていただいた又五郎。( photo by 甚八殿 )
 顔UPなので、小さくなった(笑)あいすまぬ(^^;


それでは・・・  これが無事布陣を終えた戸田隊の一枚である!
ううむ、何回見直しても素晴らしい1枚じゃ!葵殿、かたじけなし(^^

■■ 戸田重政隊 ■■
大将 戸田重政公
馬印持ち 1名
軍旗持ち 2名
槍隊 6名
( photo by 葵殿 )

そうこうしているうちに・・・ いつのまにか民家からは多数の人が出てきて、このパフォーマンスを見守っていた。子供が寄ってきた。「戸田重政・・・覚えておいてくれよ」そう願いながら、武将カードを渡してあげる。それがなんだか気分がいい。400年前も故郷を出るとき、おそらく領民はこうやって送ってくれたのだろう・・。

結局、又五郎の布陣パフォーマンスは、結局少しの絵巻の説明や訓練と、大部分の陣中見舞いの皆さんとの楽しいひとときとで過ぎていった。



「それではそろそろ出発しますよ〜」
向こうの方で、声がした。戸田隊・平塚隊・大谷隊らの各隊がいっせいに立ち上がる。
各部隊からそれぞれ鬨の声が上がる。それがちょうど平成12年10月8日午後1時の事だ。

「それでは只今より出陣する。エイ、エイ、オーーーーー」
戸田隊からも鬨の声が上がった。


かくして・・・ 戸田重政隊は決戦の地へ向けて進軍を開始したのであった。





 2000年10月7日 〜 10月9日
++ 関ヶ原合戦400年祭 参加レポ その5 ++