その6 〜関ヶ原合戦絵巻2000 in 関ヶ原町(3)



午後1時、史実どうりに関ヶ原町の各陣所にちらばっていた各部隊が、いっせいに笹尾山をめざして行軍を開始する 『 全軍武者行列 』 が始まった。

--------注:解説モード(笑)
進軍ルートは以下の地図の通りであるが、西軍は、小西行長の陣所跡(西)に一旦集合し、東軍は、床几場:家康最後の本陣跡(東)に一旦集合して、最終決戦地である笹尾山(決)に向かう。しかしその中で「山内・有馬・池田・浅野」は、途中(大体家康公のいたあたり)まで進軍し、バスに乗車(笑)。垂井町組もバスで笹尾山に移動する事になっている。ま、史実もこれらの部隊は、最後まで動きがなっかたので、仕方ないといえば仕方ないのだが、ちょっと可哀相な気も(^^;。それに比べて、家康の進軍ルートは、国道21号を通行止めにしての部隊数70人の堂々の行進だ。恵まれている・・。

■布陣場所と進軍ルート


さて、我が戸田隊の通るルートであるが・・・ まず21号線沿いに東へ進軍し、そこから北へと転進して小西行長の布陣場所(西軍集結の場)を目指すものとなった。同行する隊は、前に「平塚為広隊」後ろに「木下頼継」「大谷吉勝隊」「大谷吉継隊」の4隊。道は民家道路・山道・畦道など。進軍時間は約1時間といったところか。

ここで注目していただきたい事がある!それは、戸田隊が東へ向かって進軍し、ちょうど北へ曲がるとこらへん。すぐ横を、福島・藤堂・京極らの行軍ルートが接近するあたり・・ そう!ここでどうやら何かが起こるようなのだ(笑)。

■ちなみにこのスペシャルイベント・・・ 当日はここ以外でも、4つ行われていた!紹介すると・・・
 ・宇喜多 VS 福島 (南天満あたりで遭遇戦、合戦パフォーマンス)
 ・石田三成 (笹尾山にて大砲・鉄砲を撃つ、射撃パフォーマンス)
 ・徳川家康 (進軍途中、松尾山に向けて発砲、射撃パフォーマンス)
 ・島津義弘 (出陣に際して太鼓を打ち鳴らす、出陣パフォーマンス)

結局、合戦パフィーマンスをするのは、全体のごく一部だけである。うーむ、私はその辺の事知らずに戸田隊に入ったのだが、これは嬉しい誤算だ。こうなれば藤堂・京極隊粉砕あるのみ!

ゆるゆると進む戸田隊。そして、いよいよその時が迫ってきた。

--------注:解説モード終了。
--------注:ついに超戦闘モード突入。






日の当たらない林の中を、静かにゆっくりと隊列は進む。
時折降る雨が、風雲急を告げている。
林を抜けゆっくりと民家の角を曲がると、前方になにやら動く一団が目に入った。

「ん?あれは・・・」

向こうに見えるは黒地に白の波の旗・・・ 見覚えがある。
「福島正則だ」
「その前衛に控えるのは、藤堂・京極隊だ」
そう!ついに・・・敵部隊が姿をあらわしたのだ!

「のこのこと出てきやがったな!」
急にわけわかんない言葉が頭をよぎった。自然と槍を握った手に力がこもっている。
な、なんだ?このノリは??これは本当に俺か・・・・!?
それまでは普通だったのに、結構やばい自分が顔を出してる?(笑)


両軍の進軍が止まった。  ・・・と、突然音楽が鳴り出す。

『ちゃらら〜 ちゃらちゃらら〜〜』張り詰めていた緊張が一瞬開放する。
そのとってつけたような音楽が、信長の野望で敵と遭遇した時の音楽とダブって、思わず吹き出しそうになる。
どうやら決戦の音楽で盛り上げるつもりだったのだろうが、私のツボに入ってしまったようだ(^^


大将同士の「口上」が始まる。

『そこに見えるは藤堂高虎、京極高知の一隊とお見受けする』 『そういうお主は・・・』

こんな感じで大将の言い合いが続くが、あまり耳に届いていなかった。
そう再び、超戦闘モードに突入していたのだ!

どうやら話し合いは、決裂に終わったらしい・・・。
『えーい、もはやこれまでだ。槍隊前へ!』大将の声が響いた。
敵の槍隊の背旗が揺れながらこっちへ近づいてくるのを見て・・・
体の中のアドレナリンが、一気に噴出してるのが分かる。

「こ、これはどうしたことだ??」抑えきれぬ衝動に、思わず苦笑する。
しかし苦笑しながらも、「蹴散らしてやる!」こんな言葉が、頭の中をぐるぐる回っている(笑)。


その時の写真がこれ。→
( photo by 甚八殿 )

きゃー、目がいってる(笑)とてもUPにはできない(^^;

「藤堂・京極ごときに遅れをとる戸田隊ではないわ!!!」
なぜなんだ?わからん・・。本当にわからん・・・。この気持ちはなんだ??
俺は本当に400年前にトリップしてしまったのか?
『 突撃の図 』 ( photo by 甚八殿 )
「今こそ400年前の無念、晴らしてくれよう!」
恋をしている乙女のように・・・ そんな言葉も今なら素直に言えるよね(^−^b(笑)。

『突撃〜』
再び大将の声が響いた。

「うおおおおおおっっ!」
確かにそう叫んでいたような気がした(笑)。前からも京極の兵が突撃してくる。中央で交差する事2回。そこで槍を交えてつばぜり合いをした後、後ろ足でさっと引き下がる。
もう一度突撃の合図が下った。

うおおおっ!・・・・・・

こうして・・・私の初陣は、無我夢中のうちに終わった。
後にこれを撮影してくれた根津氏はこう語る。
「つぼさん、目がマジでしたよ」
注:先頭(笑)
おおっ!そんな事ぐらいは右の写真を見れば一目瞭然だ(笑)。
恐ろしいぐらいに突撃している自分がいる・・・。
おまえはいったい誰なんだぁぁぁぁぁっっ(自爆)


しかし、おかげで無事、一番槍はつけれたかな!うん。 一生思い出に残る初陣であった事にも変わりないよね!うん。
とりあえず、めでたし!めでたし!






無事、藤堂・京極隊を切り抜けた戸田隊は、西軍集結地である小西行長陣所跡に向かう。 そこには、続々と西軍の精鋭が集まってきていた。 「宇喜多秀家」「島津義弘」「小西行長」名だたる武将が一堂に会すと、それはそれで迫力である。ここでしばらく休憩をとっていると、又しても新たなNETの皆さんとお会いする事ができた。 今回の出陣は、1人で寂しく・・・なんて思ってもいたが、全然そんな事はなかった。 私以外にも参戦している方がいたりして・・相手してくれた皆さん、かたじけない。

ふたたび進軍の合図が下った。
西軍の諸将が次々に出発する。決戦の地まで、田んぼの真中の道を進軍していく。


 《上段左から》
 ■輿にのって登場! 『 大谷吉継 』
 ■大部隊を率いて 『 宇喜多秀家 』
 ■道を聞く?(笑) 『 明石全登 』

 《下段左から》
 ■決戦前のひととき 『 石田三成 』
 ■黒もじゃ馬印(笑) 『 島津義弘 』

     ( photo by 甚八殿、きしきし殿 )

その時の模様である。
今回はおっかけ撮影できなかったので(苦笑)、皆様よりの暖かいお写真の提供が嬉しいです。
きしきし殿、甚八殿、ありがとうございます。



さて、祭りはいよいよクライマックスへと突入する・・・。




 2000年10月7日 〜 10月9日
++ 関ヶ原合戦400年祭 参加レポ その6 ++