![]() | ■その7 〜関ヶ原合戦絵巻2000 in 関ヶ原町(4) |
![]() 決戦の地 、 関ヶ原小学校は、5万5千の観衆で埋め尽くされていた(注:水増し^^;)。 「それでは只今より、諸隊の入場でございます。まずは西軍から入場していただきます」 会場のアナウンスと共に、順次各部隊がその中に入場していく。グランドに入場なんて中学校の運動会以来だ・・。「まずは、西軍石田三成が侍大将、『 島左近 』率いる一隊千名。敵からは「鬼の左近」と恐れられ〜 」「おおっ〜」大観衆が沸いている。さすが人気の島左近隊。それから 『 蒲生郷舎 』 『 島津義弘・豊久 』 『 小西行長 』 『 宇喜多秀家 』『 小西行長 』 の諸隊が続く。 --------------- いよいよ戸田隊の出番だ。 ■ナレーション 『 続いて平塚為広隊、戸田重政隊、あわせて900名。秀吉の馬廻り役から出世したという平塚為広は、小牧長久手の戦い、小田原の役に従って功をあげ、美濃の国垂井1万2000石を与えられました。関ヶ原の戦いに先立って、大谷吉継の使者として佐和山に赴き、石田三成を説得したものの納れられず、死を決してこの関ヶ原に来たのです。戸田重政ははじめ丹羽長秀・長重親子につかえていましたが、のち秀吉につかえ、越前足羽郡安居城主として1万石を領し、さらに伏見城の普請に功あって1万石を加増されました 』 (原文通り) 気合を入れて入場すると、そこには大観衆の視線が待っていた。 さすがに島左近の「それ」ほどではないだろう・・。しかし、所々で小さく拍手をしてくれる人がいる。名は通っていなくても、関ヶ原での勇戦を少しでも知ってくれている人がいたことに・・・、無性に嬉しくなる又五郎。「殿、聞こえてますか。400年経った今でも、殿は人々に愛されていましたぞ!」又しても忠臣モードに突入する(笑)。軽く手を振ってその拍手に応えたかったが、今は行進中。私一人が統率を乱すわけにはいかない。 所定の位置につくと、全部隊が入場し終えるまでの間、中腰で槍を構えていなければならなかった。この体勢が結構つらい・・。よく言われるところの「槍衾」を作ったときの状態だろうか?さっきから足が痺れだしている。なっ、、これはいかん。これではいざという時に突撃できないではないか。 そうこうしているうちに、全部隊が入場し終わった。 いよいよ合戦絵巻2000が始まろうとしている。 琵琶が流れ、太鼓の音が鳴った。 (ナレ) 『 今を去ること400年前、時は慶長五年九月十五日の朝、ここ関ヶ原は一面の霧でございました・・・・ 』 ![]() むむっ!きたねいよいよ。絵巻本番が。 あらためて敵陣を見ると、結構距離が近い(というか、グランドが狭い^^;)。我が今日戦う相手は、前方に位置する京極隊だ。先ほどの決着をつけてやる!そして横を見ると、松尾山(台)の上には小早川秀秋の姿も見える。 唯一こっそり撮った<おい「戸田隊から見た小早川秀秋」→ 「きさんが突撃してきたら、槍先を転じてそっ首討ち取ってやる!」 と、一応心の中で叫ぶ(笑)。 すると・・・ あちらでどうやら何か起こったようだ。 (ナレ) 『 この日東軍の先鋒は、豊臣恩顧の大名「福島正則」と決まっておりました。徳川直臣の連中はこれが気に入らない 』 ![]() おっ、どうやらもめているようだ。わーい、もっとやれ。もっとやれ(笑)。 ←井伊隊と福島隊の先陣争い。( photo by 葵殿 ) 「おっ!あれは・・・」 背中に笹の刺さった奴がいる。可児才蔵、討ち取った首に笹をつけて目印とした、通称「笹の才蔵」だ。なんか井伊直政と言い合ってるぞ。なかなかカッコよろしい!直政は例のあのUの字の大兜だ。これもカッコよろしい!西軍好きな人でも、このあたりの人はなかなか人気あるんではないでしょうか? ■ちなみにこの「可児才蔵」みたいな特別武将は他に何人かいて、 宇喜多隊の 「 明石全登 」 「 宮本武蔵 」 小早川隊の 「 松野主馬 」 「 平岡頼勝 」 「 稲葉正成 」 大谷隊の 「 湯浅五助 」 島津隊の 「 長寿院盛淳 」 黒田隊の 「 後藤又兵衛 」 などがそうである。私は可児と明石と五助しか見れなかった。武蔵と又兵衛・・・ 見たかった。 ぼーっとその光景を眺めていると・・・ (ナレ) 『 〜渋々通しました。しかしこれが真っ赤な偽りだったのです。そうか赤備えだから真っ赤であたりまえか!(^−^; 』 ・・・・・・・すべった。 おい、台本作家。よくも神聖な「赤備え」を寒ギャグに使いやがったな!語り手も恥ずかしそうに読んでいたじゃないか(笑)。 場面は次の舞台へと進む。 抜駆けした井伊の赤備え隊が鉄砲を放った。「だだん、だだだん」横一列で放った鉄砲の音が校庭に響き渡る。 その後ろから福島隊の鉄砲が火を噴いたのに対して、まけじと宇喜多鉄砲隊も応戦の射撃をおこなう。「負けるな!宇・喜・多!」 (ナレ) 『 福島隊の一斉射撃と時を同じくして、丸山、笹尾山、北天満山から相次いで狼煙があがり攻撃の合図が発せられて、一瞬のうちに〜 』 どうやら、本格的に戦が始まったようだ。戸田隊はまだ自陣でじっとしている。 (ナレ) 『 東軍各部隊の石田隊攻撃は果敢をきわめました。これを迎え撃つ石田隊もよく奮戦。中でも島左近の戦いぶりは群を抜いてました 』 目の前では、「 島左近 」 と 「 黒田長政 」 がやりあっていた。猛将・島左近は黒田隊をさんざんにおし込んだが、一発の銃弾に倒れる。すると、今度は勢いづいた黒田勢が石田三成の本陣に襲いかかろうとしていた。その時・・・ 「バホーーン」「バホーーン」 いきなり、真横で石田三成隊の大砲が炸裂した。 (ナレ) 『 石田隊がひそかに運びこんでいた秘密兵器「大筒」が火を噴いて、またもや形成逆転です 』 おーい、ナレーション。先に入れてくれ。いきなりの炸裂で、かなりビビッたぞ(^^;;; (ナレ) 『 両軍が布陣を終えたのはわずか2時間前。まして霧のなかのことでございますから、敵がどこにいるのか、兵力がどれくらいなのか、誰もわかっていない。こうなったら目の前の敵を叩くしかないわけです 』 ![]() さあ、いよいよ戦う時がきた。 いままで中腰の体勢で槍衾をつくっていた体の節々が、悲鳴をあげている。しかしここでひるんでは、先ほど拍手をくれた観衆に申し訳がたたぬ。なんせ戸田隊vs京極隊は、バックスタンドの1番前で戦う事になっているのだ! 戸田隊はじわりと前進すると、前方の京極隊と戦いを開始した。 「先だっての決着を、今こそつけてやる!」 槍合わせが続く。さっきからあっちこっちで戦いが始まっているようだ。演技指導役の武者の方々が忙しそうに走り回っている。京極隊の中に刀武者の人がいた。動きが超機敏だ。足が小刻みに前後左右よく動く。「さすが演技指導役」しばしやり取りを楽しむ。 ←その時の様子。後ろに戸田公が控えている。( 2枚とも photo by 葵殿 ) ![]() 桃配山に布陣していた家康が前進してきた。グランドが狭いので、もう戸田隊とは目と鼻の先だ(笑)。「くっ、のこのこでてきやがったな!もしお江ならこのチャンスは逃すまいが・・(苦笑)」残念ながらその計画は「外伝・関ヶ原武者行列」で果たす事にしよう。 京極隊とは結局勝負がつかぬまま・・・ いよいよ例の事態が勃発した。 家康の鉄砲隊が松尾山に向けて鉄砲を撃ちかけた。 (ナレ) 『 殿、徳川隊、福島隊の鉄砲隊が、この松尾山に向けて発砲しております。おそらくは誘いの鉄砲であろうと思われまする 』 (小早川秀秋) 『 進め!目指すは大谷刑部の陣なるぞ! 』 小早川、赤座、朽木などの隊が一斉に前に押し出してきた。 「ひけーっ!ひけーーっ!」 重政公の下知がとんだ。戸田隊は京極・小早川に挟撃された形になった。 「無念だが仕方あるまい・・」戸田隊の面々は、後ろ足に退却を開始する。 いよいよ最後のときを向かえようとしていた。 しかしここで、思わぬ事態が起こる。小早川の襲撃をかわし、大谷隊の付近まで退却してきたときの事である。予定では「吉継公自害の後、討死して地面に寝転がってくださいね」剣術指南役のお姉さんは、確かにそう教えてくれていた。しかし、大谷陣付近まで退却して中腰の体勢をとって槍を構えなおしたとき、「戸田隊の人、早く死んでー!死んでー!」と横から別のお兄さんが叫んでいるのだ。「えっ?今死ぬの?予定と違うんじゃ・・・」そう思った。思ってはみたが・・・ 進行係の人なので言う事をきかない訳にはいかない。 ![]() ごろん。 中腰からそのまま後ろにひっくり返った。 なんか・・・ 変だ。 観客の笑い声も聞こえる。 「いやだー!俺はもっとカッコよく討死したかったのにーー(笑)」 ・・・zzZ (しかしこの体勢、最高だ・・・。冷たい土が気持ちい。あ、小早川の人が周りをうろうろしている・・。槍ちょっと動かしてつっついちゃおうかなー。忍法死んだふり。今までしんどかっただけに睡魔が襲ってくるよー。中央のほうが騒がしくなってきた。最後の島津突撃に入ったようだね。見てみたいけど、死人が首動かしちゃだめだよね。頑張れ島津!陰ながら応援してるよ。あ、眠っ・・・) 甚八殿、これが見事に死人を演じきった又五郎の真相です(笑)。( photo by 甚八殿 ) ■それでは死んでしまった又五郎に代わって(笑)、甚八殿が撮ってくれた映像でおくる・・・ 『 大谷吉継公 無念の自刃 』 --------注:「吉継」FANへのプレゼントモード(笑) (ナレ) 『 大谷吉継のもとに伝令が走ります。「殿、平塚因幡守殿討死でござる」 』 (吉継) 『 なに、為広殿が!先ほど敵の首に短冊を添えて届けてきたというのに・・・さてはあれが辞世の句であったか。 ・・・五助はおるか。 』 (五助) 『 これにおりまする 』 (吉継) 『 ただいまの因幡守の歌。今一度聞かせてくれい 』 (五助) 『 はっ。 ・・・名のために 捨つる命は 惜しからじ ついにとまらぬ 浮世と思へば・・・ 』 (吉継) 『 為広殿! 』 (ナレ) 『 そこへまたもやご注進です。「殿、戸田武蔵守殿、織田有楽の小倅めに討ち取られましてござる」 』 ![]() (吉継) 『 そうか、わかった。 ・・・五助 』 (五助) 『 はっ 』 (吉継) 『 この戦、これまでと見た。腹を切る。介錯頼む 』 (五助) 『 殿! 』 (吉継) 『 よいか。わしの首を落としたなら、敵に奪われぬようこの羽織にくるんで、田圃に埋めるのじゃ。わかったな 』 (五助) 『 はいっ 』 (吉継) 『 裏切り者の小早川の陣はどちらだ 』 (五助) 『 此の方かと存じます 』 (吉継) 『 おのれ、小倅め、貴様は人の面をして心はけだものだ。三年の間に必ず祟ってやるぞ! 』 ← 小刀を振りかぶる吉継公。( photo by 甚八殿 ) ![]() (足軽) 『 殿ぉっーーー! 』 いっせいに吉継公の周りを囲む大谷隊の面々 → これを最後に大谷吉継は、自刃して果てました。これでたちまち戦況は一変したのです。小西行長、宇喜多秀家が相次いで戦線を離脱し、孤立無援になっても最後まで勇猛果敢に戦っていた石田三成も、「もはや策なし。落ち延びて再起を期さん」とわずかな兵をつれて北国街道へ落ちのびていきます。こうして関ヶ原は、最後に残った島津の突撃を待つばかりへとなっていたのでした・・・。 ■もう一つ!真田FANに贈る・・・衝撃の映像? --------注:「真田」FANへのプレゼントモード(笑) ![]() ← これは、葵殿が捉えた衝撃の映像「関ヶ原に真田赤備え出現?」の図です。 な、なぜ関ヶ原に真田軍が・・・。昌幸公は、秀忠軍迎撃だけではもの足りない事を直感していたのだろうか。これは隠された真実発覚か?<「真田軍は関ヶ原にいた」 なんて本当は鉄砲演武で協力していた真田鉄砲隊の皆さんです。もちろん又五郎は後日この事を知りました。だったんですね〜。そういえば他の戸田隊の方と話をしていて、「関ヶ原もどうせやるならスケールでかくして、全国でやったらいいのに」という話になった時、「なら私は間違いなく上田城に立てこもる!」と宣言して、しっかり真田党ということがばれてしまいました。その場合、秀忠軍だけにはなりたくないよな(山中迷走)ということだけは、満場一致(笑)。 しかし、真田の赤備えはかっこいいね! 2015年大坂の陣400周年記念、たのみまっせ>大阪府(^^ --------------- 最後のナレーションが入る。 (ナレ) 『 この戦いの勝利によって家康は、日本全国の知行高の三割近くを手にします。それを諸大名に分け与えることによって、家康は諸大名の上に君臨し、関ヶ原合戦から三年後の慶長八年、征夷大将軍に任ぜられました。以後二百五十年にわたる江戸時代の泰平は、ここ関ヶ原で築かれたといっていいでしょう・・・ 』 これにて絵巻2000の全行程が終わりを告げた。 最後に全軍であげた勝鬨が会場に響く。「エイ!エイ!オーーーッ!」 同時にあがった花火が関ヶ原の空に消えていった。 |
2000年10月7日 〜 10月9日 | ++ 関ヶ原合戦400年祭 参加レポ その7 ++ |