![]() | ■その9 〜大垣城東西武者行列 |
![]() 関ヶ原中学では、昨日と同じ顔ぶれが楽しげに出陣を待っていた。 「雨になりましたねぇ」 朝から降り続いている雨は・・・、しかしここにきて、幾ぶん小降りになったようだ。 ![]() この草鞋・・・足の指が底面からはみ出してるんで、地面が濡れているとすぐびしょびしょになりそうだ。 最初つけたときは、「こんなんで歩けるんかいな?」と思ったほど、そこが薄い。いや、薄いんではないのだろうけど、地面の凸凹がダイレクトに足裏に伝わってくる感じだ。「昔の人はこれで東海道を踏破したのか?凄いね。小石とかふんずけたら痛いだろうなぁ・・」 ・・・とまあ思ってたんですが、しかしいざ歩いて見ると、これが実に歩きやすい!これは以外でした。地面からの衝撃は確かにあるのだが、何よりも軽い事がすべてに勝ってます。さくさく軽快に歩けました(^^ ![]() (刀を抜く又五郎→)
今日は陣笠のかわりに、白のハチマキで出陣するみたいである。この格好も今日が最後なので、色々写真を撮る又五郎。 どうやら刀がもの凄く気に入ったらしい(笑)。 パチン・・パチン・・ 刀をおさめる時の音が聞きたくて、無用に刀を動かす。刀身部分が木?に銀紙を貼った模造刀ではあるが、その他の部分はしっかり作ってある。重量もかなりあった。欲しい・・・(笑)。ちなみに私が刀を使ったもっとも気に入った動作は、あぐらをかいて座り腰から刀を抜いて前に置く一連の動作です。やりながら自己陶酔してました。<おい(^^; 「そういえば、今日の岐阜新聞の1面にカラーで写真がでてましたね」 戸田隊の方が言う。え?1面に?しまった!夕方でも買えるかな・・・(これについては後ほど) --------------- 色々やっているうちに、出陣の時間となった。 大垣まではバスで移動だ。外に出ると雨は殆ど止んでいた。まさにこの行列の為に神が止めてくれたとしか思えないタイミングの良さ。バスの最後席にぶんどり、大垣までの間大将と別れの杯をかわす・・いや会話を楽しんだ。 ![]() 大垣につくと、他の部隊も続々と到着していた。 周りを見渡す。やはり関ヶ原町と違い、大垣は都会だ。槍をバスから下ろして、背旗をくくり準備をしていると、通りすがりの人が珍しそうに見ている。 おもわず・・・ 『 にやり 』 としてしまう(笑)。 ビルの谷間で武者行列。このコントラストがたまらないらしい(笑)。しかし考えたら馬揃えなどは、要するに都市の中心部で「どうだ!凄いでしょ?ぼくたち(^−^」ってやってたようなもんだから、今も昔も武者ってのは目立ちたいものなのだ(笑)。 まず西軍集結の場所で入場行進が行われた。ま、いうなればこれは夕飯前のたこ焼きみたいなものだろう(謎)。一応順番に並んで入場したのだが、観客もそんなに多くなく、入場して指定場所に来ると、みんな隊列を乱してばらばらに入り乱れてしまった。「それでは、ここでしばらく休憩していただきます」お弁当が配られる。期待した『鷹狩おむすび』でなかったのが至極残念だ・・・(;; ![]() ![]() ![]() これがその時の様子でござる! ■上段右が、配られたお弁当を食べる宇喜多隊。 ■真ん中が、「あれ?珍しい旗が行進している・・。ちょっと撮っておこう!」で撮った黄色に黒丸の長宗我部盛親隊(笑)。そういえば昨日は垂井布陣だったし、絵巻では終始傍観だったので覚えてなかったのだ<おい。 ■左は同じ理由で撮った安国寺恵瓊隊。赤に青の旗は珍しいかも・・。ちなみに前の赤に白丸は毛利秀元隊です。 ![]() 戸田隊の面々も昼飯を食べながら、休息をとる。 「暑いですねぇ」 と誰かが言った。時々雲の切れ間から、太陽が差しこんでいる。そう、雨が止んだのはいいが、今度は湿気を含んだ空気がまとわりつくように暑くなってきているようだ。私ら足軽の軽装鎧はまだいいが、大将の重装備は結構きているんじゃないかな・・。夏場にも武者行列があったとしたら、大敵はやはり気温だろう。半端じゃなく暑いとおもう。 「大丈夫ですか?暑くないです?」「え?ああ、まあ・・大丈夫ですよ」 そんな会話を交わしながら、さっきからなかなか始まらない本番を待っていると・・・ なにやら西軍の会場が、ざわざわとざわめき出した。 「ん?なんだ、なんだ」「何がおこるというのだ?」 と思って見ていると、西軍の諸隊が真ん中に集まりだした。どうやら誰か来るらしい。 あ・・・ 琢郎だ・・・・。そうだ琢郎が来るに違いない!<連れかお前は(^^; 「琢郎だ!琢郎が来るぞ〜〜〜〜〜」 思わず叫んで伝令に走りたい気分にかられながら(笑)、来る先をじっと凝視していた。「はっ!( ̄ロ ̄!琢郎ではなく三成だ・・・」と我に返って思いなおす(^^;。周りを見渡すと、西軍の士気が異様に高騰している。皆単なるミーハーなのかもしれないが(というより、殆どそうだと思うが:笑)、そんな事はどうでもよい。総大将の到着というものは、やはり兵を勇気づけるものだ。昔も今も同じだね(^−^b そしてついに・・・ ![]() 我らが総大将 『 石田 辰巳守 三成 』 公、着陣! 「おおっ、三成公・・・」 とっても嬉しそうだ(笑)。そうれはそうだろう、左右に居並ぶ将兵のど真ん中を堂々の入場である。両側に居並ぶ将兵から拍手喝采の嵐。私も我を忘れて、デジカメのシャッターを押した(笑)。 しかし・・・やはり役者がフル装備ででてくると、貫禄あるよなぁ〜。さすがは辰巳琢郎氏。 あっという間に、横をすり抜けていった三成公は、一番前のステージに上がった。 「ではこれより、出陣式をはじめたいと思います」アナウンスが入った。 『 それではこれより勝鬨をあげて出陣いたす。よいかな 』 三成公の掛け声を合図に、「えい!えい!おっー!」の合唱がおこった。 各隊は三成公の着座するステージの前まで行き、Uターンして大垣駅前に向かうという実に「それ」らしい演出で、行進を開始したのであった。 ![]() さて、今回の 『 大垣城東西武者行列 』 は、大垣駅前のメイン道路を完全封鎖して、行進するものである。関ヶ原町の戦国絵巻2000は、変わった演出や野山を行進するなど400年前を彷彿とさせる素晴らしいものであったが、現在俗に言う「武者行列」というのはやはり大垣のような形のものが正統派?(笑)なのであろう。間断なく各部隊が行進するので、一箇所でじっくりと見物していれば十分堪能する事ができるし、写真もとり放題(笑)。 ![]() 特に大垣では、関ヶ原ではいなかった馬がお目見えしていた。 右の写真は、馬にまたがった木下頼継公。 この馬がまた・・・写真で見るよりもかなりでかい(@_@ やはり馬がでると、よりいっそう迫力のある行列になりますね。私的には、やはり白馬がかっこいい!(でも戦国時代に白馬っていたのだろうか・・?)ちなみに大将全部が馬に乗っているわけではなく、我が戸田隊の大将は徒でした。 では馬がでたついでに、馬の感想もう2、3・・・ じっとするのが嫌い?なのか、大将を乗せたままその場で円を描くようにぐるぐる回ってる馬もいました。なんかパドックを思い出した(笑)。あれはやはり気の荒めの馬で、落ち着けるためにやっているのでしょうね。全軍行進中に結構鉄砲隊の演武があったのですが、それによる暴れ馬は一応出なかったみたいです。 あと馬っちゅーのは、あたりまえですが所かまわずしてしまいますな(^^;当日、全軍の行進を一番阻んでいたのがこれだったかも・・。別働隊「お掃除部隊」の方々が大変忙しそうにしておられましたな。うん。 さあいよいよ中心部へ行進の開始だ! メイン通りへ次々と打って出る各部隊。戸田隊もいよいよメイン通りに突入する。 20万人(ちとふっかけすぎか(^^ゞでも当日大垣を訪れた人の数だそうです)の観衆の見守る中の中心へ・・・。 ・・・・ふるふる。ふるふるふるふる(笑)。 それは、それは、もう・・・・・・・・・・・・・・・快感の一言でした(笑)。 『 次に入場しますのは・・・ (中略:忘れた^^;) ・・・であり、東軍諸将はその死を知って皆涙したといわれます 』 アナウンスが入り、わが殿の合図で「 えい!えい!おーー! 」の勝鬨が上がる。大観衆に向かって、又しても我を忘れて叫んでいたような気がする(笑)。きのう1日で戸田隊対する愛着と誇りみたいなものが湧いていたので、『 はずかしい行進はできない(笑) 』この一念が強かったのだろう・・・槍を持つ手にも力が入るし、普段のばしたことのない背筋までピンとのびていた。 特にメイン通りを右折する所、特設ステージ前の観衆は凄かったように思う。 「 これは・・・きましたねぇ 」 何がきたのかよくわからないが、確かにきていた(笑)。 全部隊が所定の位置についた。駅前通の中央分離帯を挟んで西の車線に西軍、東に東軍が整列する。 私は行進だけと思っていたのだが、どうやら昨日と同じくパフーマンスがあるらしい。順をおってアナウンスが入る。戸田隊の正面には昨日と同じく京極隊、そして寺沢隊がいた。「突撃だ〜〜〜!(^o^」中央分離帯をはさんでの槍合わせなので、前進ができない。むろん関ヶ原町の時のように白熱の攻防とはならなかったが、隣では大谷の輿が小早川に襲撃されて援軍に向かうシーンなどは、やはり観衆も湧いている。向こうで幾度となく鉄砲が鳴っていた。 (残念ながら、この辺の写真がないんだよなぁ^^;) パフーマンスが終わると、全軍が時計回りに大通りを行進する。途中3か所でアナウンスが入り、各隊が紹介された。 「あー、向こうから家康がやってくるよ」やっぱりそこだけ観衆のノリが違った。みんなミーハーだ(笑)。 ![]() ![]() ![]() ![]() その大垣駅前武者行列の様子を、梵天丸殿が送ってくれました。 ■上段左から観衆の中を行進する石田三成、島津隊、宇喜多秀家。 ■下段の白馬に乗ってるのが小西行長です。 おおっ、唯一の大垣の写真だ。ありがとうござりまする。 ( photo by 梵天丸殿 ) ちょうど折り返しのところで、道路の真ん中の中央分離帯にまで入ってきて写真を撮ってる少年を見かけた。 「うむ、少年よ。その気持ちは十分分かるぞ。そんな所まで入ってきてはいかんが、俺も立場違えばそうやって写真を撮りまくっているだろう・・」「さあ、思う存分撮るがよい」私は顔をきりりと引き締め(笑)、胸を張って斜め45度を向いた。 しかしカメラは少年の胸の位置で止まったままだ。よく見ると、真後ろの大谷吉継を撮りたかったようだ・・・おい(笑) 雨はすっかり上がっていた。ところどころつまりながらも、ゆっくりと進む各部隊。 この行進が終わるといよいよ戸田隊としての2日間も終わる。少し寂しいが仕方のないことだ。足は結構疲れていたが、もうひと踏ん張りしなければなるまい。大将が小さい子に手を振っている。武者行列を通じて・・・ もちろん見に行くのも楽しいが、参加することでまた違った面白さを発見できた。この機を与えてくれた関ヶ原にありがとうと言いたい。 ![]() 1時間ぐらいかけ、駅前メイン通りを一周して、行進が終わった。 舞台挨拶が行われている。家康役の宍戸氏が挨拶で「いや〜、セリフを必死で覚えてきたんですが、アナウンサーに全部言われちゃいました」と、感想を語っていた。「それではこれで大垣の東西武者行列を終了いたします」アナウンスの声で2日間にわたる武者行列が終わった。 一斉に大垣城ホールに向かって歩き出す→ この後、参加武者800名は、エピローグセレモニーに参加するため、大垣城ホールへと歩き出した。 ![]() 大垣城ホールは、行進を終えた武者が座ってひとときの休息を得ていた。 やはり皆疲れた顔は隠せない。かく言う私も、ひとたび座ってしまうとそのまま横に寝転がりたいほど睡魔が襲ってくる。この2日間で結構歩いたはずである。大垣城ホールでまだなんかやるのだろうか? ・・・と思っていると、前の舞台に大将の方が続々と上がって来た。徳川家康役の宍戸氏、石田三成役の辰巳氏、そして我が戸田公もいる。まさに全員集合である。 市の役員の方の挨拶がはじまる。「皆様、本日は大変お疲れ様でございました。今回のこの交流を21世紀につなげていきたいと思います」ボーっとした頭で聞いていると、役員にひき続き宍戸氏にマイクが渡された。 「私は今日、行列で言うセリフを一生懸命練習してきました」 と話し出す。 「鉄砲・・・放て〜〜〜〜〜」 素晴らしい大音声だ。さすが宍戸氏、役者はやっぱり違うよ!と、感心する又五郎。 「でも私がせっかくセリフを覚えてきたのに、ナレーションの方が全部言ってしまいました。はっはっは〜」 あ、錠がまたさっきと同じことを言ってる・・・。 笑ってはいるが・・・ わかるよ錠。よっぽど悔しかったんだね(笑)。 それに続いて辰巳氏も挨拶を行った。さすが大役者二人。皆がわいている。 役者の方の挨拶は、確かに最後のシーンに花を添えた。しかし・・・ 私にとっての今回の主役は、やはり大将「戸田重政公」であり、戸田隊の面々なのだ。それは各隊の面々もそうだったと思う。フィナーレは全体としては大いに盛り上がったが、やはり潜在的に欲しかったのは大将と同隊員の一言だったのである。向井佐平次が仁科盛信のためにではなく、直属の足軽大将、立木四郎左衛門の為に死のうとした。よくわからないが、多分そういうことなんだろう。そんな事を考えながら宍戸氏や辰巳氏の話を聞いていた。 最後の挨拶が終わり、司会の人が「それでは最後の勝鬨を上げて、終わりにしたいと思います」と言った。 「それでは行きますよ〜」「えい!えい!おー!」 今回の武者行列で何回この言葉をいったのか(笑)。最初に発した時は、「なんちゅうベタな掛け声だ」とちょっと恥ずかしくもあった。しかし今は違和感なく言える。もうすっかり慣れてしまったこの掛け声が大垣城ホールに響くのを聞いて、ああ、これで本当に終わったんだなと思った。 ・・・・と、いろいろしんみりと思いもしたが、やはり最後の最後だ! 景気良く終わらなければ、嘘である(^^ ![]() 「きゃ〜〜〜〜!琢郎!」(笑) ←退場していく琢郎を、列を掻き分け掻き分け超ミーハー的に撮った 「石田琢郎守三成が、笑顔で大観衆に送られて退場していく」の図(笑) うーん、やはり超ミーハー的大盛り上がりだ(^^ゞ ちなみに徳川宍戸守家康の写真も撮ろうとしたのだが、まともなのが1枚もなかった。今回はことごとく縁がなかったようです(^^ゞ ![]() そして同じく戸田隊の面々とも、大垣での最後の1枚を写す。 私は刀を抜いて体の前につき、できるだけカッコいいポーズをとった(笑)。 --------------- ![]() 着替えを済ませて、他の戸田隊の方々と別れの挨拶をする。皆明日から400年後の現実に戻るのだ。大丈夫なのか?と、一番大丈夫じゃないやつが思う(笑)。何人かの人とメールを交換した。また会う日もきっと来るだろう。 戸田隊の背旗が欲しかったが、早々に集められて持っていってしまった(笑)。 「戸田隊の旗、また使う時が本当にあるのか?」 そう思いながら、お世話になった鎧の写真を撮って関ヶ原中学をあとにした。 |
2000年10月7日 〜 10月9日 | ++ 関ヶ原合戦400年祭 参加レポ その9 ++ |