松山日記。

現在の時刻はです。


1999年7月31日(土)

 昔の上司に貰ったマオタイ酒を持て余している。
 マオタイ(茅台)酒とは中国の蒸留酒であるが、ウォッカみたいに大変強い(45%と書いてある)。スポイトで1滴1滴吸い取るように飲んでいる。コップの底にほんの1センチだけ注いだ酒がなかなか減らない。
 これだけ強いと量をこなすことが出来ないから、かえって酔わない。ウイスキーや日本酒ぐらいの強さがいちばん酔いつぶれそうな気がする。


 持て余しているといえば、中国語のテキストもそうである。

 あと1ヶ月を切った中国旅行のため、「最初歩」と銘打ってある本を買ってきたのだが、最初の1章でげんなりしている。
 何が難しいのかといえば、発音である。(大胆に簡略化した)漢字を読むどころか、ピンインという中国語の発音をアルファベットで表したものさえ、読めないのである。

 ピンインを日本語のローマ字や英語の感覚で発音すると、まず間違う。
 例えば、「●●(=父親、●は「父」の下に「巴」という字)baba」は「ババ」と発音したくなる。ババァ、毒蝮三太夫である。
 ところが正解は「パァパ」、音の高低は「パァ\パ」と変化する。
 他にも、「deng」がなぜ「トン」と発音するのか、わけが分からない。

 これでは第1章を終えないうちに関西空港を出発しかねない。とりあえず、「トイレはどこですか?」ぐらいは覚えたい。


 最近は携帯電話・PHSでも電子メールをやりとり出来るらしいが、僕には信じられない気がする。
 文章を入力するのにえらく手間がかかりそうだ。

 webのページもまた、パソコンで見るとは限らないらしい。
 あるホームページを見たら、「ドリームキャストで制作」と書いてあった。僕はファミコンを持っていないので、最近のファミコンはそんな機能があるのかと驚くばかりだ。


 紀伊国屋書店で本を買った。
 本を買うことが僕のストレス解消になっているような気がする。買い物依存症といってやたらとブランド物を買いまくる人がいるそうだが、それに近いかも。
 ちょっとやばめ。

 近頃は暑い。昼間は暑さで頭がぼおーっとしている。風呂から上がってさっぱりした真夜中にいちばん頭が冴えている。
 こんな時にベッドに寝転がり文庫本なぞ開いたりするのは、またとない快楽である。


 「LOVELOVEあいしてる」で「モーニング娘。」を見ていた。
 最近、なんとか娘というグループが多いような気がする。こうなったら「モーニング親父。」なんてのも結成してみたい。でもこれでは「北野ファンクラブ」みたいだ。


1999年7月29日(木)

 中国語(簡体字)のホームページを見ていた。マイクロソフトから中国語のフォントをダウンロードすれば見ることが出来る。

 とりあえず中国のYahoo!で日本の歌手のホームページの一覧を見た。Yahoo!は中国語では「雅虎」と書くらしい。
 歌手の名前の中国語表記を見るのは楽しい。広末涼子が簡体字で書いてあったり、宮沢りえが「宮澤理惠」と書いてあったりする。松たか子は「松隆子」だ。
 「黒色餅乾」って何だろうと思ったら、ブラック・ビスケッツ。
 しかし、「近畿小子」には脱力した。

 テレサ・テンのホームページもひとつ見た。
 「襟裳岬」を中国語に訳したのを唄っているらしい。しかし、歌詞のサビらしいところを見たら、「愛人 愛人 我的愛…」とか書いてあって、もとの歌詞とはかなり違うみたい。


 全日空のハイジャック犯について、実名報道するか否かが問題になっているが、ZAKZAKでは実名どころか顔写真まで載せている。
 あらま゛ー。


1999年7月27日(火)

 中国のビザを貰った。
 10年用パスポートは7〜48頁がビザ用のページになっている。僕のパスポートは作ったばかりであるが、何故か途中の11頁にビザのはんこが押してあった。


1999年7月26日(月)

 今日の天気は曇りのち雨。予想最高気温は32度。今日は蒸し暑くなりそうだ。
 最近は暑い→冷房かけっぱなし→腹が冷える→で、いつも腹が下っている。


 僕の仕事部屋のある階は、和式便所しかない。下痢しているときの蹲踞(そんきょ)はつらい。
 そこで、エレベーターに乗って1階の洋式便器のあるトイレまで行くことになる。
 しかし、下痢しているときのエレベーターは大変危険だ。ああ早く排出したいと思っているとき、エレベーターが止まってしまったら…ああ、考えるだけでもう駄目だ。


1999年7月25日(日)

 夕御飯はうどん屋で天ざるうどんと生ビール大ジョッキ。
 外食するか、ふじわらのりか。


 Gackt(ガクト)というミュージシャンがいる。元Malice Mizerのボーカリストで、ソロになってから「Misérable」というヒット曲がある。
 ところが、ガクトという名前を聞くと、僕はどうしても学徒出陣を思い出してしまうのだ。俺だけか?


1999年7月24日(土)

 8月に福岡の学会へ行く。
 宿の予約をインターネットで行った。インターネットで宿泊予約をするのは初めてだ。
 webで宿を予約するメリットは、電話で予約するとき「申し訳ございません。満室になっております」と誇らしげに言われる精神的ダメージがないことだ。


 うなぎ食べてビール飲んで、汗だく。


 中国語を少しずつかじっている。

 漢字の言葉には日本と中国とで意味が違うものが多い。
 割とよく知られているものでは、「手紙」は中国ではトイレットペーパー。日本語の手紙を意味する中国語は「信」だ。
 「汽車」は中国では自動車。頭に「公共」をつけて「公共汽車」というとバスになる。日本語の汽車は「火車」。火の車、かつての国鉄を連想してしまう。

 「娘」が中国では母親という意味であるのは驚きだ。
 「モーニング娘。」というと、中国では京塚昌子さんが7人寄ってたかって朝起こしに来るのだろうか。ねぇ笑って…
 逆に、メンバーの一人が気の毒なことになったが、「カントリー娘。」なんか中国の意味で「カントリー母親」と解釈すると、イメージぴったりである。


1999年7月23日(金)

 「学士会会報」(第824号)に何故か小田和正さんが寄稿している。そう、元オフコースの小田さんである。どうもありがとー!ちなみに小田さんは東北大工学部を卒業、早大理工学部の大学院を修了している。
 内容は、要するにオフコースを解散してからいろんなことに挑戦した、他の歌手のプロデュース、新聞の連載、ゴルフのキャディー、映画、…という話で、ちょっとキザっぽい語り口であった。


 全日空ハイジャック事件。何故包丁を機内に持ち込むことが出来たか、ということが問題になっている。

 ただ、飛行機内の荷物の持ち込みに関しては、僕もちょっとした違反行為を何度かしている。

 僕は大きい荷物を持ち運びするのが嫌いで、海外旅行でもスーツケースは持参しない。少し大きめのリュックサック(正確にはスリーウェイバッグ)ひとつに全てを積め込む。そのリュックも、機内預けにせず客室内に持ちこむ。たまに荷物が行方不明になることがあってそれが怖いのである。
 リュックは辛うじて客室の荷物入れに入る大きさであるが、明らかに決められたサイズの制限を越えている。でも、X線検査で「荷物が大き過ぎますから機内預けにしてください」と注意されたことはない。
 他の客を見ると、2個も3個も土産物袋を提げている人がいる。手荷物の持ち込みは1個までのはずだが、X線検査の所で注意され機内預かり荷物のカウンターまで逆行している人を見たことはない。

 あと僕は、鉛筆削り用のカッターナイフを荷物に入れている(シャープペンシルではスケッチは出来ない)。これもX線を通した画像に映し出されているはずだが、注意されたことはない。

 今度の事件で、手荷物の検査も多少厳しくなるかもしれないので、今までのようにはいかないかもしれない。


1999年7月22日(木)

 四国を含めて西日本が梅雨明けしたそうである。

 ああ夏だと思い、ふと最近スキューバダイビングに行ってないことを思い出す。前回(4月)あまりうまく潜れなかったので、中性浮力の講習を受けようかどうしようか、と思いあぐね、ずるずると今日まで引きずってしまったのである。

 4月に西海に行ったときは、天気が悪くおまけに海岸周辺はゴミが散乱していて、あまりいい気分でなかった。大月(高知県)は西海からもう少し先へ行った所だが、太平洋側になるので西海とは生態ががらりと変わって、もっとたくさんの魚が見られるという。

 行ってみたい。


 「インターネットTVガイド」の「あなたの番組表」では、自分の好きな歌手・タレントを登録しておいてその人が出演している番組一覧を表示することが出来る。

 僕はビートたけしさんを登録している。ところが何故かヒットする番組が全然ない。「ビートたけし」「北野武」両方登録しているにも拘らず。
 たけしさんはあんまりテレビに出なくなったのかな…と思った。

 たけしさん…ふと思い立って、「たけし」で登録してみた。するといくつも番組が出てくるではないか。そうか、今はみんな「たけしさん」と、「ビート」を省略して言うのか。

 国会で「ビート君の気持ちもよく分かる」と言ってたのも今は昔。


1999年7月21日(水)

 自分の不器用さに時々腹が立つことがある。

 現在僕の専門は応用数学だが、卒論研究は物性実験であった。
 ところが、ガラス細工が全然だめで、1本のガラス管を加工するのに4,5本無駄にしてしまうのだ。1本失敗する。短気だからガラス管を床に投げつける。パリンと部屋中に響く。これを何回も繰り返す。
 電気回路の工作でも、トランジスタをひとつはんだ付けするのに1時間かかってしまう。これだけ長時間はんだごてを当てていると、熱で回路素子がだめになってしまう。
 もう実験は二度とやりたくない。

 今日は自分の担当科目の試験であった。
 A4の大きさの問題用紙をつくるのに、A3の紙1枚に原稿を2枚コピーした。それをカッターで半分に切って問題用紙をつくろうとするのだが、この半分に切る作業が全然出来ない。切り口がギザギザになってしまったので、何度もやり直した。
 僕の科目を受講した学生がこのホームページを見ているかどうか知らないが、問題用紙の縦幅がA4のサイズより若干小さくなっているのは、そのためである。

 人付き合いも不器用だ。
 もう何年も人と喋っていない、ひとりで暮らしている。
 人を笑わそうとして冗談を言って、場が白けてしまう、相手が怒ってしまう。どうやって人と付き合えばいいのか、どうやって人を愛せばいいのか分からない。
 だから、誰かといても口をずっとつぐんでいようと思う。

 何をするにもつまずいたり転んだりで、疲れた。


 このホームページはいわば僕の小宇宙である。その中にいる僕は砂浜で遊ぶ子供である。砂の城をつくり、飽きたら壊す。ただそれだけである。


1999年7月20日(火)

 曇りに小雨交じりの空模様。湿度が高くて、異様に蒸し暑い。

 昨日はNHKでKiroroと和田アキ子(ふたりのビッグショー)を見てから、ふと細坪基佳のライブビデオを取り出し、久し振りに見た。
 今日は村下孝蔵のCDを聴いている。
 沖縄の太陽のようにまばゆいばかりの歌もいいけど、陰影のある曲を聴きたくなることもある。


1999年7月19日(月)

 今話題の東芝製品サポート担当者の声、今頃になって聞いている。


 今日の産経新聞に「海の日」の由来が載っていた。
 7月20日は、1876年(明治9年)明治天皇が東北・北海道巡幸を終え横浜港に帰り着いた日である。それが1941年(昭和16年)「海の記念日」になり、現在の「海の日」に至ったそうである。
 巡幸に用いられた「明治丸」は現在、東京商船大学に保存されている。


1999年7月18日(日)

 土曜のニュースで成田、関空の出国ラッシュを伝えていた。
 この手のニュースはお盆の初め頃にありそうなものだが、20日(火)が海の日・祝日で飛び石連休になるので、月曜に休みを取って旅行に出掛ける人が多いそうだ。
 海の日。ああそうだったかと思う。まるで加山雄三みたいな祝日だが、まだ歴史が浅いので、直前になるまで休みとは気付かない。


 ボーナスも出たことだし、ユースホステルの終身パスをとろうかと考えている。満26歳から取得可能で、一生有効な会員証である。登録料は5万円。


1999年7月16日(金)

 今日の夕御飯、どこの店で食べようか考えるのが面倒くさかったので、学食ですませてきた。
 メニューはきつねうどんに鶏ポン唐揚etc. 「鶏ポン唐揚」の「ポン」って何だ?卒業証書を入れる筒のふたをはずすときの音か?


 夜遅く仕事部屋に残ってパソコンに向かっている。誰もいなくなったのをいいことに、CDをかけている。

 The AlwaysというバンドのCDを聴いている。元チューリップの安部俊幸、姫野達也らが中心になって結成、1986年デビューしたのだが、現在どうなってんだか分からない。解散したのかそれとも単に休んでいるだけなのか?
 「好きさ」「8月の熱い砂」、結構好きだったけど。

 姫野さんは福岡ローカルの朝の情報番組でキャスターをしているらしい。


 暑さでぐったりしている。
 涼しくなる真夜中がいちばん頭が冴えてきている。それで夜遅くまで起きて本を読んだり、パソコンに向かったり、勉強したりしている。おかげで宵っ張りの朝寝坊だ。

 幼い頃も朝寝坊だったように記憶している。
 幼稚園はいつも遅刻していた。家から歩いて行ける距離なのに、遠距離通園用のスクールバスに乗せてもらい、「ずるいずるい!」と大合唱されたこともある。
 あれから20数年、全然変わっちゃいない。


1999年7月15日(木)

 山崎まさよしのポスターを仕事部屋に貼った。


 お酒を飲んで居眠りした後、かえって目が冴えて眠れなくなる。

 夕べは1件の飲み屋に入り、生ビール(中)2杯、「出羽桜」グラス1杯を飲み、地鶏のたたきなどを食べた。日本酒はいいものになるほど水に近づくような気がする。
 それで家に帰り、着替えもせずに3時間ほど眠って、夜中1時頃に目が覚めた。その後、朝まで眠れなかった。

 「寝酒」という言葉があるように、お酒の酔いで眠ろうとする人がいるが、僕には逆効果のように思える。短時間眠った後、カァーッと目が冴えてしまう。喉が乾くので、愛媛ポンジュースを何杯も飲む。

 朝になって再び眠りについたら、寝坊した。


1999年7月13日(火)

 福耳のCDと山崎まさよしのライブビデオを買った。ビデオのほうは山崎人形がおまけについているのだ。


 「ジベタリアン」という言葉がある。地面や電車の床などにべったり座り込んでいる若者をこう呼んでいるのである。
 東京にいた頃、コンビニの床にあぐらをかいてマンガ雑誌を読んでいる連中をよく見かけた。鬱陶しいし、怖くて傍を通るのもはばかられるし、不愉快であった。

 しかし、ジベタリアンという言葉の響き、どことなくおフランスな感じがする。
 ためしに、語尾の「〜アン」を鼻に抜けるように「〜ッアぁん」と発音してみよう(鼻母音)。ジベタリッアぁん。そう。銀巴里で丸山明宏(現在の美輪明宏)がそんな歌を唄っていたような気がする。

 地べたに座っているのが女の子の場合、パリジャン(男)→パリジェンヌ(女)と同じ原理で、「ジベタリエンヌ」と語尾が変化する。


 うっかりして、レンタルビデオの返却期限を1日過ぎていた。山崎ビデオを見終わったら返しに行かねば。


1999年7月12日(月)

 B’z「ギリギリChop」。
 タイトルを聞くと僕は「アチョー!」と叫びたくなる。


 「SMAP×SMAP」に宇多田ヒカルが出ていた。テレビ初登場「ミュージックステーション」の時は張り切ってビデオにとったりしていたが、何回かテレビに出ていると慣れてしまって、有り難味が薄れてきた。

 さて、その彼女、ビストロスマップできのこ類が嫌いだと言っていた。何でも、缶詰を開けてどろーっとしたのが出てきたのが気持ち悪かったからだという。

 何だかよく分からない話だが、ともかく彼女は映画「マタンゴ」を見ないほうがよろしい。


1999年7月11日(日)

 「世界ウルルン滞在記」で東ちづるさんが国際平和村(ドイツ)のボランティアに参加していた。ここでは、アンゴラ、アフガニスタンなど世界中の紛争地域で負傷した子供達を引き取り、生活の世話、リハビリなどを行っている。
 あらま゛−、っつーより、あまりの酷さに顔が歪んだ。地雷を踏んで足を失ったり、火傷で顔中の皮膚がただれていたり…こんなこと、早くなくなってほしい。と同時に、普段タラタラと過ごしている自分の日常を、少し反省した。
 番組中、平和村のボランティアスタッフが「子供達はやがて故郷に帰り家族と一緒に暮らすので(家族がなくなっている場合も少なくないが)、過度の愛情を注いではいけない」と語っているところ、ドイツ人らしい厳格さを感じた。


 「福耳」という、杏子・山崎まさよし・スガシカオによるユニットがある。
 「星のかけらを探しに行こうagain」という曲を歌っており、NHK-BS10周年イメージソングにもなっているが、これがとてもいい歌なのだ。マキシシングルが7月14日発売されるそうで、楽しみだ。
 僕が高校生の頃、ユーミン・小田和正・財津和夫が「今だから」という曲をリリースしたが、それに匹敵するような企画ユニットかもしれない。

 →杏子・山崎まさよし・スガシカオが所属する「オフィス・オーガスタ」のホームページはここをクリック


1999年7月9日(金)

 コンピューター用語は従来の外来語と異なり、後ろを伸ばさないことが習慣になっているようである。「コンピュータ」「ユーザ」「プリンタ」「コンパイラ」etc.
 パソコンの普及に伴い、コンピュータ用語も徐々に日常の言葉に取り入れられつつある。そのせいかどうか知らないが、路面電車の窓からこんな看板を見かけた。

  チータ 水前寺清子ディナーショー

 水前寺清子さんは「チータ」だったような気がするが...いや、昔から「チータ」だったのか、ちと自信が無い。


 中国国際航空のチケット、帰りもとれたらしい(→7月6日参照)。新しいパスポート手に入れたばかりだが、中国ビザ申請のためすぐ手放す。

 関係無いが、ANKエアーニッポンの団扇をもらってきた。


1999年7月8日(木)

 明朝は早起きなのに、夜更かししてこの「松山日記。」を書いている。

 中国のトイレの話ってどうしてこんなに盛り上がるんだろう。
 盛り上がる、といっても本を読んでひとりで盛り上がっているだけである。中国の皆さん、気を悪くされたらすまんです。
 岸本葉子「旅はお肌の曲がり角」(講談社文庫)に中国のトイレのことが書いてある(いろんな本に書いてあるだろう)、僕自身も中国に行った事があるので、現地のトイレを経験している。

 中国の「厠所」について実際のところを記すと、日本などと同じ仕切り・ドア付きのものもある。仕切り・ドアはあっても高さが腰までというのもある。お約束(?)ドアなしのもある。こう書くと、彼国はいろんな種類のトイレがあって、トイレ博物館みたいだ。
 で、トイレにドアがあっても、ドアを開けっぱなしでふんばる人もいる。どうなってんの?その方が気分が落ち着くのだろうか。ドアを閉めているほうが却って違和感があるような気がして、僕自身もドアを半開きにしたまま排出したことがある。

 胃弱人間の僕、中国へ行っておなかを壊し、ドアなしトイレしかなかったらさあどうする?
 でも最近、ドアなしトイレで用を足してみたいという感情も少しずつだが湧いてきた。変態じみているように思われかねない、このまえAV撮影で白昼路上放尿・脱プン→公然わいせつで捕まった女子大生(22)と同類と思われかねないが、これはチャレンジ精神だ。でも、親兄弟友人上司には見られたくない。

 ところで岸本さんの本には、四川省蛾眉山(アーメイシャン)のトイレの話がある。なんでも、崖に張りつくように小屋があり、排泄用の穴から下を覗くと目もくらむような谷間が見えるそうである。高所恐怖症の僕、ドアなしよりこっちのほうがいやだー。


。。。

 眠いが早起きした。
 目覚ましにKiroro「長い間」のCDをかけるといつも気持ちよくなって寝坊してしまうが、今日は起きた。


 しつこいようだが暑い。「ナンデモ笑学校」の優香のように頭から水をかぶりたい(それにしても、優香とは奇抜な芸名だ)。
 子供の時僕はなかなか風呂に入らなかった。1〜2週間風呂に入らなくても平気な、汚い子供であった。高校の時、机の上にフケの雪をGLAYのプロモーションビデオ(Winter again)のように降らせて、友達が呆れかえったことがあった。
 それがいつの間に汗っかきの体質になって、毎日風呂に入らないと気が済まなくなった。人間変わるものだ。


1999年7月7日(水)

 4月30日の「松山日記。」で、rumania montevideoってなんでこんな名前を付けたのだ?ということを書いた。

 そのことについて、「ワンダフル」(TBS系)で名前の由来を説明していた。
 バンド名はメンバーの一人が付けたそうである。「ルーマニア」は命名者がサッカー好きなのでサッカーの強い(らしい)国から名前をとってきた、「モンテビデオ」は命名者が試験で度忘れした地名とのこと。

 やっぱり、分からない。。。


 毎日言っているような気がするが、暑い。9月まで延々と暑い暑いと言い続けるのだろうか。だって暑いから仕方ないもん。家に帰ったら部屋の中が、炎天下の車のようにむわっと暑い。

 風呂から上がってビールを飲む。一日中クーラーをつけっぱなしにする。おなかが弱くなってきた。

 僕は週に1回教壇に立つ。授業中突然 不安におののいている。


1999年7月6日(火)

 すげー暑い。

 さて、この前の週末に落書きノオトを更新しようと思っていたが、内子に行ってしまったので叶わなかった。てゆーか、いまネタ考え中。
 落書きノオト、果たして何のために作ったのだろう?自分でもよく分からない。天才バカボンのレレレおじさんっていったいどういう役割をしているんだろう?とふと我に返って考え込んでしまうことがあるが、まあ落書きノオトもあれと同じようなもんである。


 8月下旬の上海行きの飛行機(中国国際航空)、先週の金曜にオーダーしたが、予約取れたかどうかの回答がまだ来ない。8月下旬はピークを過ぎたとはいえまだ観光シーズンだから、散々待った挙げ句満席といわれたらヘコんでしまう。

 ...で、旅行代理店(職場の生協)に行ってみたら、往きの席は取れたが帰りはキャンセル待ちと言われた。1ヶ月前に放出される座席もあるというから、何とかなろう。
 毎日店に聞きに行っていたので顔を覚えられてしまった。混雑するカウンター、少し離れた所で待っていたら、係員のほうから私のところに来た。

 もう、最近は中国行きが僕の生き甲斐になっている。僕はお腹が弱い、脂っこい食べ物でお腹を壊したら、そしてドアのないトイレしかなかったら...なんていう心配はどっか行ってしまっている。
 簡単な中国語のテキストも買ってしまった。


 さっき、Yahoo!掲示板で広末涼子のトピックを見たら大変なことになっていた。どのように大変かは実際に見てもらうとして、あらま゛−って感じなのだ。


1999年7月5日(月)

 自宅のノートパソコンにはマウスパッドがついている。マウスの代わりにこのパッドの上を指を滑らすことによりマウスカーソルを動かすのである。
 パソコンを買った当初、マウスを増設する必要があるかなと思ったが、意外にもマウスパッドだけで用が足りてしまうのだ。慣れると、キーボードのホームポジションに指を置いたまま、親指でパッドを操作することが出来る。マウス←→キーボードの移動の鬱陶しさがない。
 たまにパソコンで絵を描かねばならぬときは、タブレットというペン入力装置を用いる。

 ところで、モバイルパソコンにはトラックボールという小さなイボのようなものを押してマウスカーソルを動かすものがある。
 このトラックボール、お店に展示してあるパソコンで何度か触ってみたのだが、全然操作できないのである。お目当てのアイコンにカーソルを移動するまでに疲れきってしまう。あれが動かせる人、すごいと思う。


 上で「キーボードのホームポジションに指を置いたまま、親指でパッドを操作する」と書いたのは嘘。マウスパッドは人差し指で操作する。デスクトップパソコンで上の「日記。」を書いたので、ノートパソコンでどのようにしているか正確に思い出せなかったのである。
 でも、マウス←→キーボードの手の移動がなくなるのはホント。


1999年7月4日(日)

 内子へ行ってきた。松山に越してから2度目の内子である。
(右の写真はかつて内子線で活躍したC12型蒸気機関車。JR内子駅前に保存してある。)

 梅雨の中休みでいい天気だった。陽射しは暑く大汗をかいた。
 いつものようにスケッチをした。描きあげた頃、観光客の一人に絵を譲ってくれないか?売るならいくらだ?と聞かれた。こんな絵でも大事な思い出だから、丁重にお断りした。このホームページ見てくださいね。

 この後、「田舎っぺ」へ行き、オバちゃんと話しこんだ。
 かつてこの店にいたお爺さんは去年亡くなった。口数は少ないが、いるのといないのとでは随分店の雰囲気が違う。
 唐突な例えだが、フォークデュオ「ふきのとう」が解散した後に似ている。
 ふきのとうは、細坪基佳がリードボーカルをとり山木康世がハモるパターンが多かった。1992年解散し、初めて細坪さんのソロライブに行った時、ステージ中央のマイクスタンドは2本から1本になっていた。この違和感と同じような気がする。分かってくれる人がどれだけいるかわからないが。
 帰り際、お土産にビワを沢山頂いた。


1999年7月2日(金)

 眠れない…

 Internet Explorer4.0以上には「チャンネル」というのが付いてくるが、あんまり使う機会がない。それで、自分のホームページをチャンネルに加えてみた。自己満足の域を出ないが。

 とりあえずやり方を説明する。IEの左にチャンネル一覧表を出しておき、「Microsoft Channel Guide」というチャンネルをクリックする。現れたページでチャンネルに加えたいホームページを検索してみる。
 お目当てのページが出てきたら、そのURLをクリックし、チャンネル一覧表にドラッグ&ドロップする。すると、好きなホームページが新たにチャンネルに加わるのである。


 夏休みの旅行の手配をしてきた。8月下旬中国へ行ってきます。

 今まで5回海外旅行に行ったことがある(そのうち仕事1回)。内訳はヨーロッパ3回、中国・韓国1回ずつ。長時間飛行機に乗るのは疲れるので、今回は近場にしました。1週間ほど上海、蘇州などを見てきます。
 中国はビザが要るので、「査証申請表」の用紙をもらってきた。記入すべき事柄が中国語(と英語)で書かれているが、「職業及工作単位」は、なんだか007の世界みたいだ(「工作単位」は勤務先の名前のこと)。

 これからすべき事。

  1. 中国語の会話を覚える。
    前回中国へ行ったときは、ニーハオ、ピージャオ(?、=ビール)しか覚えてこなかった。

  2. お腹を鍛える。
    いろんな人の海外旅行記を読むと、みんな中国でお腹壊している。僕もお腹を壊し、下痢止めが底をついたので、現地で薬を買った。

  3. 生ぬるいビールを飲む。
    外国人相手のレストランなら冷えたビールもあるが。

  4. トイレでドアを開けたまま○○こする(嘘)。
    中国ではドアがあっても閉めないで用を足す人が多い。これホント。


1999年6月30日(水)

 昨日雨上がりは気持ちいいということを書いたが、大雨の被害は大変なものだったという。亡くなられた方も多い。朝刊を手にするや、「暴れ梅雨、西日本で猛威」という見出しが目に飛び込んできた。

 「雨、だいじょうぶ?」というメールも届いていた。はい、雨は激しかったけど、御蔭で大事に至っていません。

 僕がここで言ってもどうにもならないが、被災された方お見舞い申し上げます。そして、犠牲者のご冥福を祈ります。


 街を歩く黄昏時。
 ビルディングが夕陽を受けてオレンジ色に染まっている。豪雨で人が亡くなった、韓国で臨海学校が火事になり幼稚園児が亡くなったというニュースが嘘のようにしか思えない。

 早く夏が来ないかな、と思う。明日から7月、立派な夏であるが、梅雨の最中なので、夏は遠い未来の事である。
 田舎を走る急行列車。4人掛けの座席。


1999年6月29日(火)

 午後6時頃、ひどい大雨であった。まるで南国のスコールのようである。
 ところが日の入り間近になると雨は止み、雲の間から夕陽さえ射し込んでくるではないか。これは気持ちいい。


1999年6月28日(月)

 野村沙知代が渡部絵美に「あなた醜いわね」と言ったことが話題になっている。

 そこでこんな発明を思いついた。
 太り気味の人が体重計で体重を測る。理想体重より超えていると、サッチーの声で「あなた醜いわね」と機械が喋る。体脂肪測定器でも同じようなことをやる。

 これは効果あるぞ…というのも、僕自身他人事でなくなりつつあるからである。

#またまたサッチーネタで恐縮である。


 生協で沖縄限定パイナップル味ハイチュウを売っていた。沖縄っていいよなぁ。

 ところで、東京にいる頃よく電車の中吊り広告で「パイナップル食べ放題、沖縄ツアー」というのを目にした。
 パイナップルはカニや牛肉みたいに腹一杯食べられるものでない、2、3切れ食べたらそれで満足するような気がするが。


1999年6月27日(日)

 曇り。良くも悪くもない天気。こんな日は、一日中家にいてパソコンで遊ぶ。テレビは、NHK-BS2「おーい、ニッポン!和歌山県」を流しっぱなし。

 ホームページを手直しした。JavaScriptを使っているところの一部がInternet Explorer 3.0でエラーとなるので、修正した。

  1.  トップページで「旅とスケッチのサロン…」という文字がスクロールするところは、<marquee>タグでスクロールさせた。
     ただしこのタグはInternet Explorerでのみ有効なので、Netscape Navigatorではスクロールしません。
  2.  「旅のスケッチ日記」のメニュー項目、マウスカーソルを持ってゆくと三角形が青から黄色に変わり、カーソルを離すと青に戻るようにした(以前は、カーソルを離しても三角形が青に戻らなかった)。同時に、IE3.0でエラーが出ないようにした。
     ただし、NN2.0やIE3.0では三角形の色は変わりません。
 またしても「独学JavaScript」のお世話になりました。


 唐突だが、レッツゴー3匹のメンバーの一人の名前が覚えられない。

 「じゅんでーす!」
 「長作でーす!」
 「三波春夫でございます」(バシッ!)

そう、真中に立っていて「三波春夫でございます」と言っている人の名前がいまだに分からない。

 お約束の台詞↑のおかげで、大脳の中では3人の名前が「じゅん」「長作」「三波春夫」と認識されるのである。


 ふと気付いたこと。

 飲み込むことを「嚥下」(えんか・えんげ)という。「燕」(つばめ)という漢字が使われている。
 一方、swallowといえばつばめだが、飲み込むという意味の動詞でもある。

 グラッチェ。


1999年6月26日(土)

 松山に引っ越して初めて道後温泉に入った。それも有名な振鷺閣でなく「椿の湯」。
 地元にある観光地はなかなか行かないものである。東京に住んだ13年間一度も東京タワーに昇らなかった。サンシャインシティーの水族館は行ったことがある。ただし、中学校の修学旅行の時。
 風呂から上がって、近くのビアホールで地ビールを飲んだ。


 「落書きノオト」に村下孝蔵さんの絵をアップしたが、最近ミュージシャンの訃報をよく耳にする。西岡恭蔵さん。DoubleのSachikoさん。そして、村下さん。
 これを書いている間にも、Malice MizerのKamiさんが亡くなったというニュースが届いた。


1999年6月25日(金)

 昨日から大雨である。
 以前書いたけど、置忘れが怖いので傘は折り畳みのものしか持っていない。昨夜帰宅したときには全身濡れ鼠になった。
 今朝起きたら、靴が乾いていない。代わりの靴を探して、濡れた靴には古新聞を丸めて突っ込んでおいた。子供の時、雪の季節はそうやって濡れた長靴を乾かしていた。

 村下孝蔵さんが亡くなった。


 北九州市で食肉用の牛2頭が逃走したというニュースを見た。
 街中をとことこ歩く牛。遠巻きに見守る市民。棒切れを持って追い立てる肉屋(?)。刑務所から脱走した死刑囚にも通じる哀感を覚えた。
 牛2頭はいずれも捕まったそうなので、今頃屠殺されているのかしらと、「松山日記。」を書きながら思う。気の毒な気もするが、私は今日昼御飯にビーフカレーを食べている。


1999年6月24日(木)

 路面電車が好きだ。

 一頃交通の邪魔者扱いされて激減した路面電車だが、最近地球環境保護の観点から見直されている。いわゆる「地球にやさしい」乗り物である。
 しかし、そういう観点を抜きにしても、路面電車が好きなのである。

 路面電車の走る町は、程よい規模の町である。東京都みたいな大都市では、路面電車では交通をまかない切れない。かといって、あまりにも閑散とした町では乗客がなくて寂しいし、第一採算が合わない。
 路面電車は、その町が適度に賑やかで適度にコンパクトであることを示す指標なのかもしれない。

 昨日久しぶりに雑誌「鉄道ジャーナル」を買った。リスボンの市電のことを書いた紀行文が目に止まり、リスボンは一昨年旅したので懐かしくなって購入したのだ。
 この雑誌には広島の路面電車(広島電鉄)の新型車両が載っていた。「グリーンムーバー」という5両連接車である。
 身障者向けに超低床設計になっており、大きい条虫が地面を這っているように見える。写真を見て「すごい!かっこいい!乗りたい!」と思った。

 我が町松山の路面電車(伊予鉄道)を見れば、古色蒼然としたチンチン電車が頑張っている(旧京都市電の電車も走っているという)。
 ワンマンカーの停車ボタンを押すと、ブーという電気ブザー音でなく、チンッ!とカネの音が鳴る。ニスを塗った木枠は黒光りして、年輪を感じる。しかし、体を揺すって走る様に愛らしさを感じる。

 結局、路面電車は新しくても古くても好きなのである。


1999年6月23日(水)

 沖縄は梅雨明けしたそうである。

 去年沖縄へ行ったときのギラギラ焼き付ける太陽をなんとなく頭に思い出しながら、Yahoo!の天気予報を見ると、愛媛はこれから1週間曇りか雨ばかりである。


 上唇のすぐ上にでき物ができた。
 これは扱いに困る。軟膏を塗っても、唾液で濡れてとれてしまう。うっかり軟膏を舐めてしまい、苦い思いをすることもある。
 全く不愉快である。


1999年6月22日(火)

 げっ・ぷー(食べ過ぎ)。

 最近、夜8〜11時頃に何故か眠たくなる。こないだはそれで「世界ウルルン体験記」を見逃した。
 夜中0時になれば、電気のスイッチみたいにパタンと意識がなくなる、朝7時にパッと目が覚めるようになったらいいのに。


 解凍ソフトでStuffIt Expanderというのがある。
 「StuffIt」を長いこと「スタッフルト」と発音していた。後ろから2文字目のI(大文字のアイ)をl(小文字のエル)と思いこんでいたのだ。そして、発音しにくい名前だなぁ…とひとりごちていた。
 そう、実は「スタッフイット」だったのである。「チェキッ娘」ならぬ「スタッフィ娘」。


1999年6月21日(月)

 サングラスが要るなぁ、と思うときに何処へいったか見当たらない。


 中学校の同窓会の案内が来る。
 この日は都合が悪くて行けません。ごめんなさい。成人式の時以来会っていないので、みんながどんな人生を送ってきたのか、一寸気になる。
 ひとつ言えるのは、私がいちばん怠け者だということ。そして、この齢になってまだ独身なのは多分僕だけかなぁ。


 Javaを勉強しつづけている。
 しかし、Visual J++が相変わらず分からないので、MS-DOSプロンプトで C:\nanda\kanda> javac coffee.java などとやっている。
 Visual J++が分からない。ジャニーズJr.が出るのは「8時だJ++」...って言っている場合ではない。


 「落書きノオト」でも一寸ネタにしてみたが、ワイドショーの野村沙知代ネタ、どうして尽きないんだろう?稽古すっぽかしを発端に、「醜いわね」発言、少年野球、花瓶…
 口から万国旗がどどどと出てきて止まらない手品を思い出した。


1999年6月20日(日)

 暑い。夏になる前に夏バテしそうだ。


 ちょっとしたイタズラを思いついた。
 テキストの一部分にアンダーラインを引き青色にしておく↓

(例)18禁超過激お宝画像はここをクリックしてね(^^)

(ソース)18禁超過激お宝画像は< u>< font color="blue"> ここをクリックしてね(^^)</font></u>

 これを見た人は、青字のところをリンクだと思ってクリックするが、当然何も変化がない。
 おかしいな、と思っていると、後ろからおもむろに赤いヘルメットをかぶった野呂圭介が「どっきりカメラ」のプラカードを持って現れ、「いやぁーごめんごめん」とネタをばらす、というシナリオになっている。


 「落書きノオト」なんてのを作ってみた。学生時代、授業中ノートに落書きしまくっていた頃に戻りたくて…
 そういえば、授業中先生の似顔絵をノートに描いていたら、それを先生に発見されたことがある。死ぬかと思った。あ、「Webやぎの目」の「死ぬかと思った」のネタになりそう。


1999年6月19日(土)

 昨日宇多田ヒカル見たよ。


 カレーは高級インド料理店から家庭で作るものまでいろいろあるが、僕が一番好きなのは松屋のカレーだ。ちょっとドロッとした感じがたまらない。
 ハンバーガーから牛丼と、ファーストフードには松山に来てからとんとご無沙汰しているが、松屋のカレーはもう一度東京に戻って食いたい気がする。松屋の支店が松山にあるかどうか知らないが、例え松山にあったとしても、あのカレーは東京で食ってこそうまいと思う。


 あぢゃー。

 IE3.0で自分のホームページを見たら、JavaScriptのところでエラー出まくりではないか(普段はIE4.01で見ながら作っている)。とりあえず、トップページに動作環境を書いておいた。
 独学JavaScriptに日本におけるブラウザのシェアが載っている(「どのブラウザに向けてページを作る?」を見てください)。それを見ると、IE3.0は10%で意外と少なかった。
 ネットサーフィンしていると、IEは4.0xを前提としているページが多くなっている。


 「旅のスケッチ日記」に北海道のスケッチ集をアップしたが、いまいちデザインがダサい。暇があったら作り直してみる。


 さて、今日はもう話すことがないから、昔描いた似顔絵を載せることにします。
 ちなみに、「ル・クプル」の女性の方は子供の頃、左ト全さんのバックで♪ヤメテケレ〜と唄っていたそうです。

左ト全


1999年6月18日(金)

 小雨がぱらぱら降っている。

 傘は折り畳みのものしか持っていない。普通の長い傘は絶対何処かに置き忘れてしまうからである。大雨のときは折り畳みでは濡れてしまうが、仕方がない。
 最近耳たぶの他にへそや鼻など体中にピアスをつけている人がいるが、僕だったらまずピアスに傘を紐で結びつけるだろう。


 昨日Javaを勉強していると書いたが、実は数日前MicrosoftのVisual J++を買ったのである。アカデミックパックで4千数百円であった。
 これを使ってJavaの勉強をしようと思ったが、Visual J++の使い方がさっぱり分からない。あっさりとJ++を諦め、JDKをインストールして、MS-DOSプロンプトからJavaファイルをコンパイルしている次第である。


1999年6月17日(木)

 「できたてのむか,ふじわらのりか」
で何かいいパロディが出来ないか、2、3日考えているが思い浮かばない。
 う〜む、俺はまだ駄目だ。


 正確な言いまわしは忘れたが、100里の道は99里行くまで半分行ったと思うな、というような格言があったと思う。
#これが超有名な格言だったら、こっちは頭の程度をさらけ出しているようでいやだな。でも本当に思い出せないのである。
 僕の場合、100里の道は最初の1里が半分のような気がしてならない。

 提出しなければならない書類があるとする。締め切りは2週間ほど後である。
 すると僕は、あ゛〜めんどくさいなぁと思い、ホワイトボードにマグネットで貼っつけてしまい、そのままほったらかす。しかし、締め切りまでの間、その書類のことが少し頭に残っている。

 締め切りが明日に迫ると、あっしまった書類書かなきゃ、とおもむろに書類を書き出す。一旦手を動かし始めると、意外と書類を書く作業はさくさくと進み、ものの30分くらいで済んでしまうのだ。
 2週間、書類書かなきゃ、と思い悩んでいたのは何だったんだろうと思う。


 戸川隼人「ザ・Java--アプレットの作りかた--」(サイエンス社)という本でJavaを勉強している。
 4章の途中まで行ったが、流し素麺のごとくすいすいとページが進む。これは面白いし有り難い。
 初心者にものを教えるには、最初にとにかく何か出来るようにすることが肝心なのかもしれない。


1999年6月16日(水)

 熱いおしぼりで目の周囲をごしごしこすると、眼精疲労によく効く。
 昼食のうどん屋で気が付いた。

 さて、その昼食のメニューだが、いなり定食:五目うどん(油揚げと湯葉が入っていた)、いなり寿司3個、かぼちゃの煮付け、きゅうりの酢の物、たくあんであった。
 こうして食事のメニューをWebで公開しておくと、週刊新潮で栄養士さんが栄養チェックをして一言アドバイスをくれるかもしれない。


 トップページを新しく作り直していた。2、3日後、今度の週末あたりにも公開する予定。
 またもや夜更かししてしまった。おやすみなさい。


1999年6月15日(火)

 宇多田ヒカルがTVに出るんだって。18日の「ミュージックステーション」(TV朝日)、21日の「HEY!HEY!HEY!」(フジテレビ)...何で私がここで言わなあかんのやろ?

 僕等の世代では、TVに出ない歌手といえば松山千春、オフコースなどであった。「ザ・ベストテン」で久米宏がいつも平謝りしていた。その頃僕には何故かTVに出ないことが一種のステイタスのように感じられたが、今も同じなのかな。

 最近の人気歌手でTVにほとんど出ない人といえば、「ゆず」か。そういえば「Dragon Ash」もTVで歌っているところ(プロモーションビデオを除いて)見たことがない。


 話は変わって、Kiroroのニューシングル「最後のKiss」(6月23日発売、ツムラのCMソング)の発売が近いが、その割にはお二人がTVに全然顔を出さないのが気になる。


 今のパソコンは、暗い画面に向かってBASICのプログラムを書いていた頃に比べると、まったく便利だ。テレビのような気がする。

 今日はどんなニュースがあったのかな?と思ったら、asahi.comを見る。あ〜あ退屈だ、と思えば、「Webやぎの目」を見る。
 昔の男の子が隠れて「11PM」を見たように、今の男の子は親に隠れてPCの電源を入れてエロサイトを探し回る。僕も、www.(ないしょ).comなんてサイトがあるよとここで教えたいところだが、教育上の配慮からそれは止めておく。ましてや僕は学校の先生である。

 長時間画面を見つめすぎると目が疲れるのも、テレビと同じだ。
 そういう時は、非常階段の踊り場に出て、遠くを眺める。僕の仕事部屋はビルの7階にあるので、絶好の景色だ。


1999年6月14日(月)

 生協にて、若布うどん、きんぴらごぼう、ささみチーズフライそしてケーキの昼食。ついケーキを取ってしまうところが僕の弱点だ。

 いつぞや、うどんはシンプルなものがいい、カレーうどんのように汁を濁してしまうのはよくない、と書いたことがある。そうすることによって解決した問題がある。
 月見うどんの問題だ。
 卵の黄身をどう扱うか、僕はいつも迷っていた。頃合を見計らって一気にゴックンと飲み込むのは、楽しくない。食事をするというよりバリウムを飲まされている気分だ。箸で黄身を破ってかき混ぜると、汁を全部飲まない限り、おなかの中に入らず捨てられる黄身が生じてしまう。
 月見うどんを食べなければ、そういう問題に悩むことはなくなる。しかし、これは問題を解決したというより、問題から逃避しているのではないのか?


 やっとしまなみ海道と尾道の旅行記を書き上げた。


1999年6月13日(日)

 日曜日はメールもホームページへのアクセスも少ない。職場でだけインターネットを使っている人が多いのかな。


 「さんまのスーパーからくりTV」を見てたら鶴田真由が出ていて、もう29歳だと言う。
 あらま゛〜。とてもそんな風には見えない。でも、西暦2000年に30歳というのは分かりやすい。

 去年の年末、彼女のカレンダーはないかと新宿の紀伊国屋書店(タカシマヤタイムズスクウェアの隣)などを探し回って、結局なくて諦めたことがある。


 JR松山駅に行ったら、寝台特急「サンライズ瀬戸」の車両が公開展示されていた。
 同列車には何度か乗ったことがあるので今更見学するまでもないが、つい行列に並んでしまった。

 「サンライズ瀬戸」は東京・高松間を結ぶ新型寝台電車特急であるが、今夏松山まで延長運転されることになった。それで今日の展示会と相成ったわけである。
 車内のインテリアは木目調を基本としている。寝台はすべて個室と、豪華である。豪華といっても、寝台料金は、例えば一人用B寝台「ソロ」は6350円と、従来のB寝台料金と変わらない。

 特筆すべきなのは、「ノビノビ座席」車が一両連結されていること。「ノビノビ座席」といっても、椅子がスタイリースタイリーみたいに伸び縮みするわけでなく、雑魚寝用のカーペット床が上下2段設置されているのである。カーペットは一人分ずつ仕切られており、毛布が置かれている。寝台で寝るのと大して変わらない。
 座席車扱いなので、特急料金(と運賃)だけで利用できるのが有難い。


1999年6月12日(土)

 毎日御覧になっている方はお気付きと思うが、ちょっとの間「松山日記。」の背景に画像を入れてみた。

 高原の白樺林の絵を入れてみた。随分と爽やかなページになった。
 しかし、あまりにも爽やか過ぎて、う○こパンや馬並みレストランといったおちゃらけた話が書き難くなった。岸田智史流爽やかさを年中演じるのは僕の性に合わない。

 そいで結局、背景は元に戻してしまった(白無地)。短命に終わった「さわやか流松山日記。」も一応アップしておくので、御覧になりたい方はここをクリックしてください。ただし更新はしておりません。


 羽田空港で「松山日記。」を書いている。
 書き終わったら公衆電話からアップしようと思うが、何ゆえここまでしてホームページに執着するのか、僕にも分からない。


 夜8時、松山空港到着。
 雲海が夕陽に照らされオレンジ色に染まっていたのが綺麗だった。


1999年6月10日(木)

 出張先のホテルの部屋。

 以前、ホテルの電話からインターネットに接続できないと言っていたが、友人からつなげ方を教わった。
(僕が使っているのはwin98機です。)
 コントロールパネルの「モデム」の設定画面を開き、「プロパティ」→「接続」→「詳細」とクリックし「追加設定」のところに「ATX3」と記入し、「OK」をクリックして画面を閉じる(あと、ダイヤル方法を「トーン」か「パルス」かどちらか正しいほうに設定する)。これでやっと接続に成功しました。

 「ツツツツーツツー」とダイヤル音が聞こえたときの感動は忘れられない。
 ありがとう、友よ(ちょっと態度がでかい)。


 唐突だが、私は腹が出ている。日頃の不摂生だから仕方がない。
 「妊婦みたいだ」と言われても笑ってごまかす。しかし、この前坂元昭二さんにまでおなかのことを言われたのはちとショックだ。

 ふと私は、ボールペンの先端をわが腹に押し当てる。ぐぐぐぅと押し込むと少し痛いが、我慢する。
 そして、十分押し込んだところで、ボールペンを持った手を放す。すると、ボールペンは腹の弾力で飛び出し、数メートルくらい空中に弧を描く。
 新しい娯楽だ。でもこれは、「TVジョッキー」の「女子ボインちゃん大会」でやっていたゲームとちっとも変わらないではないか。


1999年6月9日(水)

 僕にはふるさとと呼べる所がない。

 他人から「どちらのご出身ですか?」と聞かれると、「福井です」と答えている。
 しかし、僕は福井で生まれたわけではない。生まれたのは和歌山県の熊野本宮である(最近熊野古道がブームになっているらしい)。だが、そこで過ごしたのは3歳位までで、本宮の記憶が全然ない。学生の時久し振りに訪れたら、思ったより小さな町だった。

 その後小学1年生まで大津市坂本で育った。それから、小学2年の4月に福井県に引っ越し、18歳まで過ごした。
 育った期間が一番長いのが福井県であるが、「転校生」ということもあり学校に余り馴染めなかった。この町をふるさとと思うのに抵抗があって、ここ3年ほど帰ってない。

 例えば、Kiroroが「沖縄は私達の誇りです」と言うように、ふるさと自慢が出来たらいいだろうなと思うことがある。ふるさとがない僕は、寂しくはないけど、どこか自分が根無し草のような気がしてならない。
 だから僕は旅に出る。古い町ばかり行くのは、ふるさとみたいなものを求めているのかもしれない。

 開き直って「ふるさとは地球」と言ってみようかしら。八神純子の歌みたいだが。


 JR松山駅前にこんな店があります→

 松山に来てから、今日この店に入り牛丼を注文した直後まで、この店は「吉野家」だと信じていました

 まるでエノケソ(えのけそ)みたいな店です。

中野家


1999年6月8日(火)

 フジテレビオフィシャルメーラー「くもメール」というのがあるそうです。同社のホームページから無料でダウンロードできます。
 説明を読んでみると、かわいい絵柄の便箋に書いた手紙のように、いろんな絵柄や文字飾りをつけたメールを送受信できるらしいです。
 メールの送信先もくもメールを使ってないと意味ないですが、これから流行るかしら?


 この前「松山日記。」に書いただめ〜なパン(6月3日参照)、今日生協に行ったら置いてなかった。何故だ!?俺がホームページに書いたのがまずかったか。
 デリケートな君は僕の些細な言葉にとても傷ついたんだね。ああ、ごめんなさい。僕は君を傷つける気はなかったんだ。形はう○こだけど、味はとてもおいしかったよ。
 今日から僕は「う○こパンの復活を望む月見草の会」会長だ。でも復帰したらなんやかんやでまた、言いたい放題言ったりして...


1999年6月7日(月)

 地図帳を買った。

 この10年ほど世界的に地理的変化が激しいので、毎年地図帳を買っている。旧ソ連の国、覚えられない。インドのボンベイ、数年前にムンバイに名前が変わったこと、どれだけの人が知っているだろうか?

 ページをめくっていていちばん最果てっぽいなぁと感じるのは、イギリス・スコットランド北部である。海岸線はいわゆるリアス式海岸で、複雑に入り組んでいる。大小数多くの島が周囲に分布している。
 ヘブリディーズ諸島、オークニー諸島、シェトランド諸島...いったいどんな所だろうか、行ってみたい。か細い線で描かれたローカル線、乗ってみたい。

 この気持ち、他人には分からないかもしれないが、とにかく地図を見ただけで行きたくなるのである。


 そうそう、今日も「馬並みレストラン」(6月1日参照)へ夕食を食べに行った。かつカレー、「小」にしてもらってやっと全部食べられた。しかし、ここの「小」は他の店の普通盛りである。

 公文式と同様、自分のレベルに合ったところからはじめるのが大事である。


 共同通信のホームページでニュースを読んでいたら、「カメラ撮影にひな緊張」という見出しが目についた。
 一瞬吉川ひなのが何かしたのかと思ったが、よく読んだら佐渡島のトキのことだった。


1999年6月6日(日)

 大分に来たついでに、ちょっとばかり観光した。

 中津からバスに乗って青の洞門に行った。
 それが、駐車場には観光バスが何台も停まっていて、周囲の自然に全然似合わないレストハウスがあって、安っぽい大型観光地といった所である。こんな所には長逗留したくないので、僧禅海が掘ったオリジナルの洞門見て、すぐ次のバスに乗った。

 かつて耶馬溪の渓流に沿って、耶馬溪鉄道(のちの大分交通耶馬溪線)というローカル私鉄が走っていた。鉄道は1975年に全線廃止になったが、廃線跡がサイクリングロードになっている。

 柿坂というバス停の近くで自転車を借りて、サイクリングに出発。
 道はアスファルト舗装されているが、緩やかなカーブ、自動車が入れそうにない細い道幅は、単線の線路独特のものである。まるで汽車の運転手になったような気分ではないか。シュッシュッポッポッと口ずさみながらペダルをこぐ。

 途中、
トンネルがあったり、
トンネル
鉄橋
鉄橋があったりして、
楽しいサイクリングである。今にも汽車が向こうからやって来るようではないか。

 いくつかの駅跡にはプラットホームの遺構が残されており、予備知識がなくても容易にそれだと分かる。
 その一つは、民家の軒先にあった。これは住居侵入にあたるのかな?と思いつつ、ホーム跡に上って、汽車が駅に近付いてくる様子をサイクリングロードの上に思い浮かべていると、家の中からおばさんが出てきた。
 自分の目的を告げると彼女は、鉄道が現役だった頃の写真があると言って、僕を家の中に招き入れた。


1999年6月5日(土)

 今、八幡浜・臼杵間のフェリーに乗っている。

 昨日の予告どおり、大分へ行く最中である。
 目的は「Tsukishin with 坂元昭二」のライブを見に行くこと。このユニットは現在全国ツアーの最中であるが、生憎松山での公演はない。そこで海を渡って大分へ向かっているのである。今日は都合よく土曜日である。
 松山11時25分発の宇和海7号で発ち12時12分八幡浜到着、13時八幡浜港発のフェリーに乗るつもりだったが、宇和海車内で寝過ごし、卯之町まで行ってしまった。それで、鈍行で八幡浜に戻り、14時30分発のフェリーに乗船している。

 まったく、睡魔という奴、必要なときには現れず、要らない時に顔を出す。
 睡魔、スイマ、そういえばスイマーズは何処へ行ったんだろう。

 もうすぐ臼杵港到着。


 ライブ会場は「Brick Block」。ダイヤモンドフェリー乗り場の隣、JR西大分駅から徒歩2,3分位である。
 会場前で偶然坂元さんと会う。一度お会いして面識があったので、「こんにちは」と声をかけてみる。「今夜泊まり?ライブ終わったら一緒に飲みに行きましょう」とお誘いを受ける。嬉しいお誘いだが、緊張するではないか。

 坂元さんは僕の好きなギタリストの一人。さだまさし、ふきのとう、村下孝蔵、りりィ、山崎ハコ、下田逸郎といった、フォーク界の大御所ミュージシャン達の活動に参加している。とくにさだまさしのバンド「亀山社中」での活動が知られており、ドラマ「北の国から」のギターを担当している。御自身もアコースティックギター・アルバム「樹音(じゅね)」「昨日虹を見たよ」をリリースしている。

 Tsukishin(つきしん)は京都のシンガーソングライター。いかつい風貌とは対照的に、叙情的な歌をつくっては優しい歌声で唄う。力強さと優しさを兼ね備えた、包容力を感じさせる歌手である。坂元さんが彼の存在を見出して以来、氏との数多くのライブをこなしている。


 開演予定の19時30分から数分遅れて、客席の照明が落ち、ステージに二人が現れる。

 二人がギターを抱え、一人が歌いもう一人がハモリを付ける。このようなフォークデュオ、僕が子供の頃にはいくつもあった。僕の好きなふきのとうもそのような二人組であったけど数年前に解散、フォークデュオというスタイルも何時の間にかなくなってしまった(もっとも最近は「ゆず」というデュオもいる)。
 だからといって、フォークデュオという音楽の形にもはや可能性がないわけでない。Tsukishin with 坂元昭二の演奏を見ると、フォークデュオという形態には永遠に続く可能性があるように思われる。

 青春にはアコースティックギターがよく似合う。僕にはそんな気がしてならない。今夜のステージは、それを聴く人の心に小さく息づく青春を呼び起こしてくれる。

 2時間余りのライブの途中では、坂元さんのギターソロのコーナーもある。「光の粒のように」(というタイトルと記憶している)という曲がとくに印象に残った。


 ライブが終わり、Tsukishin、坂元昭二の御両人、スタッフ一同そして僕を含む若干名の観客とで、大分市内の店で打ち上げ飲み会。

 Tsukishinさんはいろいろと面白い話をしてはガハハと笑う。
 その彼、豚足にかぶりついている途中、前歯のさし歯が取れてしまう。大変だ、2日後には宮崎でのライブを控えている。唄えるだろうか?
 「あ〜憂鬱!」と叫ぶ彼、その割には深刻さがあまり感じられない。

 2次会のスナックに着いた時、時計はすでに午前1時を回っていた。

 そこでカラオケをやり始めるが、Tsukishinさんの「automatic」のうまいこと!彼の歌唱力に驚き、感心する。いや、感心するのはカラオケの店でなく、ライブ本番でなければならない。
 しかし、ステージではプロだからうまくて当然という気持ちが働くかもしれない。
 スナックのマスター、ホステスさんは、彼が歌手であることを知らないので、しきりに「すっごーい、うまい!」と叫ぶ。

 逆に惨めだったのは僕。ただでさえ音痴なのに、坂元さんの目の前では緊張してしまうではないか。チューリップ「ぼくがつくった愛のうた」を唄うが、高音が全然出なくて散々だった。


1999年6月4日(金)

 外はすげー暑い。

 小渕総理が野村沙知代にいったい何を言ったんだろう?ということが気になってしょうがないが、たまっているレポートの採点をする。


 不登校ということが問題になっている。

 その不登校の生徒の証言に、「担任の先生に『登校拒否の生徒が出たら、私の教師としての立場が悪くなる』と言われた」というのがあった。それを聞いて僕は、不登校というのは要するにまずいレストランに行かなくなることじゃないかと思った。


 最近眠れない。

 神経質だから、ちょっとしたことで眠れなくなる。この前しまなみ海道へ行ったときも、今治のホテルで、部屋が蒸し暑いのが気になって朝4時まで眠れなかった。
 寝台列車でも、朝まで眠れないことがある。高い寝台料金を払ったから、眠らないと損だ、明日は早いから眠らねば、と思うほどに、意識が冴えて眠れなくなる。隣でいびきをかいている奴が羨ましくなる。

 電気製品のスイッチを切るように、すとんと眠りに入りたい。

 僕は(病弱の割には)手術をするほどの大病を患ったことがないから分からないが、手術で全身麻酔をかけるとほんの3秒ほどで意識がなくなるという。もっと時間をかけてじわじわと効いてくるものだと思っていたのだが。


 「君は恥ずかしがり屋なんだね」と言われる。

 事実そうである。ひどく人見知りするし、他人とはまともに喋れない。現在32歳で、そろそろいい人見つけて結婚したら、とたまに言われるが、女性を口説く以前に同性の人間と仲良くなることが出来ない。
 そんな私でも、週に1度大学の教壇に立って授業をしている。でもそれは、授業のテーマに関することを教えるという目的が最初に与えられているので、井戸端会議に比べれば気楽な作業である。
 雑談の場は苦痛である。何でもいいから面白い話をせよと言われても、そう都合よく話のネタは見つからない。それに、私が面白いと思うことはどういうわけか他人には面白くないことが多い。口をつぐんで貝になるしかない。

 だから私はしょっちゅうひとり旅に出かけ絵を描いたりしているような気がしてならない。
 列車の中、ホテルの寝室、あるいは風景を眺めながら、私は孤独と思う存分対話をしているのである。

 明日は訳あって大分へ出かける予定である。


1999年6月3日(木)

 曇り空。ときどき雨。

 アスファルトが濡れている。
 雲一つない青空は気持ちいいけど、何年か前愛媛の大渇水のニュースを東京で聞いていた。だから、一雨ごとに胸をなでおろしている。
 雨煙に霞む中、緑が潤いを取り戻しているように見える。雨上がり、樹木の幹が湿気を含んで黒ずんで見えるのが好きだ。

 四国は梅雨入りしたと聞く。季節は流れる。


 これが今日の僕の昼食です↓生協で買ってきたパンです。


 なんだかなぁー、って感じ。これじゃ、漫画に出てくるう○こそのものじゃないか。
 ドリフのコントにそのまま使えるぞ。そう、布団をはぎとるとシーツの上にほんわかぁ〜と乗っかっているやつ。どぅえ〜ん!って効果音もついてさ。間違っても宮内庁御用達になんかなりやしない。

 もう、誰がこんなだめ〜なパンを作ったんだろう。ダ・メ〜!「なるほど・ザ・ワールド」愛川欽也風に、ダ・メ〜!だ。


1999年6月2日(水)

 ソニーの犬ロボットが20分で完売した。ぐぁんばれオリエント工業


 昨日ZAKZAKを見たら、「GLAYがジャンボをジャック!」なんて記事があった。
 内容は、日航が羽田・函館便就航10周年を記念して、GLAYの写真をペイントした飛行機を飛ばすということ。函館はGLAYメンバーの出身地である。ホーさよか、という感じ。

 最近、飛行機にトロピカルフラワーやぴかちゅうなどいろんな絵をペイントすることが流行っているが、飛行機のペイントは乗る人が直に見るのは難しい。待合室でガラス越しにちらと見える程度だし。何のためのペイントかと思う。
 列車ならプラットホームで思う存分見ることが出来る。せっかく函館なんだから、青函トンネルにGLAY列車を走らせて欲しい(僕はGLAYのファンではないが)。津軽海峡線は今乗客が少なくて苦戦しているそうだし。
 ちなみに、青函トンネルには現在ドラえもん列車が走っている。

 それにしても、ハイジャックに函館と聞くと、何年か前にそんな事件があったなぁ。


 上記のGLAYジャンボについて若干の訂正。

 機体にGLAYの写真をペイントする(塗る)と書いたが、正確には写真をプリントした巨大なシールを機体に貼り付けるのである。
 確かに、機体に写真を絵の具でペイントしたら、映画館の看板みたいな飛行機が出来上がりそうだ。これはGLAYよりも石原裕次郎が適任である。嵐を呼ばれてはたまったもんではない。

 さて飛行機といえば、今日ANAマイレージクラブカードが届いた。をを、ビジネスマンになった気分だ。


1999年6月1日(火)

 ああ、もう6月か。

 パソコン初心者にとってカタカナ用語のオンパレードは苦痛の種だという。僕もそうだった。
 ああいうのは、(英語圏の人々が)日常使う英単語だと思うから分からないのであって、日常世界とは分離された世界の科学専門用語だと思って、はじめから意味を覚える方がいいように思う。
 メカに強い人は、パソコンも雰囲気を嗅ぎ取ってなんとなく覚えてしまう。しかしメカに強くない人はそういう人たちの真似をしようとしてはいけない。「習うより慣れる」前に最初から理屈を勉強するのが早道である。別に分厚い専門書を読む必要はない。初心者向けに「理屈」を解説した本もたくさんある。
 例えば数学でも、群論で「表現」という言葉が出てくる。これを日常生活の言葉として「なにかを表すこと」の意味で捉えると間違いで、数学的にちゃんと定義された専門用語なのである。パソコン用語も同様である。


 堅い話ばかり書いている。
 いい加減肩の力の抜ける話題を出したいが、あいにくネタがない。私ってそんなにユーモアと機知に富んだ人間ではないんです。俺って不器用だから...

 「Webやぎの目」の「やぎコラム」を読むと、あれだけ軽妙な面白い話がよく毎日出来るものだと感心してしまう。一見ふざけたひらひらした話に見えるが、あれだけのユーモアは並の頭では為し得ない。
 過去のコラムを読むと、作者はパソコンに「ネタ帳.txt」というファイルを作って、普段からネタ集めに余念がないそうである。さすが。喉ごしのよいソーメンを作るのは大変なのである。

 この他「Webやぎの目」は、電車で酔っ払って寝ている人を写真に撮って集めたフォトギャラリー、低レベルな臨死体験を集めた投稿コーナー「死ぬかと思った」(投稿されたネタは、大怪我をした、飛行機が台風の中強行着陸した、自宅でHしてたら親が帰ってきたetc.)など、面白いコーナーが多い。
 60万アクセスを超える人気サイトだけど、リンク自由ではないのでURLはここでは記さない。検索サイトで簡単に見つかるので自分で探してください。


 このまえWとんかつ定食を食べきれなかった食堂へ行く。今日もカツカレーを食べきれなかった。3度目の登板、またしても完投ならず。
 隣の客は大盛りカツカレーを食っている。てんこもりのライスの上にカツがうずたかく積まれている。馬に食わすかのような量だ。
 馬に食わす。そうここは、馬並みレストラン。歌はもちろん清水健太郎だ。


昔の「松山日記。」を読む。

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