『映画瓦版』によるニュープリント・デジタルリマスターバージョンの『サウンド・オブ・ミュージック』評で、今月の1日に書かれたもの。さっき読んでいてあれこれ気になったので、ちょっとそのあたりを書いてみる。
まずこれだが、
映像はかなり退色してすすけた色に見えた。最初からこんな色だったとは考えにくいので、これはオリジナルのネガそのものが退色しているということだろうか。最近はデジタル技術で色を修復することもできるのだが、劇場上映に使えるクオリティで修復をするには莫大な費用がかかる。この映画のDVDは持っていないのだが、案外DVDの方がきれいな色なのではあるまいか。
|
別に、色補正にデジタル技術など必要とはしない。ネガからプリントを起こすとき、ラボで普通に補正をかけられる。よほどひどければ苦労するだろうが、アメリカのメジャーがどれほどオリジナルネガを大切にしてるか知っていれば、それが激しく退色しているなんてことはまず考えられない。ましてこんな、フォックスを代表する財産ともいうべき大ヒット作ならなおさらだ。もちろん退色の可能性を否定はしないけれども、市販されてるDVDが綺麗なのに、オリジナルネガが綺麗じゃないと考えられる理由がわからない。もし、オリジナルネガより状態の良いポジがあったと考えるなら、そこからデュープネガだって起こせる。
というわけで、これは単にその時上映用に使われたプリントが不出来だったか、日本でプリントを焼くために使われたデュープネガが不出来だったか、フォックス試写室の上映施設に問題があったか(ランプがへたってたとか)、筆者の目が衰えていたかのどれかだろうと予想する。
ついでなので以下の部分にも反応してみる。
屋敷の庭のあづまやでリーズルとロルフが「もうすぐ17歳」を歌う場面や、修道院で院長が「すべての山に登れ」を歌うシーンは、暗がりで顔がまったく見えないのもお構いなし。
|
これもプリントの不出来によるものかもしれないのだけど、「もうすぐ17歳」を歌う場面はナイトシーンで、しかも雨が降る。つまり天気が悪いわけだ。現在のアメリカ映画の、昼なみに明るいナイトシーンに慣れた観客には暗いと感じられるかもしれないが、それにしたってこのシーンで役者の顔が見えないということはない。ダンスの都合で暗がりに入ることはあるけれど、すべてのシーンできっちり計算された照明が当たっています。むしろ、その照明、明暗の妙が、このシークエンスの見るべきところ。
次の、院長が「すべての山に登れ」を歌うシーンは、確かに全く顔が見えない部分がある。ただし、それも演出であって、意図的なものだ。どうせもう誰も付いてきてくれていないだろうが、具体的に説明してみよう。
主人公の修道女マリアは、妻を亡くしたトラップ大佐の家に、7人の子供たちの家庭教師として雇われる。やがて、マリアはトラップ大佐に恋をしてしまったことに気づき、驚いて修道院に逃げ帰る。そのことを相談された院長は、マリアに向かって「すべての山に登れ」と歌い始める。
1 2 3
歌い始めてすぐに、院長はマリアに背を向け、窓の方を見る(3)。
4 5
すべての山に登れ、つまり困難に立ち向かえと諭す院長に、不安げな面持ちで逡巡するマリア(4)。マリアの方を向いて、さらに諭す院長(5)。
6 7 8 9
迷ってるマリア(6)に院長は近づく(7)が、決断できないマリアを見て再び背を向け(8)、窓の方に向かって歩き出す。途中、一度立ち止まり、またマリアを見て歌う(9)。
10 11 12 13
さらに窓の方に向かって歩む院長(10)。マリアも院長について歩き始める(11)。そしてついに決心がつく(12)。窓の外(つまるところ一般の世界)を眺め、力強く、さあおゆきなさいってな感じで歌い上げる院長(13)。
というのがこのシークエンスの流れであるが、7から9までの間、院長は闇の中にあって、顔が見えない。しかしマリアの顔には一貫して照明が当たっている。つまり、ここではマリアの顔に注目して欲しいということなのだ。それは、彼女の精神状態が院長の歌によって変わっていくことを示すのが、このシークエンスの目的だからである。映像心理学的に、動きのある部分、しゃべってる人間、(暗闇に対して)明るい場所といった箇所に観客の目は誘導される。このシーンでは、マリアの表情こそが見て欲しい部分であるから、歌う(しゃべる)院長の顔に注目を与えたくないわけだ。そこで、院長を暗闇に入れ、マリアの顔に誘導しようとした、というのがロバート・ワイズの演出意図であろう。ただ、英語のわかる人間は歌を聞きながらマリアの顔を見られるのだが、英語のわからない日本人は、つい歌い手の方に注目してしまうということはある。
以上のような理由で、「暗がりで顔がまったく見えないのもお構いなし」なんていうことは、まったくないのだ。『サウンド・オブ・ミュージック』がつまらないというのは自由だが、プロの批評家を名乗ってるんだから、せめて演出意図をくみ取り、その上で当否を判断してほしいなあと思いますた。
|