さらば 愛しの熊オトコ

<3>

☆ ☆ ☆

『〇月×日、晴れ。
食堂で食べる朝食、わりと美味。ワカバが案内してくれて、「ポタージュは少しこってり」「野菜のグラッセは甘めの味付け」等と色々教えてくれた。女性の格闘系の戦闘員は今では彼女だけだそうだ。仲良くしようね、と握手を交わす。
広間に全員集まった時に、新入隊員としてみんなに紹介された。昨日のテストの騒ぎでみんながあたしを知っていた。恥ずかしい。
その後は各自で軽く練習。太極の型を数本流した後、ワカバと組み手をやって少し汗をかいた。彼女は小柄なのでパワーに欠けるが、素直で真面目な性格が伝わってきて好感がもてた。
昼食、そしてあとはずっと自由時間。こんなに楽をしていていいのだろうか。夕食後、一人で庭の木の幹相手に練習。シャワー後、レオナの酒場で飲んで部屋に戻る』
 
「手紙?」
ベッドに座ったワカバが、机に座ったジャンヌの背後から覗き込むようにして訊ねた。
「いや、日記だ」
「字が書けるなんて、すごい。私、読むのはここへ来て勉強したけど、書く方は名前くらいしかダメなの。ジャンヌさん、偉いですね」
 そう言いながら、腕に抱いていたうさぎのぬいぐるみの、顔を引っ張ったり鼻を押したりして百面相させていた。
「十三までは学校に行ったからね。でも裁縫や料理は苦手だったよ」
「あははは、それは私もおんなじー」
 ワカバは天真爛漫に笑った。
「あ」
 すうっと、手元のランプの明かりが消えた。油が切れたらしい。
「油をもらってくる」
 ジャンヌは立ち上がった。
「倉庫はもう閉まっている時間だから、ビクトールさんに鍵を借りるの」
ワカバが教えてくれた。
 「そうか。面倒なんだな」
 
 ビクトールの部屋をノックすると、「眠ってるぞー、誰だー」と声がした。眠っていたら返事はできないのになあ。
「ジャンヌだ。倉庫の鍵を借りたい。ランプの油が無くなったんでな」
 ガチャリとドアがあいた。眠っていたはずのビクトールが開けてくれた。
「ふうん、確かに羽を伸ばしているな」
 フリックがいなくて羽を伸ばせると喜んでいたのはこういうことか、とジャンヌは笑いをこらえた。ベッドを二つくっつけて二倍の広さにしていたのだ。体の大きなビクトールには、普段サイズのベッドでは狭苦しいのだろう。
 中は、思った通り机とベッドくらいしか無い殺風景な男部屋だった。だが、物が無い分片づいていた。
「倉庫まで行かなくても、フリックのランプを持って行っていいぞ」
「ありがとう。借りていく」
「どうだ? やっていけそうか?」
 ビクトールは、ベッドの縁にころりんと寝ころがって訊ねた。
「・・・。まだ何も。ただ、こんな楽でいいのかって」
「まあな。でも現に今も一隊は国境に出向いている。数日たったら交代を出す。
 楽ができるのは砦にいる間だけさ。のんびりしてるといい」
 その時、ノックの音。
「どうぞ。寝てるけどな」
 ビクトールは同じように返答する。ドアを開けたのは、酒場のおかみのレオナだった。店に出ている時と同じような肩がまるまる露出したドレスを着て、手に酒のボトルを握っていた。
「あら。先約あり? 失礼」
 ジャンヌがいるのを見て、少しもうろたえず優雅に扉を閉めた。ぷうんと甘い香水の香りが残った。
「彼女、誤解したぞ。いいのか?」
 ジャンヌの方が心臓がドキドキしていた。
 ビクトールには、同室のフリックがいなければ訪ねて来るような、大人の美女がいるのだ。
 恋人だろうか? それともオトナの関係の女性なのだろうか? そういうひとがいてもおかしくはない。
「いいんだ。今夜はイリアで三人目だ。フリックがいないと、よっぽど寂しいと思われているみたいだよ、オレは」
 笑ってみせるビクトールだ。
「・・・おまえ、脳味噌もクマ並みかあ?」
 ジャンヌの口から思わずそんな言葉が飛び出した。こいつ、自覚がないのか?
 背中を丸めて座ったビクトールは、横顔を見せたまま「ほっとけ」と悪態つく。
 ビクトールはフリックのような美青年ではないが、通った鼻筋と男らしい顎の線をした整った顔立ちの青年だ。暖かい人柄を知ってしまえば、きつい目も薄情そうな唇も気にはならない。
『まったくじゃ。ジャンヌどの、もっとこやつに意見してくれ。女ごころがわからんやつじゃからのう』
「じじいはうるせえんだよっ!」
 星辰剣とまた口喧嘩を始める。
『わしは心配しとるのじゃ。そんなことではいつまでも嫁さんの来てがないぞ』
「剣ごときに嫁さんの心配なんぞしてもらわなくて結構!」
『わしがしなくて他の誰がしてやるのじゃ!』
「あ、あの、あたしはもう行きます。おやすみなさい」
 ランプを手に取ると、逃げるように部屋を出た。
 
☆ ☆ ☆
 
『〇月△日。曇り。
 ココヤマ先生のところへ、子供達の練習を見に出かける。ビクトールも興味があるとかで、付いてきた。
 ロザリーに会いたいのだろうか? それともあたしの指導方法をチェックしたかったのか?
 片道徒歩一時間ほどの道のり。彼は剣とずっと喧嘩しながら歩いていた。
 喧嘩というより掛け合い漫才のようだ。口うるさい剣術家の父親と、それに逆らう若剣士の息子という印象の会話。星辰剣は、若く家族を亡くしたビクトールの親代わりだったのだろう』
 
 道場で、ジャンヌが子供達に手取り足取りしている間、ビクトールは所在なげにココヤマ師範と並んで立っていた。彼はジャンヌの父というより祖父くらいの年齢だろう。白髪頭を短く刈り込み、顔にはそれよりも長い仙人の髭をたくわえていた。小柄で、隆々という体躯ではないが、身のこなしは軽い。細い目をさらに細めて稽古を眺めている。
「ジャンヌ殿は、子供達に好かれているようですね」
「そうですな。ジャンヌ自身も、大人より子供の方が付き合いやすいようです。ジャンヌの指導は、公平であるのと、親身なので子供に人気ですよ」
「養女だそうですが?」
 ココヤマ氏はため息混じりに苦笑した。
「この村で皆が知っていることまでなら、お話ししてもジャンヌは怒らんでしょう。
 十三歳でこの村に辿り着いた時、ジャンヌは顔にケガを負っていました。ロザリーの髪は今のジャンヌくらい短く、フレームの太い眼鏡で顔を隠していた。ジャンヌの傷は、すぐに治療しなかったせいで、あんなにひどく残ってしまった。可哀相なことです。
ジャンヌは自分からうちへ売り込みに来ました。強かったので住み込みで修行させ、そのうち指導にもまわるようになりました。ロザリーは機転がきいて話がうまいので、接客に向いていた。妻の店で働き始めました。
 恐ろしい目に遇ってきただろうに、彼女達はオドオドしたところがありませんでした。素直で優しいいい子達です。
 私達夫婦には子供が無かったので、養女にしました。といっても、二人を拘束するつもりはありませんよ。二人を法律的に保護するためにそうしただけです」
 ジャンヌは十歳くらいの少年達を相手に、楽しそうに腰の落とし方や足の上げる角度などを指導していた。ふざける生徒の一人を頭上に持ち上げぐるぐる回したが、それは罰にならなかったらしく、他の子達が『僕もやってー』『僕も』と抱きついた。
「いいなあ。オレも拳法を習おうかなあ」
「おお、どうぞ入会なさりませ。成人の生徒がいないので、私は暇を持て余していたところです」
 成人のクラスは師範が持つことになっているらしい。
「あ、いや、ちょっと言ってみただけです」
『このスケベ!』と、頭の中に星辰剣が直接話しかけてきた。
『ジャンヌに手取り足取りと思っとったんじゃろう』
「・・・。」
 図星だったので、無言だったビクトールだ。
 
 砦に戻るとフリックから『バード』が届いていた。緊急連絡用に、一羽連れて行ったらしい。
「それは、なに?」
 ジャンヌが不思議そうに、ビクトールの掌に納まるほどの小さな白い鳥を覗き込んだ。
「どこに連れて行っても、まっすぐに砦に戻るように訓練された鳥さ。手紙や、時には軽い物品を携えて飛ばすんだ」
「へえ」
 ジャンヌは感心した声を出した。
「それって誰が考えたの」
「一応、オレ。訓練したのはウイングホード達だけどね」
「ビクトールって・・・結構、戦略家、なのか?」
「どうせ単細胞の筋肉男だと思ってたんだろう」
 届いた手紙には、今滞在する村が銀毛狼の被害に遇っている旨が書き記されていた。村長が礼金を五十万ポッチ出すといっている。
 場所はグレッグミンスターからだいぶ離れた山あいのコーアンという村だ。
 ビクトールは首をひねった。グレッグミンスターへ行ったはずのフリックが、なぜこんなところにいるのだろう。
 ま、いいか。早速パーティを決めよう。暫く剣を奮っていなかったので、腕がなる。
 銀毛狼は、妖獣の部類に入る。二つの頭を持ち、片方が炎系の魔法を、もう片方が氷系の魔法を使う。前脚の爪に蹴られると、ダメージを受ける以外に、毒・眠り・魔法封じなどのステータス異常を起こす。厄介だが、闘い甲斐のある相手だ。
 メンバーは、『オレとフリックと…』
「猟師のキニスンの弓が必要かな。狼には狼ってことで、ボブも連れて行くか。…あとは…シェラ様に起きていただけ」
 伝令係のチャコに命令すると、「ええっ、オレ、あいつ起こすの嫌だよお。寝起き悪いじゃん」と、空中に浮いた細い足をブラブラさせて文句を言った。
「…。わかった、オレがあとで起こしに行く。タイ・ホーとハンフリーを広間に呼んでくれ、オレの不在時の指示を出すから。
 熊殺し、相手は狼だがお前も来るか?」
「望むところだ。どうせみんな、実戦でのあたいをテストしたいんだろ」
 フリックの手紙にも、『ジャンヌの闘いぶりが見たい』とあった。奴が、隊長にメンバーの指名をしてくるのは、珍しいことだった。
「今夜のうちに旅の支度をしておけよ。荷物は少なめにな」
「もともと、ドレスもぬいぐるみも持って来てないんでね」
 そっけなくジャンヌは答えた。
 

 

<4>へ続く ★