さらば 愛しの熊オトコ

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☆ ☆ ☆

『〇月〇日。快晴。
 フェザーに乗って、生まれて初めて空を飛んだ。フェザーは人間の言葉がわかるグリフォンで、砦の戦力の一員だ。あたしら五人を乗せてもびくともせず、泳ぐように滑らかに空を飛んでいった。翼をたたんだ状態でも、民家のひと部屋くらいの大きさがある。翼を広げたら家一軒より幅が広いかもしれない。
 キニスンは物静かな青年だ。相当な弓の使い手だそうだ。弓使いと言うと、盛り上がった肩や二の腕を想像しがちだが、彼は筋肉隆々というタイプではない。どちらかと言えば小柄で華奢な感じだ。大きなレンガ色の瞳と上を向いた鼻が、少し女の子みたいな印象を与える。合わせの着物と短いズボンを穿いた姿は森の精みたいにも見えた。
 『狼男』ボブは、茶色い長い髪をなびかせ、綺麗な湖や家並みが見えると口笛拭いたり手を打ったりして、とても陽気な男だった。愛嬌のある下がり気味の太い眉と、眉と平行の細い目。ぱっと見は普通の青年だ。
 首まわりの大きく開いた毛皮のベストに木の実のネックレスを二重にかけて、髪も幾本も細い三つ編みを結って、何色もの皮紐で縛っている。とてもお洒落だ。
 この賑やかなボブと、静かなキニスンが仲がいいのだから不思議だ。
 不思議といえば、『シェラ様』。ビクトールの腕に抱かれてうつらうつらしている姿は、どう見ても十二、三歳だ。青白い顔色と、グレイというにはあまりに色彩の淡い透明な瞳をもつ少女・・・』
 
「おとなしいのう、星辰剣。わらわの前では偉そうな口はきけんからのう」
  片目をあけたシェラは、うふふとビクトールに笑いかけた。銀にも似た灰色の瞳がいたずらっ子のように光っていた。
『・・・。』
「あまり奴をいじめないでやってください、シェラ様。ヘソを曲げて、闘いの時にいうことをきいてくれないと困る」
 紫色のマントごとシェラを抱きかかえて、ビクトールはウイングの風から守るようにかがんでいた。シェラと話すその口調は、いつもの気取りのないものではなかった。
 「まだそのような子供じみたことをして、そなたに甘えているのか。そなたが抜いてくれなければ、ただの鉄の塊にすぎんのに」
『・・・。』
 星辰剣は、まだ黙っている。
 シェラは何者なのだろう。ジャンヌはその横顔を盗んでいた。華麗な縦巻きロールの髪はプラチナ・ブロンドだった。紫水晶が埋め込まれた繊細な細工のひたい当てで髪の生え際を飾り、陽の具合によって七色のひかりを放つ光沢のあるフリルのブラウスをまとっている。そして、紫のマント。
 隊長が敬語で接する少女。毒舌家の星辰剣でさえ口ごたえできない相手なんて。
 
 ビクトールは今朝のことを思い出し、腕の中のシェラを見下ろしてやれやれとため息ついた。
 今朝は吸血鬼にされそうになった。寝ぼけたシェラに襲われたのだ。いきなりベッドから天井まで飛遊したかと思うと、ビクトールの首めがけて飛びついてきた。普段ののんびりした動作からは考えられないスピードだった。失礼ながら枕で御かんばせを殴らせていただくと、お目覚めになられた。シェラを起こすのも命懸けだ。
 おまけに彼女は例によって「わらわの仲間にならんか」とベッドにひっぱりこもうとした。ビクトールは、中身が数百歳なのは気にしないのだが、器がまだ少女のことだし丁重にお断り申し上げた。シェラが成熟した女性になる頃には、ありがたいことに自分はもう老衰で死んでいるだろう。
太陽が低くなりオレンジ色を帯び始めた頃、コーアンの村が見えてきた。村の門のところに、青いマントをなびかせてフリックが立っていた。
 ビクトールはフェザーに降下の命令を出し、門の前に着地させた。裕福な村なのだろう、高い塀と石造りの飾り門が村を抱え込んでいるようだった。
「やあ、遠くまですまんな。かかわったら、放っておけない気がしてしまって」
 フリックは頭をかいた。
「いや。五十万ポッチは魅力だぜ、副隊長」
 と、ビクトールは片目をつむってみせた。フリックはうなずいて続けた。
「我々が泊まる場所は、村で宿屋を借りてくれた。村長と自警団の団長が宿のロビーでおまちかねだ。着く早々悪いが、話を聞いてくれんか」
 コーアンは、市になってもおかしくない大きな村だった。歩いている人たちの着物はこざっぱりしているし、両脇に整然と並んだ住居や店等の建物も、石造りや煉瓦等のしっかりしたものだ。
 用意された宿も、門柱に華麗な花の模様が彫られた立派な構えだった。フェザーを収容できる厩もある。鑑賞用の庭園まであり、灌木がみごとな丸さに刈り込まれていた。
 店の中に足を踏み入れる。ロビーには、自警団の制服なのだろう、揃いの皮アーマーを装備した青年達がうろうろしている。中央のソファに座っていた、年配の男が二人立ち上がって、ビクトール達を迎えた。
「みんなは疲れただろ、部屋に入れてもらって休んでいてくれ。村長達との話は要約して後でオレから話す」
私服の恰幅のいい男が村長で、アーマーをつけた痩せた方が団長だった。
 村長が、二か月前、冬の終わり頃から村の牛や鶏が荒らされていることを話し始めた。
 この村は畜産が盛んなので、このまま被害が大きくなると大変困るとのことだった。
 足跡から巨大な狼であることはわかっていた。襲われるのは必ず月の出た夜。
「これを見てください」
 団長が、青みを帯びた銀の錐のような、一本の長い毛をテーブルに置いた。
「ただの灰色狼であることを祈っていました。少し大きめの、灰色狼なのだと。しかし、これを見た時・・・我々の手には負えないと」
「今まで村がこいつに襲われたことは?」
「それは一応オレが調べておいた」
 フリックが代わりに答えた。
「村長どのの屋敷の離れに、図書室があったんでね。
 村の記録簿には、百五十年ほど前に銀毛狼が村を襲った事件が載っていた。そいつは魔術師によって裏山の洞窟に封印された」

 ジャンヌ達は各自の部屋でひと息ついた。同室のシェラは、部屋に入ると即ベッドに入り、すやすやと眠り始めた。 眠りを妨げては悪いので、隣のキニスンとボブの部屋へお邪魔した。
「ふうん。シェラ様はまた寝ちゃったのか」
 旅鞄の中身を整理しながら、キニスンはおだやかな口調で言った。
「聖なる力をお持ちの方だと聞くよ。妖かしのものには聖魔法が効くからね」
 魔法使いだったのか。
 そういえばそんな雰囲気だ。少女に見えるけれど、もしかしたら歳の取り方も違うのかもしれない。
「聖なる力って、ビクトールの剣みたいな?」
「ああ、あれねえ」と、スプリングのきいたベッドではねて遊んでいたボブが、笑いを含んだ声で代わりに返事した。
「隊長は昔堅気な男じゃんか。ネクロード退治の時に助けを借りた星辰剣に、恩義を感じて手放さないんだろ。隊長の腕っぷしじゃ物足りない剣だと思うぜ。聞いてたら星辰剣のやつ、怒るだろけど」
「ボブ、やめろよ、お行儀が悪いだろう。ジャンヌさん、嫌でなかったら僕のベッドに座っていてください」
「ありがとう」
 飼い主に叱られたように、ボブは「へーい」とすぐに遊びをやめた。ぽーんと一回高く飛んで、後ろにくるりと回転すると、床にみごとに着地した。
「お茶をお持ちしました」
 ドアがすっと開き、四十がらみの婦人が茶の準備を持って入ってきた。
「木蓮亭へようこそおこしくださいました。私、女主人を勤めますマグノリアと申します。何かお気づきのことがございましたら、遠慮なくおっしゃってくださいませ」
 栗毛の髪を女らしく結った、細面の女性だった。接客業に向いているだろう、柔らかい物腰、口調、暖かい雰囲気。ただ、それらをすべて帳消しにしてしまう傷。女性の頬には、ジャンヌと同じ場所・・・右の頬に、同じような刀傷がくっきりと残っていた。
 ジャンヌは、彼女が茶器を上げた瞬間に凍りついた。
「か・・・あさん!」
 おかみも顔を上げ、驚愕で茶器を取り落とした。陶器の割れる音がジャンヌの耳を直撃し、粉々の白い破片が頭の中を通りぬける錯覚に襲われた。ジャンヌは耳を覆った。破片の一つ一つにこの女の顔が映って見えた。
「ジャンヌ、おまえ・・・」
「おかみさん、大丈夫ですか? ケガは?」
 キニスンが駆け寄り、割れたカップの破片を拾った。ボブは困惑した顔で、二人が立ちつくすのを交互に眺めている。
「・・・失礼する!」
 ジャンヌは、部屋を飛び出した。階段を駆け降り、ロビーをつっ切り、そのまま宿の外へ出た。
 
 道を目茶苦茶に走った。歩く人も家並みもただ早い速度で流れて行った。まるで目が回っているかような不快感だった。なのにジャンヌは疲れて立ち止まるまで、走るのをやめることができなかった。
 ここは、村のどのあたりなのだろう。
 夕闇はこの裕福な村にも同等に忍び寄り、夜への恐怖に震える民家の扉は、死人の掌のように堅く閉じられていた。もう道を歩く者はいない。青白い月の明かりだけが、ジャンヌの立ち尽くす姿を見ていた。
 
 ボブに事情を聞いたビクトールは、思わずフリックの胸ぐらをつかんだ。目の前に村長と団長がいるのを忘れた。
「はめたなっ。初めから知って!」
「人ぎきの悪い。手を離せ」
 フリックの方は冷静だった。
「確かにあの姉妹を調べていてこの村に辿り着いた。だが、銀毛狼を退治するのとは別の話だ。公私混同するなよ」
「・・・。」
 ビクトールは手をほどいた。三白眼のビクトールが睨むととてつもない迫力がある。隣に立つボブの体は金縛りのようにこわばった。だが、フリックは慣れているのか、余裕で笑って肩をすくめてみせた。
「おまえがこんなに熱くなるなんて。こりゃあ、本物かな。少し羨ましいな」
 ビクトールはそれには答えず、怒りのおさまらない目をしたままボブに向き直った。
「ボブ達は、彼女をつかまえとけ。打ち合わせが終わったら、オレも探しに出る」
 
 ジャンヌは、ぼんやりと村の中を歩き回っていたが、やがて疲れて廃屋の軒下に座り込んだ。
 あれは、随分立派な宿屋だった。おかみはこぎれいな身なりをして、幸せそうだった。あの女がジャンヌ達を捨てたのは、正解だったのだ。でも、あの顔の傷はどうしたのだろう。
 ぼうっと、考えているようないないような状態で、ずっとそこに座っていた。
 迷い犬だろうか、長い毛足の茶と黒のブチが、腐りかけた木の塀の間から現れた。どこかの家の番犬かもしれない、けっこう大きな犬だった。地面に鼻をすりつけるように歩きながら、ジャンヌに近寄ってきた。
 女戦士は犬をなでながら、「おなか空いてるのか? ごめんよ、あたしは何も持ってないんだ」と謝った。頬を寄せるとふわふわと暖かい。 犬はジャンヌの頬をぺろりと嘗めた。
「あたしを嘗めても腹は膨れないだろう。おまえは暖かいね」
 寒いわけでもないのに、暖かさが恋しいなんて不思議な気分だった。ジャンヌはブチ犬をぎゅっと抱きしめたが、夜が迫っていることに気づいて手を離した。
「この村は、夜は物騒らしいから、早く家にお帰り」
「それを言ったらジャンヌさんもそうだよ」
 キニスンが、犬の入ってきた木の塀を、背をかがめてくぐり抜けて入って来た。
「やれやれ。脇道から来れば楽なのに、なんでこんな狭いところをわざわざ通って来たんだ。しかも、いつまでもジャンヌさんに張り付いているなよ。正体が知れて、蹴り入れられても知らないぞ」
「クウーン」
 しっぽを降ってジャンヌの背中に隠れる茶ブチ犬。キニスンは「ボブ!」と叱った。
「だって、ここで元の姿に戻ったりしたらマズイじゃねえかよ、レディの前だし。服着てないんだから」
「い、犬が喋った!」
「犬じゃねえよ、狼だよ。一応な」
「ボブ、なのか?」
 ジャンヌはおそるおそる顔を覗き込んだ。青年の時の面影は、無い。ブチ狼は、再びざらざらした舌でジャンヌの頬を嘗めた。
「うわっ!」
 ジャンヌはボブを突き飛ばした。
「いてて、ひでえや。オイラだとわかると、頬のキスさえ駄目かよぉ」
 おどけた口調に、ジャンヌは赤くなった。「す、すまない」と、路上に転がったボブを抱き起こす。
「いいんですよ、ジャンヌさん。意識は人間の時と同じだから、構わないで下さい。こいつは、人の時も狼の時も女ったらしなんだから」
「ちえっ、ひどい言われようだな。
 おっと、照れ屋でくどき下手の旦那も到着したようだぜ。オイラがジャンヌのほっぺたにキスしたのは内緒にしといてくれよ」
 
「なんでこんな狭いところを!」
 キニスンと同じ文句を言いながら、ビクトールが塀をくぐり抜けようとしていた。大柄なビクトールにはそこを通るのは至難の技だった。
 ベリッ。メリメリ。
「あーあ、ビクトールさん、門を壊しちゃダメじゃないですか」
「壊れてたんだよ、もう」
 言い訳をして、キニスンの横に立った。
「・・・千客万来だな」
 ジャンヌは鼻で笑う。
「さあ、早く帰ろう。オレ達もハラペコだぜ。宿の食事はなかなかいけるそうだ」
 ビクトールの言葉に、膝をかかえたジャンヌはさらに腕に力をこめた。
「・・・いやだ。おまえらだけ帰れ。あたしはあんな女の宿には泊まらない」
 かたくななカメのように丸くなって。首をひっこめて。もう永遠に殻から出ていくつもりはないように。
「だって、ジャンヌさん、夜は銀毛狼が襲ってくるかもしれないですよ」
「いいんだ、ほっておいてくれ!」
「隊長命令だ、戻れ」
「いやだ」
「仕方ない、強制連行だな」
 ビクトールは、ひょいとジャンヌを担ぎ上げた。肩にジャンヌの腰を置いて腕で抱えると、ジャンヌの上半身は干物のようにビクトールの背中にぶら下がった。
「や、やめろっ、何をする!」
「何をするって、だから強制連行だってば」
 ジャンヌは拳で背中を叩いたが、ビクトールは揺るぎもしない。「荷物が大きいと通りづらいな」などと言いながら、今来た狭い門を無理矢理くぐり抜けた。
「いたいっ!」
 ジャンヌの脳天に衝撃が走った。木の板が頭にぶつかったのだ。
「わざとだろ、今の!」
「荷物の分際でぎゃーぎゃーわめくな」
 散々背中を殴ったり叩いたりしたが、抵抗虚しく木蓮亭の自分の部屋まで運ばれてしまった。
 
 どさりとベッドに落っことされ、マットの海に沈む。
「ハラへっただろ。今、飯を持ってきてやる。食堂に行かなくてすむように、食事は部屋に運んでやるよ。そうすればおかみと顔を合わせることはないだろう」
「・・・すまない」
「まったくだ。オレ達はここへ闘いに来たんだ、それを忘れるな」
 ジャンヌはこうべを垂れた。返す言葉がない。私事でみんなに迷惑をかけてしまった。
「とは言うものの」ビクトールはくしゃっとジャンヌの髪を握って笑った。「つらい事はあるさ」
 
 ビクトールは部屋を出たかと思うと、あっという間に食事のトレイを持って訪れた。からだが大きいくせに、走るのも早いし、動作も早い。
 トレイにのっていたのは、サカナのフライと野菜のシチュー、大きなパン。それから果実酒のボトルだった。
「シチューとパンはまだ残ってる。足りなかったらよそってきてやるよ」
「いや・・・。充分だ、ありがとう」
 空腹のせいで気が弱くなっているのだろうか、目の奥が痛かった。
「シェラ様は?」
 同室だったはずのシェラ。隣のベッドには誰もいなかった。
「フリックが自分の部屋で相手をしている。彼女はメンクイだから、彼が一番のお気に入りなんだ。カードにテーブルゲーム、ダイスの賭け。たぶん今夜は寝かせてもらえないな、気の毒に。
 シェラの誘惑を奴がどうかわすのか、楽しみなところだ。かわせなかったりすると、もっと面白いんだが」
 ビクトールは愉快そうに笑っていた。
「じゃあな。オレはこれからメシだ。トレイは部屋の外に出しておけばいいそうだ。おやすみ」
 ジャンヌに先に食事を届けてくれたのだ、自分も空腹だろうに。
「そうだ、一言いっておく。闘いに行く時、少しでも心が乱れているようならば、置いていくぞ」
「・・・わかった」
「銀毛狼のことだけ考えてろ。それ以外のことは、思考を禁止する」
「すばらしく厳しい命令だな」
 ジャンヌが笑ったのを見て、ビクトールも笑顔を返した。男は乱暴な音をたててドアをしめると、どたどたと階段を降りていった。へこんだ腹をなでて、これからの料理を思って舌なめずりしているかもしれない。
 ジャンヌは破顔して、シチューをかっこんだ。ほこほこと無骨で暖かい野菜たちは、ビクトールに似ていた。
 

 

<5>へ続く ★

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